血の連鎖

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10・拉致

半助は、伝蔵が運転する車の中で、ぼんやりと考えていた。
「今夜一晩…時間をやる。よく考えてくれ。」
伝蔵はそう言った。
それは、明日になったら、また逢えるという事だ。
結果は決まっているのに…。
でも、慌てて出した結論のように思われるのは嫌だから、焦ることはない。

  【果実(デセール)】になるというのは、人ではなくなるという事だ。
  人としての幸せが望めなくなる。
  お前には…人として、幸せになって欲しい…。

あの人は、どうしてこんな言葉が言えるのだろう。
伝蔵が与り知らぬところで…勝手にこんな身体になってしまた自分。
それでも半助の事を思いやってくれる。
…人としての幸せ?
そんなモノ、今まであっただろうか?
半助は自嘲する。
事件以来、半助は『犯罪被害にあった子供』になった。
あの写真を思い出しては情緒不安定になる半助を、責める者は居なかった。しかし両親は、半助が事件にあったのは、お互いのせいだと…益々険悪になった。
体面を気にして、離婚しなかっただけマシかもしれない。
そんな両親から精神的にも早く独立して、いつか温かい家庭を築きたいという淡い夢は、中々訪れない初恋に、遅蒔きながら自覚した。
…女の子が好きになれない。
何故なら、女の子には…伝蔵との類似点が無いから。
自分が好意を抱く相手の共通点を、何気なく友人に指摘されたのだ。
「土井って、渋好みだよなぁ」
なんでそんな話題になったかさえ覚えていない。
勘違いした友人は、半助が酷いファザコンだと思っている。
それでも友人の一言は、半助の心を一刀両断にした。
半助の初恋は、訪れなかったのでは無い。
伝蔵との出逢いが…
強烈に半助に焼き付けられ、半助を閉じ込めたのだ。
半助が無意識に全ての基準にしていたのは、ほんの一時を一緒に過ごした人。
あの人だったら、どう思うか?
あの人に似合いそうだから良い。
あの人に似ているから、格好良い。
山田伝蔵。
半助は想いを噛み締める。
あなた以上の人には…出逢えなかった、と。
山田先生が…好き。

「…何か言ったか?」
伝蔵の耳に届いてしまったのか?
「な、…なんでもないです」
そんな訳は無いのに、半助は、顔が火照るのを感じる。
半助は助手席から伝蔵を盗み見る。
車の無い生活が長いので、伝蔵の運転が上手いのかどうかも分からないが、淀みない動きには、熟練を感じる。
こうやって車の運転をする事にも慣れているのか?
あんな風に、瞬間移動が出来るのに…。
人に紛れて生活して、長いのかもしれない。
そんな姿を見ているだけで、胸がドキドキしていた。

不意に、頭をよぎった。
自分は【果実(デセール)】だから…こんな気持ちになるのだろうか?

…それは、違うと思いたい。
否、絶対に違う!
伝蔵が伝蔵だから…。
昔と同じ…
たったしばらくの間、一緒に居て、勝手に面倒な身体になった自分。
そんな半助を思いやってくれる人だから…好きになったのだ。
好き…そんな言葉では言い尽くせない。
もし、伝蔵が許してくれるなら、あの人の側に居たい。
それが、例え…人ではなくなる事でも。


半助が考え事をしているうちに、車は病院前に静かに停められた。
まだ軽い目眩をかんじたが、伝蔵の手を借りたら、そのまま縋り付いてしまいそうで、平静を装って車を降りた。
警察の監視の中、あんな風に抜け出して、大騒ぎになってやしないかと心配していたが、病院は、ひっそりとしていた。
真っ直ぐ、正面玄関へ向かったが、そこは診療時間が終わっており閉まっていた。
仕方なく、救急医療用の入り口へ向かう。
何気なく振り返ると、伝蔵の車は走り去った後だった。
「もう…居ない」
背中に視線を感じて、ガチガチに緊張していたのに…。
半助は、はぁ〜と溜息を付いた。
自意識過剰だった自分を恥じ、半助は気持ちを入れ替える。

警察には、どうやって抜け出したか聞かれるだろう。
厳戒態勢の中、居なくなったのだ…でも上手い言い訳が思い付かなかった。
このまま、自宅に帰ってしまおうかとも思ったが、荷物の一切が何処にあるのか分からない。
現金も、部屋の鍵さえ、持っていないのだ。
事件の後、そのまま入院していたのだから仕方ない。
昔と違うのは、両親が居ない事か…。
長年、心を通わす事のなかった両親は、一度に交通事故で亡くなった。
夫婦仲は回復していたのか?
自分を置き去りにして…。
それを思うと、半助の心は痛んだが、2人が同じ車に乗っていた理由は、半助に有った。
両親の愛情を感じる機会を、永遠に失ったのは…自業自得。
半助には、そう思えてならなかった。
いざという時、あてに出来る人が居ないというのは、いかにも自分らしい。
半助は、急に目眩が酷くなったような気がした。
今は、病院に戻るしかない。
分かってはいても、ついつい足取りが重くなる。
そんな半助の視界が不意に暗くなった。
視線が足下に落ちていたので、半助は、気が付くのが遅れた。
皓々と明るい入り口を遮る様に、男が立ち塞がっている。
「…何?」
入り口の近くの自動販売機の横に、潜んでいたというのがピッタリの状況。
一見、きちんとスーツを着たサラリーマン風だが、明かに普通と違う。
「土井…半助さんですね?」
半助は、まともではない人間に幾度となく関わってきた。
木下を筆頭に、何人も。
何気なく視線をずらすと、黒塗りの見慣れぬ車がドアを開けている。
救急車が出入りする緊急口は広く、車の出入りも多いとは言え、病院には不似合いな車。
半助の中で、何かが警告を発していた。
「…あなたは?」
聞き返しながらも、無意識にジリジリと後退っていた。
「いえ、あなたにお訊ねしたい事がありましてね。ご招待したいんですよ」
「な…うぐっ!」
その瞬間、後ろにもう一人男がいる事が分かった。
同時に、口元が何かに塞がれる。
何…と思った瞬間、半助の脳がグラリと揺れた。
それは気のせいで、薬を嗅がされたのだと思った時には、半助の意識は闇に落ちる。
「どうやって連れ出そうと思っていたのに、自分の方から現れて頂けるとは…」
遠くで男の声が聞こえたような気がした。


半助が最後に思ったのは…
伝蔵に、明日会えなくなる事だった。




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