半助は必死にしがみついていた。
利吉は、伝蔵との大切な唯一の接点。
伝蔵は、半助と会わないと決めていたら、意地でも会ってくれはしないだろう。
今まで会うことをしなかったのが、その証拠のように思えた。
会って貰えないなら、自分から会いに行くしかない…。
会ってどうしようという訳では無い。
しつこく付きまとったとして、殺されても構わなかった。
そんな事は無いと分かっていても、何があるか分からない。
そんな…どんな事も有り得る世界に、踏み込むのだ。
兎に角、一目会いたかった。
全ては…そこから。
自分の身体を包み込む利吉の腕が、伝蔵のものであったら…と、
願わずにはいられなかった。
「…意識はあるか?」
一瞬の酷い耳鳴りの後、軽く落ちる様な感覚があった。
高速のエレベーターで降りた直後の様な…。
「…だ、大丈夫です。」
目眩を感じたままだったが、半助は気合いを入れた。
「大したものだ…普通の人間なら、気を失う事もあるのに…」
「は、放して下さい。」
殊更、普通の人間という部分を強調する利吉の口調に、半助の自尊心がぴりりと傷付く。
昔から『普通じゃない』という言葉に過剰反応してしまうのは、半助の悪い癖だ。
利吉はすぐに半助を解放した。
見回すと、真上には空。
でも周りの景色は、一変していた。
一際高い視界。
マンションのベランダの様だが、バーベキューが出来る程に広い。
遠くには都心のビルが見えた。
夜にはさぞかし夜景が美しいことだろう。
「屋内への移動は、人間を連れていると大変ですから…こちらです」
利吉は、部屋へと半助を案内する。
ここに伝蔵がいるのかと思うと、半助の鼓動が早まる気がする。
履いていたスリッパを脱ぐのももどかしく、慌てて部屋に上がる。
「こちらです」
利吉は、あるドアの前を示す。
「父上、利吉です。連れて来ましたよ。分かっているんでしょう?」
しばらくの間。
扉一枚挟んだ向こうに、伝蔵が居る。
その存在に、半助は膝が震えた。
図々しいと思われたら、どうしよう。
会って貰えなかったら…。
でも、ここまで来て、何も言えずに立ち去る事なんて…出来ない。
半助は、ドアに駆け寄っていた。
「先生!山田先生!」
しかし…ドアは開かなかった。
何の返事もなかった。
しかも半助の方から、ドアを開ける事は出来なかった。
利吉がドアを開けようとしたが、ドアノブに手を掛ける事も出来なかった。
「ドアに開けられないように、呪が掛かっているようです」
明かな拒絶だった。
ここまで、されるとは、半助は予想していなかった。
両手をドアノブに掛けようとしても、どうしても出来ない。
やっと逢えると思ったのに!
半助は、息が苦しくなる。
「山田先生!どうして?どうして会っては頂けないんですか?」
半助は、閉ざされたドアに頬を寄せた。
少しでも、その存在を感じたかった。
「父上!どうして…
利吉が、伝蔵の不可解な行動に声をあげる。
「この人間、絶対父上の
「それ以上、言うな!利吉」
ドアの向こうからでも十分に迫力のある声だった。
半助は、その声にビリリと全身が痺れるのを感じる。
そこにいるのに、会って貰えないのが悲しくて、切なくて…。
そこに存在するのに…。
この機会を逃したら、本当に逢えなくなる。
半助は、血の気が引く思いだった。
それだけは、嫌だ。
本当に、冗談じゃなく、死んでも嫌だった。
「う…っ、痛っ……」
半助は、ゆっくりとドアノブに手を掛ける。
「あんた…何を…?!」
「山田、先生…ずっと、逢いたかった…んです。」
ゆっくりと、ドアノブを回す。
「おい、止めろよ!」
呪が反発して、ドアノブに触れていた半助の手に、かまいたちにでも切り裂かれたような傷を次々に作る。
幾つもの傷から血が噴き出し、ポタポタと床を濡らした。
「止めろ!止めるんだ!」
利吉は、半助の流す血の香りに酔いそうだった。
半助には、利吉の声は聞こえていない。
「や、山田先生、顔を見せ…て…」
血の香りに混ざって、肉の焦げる臭いがする。
ドアノブを直接掴んでいる部分が焼けているのだ。
半助に手首から先の感覚はもう無い。
でも、このまま伝蔵に会えない胸の痛みに比べたら何でもない。
「止めてくれ!」
利吉の言葉は、今の半助には届かない。
半助の両手から煙りが上がっていた。
「山田先生っ!」
…その時だ。
唐突に、ドアが抵抗を無くす。
それは、カチャリと音を立てて開いた。
そこに、あの人が居た。
昔と変わらない凛々しい姿で。
見間違えようがない。
紛れもなく、山田伝蔵…その人だった。
「先生…」
半助の両目から滂沱のごとく涙が落ちた。
「どうして、こんな無茶ばかりする」
ガクンと、力尽きた様に膝から落ちた半助を支えたのも、伝蔵だった。
「お前は、いつも泣いてばかりいるな…」
そんな言葉が、震える半助に降ってきた。
昔と変わらない、優しい声色だった。
伝蔵は、あそこまでして、逢うまいとしていたのに…。
それには理由があるはずなのに。
それを無理矢理こじ開けてしまった。
半助は、自分の手の痛みが、そのまま伝蔵の痛みの様に感じた。
「山田先生…ありがとうございます」
半助の口から、思わずお礼の言葉が出ていた。
それから、3人は部屋をリビングへと移した。
まず伝蔵が半助の手首を持って、手のひらを返す。
「うわ…酷いな…」
横で見ていた利吉が、声をあげた。
半助の手のひらは、皮膚が焼け焦げ、皮が捲れ上がっていた。
伝蔵は、それを見ると、すぐに目線を逸らして、その手を利吉の方に差し出す。
「利吉、お前が直してやれ!」
「…え?」
利吉は驚いた。そんな事を言われるとは思わなかったから…。
「だ…大丈夫です。そんなに酷くは痛みませんから…」
「そんな訳ないでしょう!」
利吉は、半助の両手を取ると、自分の口元に寄せた。
そっと、傷を舐めてやる。
すると…その傷は、跡形もなく消えた。
「うわぁ…」
「何驚いてるんだ?私達にしたら、これくらい…なんて事はない」
そう、当たり前の事なのだ。
それを……あえて自分にさせた伝蔵。
利吉には訳が分からなかった。
傷口に触れた時、口に入った半助の血は、甘く活力に満ちていた。
この前舐めた涙より、濃くとろりとして…甘美だった。
明らかに、この人間は、【
主人は、伝蔵だと疑うべきもない。
なのに…
伝蔵が、ここまで半助がしなければ、逢おうとしなかった訳は?
その血肉に触れようとしないのは…何故か?
そこで、利吉の頭に天恵のように一つの事が浮かんだ。
そんな馬鹿な事があるのか?!
信じられなかったが…。
しかし、そうだとしたら、全ての辻褄が合う。
利吉には、それ以外考えられなかった。
恐る恐る言葉にする。
「あなた…父上と、血の契約を結んでないのか?」
父の行動の理由が、少しだけ分かった気がした。
伝蔵は、利吉の言葉に…こめかみを押さえつつ溜息を付いた。
「半助がわしの