血の連鎖

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2・目撃

半助と乱太郎…2人は仲良く帰路に就いていた。
子供は学区の関係もあるので、送ると言っても高が知れている。
半助は、いつもの通勤ルートからバス停を幾つかずらせば済むことだった。
「早く犯人捕まると良いですよね…」
乱太郎がポツリと呟く。
得体の知れない事件が身近で起こり、犯人が全く分からないまま…と言うのは、色々と厳しいのだ。
しかも警察でさえ、どこに警戒していいものか、明言出来ない状況で、捜査は全力を挙げており、一般市民は夜道の一人歩きを避け、警戒を怠らないように…と実のないコメントを繰り返していた。
現実問題として、教師陣は、生徒に被害が出てはならないとピリピリしていた。
しかし、半助はそれはあり得ないと、どこか確信めいたものを持っていた。
事件が大きく詳細に報道されるに連れ、半助の確信は大きくなった。
状況が、あの時と似すぎていたのだ。
あの時、あの人は…跡形も無く消えてしまい、二度と半助の前に姿を現す事はなかった。
当然、事件も迷宮入り。
第2の事件は起こらないと、半助は本気で思っていたのだ。
だから、ぼんやりと夕暮れの路地を歩いて居られた。
乱太郎はと言えば、学校が大事を取って集団下校をする為、部活動を禁止にしているのが納得出来ないと、ブツブツ言っていた。
テレビなどで報道されている内容は、あまりにも非現実的で、遺体の発見場所が近所だったとしても、差し迫った危機とは感じていないのだ。
「あ、土井先生!家でご飯食べて行きませんか?」
呑気にも話題は、夕食に移っていた。
「う…っ」
半助は言葉に詰まった。
乱太郎の家は、小料理屋をやっており、それを切り盛りする乱太郎の母親は、半助を見るたびに『痩せているのはご飯を食べていないからだ!』と決め付け、断る隙を与えず次々と料理を並べ出すのだ。
「かぁちゃんに会ったら、絶対土井先生、捕まっちゃうと思うヨ」
確かに、乱太郎のママさんの家庭料理は絶品なのだが、公務員としては、ご馳走になる訳にはいかない。オマケしてもらったとしても、代金を支払うとなると…中々の出費になってしまうのだ。
そこへ、遠くから2人に声を掛けて来る者がいた。
「あ〜!やっぱり乱太郎と…あれ?土井先生?」
自転車でふらりと現れたのは…。
「あれ?きり丸?」
半助の受け持ち生徒の1人、摂津きり丸だった。
「なんだきり丸。お前…1人で出歩いて!危ないだろ……酒屋のバイトか?」
自転車の荷台の部分に、でかでかと○×酒店と書かれたビールケースが積まれていた。
半助の眦が、キリリと攣り上がる。
「へへへ…」
 きり丸は、自転車から降りると、頭をポリポリと書いた。
 バイトと言ってはいるが、中学生にアルバイトが出来る筈もなく…貰う賃金をバイト代ではなく「お駄賃」と称して、きり丸は色々な所の「手伝い」を請け負っているのだ。
しかも、きり丸の仕事は精度が高く、配達一つを取ってみても、時間に遅れる事がない上に、正確な仕事をこなす事は有名で、小さな街での有名人は、バイト先に困らない所か、引く手数多なのだ。
しかもそのバイト代を貯めて、大学に行くという壮大な目標を掲げているので、その志しを無下にする事も出来ずにいる。
「これだけ、乱太郎のママさんに頼まれちゃったから…」
「へ?かぁちゃんがぁ?」
「ちょっと酒屋のおじさんに電話番頼まれて、その時にさぁ。他の注文は断ってたらしいんだけど…」
「かぁちゃんったら…無理言ったんだネ。ごめん…きり丸」
「いやぁ、今日の記録会の結果も聞けるかなぁ〜と思ったし、丁度良かったんだヨ」
半助は、乱太郎との話が終わったきり丸に、ゆっくりと声を掛けた。
「…きり丸」
「土井先生……すみません」
きり丸は、半助と事件が解決するまでの間、配達などの、夜道を出歩くバイトはしないと約束していた。
バイトはするな…と言わなかったのは、半助なりの譲歩だったのに…。
「その顔は、分かってる顔だな…」
「…ごめんなさい。」
「もう、暫くは我慢してくれよ。それから、配達が終わったら、酒屋のおじさんの所に連絡を入れる事。きっと心配しているだろうから…」
きり丸が、注文を受けたから配達する!と押し切ったのは目に見えていた。
酒屋のおじさんには、要らぬ心配を掛けているだろう。
それは、きり丸にも分かっていたらしく、コクンと頷いた。
「その後、今度はお前を送ってやるから…」
「え?…オレだったら、平気なのに」
「何を根拠に言ってるんだか…」
「そうだよ。きり丸…先生に送って貰えば、安心だよ。かぁちゃんの頼んだ注文のせいで、きり丸に何かあったら、嫌だよ…私」
「……仕方ねぇ〜な。」
きり丸は、乱太郎の言葉に渋々と言った感じで承諾した。
一見、仕方なく受け入れたように見えるが、きり丸の表情が和らいだのを、半助は見逃さなかった。
何処か大人びた所のあるきり丸は、乱太郎のように嬉しい時でも、素直に感情を表に出す事をしない子供だ。育った環境が似通った半助には、それが良く分かった。
周りには何故それが分からないのか不思議なくらいに…。
だからこそ、他の教師から影で『扱いにくい生徒』の烙印を押されているきり丸が、半助には可愛らしく映るのだ。
きり丸からの相談事を受ける…そんな些細な事が、信頼を勝ち得ているようで、半助は嬉しかった。
しかしこの時ばかりは、きり丸の事も心配だったが、乱太郎の母親の食事攻撃から逃れる良い理由が出来、一石二鳥…などと思っていたので、半助の良心がちくりと痛んだ。

結局、乱太郎の家へ向かうことになった3人は、きり丸の自転車を押すのを手伝ったり(正確には手伝わされたり)しながら、あと少しで目的の店の暖簾が見えようという所まで来ていた。
その時だ……

きゃあぁぁぁぁ…っ!!

絹を切り裂く悲鳴とは、正にこの事。女性の悲鳴が響き渡った。
「な……!」
後ろ…半助達が歩いて来た道の方からだった。
尋常ではない悲鳴だった。
「き、きり丸、乱太郎…2人で先に店に行っていてくれ!」
「土井先生は?!」
「様子を見てくる」
半助に迷いはなかった。
「そんな!無茶です!」
店はすぐそこだ。2人はすぐに安全な場所に避難が出来る。
半助に、あの悲鳴を無視することは出来なかった。
「早く、店に…」
半助の視界に、店から顔を出す乱太郎の母親の顔が見えた。
「乱太郎?!」
「早くお母さんの所に…」
半助は、悲鳴のした道へと引き返した。

半助は夢中で走っていた。
何があったのか?
身体が勝手に動いていた。
と、
悲鳴の主は、すぐに分かった。
1人の若い女性が、先程脇を通った空き地の方を凝視し、呆然としていた。
空き地に何が?
飛び込んだ半助の目に映ったのは……
暗闇に佇む…後ろ姿の男の影。
その足下で、もう一人、若い感じの男が膝を付き、不自然に仰け反っていた。
男は、若い男のおとがいを掴んでいるように見えた。
その時、ゆっくりと月が顔を出した。
暗闇が…。
ほんのりと照らされた。
全身に、ザッと鳥肌が立つ。
半助の瞳に飛び込む……赤。赤。
何故気が付かなかったのか…むんと沸き立つような、噎せ返る鉄の臭い。
若い男も、佇む男の腕も血まみれだった。
「ヒッ…!」
半助の喉の奥から、制御しきれない悲鳴が上がった。
その音に反応するように、手を離された男の身体が重力のままに崩れ落ちる。
ゆっくりと、男が振り返った。
月明かりに、その男の顔がはっきり映った。
目を惹く大きな瞳はあくまで鋭く、すっきりと通った鼻筋に、小さい顎。
全てが計算された様にバランス良く配置されていた。
むしろ整い過ぎた顔は、人智の及ばない世界の生き物の様でさえあった。
まだ半助より年若に見える容貌から、半助は目が離せなかった。
半助の思っていた男では……なかった。

彼より若い。
彼とは違う…中性めいた美しさ。
彼には無い、冷たい瞳。
半助は、間違っていたのだ。

あの人では…なかった。

見詰める半助の目の前で、ふっくらと形良い唇の両の端が、鋭角につり上がった。
それが、男の笑みだと気が付くのに、しばしの時間が掛かった。
途端に、半助の頭に恐怖が沸き上がった。
…殺される!
それでも、半助は目を反らすことも出来ない。
さらりとした前髪を気にするようにかき上げると、男は、ゆっくりと半助に近付いて来た。
一歩。
また、一歩と。
「…ひっ!」
半助の思考は、逃げなければ…と警笛を鳴らしていたが、魅入られたように、身体が動かなかった。

「お前か…この熟れきった香りの元は。」
男は、人の言葉を話した。
それでも…
半助は、唇がぶるぶると震えるのを止められなかった。



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