血の連鎖

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8・利吉

あんな非現実的な事の後だと言うのに、リビングのソファに3人揃って座っているのが、不思議だった。
伝蔵は、半助の斜め前の上座に、利吉は半助の隣に腰を落ち着けた。
高級な座り心地のソファに、半助は沈み込みそうになる。
それで、やっと今が現実である事が実感出来た。
見るも無惨だった手の傷を、当たり前の事のように治してくれた利吉。
直接、伝蔵が施術してくれた訳ではないが、彼の指示というのが嬉しかった。
傷の痛みより、その喜びの方が大きい。
ひたひたと、その喜びに浸っていた半助だったが、利吉の言葉で、現実に引き戻される。
「あなた…父上と、血の契約を結んでないのか?」
彼が、呆然と呟いた言葉。

『血の契約』

それが何だか、何を意味するのか…。
半助には分からなかったが、心当たりは有る。
あれが…その『血の契約』にあたるのかは分からなかったが…。
禁忌だったのか?
伝蔵は、眉間に皺を寄せ、こめかみを押さえつつ溜息を付いた。
「半助がわしの果実(デセール)に、なれる筈がないんだ…」
伝蔵の重々しい言葉に、半助は良心が痛むのを感じる。
「やっぱり…でもどうして?!」
利吉の質問の矛先が、半助に向く。
「あなた、父上の果実(デセール)じゃないなら、どうして……?」
何故、伝蔵を追い掛けるのか?
そう問われた気がして、半助は伝蔵に目を向ける。
自分は、すっかり大人になってしまったが、伝蔵は、あの頃と大して変わっていない気がする。
半助は、自分が伝蔵の事を何も知らないと…改めて感じるのだ。
それでも…追い掛けずにいられなかった。
「山田先生、私…あの時の事がどうしても忘れられなくて…恐ろしかったからじゃないですよ!絶対…」
そこだけは、絶対に否定しておきたかった。
「あの時、独りで殺されるんだと覚悟してました。自分には、助けてくれる人なんて居ないと…でも、山田先生が来てくれた」
半助は、自分の胸をギュッと抱き締める。
「ここが温かいって……初めて思えました。」
「別に、お前を助ける為だけに、あそこに行ったんじゃない…」
伝蔵は、半助の言葉を黙って聞いていたが、きっぱりと言い放つ。
「わしは、食事をしただけだ…それにお前は、巻き込まれただけだ。」
あくまでも、半助は巻き込まれただけだと言う伝蔵。
それは、半助は部外者だと言う意味だ。
「それでも!山田先生が助けてくれなければ、私はあそこで死んでいました。先生は、私を助けてくれたんです」
伝蔵は、あからさまな溜息を付いた。
「あの時…山田先生の後ろ姿を見ました。」
「な、何…!?」
伝蔵は、息を呑んだ。
「先生は、気が付いて…いたんだと思いました。」
あの時、半助は伝蔵を見ていた。
それは、伝蔵がそれを許してくれているからだと…思い込んでいたのだ。
「私に見せてくれたんだと…」
あの時見た姿を思い出す。
艶めく黒い翼。
それが、蝙蝠と同じ形でも、かまわなかった。
それまで見たものの中で、一番美しい形状として、半助の瞳に焼き付いている。
半助は、熱い視線を感じた。
伝蔵が、自分を見ている…。
その目が、信じられない者を見るようで、半助は少し悲しかった。
「…知っていて、ここまで来たのか?」
「はい。」
正確には、全てを知っている訳ではない。
でも、伝蔵が人間では無い事を知っていた…という意味では、YESだった。
「山田先生が、何者かは……分かってませんが。」
「恐ろしくは無かったのか?」
伝蔵の瞳がキラリと光った。
半助は、胸の鼓動が勢いを増すのを、押さえきれなかった。
全力疾走をした後の様に、呼吸さえ…とろける。
「…どうして?あの時も、とても美しかった。殺されても…山田先生になら、構いませんし…」
本当に、伝蔵の手に掛かるなら本望だった。

「父上!」
隣に居た利吉の息が荒い。
「……やっぱり、この人間、父上の果実(デセール)です。私にも分けて下さい。もう…我慢出来ない」
髪の毛が乱暴に掴まれ、半助はソファに押し倒された。
「あ…っ!」
半助は、一瞬何が起こったのか分からなかった。
「利吉!」
半助の上にのし掛かった利吉は、半助の唇を塞いだ。
キスされている。
息さえ飲み込むような激しい口付け。
半助の脳が状況を理解する。
……伝蔵の目の前で、他人にキスされている。
「…んーっ!んっ!」
必死に抵抗しても、執拗にその行為を止めない利吉に、半助は絶望を感じる。
「利吉!止めんかぁ!」
ビリリと空気が震えるような一括の後、ダン!と何かを壁に叩き付ける音。
「ち、父上!」
利吉の重みが消えた半助が、そちらへ目をやると、利吉が壁からずり落ちる所だった。
伝蔵が、腕一本で利吉を投げ払ったのだ。
「や、山田…先生」
しばらく呆然とした半助だったが、ハッと気付いて、唇を袖でゴシゴシと擦る。
「…わ、私…」
突然の事で、半助の頭は働かなかった。
何でこんな展開に…?
震える半助を伝蔵が、そっと抱き締めた。
その仕草は、利吉から庇う様で、半助は身体が震える思いがした。
「父上、酷いです!味見だけさせて、こんな香りの隣に居たら、我慢出来っこない!」
利吉は、半助の唾液に濡れた唇をペロリと舐めた。
「もう、折角の獲物ですから、頂いちゃえば良いじゃないですか!それで、たまに貸してくれれば良い話しです」
「利吉!誰からそんな話しを聞いた?雅之助辺りか…」
「それが普通でしょ?所詮、餌なんですから…人間なんて!運良く果実(デセール)を手にしたら、みんなで分け合う。それが普通だって!」
「黙れ!」
半助には、会話の殆どが分からなかったが、伝蔵の怒りだけは、はっきり分かった。
「お前には、そんな考えに毒されて欲しくなかったぞ…利吉」
「父上!」
「お前は、半助には手出しをするな。そう言っておいた筈だ。確かに、まだお前には…この芳香に免疫はないだろうが……その位の理性を保てない様では、畜生に落ちる。」
「…父上」
利吉は、ガクリと頭を垂れた。
「人間が果実(デセール)になれるのは、そうそう無いって聞きました。父上は、食事も滅多にしないから…持てるものなら、持っていた方が良いんだ」
利吉が、伝蔵の腕の中に居る半助に視線を移す。
「人間!父上になら…殺されても良いんだろ?だったら、父上のモノになってくれ。父上なら…本気になれば、もっと高みに行ける筈なんだ…」
言葉の最後は、独白に近かった。
利吉は不意に部屋を出ようとした。
「外には出るな。今のお前は…危なっかしい」
「はい。父上…私は、部屋に居ます。良い結果になることを祈ってます。」
利吉は素直に、伝蔵の言葉に従った。
そこに、2人の絆を感じて、半助は羨ましいと思う。
利吉になって、叱られたいとまで思ってしまうのは、不謹慎だろうか?

利吉がリビングから出ていって、半助はほっと息を吐いた。
半助にも、利吉が伝蔵の事を想っているのは、良く分かった。
それでも、身体が震えてしまうのは、仕方のない事。
以前会った時も、あの指が首にのめり込んだのだ。
押さえつけられた時の圧倒的な力が、半助を怯えさせていた。
利吉に力で支配されるのは、死んでも嫌だ。
でも…
それが、伝蔵なら?
「山田先生。私、先生のモノになら…なっても良いです。」
半助は呟いていた。
伝蔵になら、どんな方法だったとしても……許せる。
許せるどころか、むしろ、して欲しい。
「山田先生のモノにして下さい。」
「利吉の言葉に流されてくれるな、半助」
伝蔵は困った顔だった。
「流されてません!」
伝蔵は、半助の耳元に顔を近付け、くん…と臭いを嗅ぐ。
利吉にも、された仕草だった。
「せ、先生っ!」
半助は、真っ赤になった。
自分から何か嫌な臭いがするのか…と。
「どうして、いつから…こんな身体になった?誰か、月氏(がっし)に会ったのか?」
「あの…私、こんな身体って言われても…『がっし』って?」
「本当に、何も知らずに果実(デセール)になったのか?」
「果実って?私が、その果実…なんですか?」
伝蔵は、頭を抱えた。
「まずは、我々の事から…か」

伝蔵は、長い話しになるな…と思った。
半助を改めてソファに座らせると、自分は、窓を大きく開ける。
換気をせずには居られなかった。
全て話終えるまで、自分の理性が保てるか?
一仕事だと思う。
しかし、不用意な行為は出来ない…と自分を戒める。

外は、まだまだ明るいというのに、妙に月が輝いていた。





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