血の連鎖

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4・過去夢 〜その4・本性〜

「最近、土井くんらしさが戻って、先生嬉しいわ…」
宿題のプリントを回収して、職員室に提出に行った時の言葉だった。
「…僕、らしさですか?」
「頼み事も宿題も、ちゃんとやってくれるし、授業もしっかり聞いてくれるようになったし。お母さまも安心したと思うな…」
半助は、またか…と思いながら聞いていた。
担任の言っている事は、あなたに都合が良いことばかりではないか…と。
あなたが告げ口したお陰で、両親から半助に唯一与えられていた自由が一つ消えた。
半助の自由が失われて、担任教師は手の掛からない生徒を得、母親は良い子の母親という体面を保てたのだ。
「…そうでしょうね」
半助の苦笑に、担任は気付こうともしなかった。
自分のやり方が悪かったんだと、半助は思う。
そう思えるようになった。
それに気付かせてくれた人がいるから…。


あの日から、半助は帰宅時間を気にしなければならなくなった。
半助は、木下の家に行くことを止められない。
…すっかり自分と木下を重ねていたから。
木下との時間は、確かに半助の孤独を薄めてくれたのだ。
それでも…
家にあの人が待っている。
遅くなっても、声を荒げることなく自分を待っている人が。
そう思うと、木下の家に居ても、かつて感じていた安堵感のようなものは、無くなっていった。
逆に、過ぎるスキンシップの苦痛が増す。
今までは平気だった事までが許せなくなる。
木下の方も、半助の変化を敏感に感じ取っていた。
「家庭教師に叱られるのかい?そいつが母親に酷い告げ口をするんだろう?」
「そんな事ないです…」
半助は、大きく首を振る。
あの人は、絶対…そんな事はしない。
木下があの人を悪し様に言うのは、半助にとって苦痛だった。
「じゃあ、何で帰るなんて言うんだい?まだ外も明るいし…ほら、新しいゲームもある」
これ見よがしに、木下はゲームを見せ付ける。
半助は益々悲しい気持ちになる。
今の木下の言い方は…言うことを聞かない小さな子供を、甘いモノで釣るような態度ではないか…と。
「時間の掛かる宿題が出てるんです。早く、やらないと…」
「そんな事、今まで言わなかっただろう?何、一寸ゲームするくらい…」
そう…今までは、宿題なんてどうでも良かった。
独りぼっちで誰も居ない家で机に向かう自分が嫌で、それ以外の事なら、何でも良いと思っていた。
でも…それではいけないんじゃないかと、半助にも分かり始めていたのだ。
それを分からせてくれた人が居る。
…山田先生。
楽しい事を色々教えてくれる木下より、半助の心の中で伝蔵の占める割合が増えていく。
伝蔵は、半助に楽しい事を教えてくれる訳ではないし、優しい言葉も苦手な様だ。
木下の様に、半助の為に…などとは言わないし、大好きだと言葉にする事も無い。
ご飯も一緒に食べた事はないし、半助の事を抱きしめてくれた事もない…。
なのに…木下よりも、ずっとずっと…
…自分の事を大切にしてくれているのでは?と思う瞬間があるのだ。
それも沢山。
半助の中で、伝蔵の事を思う時間がどんどん増えていった。
止められない感情だった。

「家庭教師に…騙されてしまったんだね。半助?」
「騙すなんて…そんな言い方?!」
「そうだろう?私しか、一緒に居る相手も居なかった…私しか、半助に『おかえりなさい』を言う人間は、他に誰も居なかったんだろう?」
木下の言葉は、半助を振るわせた。
改めて言葉にされると…それが事実なだけに、半助の心を抉る。
「それなのに、家庭教師なんかに唆されて、私とはもう会いたくないのかい?半助に新しく優しくしてくれる相手が出来たら、私は用済みかい?」
「そ…そんな酷い事、言ってない…」
「そうだろう?そいつに何を吹き込まれているか知らないが、家庭教師なんて、所詮金で雇われているだけ…半助の成績が元に戻ったらお払い箱だ。」
木下の言葉は、正確に半助の泣き所を突いていた。
少し顔を歪めた半助を、木下はうっとりと見詰めていた。
「私なら…ずっと半助を可愛がってやれる。いつでも甘えさせてやれる。一生だヨ…」
「…一生?」
そんな言葉の方が…余程嘘っぽい。
木下を憎からず思っていた心が段々と冷えていくようだった。
甘い言葉ばかり並べて、半助の為に…と言いながら、実際は半助に逃げ場をくれただけ。
逃げ場から、現実に戻ると…また寂しくて、寒々しさに震え上がりそうになる。
そうして、また木下の元に逃げ帰ってくるのか?
木下の所じゃないと、何も出来なくなってしまいそうで、それも怖かった。
自分が弱くなる分だけ、現実に耐えきれなくなりそうで…。
山田先生は、そんな言葉は使わない。
そして、自分に強くなれと言う。
自分の大切な人は自分で探せと言う。
全然、甘えさせてくれないのに、あの人の言葉は温かい。

「木下さん…木下さんは、本当に…僕が…す、好きなの?」
半助は、とうとう聞いてしまった。
山田先生からは、言葉は無くとも愛情を感じる。
愛情を受けた事の少ない半助にとっては、自分を本気で心配してくれる感情は確かな愛情だ。
でも…。
最近、木下から受ける感じは、段々変わってしまった気がする。
半助を…半助の気持ちはどうでも良いと思っている様な…。
それは、自分で無くとも良いって事で、良い子ちゃんを演じる自分だけを必要とする両親と変わりない。
「は…半助?」
自分の思いに沈んでいた半助は気が付くのが遅れた。
自分を呼ぶ声に顔を上げる。
「…き、木下さ…」
木下の形相はまともじゃなかった。
見開かれた瞳はギラギラと異様な光が籠もっていて、顔中の筋肉が引き攣ってピクピクと震えていた。
「半助…どうして、そんなことを…わたしのきもちを疑うようなこと、そうか…きいたのか?その家庭教師って野郎に、妙な事をふきこまれたなぁ…」
「き、木下さ、ん…」
「この口が、可愛い口が…なんて事をいうんだい?いままで一杯可愛がってやったろう?いろんな事を、ゲームだって、漫画だって、おもしろいって、私の腕の中で、私が抱っこしてないと、何にもしたくなかったんだろう?大丈夫、これからずっといっしょにいてあげるから…ねぇ〜うれしいだろ?」
「…ひぃ…っ!」
半助が逃げようとするより、男の行動の方が早かった。
木下の手が、半助の細い首に掛かり、じわじわと締め上げる。
「は、なして…」
「嘘は駄目だヨ。これからずっと離さないから。半助は私のモノだから…」
木下の手に力が掛かり、半助の喉がぐぅ…と鳴る。
木下の手を外そうと、必死に爪を立て抵抗していた半助の手がダラリと垂れる。

助けて…
半助は、咄嗟に1人の顔が浮かぶ。

助けて…山田先生!

思わず祈っていた。
でも、その声は届かない事も分かっている。

自分を助けてくれる人なんて…
誰も居ない。



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