血の連鎖

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6・接触

「…という訳なので、しばらく入院しておいて頂けますか?土井半助さん」
男の言葉を無視したまま、半助はぼんやりと、テレビに映る映像を眺めていた。
テレビでは、あの時に助けた女性が、事件の事、自分を助けた人…半助の事だ…について述べていた。
それは感謝の言葉へと変わっていったが、それならブラウン管など通さずに言ってくれ…と半助はうんざりしていた。
もともと、女性を助ける事が目的では無かったのだ。
半助にしたら、意識外のオマケのようなもの。
それに続いて、自分のプロフィールや教師としての評判などが、紹介され、病状が面会謝絶だと締め括られる。
本人が入院中ならば…とマスコミは半助の職場である学校へと押し掛けたらしい。
半助のクラスの生徒だと言う子供が、涙ながらにインタビューを受けており、顔は映っていないが、正体は明らかだった。
「…きり丸だな、コレは」
半助には、それが過ぎた演技だと分かる。
しかし過剰なモノを求めるテレビには、打ってつけ。
もらい涙をするコメンテーターも居たほどだ。
コメントに色々な配慮を感じるだけに、恐れ入る。
他の局を見ても、きり丸以外の生徒はインタビューに答えていない所をみると、校長あたりとの謀略の臭いを感じる。
半助は頭痛を覚えた。
学校にも、かなり迷惑を掛けてしまったようだ。
しばらく休養を取るように言われ、半助には断れなかった。
本当は、とっくに退院したかったのだ。
それが、この状態ではあちこちに迷惑を掛けるのは明かで…。
ホテルに隠れる余裕も無い、仕事にも出られないとなれば、必然的に自宅に籠もる事になる。
そうなれば、マスコミ対応などを本調子でない自分で行わなければならなくなる。
警察の指示に従って、大人しく入院していた方が楽なことは楽なのだ。
しかし…半助は、素直に「はい」とは言いたくなかった。
病室は、警官の保護という名の監視付きだった。
しかも、目の前の男は、13年前のあの刑事。
自由に身動きさえ出来れば、一時たりとも一緒には居たくない相手だった。
本庁から来たと…つまりは出世しての登場だった。
相棒を伴って現れた時、初めてあの写真を見せ付けられた時の、胃がねじくれるような感覚を思い出す。
刑事の方は、類似事件の関係者として再び名前の上がった半助に、遠慮する様子は無かった。
一方半助は、事件に関して一切の口を閉ざしていた。
元々提供する情報も無いのだ。
それがまた、刑事の疑惑を増長しているのだが、例え、犯人にされたとしても、情報の提供などする気はなかった。
「…どちらへ」
ベットから起きあがった半助に、もう1人の刑事が話し掛ける。
「外の空気を吸いに…ちょっと屋上まで…」
自分を疑わしげに見る刑事に、半助は苦笑した。
「こんな格好で、どこに行くって言うんです?」
刑事は、まだ身体のふらつく半助の介添えをしようとした。
「…触らないで下さい」
半助の火の様な拒否にあい、刑事は驚きを隠せない。
「土井…さん」
「…すぐ戻ります」
半助は病室を出た。

後ろから刑事が付いてくるような気配がしたが、なるべく気にしないようにした。
屋上に上がると、鉢植えが並んだ緑の空間と、一寸した日陰にベンチとテーブルが備え付けられていた。
無人のそこに、腰を下ろす。
屋上にまでは、無粋な刑事は現れないようだった。
まぁ、入り口部分を固めるくらいの事はしているだろうが…。
半助は、1人の自然な空間に息を付いた。
うだるような暑さは感じるが、エアコンの効いた病室内よりも、自然の風の方が遙かに気持ちが良かった。
視線を逸らすと、ピンと張られた縄に真っ白なシーツが何枚もはためいている。
「子供達、心配しているだろうな…」
半助は、ついこの前まで、普通の教師としての日常があった事が、信じられないような気がしていた。
あの人は…いつも突然現れて、半助の日常を変えていく。

13年前も…。
事件の後、鏡に映る自分の姿に違和感を感じた。
何処が、どう変わったか…目や口、鼻の配置が変わった訳ではない。
具体的に何も変わっていないと言えるのに…。
明かに自分は変わったと、半助は思った。
強いて言えば、肌が…不健康な色になった様な気がする。
唇の色が良くなったような気がする。
それは言葉で言い表すには微妙な変化だった。

でも今回の方が質が悪い。
「…山田先生…山田先生…」
心の中が、一杯だった。
心だけじゃない。
身体も…。
あの人に触りたい。
触れられたい。
…抱きしめられたい。
あの、利吉という男にされた苦痛でさえ、あの人にされたのなら、快楽かもしれないと思える程に…。
そう考えただけで、身体中が沸騰したように熱が上がる。
血液が沸き立つ様に、出口を求めて、全身を駆け回るのだ。
ゾクゾクする身体を自分で抱きしめ、口の中にいつの間にか溜まっていた唾液を嚥下する。
こんな感触は、今まで感じた事がなかった。
なんて…淫らがましい…。
これから、どうしようとか、そういった現実的、建設的な気持ちが掻き消えてしまう。
「…山田先生」
13年も掛かって…。
あの人無しで生きられるようになったのかと思っていたのに…。
半助にとって、それは幻だったのだ。


どれ程ぼんやりしていたのだろう。
そろそろ病室に戻らないといけないかと思い始めた時だった。
「こんにちは。やっと…1人になってくれましたネ」
はためくシーツに隠れるように立っていた人が、ゆっくりと半助に歩み寄って来た。
「あ…」
突然、現れたのは……伝蔵が利吉と呼んでいた男だった。
どうやってここに来たのか…などとは思わなかった。
彼ら…が、現れるのはいつも突然だ。
「ずっと待ってました。一人きりになる機会を……聞きたかったんだ。あんたは、父上の、山田伝蔵の……何なんです?」
一方的な質問に、半助は答えに困った。
自分は……伝蔵の何なんだろう?
こちらが聞きたい。
「あんたに逢ってから、父上はおかしくなった。真夜中に、こっそりあんたの寝顔を覗きに来たり、急に考え込んだり、予定していた食事も…どうでも良いみたいだ」
半助がピクリと震えるのを無視して、利吉は、ゆっくりと半助に手を伸ばした。
半助の首筋に残る、まだ生々しい五つの赤い痣。
利吉の残した跡だった。
それを利吉の指先が、丁寧に一つ一つ辿った。
半助の身体が条件反射で震える。
また、この前と同じように、いつ彼の指が自分の中にのめり込んでくるのか…。
あの時の事を思い出すと、半助は喉が乾くような焦燥感に駆られる。
しかし、本能的な怯えはあっても、半助はそれ以上のものに捕らわれていた。
身体が恐怖に支配されたとしても、心を捕らえているのは、いつもあの人。
「山田先生が……そんな事を?」
半助には、利吉の言った言葉の方が信じられなかった。
伝蔵が…心配してくれていた?
自分が想っている100分の1でも良い…伝蔵が自分の事を考えていてくれたとしたら…。
半助の頬がほんのりと上気する。
「その癖、あなたの前に姿を見せようとはしない。」
利吉は、苛立ちを感じていた。
あの時から、尊敬する父であり、理想像であるところの伝蔵の様子が変わった。
原因は、この男に違いない事は分かっている。
なのに、行動に起こそうとしない態度にも、腹が立った。
「あんたは……父上の、山田伝蔵の果実(デセール)か?」
果実(デセール)…って?」
またその質問。半助には意味が分からない。
「我々の正体を…本当に知らないのか?それで、なんでそんな身体をしている?主人は誰だ?」
「主人って??分からない!そんな風に言われても、本当に…。」
利吉は、半助の様子に首を捻る。
半助に嘘を言っている様子はない。そんな余裕自体ないように見えた。
しかし…
そんなに、同じ人間が何度も我々一族と出会うものだろうか?と。
ありえるとしたら、自分のように、甘い香りに誘われてた者だろう。
なのに、目の前の果実は、我々の正体さえ、知らないと言う。
伝蔵も認めていたのだ。
目の前の土井半助という人間が果実(デセール)であるのは…。
「それより、お願いです…山田先生に会わせて!山田先生の所に連れて行って」
半助が、伝蔵の事を口にするたびに、彼の全身から何とも言えない甘い香りが立ち昇った。
無関係などと言うことはあり得なかった。
自分の事は視界にも入っていないのだろう。
震えながらも、必死に伝蔵に会いたいという人間。
これをもう一度、伝蔵の前に連れていったら、どうなるだろう?
もし、関係ないと…いらないと言ったら…自分がもらってやろうと思った。
絶対的な父のものを奪うのは、どれ程甘美なものだろうか…。
利吉は、にっこりと微笑んだ。
「あなたを、つれて行ってあげましょう。山田伝蔵の所へ…」
両手を広げると、果実は意味を察して、おずおずと身体を預けて来る。
グイッと抱きしめると、腕の中にすっぽりと納まる身体は、馨しく、何とも言えない欲をそそる。
半助に、利吉の申し出を断る理由は無かった。


まだ、月も出ていない時分に、半助は闇に解けた。



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