血の連鎖

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4・過去夢 〜その2・偽りの安穏〜

男は特別な事は何もしていないのに、あの日から、半助の生活に入り込んで来た。
初めて食事をご馳走になった翌日も、図書館からの帰りが一緒になり、また誘われた。
その次の日も。
次の日も。
そのうち、図書館に行くと、当たり前の様に声を掛けてくるようになり、閉館時間を待たずして、男の家に向かうようになった。
図書館は、ただの待ち合わせ場所と化した。
半助も、誰かと一緒の食事の楽しさを味わうと、1人での食事には耐えられなくなった。
もう断るという段階ではない程、男の家に行くことが当たり前になってしまったのだ。
冷静に考えてみると、半助の方には断る理由がない。
男の気まぐれなのは分かっていても、その気まぐれが一日でも長く続く事を、願うようになってしまっていた。
しかし…いくら男の方から誘っているとは言え、連日となると、半助も気が引けてくる。
図々しく上がり込んで、ご飯を食べていく相手…自分に『食費がかさむから』というのは、断るのに…十分な理由になると思えた。
「材料代だけでも…もらって下さい。」
そう言いだしたのは半助の方からだった。
半助には、家の鍵と共に通帳も渡されていた。
そのお金が何に使われようと親は一切干渉してこない、半助の自由に出来るお金だ。
しかし、裏を返せば、半助の方からお金を払ってでも、一緒にご飯を食べたいと、完全に気を許した瞬間だった。
「それは、これから…ずっとこうして私の所でご飯を食べたいという事かい?」
男は、しゃがみ込んで半助の両肩をしっかりと掴むと、半助と視線を合わせて確認する。
半助は、こくりと頷いた。
酷く恥ずかしい事をしている様な気がして、赤面していた。
乾ききった砂のようだった半助の心に、男の優しい言葉の水は一気に染み入った。
ひとりぼっちでいるのは、限界だったのだ。


学校が終わると、半助は男の家に直行する様になった。
男…名前を木下穴太と言う。
「おかえり…半助。」
木下は、半助がこの言葉を何より聞きたがっているのを、分かっていた。
「…ただいま」
半助の返事はいつも小さい。
恥ずかしがっているようで、それでいて、言うのを止めたら二度と言っては貰えないのでは?と危惧しているような…遠慮がちな返事だ。
そんな返事を聞くのが、木下は大好きだった。
たったそれだけの事の為に、半助は自分の所に来るのだ。
そして一緒にご飯を楽しく食べる…それだけの事の為に。
もう、小学6年にもなるのだ…ちょっとおかしいとは思っているだろう。
いい大人が、仕事もせずに小学生と一緒に遊んでいるのだ。
半助には、コンピューター関係の仕事を家でしていると言ってあった。
書斎と呼んでいる部屋は、厳重に施錠し、近寄らないように言ってある。
しかし…木下は、例え鍵が無くとも、半助には、そこを暴く勇気は無いだろうと踏んでいる。
半助は、木下が何ヶ月も掛け観察したターゲットなのだ。
以前した失敗を繰り返さない様に、慎重に選んだ最適の相手だと思っていた。
実際、今のところ計画以上に上手く行っている。
愛情に飢えた、表面上は優良な子供。
そんな相手に劣情を抱くのが木下の性癖だった。

「半助、今日は新しいゲームを買ってきたから、一緒にやろう」
木下は、半助が材料費だと渡してくるお金で、半助のモノばかりを買った。
勿論、半助もその事は分かっていて、他の事に使って欲しいと頼んでくるが、無視して、今日も『半助の為に』散財する。
「私は半助の喜ぶ顔を見るのが、一番好きなんだ。元々、材料費だって、半助が受け取って欲しそうだったら受け取ったまでで、それを私が半助の為だけに使うのも自由だろ?」
などと言いつつ、半助を楽しませる為だけに選んだような顔をして、誘うのだ。
一緒にやろう…と。
半助の性格で、断る事はまず出来ない。
そして、木下の示すあぐらの中に半助は座らされるのだ。
ゲームも半助の家に無いと言うので、買ってきたものだが、コントローラーは一つだけ。
楽しく対戦したりはしない。
半助に持たせた上から自分の手を重ねて、やり方を教えるのだ。
『教えてあげる』だから…あくまでこの形だ。
やり方を覚えたら、半助を後ろから抱くような体勢で、半助のするゲームを眺める。
「おぉ〜上手い上手い!」
自分がゲームに夢中な振りをしていれば、半助の思った以上に細い腰に手を回していても、身体をピクリを振るわせる以外、半助には何も出来ない。
なんて可愛いんだろう…。
半助は、スキンシップに飢えているのは分かる。
しかし……限度が分かっていないのか?
それとも、分かっていて我慢しているのか?
どちらにしろ木下には都合が良い話しだった。
「さて、そろそろ夕食の準備に掛かるかぁ〜」
木下が身体を離すと、半助はあからさまにホッとする。
そんな仕草も可愛いものだ。
「今日は…コレに挑戦してみるかい?」
「え、それ…ワインって、お酒?」
「半助ももうすぐ中学生だからなぁ〜。ワイン位は飲んでもいいんじゃないか?」
「…でも」
「ほら、お前の生まれ年のワインなんだ。私なんて、小学生の頃から晩酌の相手をさせられていたんだよ。」
「…それって、結構普通の事?」
半助は、よく『普通』かどうかを聞きたがる。
自分の環境が普通じゃない事を分かっていて、普通な事がしたいのだろう。
「あぁ…結構あるんじゃないか?中学で酒盛りなんて話も聞くしなぁ…」
極端な話に、半助は好奇心がくすぐられたようだ。
「じゃあ、ちょっとだけ…飲んでみようかなぁ〜」
半助は、嬉しそうに…ちょっと興奮していた。
私も…興奮するヨ…可愛い半助。




半助は、その日の事を思い出す。
あの日は、頭が痛くて、授業どころじゃなかった。
前日、木下に勧められた初めてのワインに、量は大して飲んでいないのに、完全に酔っぱらってしまい、すっかり寝入ってしまったのだ。
何とか起こしてもらったのは、木下宅にいつも居る時間より1時間もオーバーした頃で…。
しかも寝起きでヨロヨロしているのを、送ってもらってしまった。
それでも部屋の明かりは真っ暗だったが…。
そして、朝目覚めてみたら…酷い頭痛。
これが噂の二日酔いらしい。
半助に学校をサボるという感覚は存在していない。
家に居たくないという気持ちが、根底にあるのだ…。
どんなに体調が悪くとも、学校に行く。
しかし、断続的に続く頭痛に顔色は真っ白、手足が冷たくなってしまい、担任に見つかってしまった。
そもそも大して飲んでいないので、ちっともお酒の臭いがしなかったせいか、二日酔いだとバレる事無く、保健室で休むことが出来た。
前日の事を思うと、木下に合わせる顔がなかったが、この辺りの事も木下に聞いてみないと…と半助は思う。
年は10歳近く離れているが、兄が出来たようで…そう思える人の存在が嬉しかった。
二日酔いで保健室なんてVIP待遇を受けたなんて話したら、どんな言葉が返ってくるだろう…。
確かに、スキンシップが過ぎる木下だか、自分の事を思ってくれているのは感じる。
また、ズキズキと痛む頭で、放課後の事ばかりを考えていた。
その頃の半助は、図書館で時間潰しに勉強する事もなくなり、成績もどんどん落ちていた。
その今までと変わっていく状況が新鮮でたまらなかったのだ。
常に学年で十番以内をキープしていたのに、そんな事がどうでも良くなっていた。
導く者が悪いと堕落していく、典型的な道を辿っていた。

当然担任は、心配していた。
極端に服装や言葉遣いが乱れている訳ではないが、優等生と呼ばれる子供が、まれに突然スイッチが切れたようになってしまう事があるのだ。
しかし、半助には、素晴らしいお母さんがいるではないか…と担任は思う。
ある意味、半助を言いなりに出来るので、何とかなるというのは間違いではないが…。
そして、担任は母親宛に留守電を入れたのだ。
『半助くんの成績が落ちていますが、家庭で変化はありませんか?一度、ご相談したいのですが…』と。
半助はその留守電に気が付かなかった。
そして、それを聞いた母親は騒然とするのだ。
息子のせいで、呼び出される?!
寝耳に水だった。
彼女に家庭での様子など分かりようが無い。
しかし、担任に……そんな格好の悪いことは言えない。
それでいて、面と向かって半助自身に問い質すのは、後ろ暗く感じて、母のプライドが許さなかった。
そして、短絡的に考えるのだ。
首に鈴を付ければ良いのだ。
鈴……つまりは家庭教師だ。
それで言い訳が立つ。
そして、高い金を積めば良い…程度の認識で家庭教師が選ばれる。
選ばれたのが…あの男だった。
山田伝蔵。

母親は、自分がその男を選んだと思っているが、実は違う。
伝蔵が選ばれた男に成り代わったのだ。
伝蔵にしてみれば造作もないこと。
見ていたのだ…半助を。
正しくは、木下を見ていたのだが…。
そして…何故か放っておけなくなった。

このまま事に及べば、半助を犠牲にするのは明かだった。
そして、半助の前に現れる事を選んだのだ。
彼は自ら、半助の家庭教師となった。

運命の刻が、初めて交差した。




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