血の連鎖

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4・過去夢 〜その5・事件〜

「…だ!お前は…どこから!」
半助の耳元で…誰かが騒いでいた。
誰かが、半助の身体を引き起こそうとする。
途端に喉がヒューヒューと音を立てて、思い出した。
酷く苦しかった。
良かったのかは…分からないけど、まだ…生きてる。
絶対殺されたかと思ったのに…。

「近付くな!お前何者だ!どっから来た!」
耳元で騒いでいたのは、木下?
「半助を離すんだ。私をこれ以上怒らす前に…」
この声。
身体中に響くような声。
本当に…あり得ない…。
こんな都合の良い事。

山田先生が助けに来てくれるなんて…。

でも情けない事に、半助は自分の身体を自由に動かせなかった…。
側にいる2人も、半助が気付いていることを、分かっていないかもしれない。
「近づくな!」
目の前にキラキラしたモノが振り回されていた。
「このガキの命は無いぞ!」
喉元にひやりとした感触。
木下が刃物をあてがっているのだ。
でも…突然、踏み込まれただけにしては…空気がおかしい。
「この化け物め!来るなぁ!」
木下は怯えていた。
じりじりと後退る。
化け物?
「お前が、殺した子供達も同じ事を言わなかったか?」
伝蔵の声は、この場に不似合いな程、普通だった。
「来るなぁぁぁ〜っ!」
木下は、半助を床へと投げ捨てると、手に持っていた包丁を闇雲に振り回した。
半助は床に叩き付けられた衝撃で、何が起こったのか良く分からなかった。
一瞬、半助に気を取られた伝蔵に、木下が襲いかかったのだ。
なのに…伝蔵は避けようともしなかった。
ザクッ…と、木下は手応えを感じた。
「ヒッ!」
切った方が驚いていた。
手応えが普通ではなかったのだ。
ボタ…ッと、半助の目の前の床に、血が落ちた。
「ぁ…!」
伝蔵が切られたのだ…半助は小さな悲鳴を上げる。
しかし、それは木下のそれ以上の悲鳴でかき消された。
伝蔵の頬を弧を描く様に出来た傷は、木下の目の前で、べろりと垂れ下がった。
伝蔵は、それを何でもないように撫で付けると、それで傷は掻き消えていた。
「ひぃぃぃ…!」
「普段は、なるべく苦痛を与えるような事はしないが…お前は許さない」
がぐぅがが…と半助の頭上で、人の物とは思えない呻き声が聞こえた。
それは…多分、木下のものだ。
見えていなくとも、半助には分かった。
人智の及ばない何かが、起こっているのだろう…と。
それも…
山田先生の手によって。
木下のものらしい足が、ビクンビクンと断末魔の麻痺を繰り返す。
程なくして、ドサリと荷物のように木下の身体が投げ出された。

恐らく、山田先生の居るであろう辺りに、異常な熱気を感じた。
不思議と恐怖感はなかった。
半助は、必死に顔を上げようとしたが、身体が痺れたように動かなかった。
「……ゃ…」
名前を呼びたいのに、言葉にならなかった。
「…半助。怪我は無いな。」
気が付いてる!
半助の瞳からドッと涙が出た。
「そのままじっとしているんだ。巻き込んで…すまなかった」
何を言っているんだろう?と思った。
山田先生は、助けてくれたのに…。
「私が恐ろしいだろう?こんな目に合わせるつもりじゃなかった…」
心底、後悔しているような声色だった。
そんな事無いのに!
半助の気持ちは伝わらない。
それでも、どうしても声にならなかった。
行ってしまう!
何故、そう思ったのかは半助にも分からない。
身体がバラバラになりそうな程に痛んだが、必死に顔を伝蔵の方に向ける。
そこに居たのは、後ろ姿の伝蔵だった。
一見別人のようだが、半助にはすぐに分かった。
その背中には、人有らざるものが生えていた。
黒光りする……蝙蝠と同じ形の羽根。
美しいと思った。
伝蔵に、相応しいと思った。
いつもの伝蔵も、格好良すぎて別世界の住人の様に思っていた。
でも、あれは仮の姿だったのだ。
今の姿は、暗闇に真っ赤な光が射し込んだ様な…そんなインパクトがあった。
思わず時を忘れ、その後ろ姿から目が離せなかった。
一瞬で魅入られてしまったのだ。
「や…山田、せん…せ」
しかし、半助がその名前を呼び終える前に、空気が歪んだ。
闇が濃さを増す。
次の瞬間、美しい異形は、闇の中へと消えてしまった。
本当に、なんの跡形もなく…。
美しい人は、自らのあるべき世界に帰ってしまったのだ。
半助、独りを残して…。

半助はしばらく、呆然としていた。
意識しない涙が止めどもなく流れた。
伝蔵は、初めから行ってしまうつもりだったのだ。
だから、あんな事ばかり言っていたのだ。
それとも、全て夢だったのか?
自分は気が狂ってしまったのではないか…と心配になった。
あまりに寂しくて、あの人そのものが、自分が作り出した幻だったとしたら?
ゾッとした。
半助は、それが何より恐ろしかった。
あの人は確かに存在したのだ。
美しくて、優しくて、厳しくて、自分を気に掛けてくれた人。
人ではなかったかもしれないが…。
半助にとってはどうでも良いことだった。
時間が経つにつれ、身体の感覚が除々に戻ってくる。
何とか身体を起こすと、木下だったものが見えた。
しかし、半助の関心はそこには無かった。
「あ…った…」
あの人の存在の証拠。
「…良かっ…た」
半助は、床に垂れていた血痕を、人差し指で拭い取った。
木下が伝蔵の頬を斬り付けた時に、落ちたモノだ。
確かに…あの人、山田先生は存在した。
そして、自分を助けてくれたのだ。
自分を助けてくれる存在なんて……誰も居ないと思ったのに。
…山田先生だけが。

半助は、その血をそっと舐めていた。

鉄の味がするそれ。
人ではない者の血を口にするというのに、迷いは全く無かった。
自分のものと大して変わらない。
目の前がグルグルと回りだしたが、気にならない。

その時、半助は…幸せだった。

山田先生の存在の証拠を、独り占め出来た。
その喜びに浸っていたのだから…。




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