血の連鎖

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5・事件後

半助は、長い長い夢を見ていたようだった。
唐突に目覚めて、はっ…とした。
…あの時と同じ。
見たことのない白い天井に、蛍光灯。
天井のフックからぶら下がった点滴の管は、自分の腕に繋がっている。
自分の周りでは、何やら計器が音を立てている。
見渡しても、誰も居ない病室の個室だった。


13年前も、同じだった。
あの後、病院に担ぎ込まれた半助は、暫く意識不明だったそうだ。
その上、あの時、犯人―木下に、睡眠薬を飲まされていた事は分かったが、意識不明になってしまった原因は、全く分からなかったのだ。
極度の血圧の低下、血糖値の低下、一転して、大量喀血、大量下血、高熱と、原因不明の症状が断続的に続き、生死の境を彷徨ったらしい。
そして数日後、何事も無かった様に全快し、突然目覚めた。
病院から連絡を受けた両親が、泣きながら抱き付いて来る位には、大変だったらしい。
しかし、瀕死の息子をおいて仕事に行っていたというのだから、凄い両親だ。
それを知っても、自分とは切り離した感覚で、2人を尊敬してしまえたのは、あの時、完全に両親を諦められたから…だったのかもしれない。
当然、重病人だった自覚の無い半助には、医者からしつこい程に精密検査を勧められても、何処か他人事で、最後まで拒み続けた。
自分に何かが起こっているとしても、科学的な検査で解明出来る類のモノではないだろうと思っていたから。
事件に関しても…そう。
あんな事が説明出来る筈は、なかった。
ありのままに話した所で、信じられる訳がなかった。
正確な所、半助も殺害現場を目撃していたのでは無いので、あの時、何が行われていたのか……説明しようにも、出来ないのだ。
実際、木下―被害者に注射針などの外傷は一切無く、血液が全て抜き取られるという殺害方法は、前代未聞。
殺害方法や凶器の全く分からない事件は、猟奇殺人として警察を悩ませた。
当時の警察は、情報が漏れ出さないように戒厳令を敷く事を選んだ。
ありがたい事に、そのお陰で13年前の事件を知っているのは、関係者だけと言っても良い。
半助が意識を失っている間に、警察は、木下に未成年者に対するわいせつ行為の前科がある事を確認した上で、
・現場―木下宅から、大量のビデオ・子供の写真などを押収。その中に、明かに意識の無い半助の写真があった事。
・事件発生時、半助は身動きの出来ない状況であった事。
・半助自身、意識不明になる程の、何らか(原因不明)の被害を受けている事。
・容態が安定してからの半助の証言が、事件を目撃していないという事で、一環している事。
…以上の事から、半助は木下から被害を受け、事件に巻き込まれたモノと判断された。
その後、警察から事情を聞かれたが、あくまで被害者という立場を擁立する為、半助が木下から受けた被害についての状況を聞くものが多かった。
しかし最初に半助に事情を聞いた刑事は、半助の態度に疑いを持っていた。
刑事相手に『何も見ていない』と嘘を付くには、当時の半助はまだ幼かった。
半助が事件に関わっていると踏んだ刑事は暴走し、木下に撮られた半助の写真を、半助の病室に持ち込んだ。
それを机に広げて、見せ付けた上で『こんな事をされたんだから恨んでいたのでは?』などと質問して来たのだ。
その時、半助は、初めてそんな写真を撮られていた事を知った。
見せられた瞬間、頭に血が昇った。
半助は、身体が震えるのが止められなかった。
写真の日付を見たら…そう、初めてワインを勧められた日だった。

呑気に寝込んでいる自分の、着衣のまま、だらしなく下半身だけを露出させてられている写真。
除々に服を脱がされていくところを丁寧に撮った写真。
全裸にされて、あらぬ格好をさせられている写真。
「こ…こんなの、知らない…知らない……」
それらは、何枚も、何枚も、あった。
身体や顔が……汚されている物もあった。
そして…口を開かれ、木下の……
「う、うぁぁぁぁぁ…っ!」
咄嗟に、写真を全部床に撒き散らしていた。
沸き上がる吐き気。
何日もまともな食事をしていなかった半助は、何度も胃液を吐き戻した。
近くで待機していた看護婦が、すぐに止めに入った。
「どうしたの!半助くん!大丈夫!大丈夫だから…!」
「…い…ゃだぁぁぁぁ…っ!」
ナースコールで複数の看護婦や、医者が立ち回っているのをぼんやりと感じながら、記憶が途切れる。
看護婦の話だと、刑事達は暴れる半助を尻目に、床に散らばった何かを回収し、慌てて立ち去ったそうだ。
それから、数日の間、眠るのが恐ろしくて、高熱に苦しめられた。
数日後、刑事のお偉いさんが、仰々しくお詫びにやって来た。
珍しく母が病室に来ていたのはそのせいで、母は、恐縮して詫びを受け入れた。
半助がどんなに苦しめられたかも知らずに…。
まぁ、謝られたところで、半助にとって許せる事ではなかった。
知らされるのにも、このタイミングである必要はなかった筈だと……。
あの刑事には…二度と会いたくない。
警察になんて…絶対何も話さない。信用しない。
半助は、この時…警察への不信感を心に焼き付けた。


あの写真の事を思い出すと、半助は未だに全身に怖気が走る。
未だに、未解決事件の資料として、警察に保管でもされていたら…と思うと、警察署に火を付けたい程だ。
写真の一枚一枚から、木下が半助に対して抱いていた、邪まな欲望が沸き立つようなのだ。
半助は、当時の自分が…なんという相手を拠り所にして、無防備にしていたかと思うと、泣きたくなった。
そして分かるのだ。
そこから、自分を遠ざけようとしてくれた人が1人だけ居る。
自分には、あの人しか居ないのだと…。


あの時、一応、母親に家庭教師の仲介会社に確認してもらったが、母親が選んだのは、全くの別人。山田伝蔵という人間は登録さえされていなかった。
それは、当時の半助にしても、聞くまでもない事だった。
しかし、退院して家に戻ってみて、嬉しい発見があった。
初対面の時、恥ずかしくも泣いてしまい、貸してもらったモノ。
何となく返しそびれていて、良かった。
シンプルな白いハンカチ。
山田先生の存在の証拠がもう一つ、半助の手元に残った。
それは、未だに半助の宝物になっている。
それ一つで生きてゆける程の…。



「山田…先生」
半助は、ぽつりと呟いてみる。
13年も経って、再び逢えるとは、思ってもみなかった。
あの事件から、半助は両親に期待する事を止め、自分の世界を作ろうと努力し続けた。
万が一、あの人に出会えた時、恥ずかしくない自分になる為に…。
その発想自体が、その存在に依存している事も意識しないまま。
でも、どうしても……運命を感じる様な人には出逢えなかった。
「このまま行ったら…永遠に独りです。」
あり得ないって言ってたのに…。
あなた以上の人に、もう逢える筈なかった。
半助のこめかみを涙が伝わり落ちる。
―お前…半助、土井半助か?
あの人が、自分を覚えていてくれた。
自分は随分変わってしまっていただろうに、一目で!
それだけで気を失う程に嬉しかったのに…本当に気を失ってしまうとは…。
これが、最後の機会だったら…と思うと…。
そんなの…死んでも死にきれない。

色々考える時間は沢山あったのだ。
……13年も。
今回は…倒れさえしなければ、あの頃よりは大人だし、伝えたい言葉があった。
なのに、結局、自分には何も進歩が無かったようで…自己嫌悪で胸が一杯だ。
でも…何故だろう、また近いうちに、絶対逢える気がしていた。

13年前と、決定的に違うのは、あの人…伝蔵の事を『父上』と呼んでいた若者の存在。
あの人、伝蔵の息子なのだろうか?
そもそも、13年前でさえ、あの人の何を知っていたというのか?
彼のせいで、再会は予想外のものになった。
でも彼のお陰で、再会出来たとも言える。

彼が言っていた数々の謎の言葉
―仲間。
―主人。
―デ…セル?と言っていたか?
分かっているようで、手が届かない…そんな謎だった。
それが、また彼らと自分を繋げる気がしていた。

あの人と逢った時に感じた…魂が沸き立つ感覚が、今も続いている。
絶対…また……逢える。
半助は、その感覚が消えないでいてくれる事を…祈っていた。
信じても居ない神に…。




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