1.日 時 2011年4月26日(火) 10時00分〜12時10分
2.場 所 障害者支援施設けやきの村 2階集会室
3.出席者 阿部、二階堂、舟山、岡崎、吉田、半沢、下釜(代)佐藤(孝)
【配布物】
@第61回役員会レジュメ
A第60回役員会報告書
B福祉新聞(4月25日発行記事から)
CJDF被災地障がい者支援センターふくしま公表資料
4.議題 記録報告:下釜氏 今回記録:佐藤(孝)
(1)障連協の会員状況について
48団体(4月25日現在)
(2)経過・状況報告
・おおぞらの夢
・毎月防災訓練をやっているので問題なかった。
・60人通所されているうち自立通勤の方(10名ぐらい)も大丈夫だった。
・電気、ガス、水道のライフラインが止まった(通所を1週間休業した)
・3月18日にはライフラインとエレベーターが復旧した。
・通所している方の3分の1人ぐらいが放射能を心配されていた。
・1週間は弁当持参で通所してもらい22日ぐらいから7・8割復旧し1ヵ月経って
通常に戻った。
・県外へ避難をされた2名の方を除き通常の通所に戻った。
・3階のベランダにひびが入ったが改修した。
・外ではマスクを使用し行事などは屋内で行われた。
・けやきの村
・地震の時は、施設はライフラインが止まり、
利用者と職員が施設の食堂に全員泊って3日間過ごした。
・18日の水道復旧でほぼ通常に戻ったが、物流が止まり食材が入ってこないため
非常食やカップラーメン、支援物資などを食べてつないで22日から通常の給食
になった。
・3施設とも人的・物的にも被害なし、飲み水以外は普段から山水を利用していて
問題なかった。
・利用者の中にはベッドを使用している人が布団で寝たり、
節水で皿を洗わなくて済むようにラップを利用して食べてもらっていた。
何とか自分で食べれる方も食事介助するなど落ち着くまで職員が
休みなしの状態が続いた。
・障がい者の旅行を考える会
・地震時は自宅で入浴介助が終わりベッド上で休んでいたが激しい揺れのため
ヘルパーさん2名が私の体を押さえて落下物に備え毛布で体を覆い揺れが収
まるのを待った。収まったところで急いで着替えをして停電のためリフタ―も使
用できないため女性2人の人力でベッドから車椅子へ移乗した。
その際、いつでも避難できるように簡易電動車椅子に乗って地震に備えた。
・ライフラインが止まりローソクの灯りと防災ラジオの情報を聞きながら家族全員が
茶の間で就寝。私も同じ茶の間のテーブルに枕を置いて前屈状態で車椅子に
て3日間仮眠し、日中は服を着たままベッドで寝ましたが余震が頻繁にあり熟睡
はできない状態でした。
・ガスだけはプロパンガスだったため使用でき4日間は圧力釜で米を炊き、
水は近所から井戸水をもらい、買い置きしてあった食材や個人商店で買い求め
た食材と息子の防災グッズの非常食など食べいた。
・その後、4日目電気、6日目にNTT、水道は11日目に復旧してほぼ通常通りに戻
りました。
・5月8〜10日までの大阪・京都旅行は催行できる人数が集まったが時期草々と
判断し自粛して旅行中止に。
・地震発生時には、バリフリと観光物産協会の棚から物が落ちるなど散乱状態で
エレベーターが使用不能でスタッフも観物職員におんぶされて駅から避難し
無事でした。その日から新幹線が開通する日まで駅2階が閉鎖されたが片付け
などのために観光物産協会とバリフリのスタッフは交代で出勤した。
・ちょうど島根県に出張中の理事とスタッフは会議中に地震のニュースを聞いては
いたが冷静に対処して予定通り会議とUD大会で気丈にバリフリのプレゼン
PRを務めてきた。会議を終えて羽田に到着するも東京で足止めされ、理事は娘
さんのアパートに向かい、スタッフは私の友人宅で20日間滞在して4月2日に
やっと福島へ戻り現在は通常勤務している。
・原発の放射能問題で県内の観光&温泉地が風評被害に苦しんでいる。
最新の正しい情報をもとに福島の観光地へ来て旅行を楽しんでほしい。
・ぽけっと
・携帯の地震警報が鳴ると同時に凄い揺れだったが引っ越ししたばかりで
倒れそうになった棚を抑えたりしたが人的、物的にも被害なくバスで帰る利用
者1名を職員さんが送っていき、他の所員はヘルパーさんが迎えに来ていて
全員無事に帰宅させた。
・放射能と余震の心配とライフラインが止まっているため2週間休み25日から再開
した。
・1名の利用者は放射能が心配で一時、山梨県に避難されたが1週間後に戻って
きて全員通常どおりに通ってきている。
・その中の1名の保護者からは放射能の影響が心配なため外出の際にはマスク
など過剰なほど心配されている
・ガソリン不足も深刻で職員の通勤やヘルパーさんの送迎ができずなかなか再開
できなかった。
・放射能も余震も心配ではあるが過度に心配せず最新の情報を聞いて生活面で
心の落ち着けてやっていきたい。
・日本財団から助成金をいただけてトイレと裏の通用口をバリアフリーにして裏口
からも避難できるようにしたいが震災により資材が足りないので現在はリフォー
ムできていないが年内には工事したい。
・クリエイティブファクトリー
・地震時は事務所に6名いて携帯の地震警報が鳴り出し凄い揺れとともに
プリンターや書類が落ちて散乱し天井板が2名落ちたが人的被害はない。
・市役所から連絡があり翌日から1週間休み、再開条件として自力通所できる
方で停電で暖房が付けられないため服装は厚着をして弁当持参での再開とな
る。
・4月から昼食も提供できるようになり通常業務に戻りつつある。
・地震直後、職員が近くのセブンイレブンに行き所員用に2日分ぐらいのパンを
買ってきてくれ、所員にパンを分け合って帰宅させた。
半沢さんもそのパンを食べて2日ほど過ごせたので咄嗟のよい判断に感謝して
いる。
・Hさんも帰宅したら部屋内が散乱し大変な状態になっていたが、
ヘルパーさんに何とか片づけて寝床は確保したもののライフラインが止まり身を
持って災害弱者だと実感した。
・自宅で自立生活する重度障がい者にとって食糧とガソリン不足によるヘルパー
さんが来てもらえないのは深刻な問題。
・後になって分かったことだが困っている方用の車が市役所にあったと聞かされ
ても連絡先が分からず使いたくても使えない状況で知らない障がい者は無力
だと感じた。そのことを災害前に教えてほしかった。
・幸い「介護事業所まめ」のご協力でガソリン不足ではあるが1人暮らしの障がい
者へ優先に1日1回ヘルパーさんを派遣してもらいギリギリの節約生活で難を乗
り切った。
・これからは避難者を優先に対応するのは分かるが、市の方でも重度障がい者
の在宅生活をされている家庭を把握しているわけだから安否確認や困ってい
ることはないか巡回訪問をしてもらえれば、もっと状況は違っていたのではない
か。
・地域の町内会などでは高齢者や障がい者の住んでいる家庭に紙を置いて災害
時に役立てているが、アパートの場合は隣に誰が住んでいるかもわからず安
否確認もされていない。その後、やっとヘルパーさんが来て一緒にスーパーへ
買い物に行ってみたが既に必要な物は何もなかった。
・ILセンター福島
・震災当日の夕方ごろから余震が強く不安な利用者が少しずつILセンターへ集ま
り、その日は数名のスタッフが一緒に事務所に茣蓙や寝袋を持ち寄って対応し
た。翌日にはソレイユ小倉寺へ利用者とスタッフで移り、避難所として最大で
17名が避難されていたが現在(4月26日)では6名が引き続き避難生活をされ
ている。うち1名は南相馬市からの避難の方です。
・ソレイユでは断水する場合に備え共同浴槽に水を貯めた。
・福島市と相談して避難所に準ずるという形が認められ避難されている方に朝・夕
に配給があった。
・利用者1名が県外に移住するため引っ越しをされ、スタッフにも子どもが小さいた
め放射能が心配で県外に避難されている。
・ガソリン不足から移動支援は中止となり、ホームヘルプ中心の介助となったが、
それでもガソリンが足らずスタッフが交代で開く予想されるガソリンスタンドに何
時間も並び給油して何とか確保した。その何日か後には、近くのスタンドで閉店
間際に2〜3台の車分を入れてもらえる様になった。
・それと同時に『JDF被災地障がい者支援センターふくしま』が立ち上がりILの設
楽さんにも声がかかり、設楽さんの復帰日にちょうど重なる様な形で業務に専
念することになった。
・JIL全国自立生活支援センターより福島県にピアカウンセラーを養成するための
カウンセラー派遣をお願いしているところです。
・今後の放射能問題では防災指針を作って県内の別の場所や県外へ拠点を移す
ことも想定して考えている。
・現在は通常どおりの業務に戻っている。
・清心荘
・地震の揺れは強かったが利用者さんは、さほど動揺せず暗くなれば寝て、
明るくなれば起きるという人間本来の基本的な生活で過ごした。
・一番困ったのはライフラインが止まったことにより炊事面だったが備蓄が多くあり
対応できた。また施設の周りから薪を拾ってきて芋煮用の釜をフル活用して煮
焼して寒い時に温かいものも提供できた。
・関連業者の冷蔵庫も停電のため品物を早く出したいために、
施設に商品を持ってきてもらい使える物は無償提供を受けて16日までそんな
感じの生活をしていた。
・同じ系列グループ&ケアホームはライフラインが止まり、同じく食糧やガソリンが
手に入らず大変で常時介助や見守りが必要な方12名を受け入れして体力低下
しないような生活を送っていただいた。
・被災地の緊急避難指定のスタンドを見つけ、ご厚意で公用車や送迎車に給油
が出来るようになり22日から通所の生活介護を始めた。
・ボネール
・震災当日は休暇を取っていたが心配になり施設へ行ってみたら15〜16人ぐらい
いて近くのお寺の境内に避難していたが屋根瓦が崩れそうで危ないということ
と雪が降ってきて寒いので施設の食堂で待機し、うち2人は体調が悪いため宿
泊させ、伊達・福島方面などスタッフが分担して利用者を自宅まで送って行った
が道路が渋滞していて帰宅したのは夜だった。12日〜21日まで施設を閉鎖し
たが1人暮らしや不安がる方が多くいたので事業所としては閉鎖するがスタッフ
を1人常駐しているので希望があれば自由に着ていい旨を伝えたら毎日10人ぐ
らいの利用者が来ていた。幸い米はあったので食事提供をして10日間ぐらい生
活していた。中には放射能が怖くて精神障害の場合、生活能力がなくなり自宅
に閉じこもる方もいてやっと電話が繋がり話したところ何も食べていないケース
などもあった。
・このような震災があった場合に施設側として、利用者をどう支援するか方法や対
応を考える必要があると実感した。
・22日から事業所を再開して食堂も被害もなく30日から通常営業に戻った。
・『JDF被災地障がい者支援センターふくしま』から協力要請があり4月13・14日に
調査があった。当日の調査員は和歌山県と京都の調査員で県北エリアの障が
い者施設を案内して回り調査をしていったが大きな避難所の場合、アポなしで
他県の調査員の名刺を出しても役所側では個人情報保護のため教えてもらえ
ず非協力的な対応だった。役所側でも個人情報がある以上プライバシーにかか
わるので聞くこともできず避難所の中に知的や精神障がい者が避難されている
ことすら把握していない感じがした。
・5月7日にお祭りをするはずだったが残念ながら中止延期になった。その代わり
花見をしてから屋内で飲み会をした。
・震災後、取引業者から仕事がなく終了を告げられた。
これからは仕事の作業も内職からの脱却!し自ら仕事を作り出すようなものを
考えていきたい。
・震災の窓口対応について
・三障害すべての窓口を1本化した方がいい。
・災害時などの場合、とくに迅速化が求められる。
・会津や県北の窓口は静心荘の秦さんが担当。
・地域の民生委員や地区長・班長の訪問対応について
・地域の民生委員さんが1人暮らしや障がい児・者のお宅を訪問して
安否を確認してほしい。
・同じ民生委員でも個人の資質差があり、中には何もしない民生委員もいる。
・障連協として行政への要望
・各団体へアンケートを取り行政に要望する。
・障がい者策定員会などで災害時の避難マニュアルを作る。
・各市町村の自立支援協議会などで議題に取り上げてもらう。
・次回役員会と総会・アンケートの案内について
・アンケートの様式は阿部会長が次回役員会までに作成する。
・総会のご案内と一緒に災害時のアンケート用紙を同封する。
・平成23年度定期総会について
6月20日(月)10:00〜12:00 腰の浜会館 1階会議室
5.次回役員会について
第62回役員会5月30日(月)10:00〜12:00 腰の浜会館 1階会議室 |