血の連鎖

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3・遭遇

右手を血まみれにした美しすぎる男は、半助に息がかかるほど近づいていた。
「お前か…この熟れきった香りの元は。」
恐怖ですっかり身動きの出来なくなっていた半助の耳元に顔を近付けて、くんっ…と臭いを嗅ぐ仕草をする。
「なっ…」
予想外の男の行動に、半助はビクリと震えた。
「中々、良い感じになってるみたいだな?」
男の行動の意味は分からなかったが、半助は顔が羞恥に紅潮するのを感じた。
「私達のような他の仲間には近づくなと、お前の主人は教えてくれなかったのか?」
…仲間?主人?
半助には、男の言っている事が理解出来なかった。
それでなくとも、恐怖でまともな思考は働いていない。
男は半助の腕を掴むと、先程の空き地へと引っ張り込もうとした。
「な…嫌…」
一目に付かない所で、殺される!それだけは、半助にも分かった。
藻掻いたり、足をばたつかせたり、出来うる事はみんなした。
しかし…。
抵抗は、軽くあしらわれ、半助は一番奥まった塀に全身を押しつけられていた。
「う…っ」
男は子猫でも御するように、半助を塀に張り付けにした。
圧倒的な力の差に、半助は頭が真っ白になる。
「なんだ?お前、怯えてるのか?」
男の声に、全身がザワリと沸き立つ様な思いがする。
「人様のご馳走に手出しする趣味は無いんだが…そんな身体で、俺の前に姿を現すお前が悪いんだぞ…」
男は、血にまみれた右手を口元に運ぶと、ペロリと一舐めする。
不思議な事に、血にまみれていた手は、それで何事もなかったように綺麗になる。
指先に、美しく整えられた爪がキラリと光っていた。
「お前も、ちょっと位、可愛がってもらった方が…楽になるからな」
男の手が、半助の首筋に伸びる。
「ひぃ…っ」
ズブリ…と、皮膚を突き破るように男の指がのめり込んでくるのを、半助は絶望の中で自覚した。
「あぁぁ…ぁ…っ」
身体の中に、ゆっくりと入り込む異物。
その非現実的な行為に、何故か、半助は全身に甘い…陶酔に似た感覚を味わっていた。
「あっ、あっ…」
あり得ない感覚に、半助の両目から無意識に涙が溢れた。
「や…っ、もぅ…やめ」
男は、半助の流す涙を舌で舐め取る。
「お前は、どこもかしこも良い味だなぁ…」
半助は無意識に、男の指がのめり込んでいる首元に伸ばそうと、それでも触るのは恐ろしいのか、男の腕に触れないギリギリの所で震えている。
「な…なんで…あっ…うぅっ…」
身を任せて楽にするのが、お互いに良い方法の筈なのに、半助は全身を振るわせながらも、強ばらせて抵抗をいつまでも示していた。
「おい…初めてでもあるまいに…何て反応だ?」
これは、こいつらにとって、一番の快楽ではないのか?
男は、違和感を感じた。
話と明らかに違う。
自分は間違えたのか?
否、しかし、この感触は、普通の餌とは明らかに違った。
男は、乱暴に半助の首元から指を抜き取ると、指が埋め込まれていた辺りをべロリと舐め取る。
「うっうっ…」
そこには、ほんのりと赤い五つの痣が浮き上がった。
「おい…」
男は半助を揺り動かす。
半助は、虚ろな瞳で、ぼんやりと遠くを見詰めていた。
「お前、主人はどうした?一度も可愛がってもらった事はないのか?」
男にしてみると、それはあり得ない話だった。
こうやって、実際に味わってみると、先程1人分味わった精気より、ほんの一舐めした目の前の男の涙の方が美味で、濃厚だった。
正直、こうやって本物を見たのは初めてだったので、折角出来たモノを放置する事があるのかどうか?男には判断しかねた。
もし、何らかの理由で捨てられたのなら、自分のモノにしてしまっても良いのでは?とも思う。
これを手元に置けば、自分は早く一人前になれるのでは?と。
男が、半助へと再び手を伸ばそうとした時だ。
ぼんやりとしていた半助の身体がビクリと目に見えて飛び上がった。
「あ……」
半助の身体がガクガクと震え出す。
「おい、突然…どうした?」
半助の瞳に、見る見る精気が戻って行く。
青ざめていた顔にも、血色が戻り、ほんのりと色付いて艶が増した。
同時に、自分を惑わした、馨しい香りが濃度を濃くする。
目を奪われる変化だった。


と、同時に新たな気配が現れようとしていた。
男が良く知る気配。
男は、はぁ〜と大きな溜息を付いた。
自分の冒険も終わりだ。
闇の中から、気配が形を成す。
すっかり姿を現すまでの数秒。男はその存在に見取れた。
見飽きる程に見ているというのに、彼は常に男の上位としての力を見せ付ける。
鍛えられた完全な身体。底の見えない程の強大な魔力。
いつまでも、この人には敵わないのでは?と思わされる。
「やっと見付けたぞ…利吉。」
声の主は、美しすぎる男―利吉の父親、山田伝蔵だった。
「見つかってしまいましたネ。…父上。」
「お前…」
伝蔵は、周りを見渡す。
足下に、血まみれの遺体が一つ。
利吉の側に1人。
一応は、人目に付かないように…とは考えた様だが、すぐ脇の道では気を失った女性…明かに食事を目撃されたのだろうと想像出来た。
自分が利吉から目を離したばかりに、かなり勝手をしてしまったようだ。
伝蔵は、はぁ〜と大きな溜息を付いた。
そして、伝蔵もすぐに気が付いた。
利吉の側に居るもう1人。
それを利吉が食べてしまわなかった理由。
我々一族……人は、吸血鬼などと称するが……ならば、すぐに分かる。
…この芳香の意味を。
「この香り…【果実(デセール)】か?」
疑問形の発言ではあったが、確信だった。
しかも、かなり熟れた状態の【果実】。
利吉が、惑わされても仕方がない…と伝蔵は思った。
自分でも、くらりと来そうな、かなりの良質なシロモノだった。
それが何故、主人以外の者に襲われるような事になったのか?
何故、主人に助けを求めない?
不思議に思った伝蔵は、その【果実】を改めてよく見る。
うっとりと瞳を濡らした【果実】は、何か言いたげに伝蔵を見詰めていた。
唇がわなわなと、言葉を発しようとしているが、上手くいかないようだ。
しかし、真っ直ぐに自分を見詰める瞳には、見覚えがあった。
「や…や…ま…」
芳香が益々濃く密度を増すようだ。
「や、山田…せんせい」
絞り出すように発した言葉に、伝蔵は愕然とした。
自分を先生と呼ぶ人間は、1人しか居ない。
「お前…半助、土井半助か?」
利吉はギョッとした。
伝蔵の目の前で、半助は婉然と微笑み……意識を失った。




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