血の連鎖

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11・聖域

「…いっ!……おい!起きろ!」
身体がぐらぐらと揺れる。
それが力任せに揺すられているのだと、気付くまでに数秒。
「あまり、乱暴にするな…」
耳慣れない声に反応して、揺する手が離れる。
半助は一瞬ホッとするが、すぐに状況を思い出した。
頭が痛い。
嗅がされた薬の後遺症だと分かる。
目を開けるのさえ億劫だった。
しかも…目を開けると、好ましくない状況が自分に降りかかっているのだろうから。
さっきまで…。
つい、さっきまでは、逢えないと思っていた人に巡り会えて、最高に幸せな興奮に包まれていたと言うのに…。
無意識に、半助から大きな溜息が漏れた。
半助はソファーに寝かされていた身体を、ゆっくりと起こすと、覚悟を決め、ゆっくりと目を開けた。
見回すと、そこはマンションの一室の様で、半助の座るソファーの後ろを、明らかにまともじゃない男数人が取り囲んでいた。
うんざりするような状況に、目が回る。
半助は、痛みを増していく頭痛を和らげようと、こめかみを押さえた。
「乱暴な招待をして申し訳ない」
顔を上げると、声を掛けてきたのは、半助の向かい側にゆったりと座る男。
下手をすると半助よりも若く見えるその男が、明らかに、ここにいる中で一番偉いのだろう。言葉とは裏腹に、一欠片も悪びれた様子の無い様は、命令することに慣れている者独特の雰囲気があった。
男の口調は丁寧だったが、半助は安心する事など出来なかった。
男の醸し出す尋常でない空気が、ピリピリと部屋を包んでいるのが分かる。
「妙に…落ち着いているな。こういう場合、暴れたりするものではないのか?」
「私に……何の、ご用でしょうか?」
質問を無視する形になったが、半助は努めて感情が表に出ないように心掛けた。
半助だけが、この部屋の中で異質だった。
狩る者と、狩られる者。
半助だけが、この中で……後者だ。
自分の何かが、その手の人間を刺激してしまう事を、半助は自覚していた。
手のひらに、じわりと湧いてくる汗を握りしめる。
男は、そんな半助の様子をじっ…と見詰め続けてくる。
半助には、こんな状況になる心当たりは全く無かった。
「土井半助、先生に、是非お伺いしたい事が……」
そこまで言うと、男は考え込む様に間を置くと、突然立ちあがった。
思わず、半助の肩がビクリと震えた。
「おっと、先生を怖がらせるつもりは無かったんですが…」
突然の行動に、本能的に反応してしまったのだが、半助は唇を噛む。
男は、面白いものを見たようにニヤリと笑うと、半助の隣に腰を下ろす。
半助の虚勢は、あっさりと見透かされた。
露呈したという方が正しい。
「まずは、先生にお礼を言うべきだと…」
男は、半助の両手を取ると、ギュッと握り締めた。
「…な?」
それは、一見感謝を示しているようで、半助には拘束だった。
「先生は、弟を助けてくれようとしたのでしょう?」
半助には、意味が全く分からなかった。
「弟は、連続殺人事件の2人目の被害者だ」
「え……っ!」
一瞬のうちに、あの事件の夜の光景が目の前に浮かぶ。
利吉が、食事をしていた夜の事を…。
噎せ返る血の臭いと、その足下に力無く崩れ落ちた血まみれのモノ。
あれが…
あの人形のようだったモノにも、命があって、家族と…人と繋がっていた?
家族だという存在が、初めて、あの時…横たわっていたモノを、遺体として認識させた。
あの時、利吉は…この人の弟を殺したのだ。
「前の事件の時は、まるで干涸らびたミイラのような死体だったそうだ。奴は…俺の弟は、あんたが、助けてくれようとしてくれたお陰で、まだ…人間の死体だった」
淡々と語る男の手に、段々と力が込められて来る。
男は、半助の手はそのままに、小さく頭を下げた。
「若っ!」
周りの男達がざわめく。
これで分かった。
この人は、簡単に頭を下げてはいけない人なのだ。
ゆっくりと顔を上げた男は、もう笑ってはいなかった。
半助を見る目は、底冷えするような暗い光を放っていた。
「弟とは、仲良し兄弟をやっていた訳ではないが、毒威組の看板に傷を付けた奴をそのままにしておく道理は……無い。そうだろう、先生」
半助は、血の気が下がる思いだった。
恐ろしくて男の顔など見ていられなかった。
俯くと、男の視線から逃れたような気がする。
そうでなければ思考が働かない。
毒威組…素人でも耳にしたことのある、関東最大の暴力団だ。
そこで『若』と呼ばれ、(かしず)かれる男の弟が…あの時の…被害者?
まるで…悪い夢を見ているようだ。
「協力して欲しい。先生は、見てるんだろう?奴をあんな風にした……犯人を」
犯人!
半助は、ギクリと全身が強ばるのを隠せなかった。
そうだ、利吉は…犯人なのだ。
そして、この人達に狙われる立場で…。
それは…伝蔵にも及ぶ害ではないか?
どんなに凄い能力があったとしても、警察とはまた違った非合法な組織に追われる事になるとしたら…。
例え、目の前に集る蠅程度の害であっても、それは不快なものではないのか?
しかも、その蠅を招いたのが、自分だと…面倒がられたらと思うと、ゾッとした。
ただでさえ、迷惑の掛け通しなのに…。
ならば、自分が…あの人達の存在を、悟らせなければ良い。
こんな人達を、自分のせいで、あの人達の所には行かせられないのだ。
半助は、首を振って否定した。
「知らない、何も見てないんだ…」
それだけ、言うのがやっとだった。

「………」
男からの返事は無かった。
ただ半助の手を握り締める手が、力を増す。
「痛…っ!」
痛みに思わず顔を上げて、半助は後悔した。
男が先程とは全く違った瞳で、半助を見詰めていた。
「先生…あんた、何か知ってるな」
半助の否定は遅過ぎた。
「し、知らないって言ってるだろう?私が行った時には、もう…」
「だったら、何故サツに病院に押し込められた?目撃者だからだろう?」
「そんなの分からない!そんな事、警察に聞いてくれ!」
半助は必死に否定したが、男は聞く耳を持たなかった。
「目撃者でないのなら……」
男は、ニヤリと笑う。何処かいびつな笑い方だった。
「共犯者か?それなら警察の行動も納得が行く…」
男の言葉に、周囲の男達からの視線が強さを増す。
「ち…違…っ」
半助は咄嗟に否定しそこなった。
唇が、わなわなと震え出す。
こんな相手にも、完全否定出来なかった。
自分の口から否定してしまったら、伝蔵との細い絆が途切れてしまうようで…。
「決まりか…」
半助は目の前がぐるりと回るような感覚に襲われた。
「違う!」
「遅いな…」
男は決めたのだ。
半助は、弟を殺した相手の仲間だと。
「違う!知らない、私は、何も知らない!」
「仲間の事を吐いてもらうぞ。」
男は半助の手を解放すると、立ちあがった。
「さっさと吐いて、楽になれ!そうしたら、助けてやっても良い…」
それだけ言うと、男は顎で指示する。
「違う、本当に知らないんだ…本当に!」
全身がブルブルと震えていた。
止めたくても、止まらない本能からの警告。
「ほら、こっちだよ、先生〜」
からかう様に、ソファーから引き立てられた。
まともに立ち上がれないのを、両脇から支えるように引きずられた。
そのまま、下の階に連れて行かれる。
半助に抵抗など出来なかった。
半助は暴力には、弱いのだ。乱暴にされる位なら身体を差し出した程だ。
今までは…その方が、ずっと楽だったから。
でも、今度は…そういう訳には行かないようだ。
指…詰めさせられるのかな?
漠然と、思った。
ヤクザのイメージなんて、その程度だ。

自分がどうなるかも、想像出来ないが、あの人達の事だけは言えない。
絶対に…。
それだけは、譲れない。
例え…二度と、あの人に逢えなくても。

あの人は、もう半助の聖域だから。


半助の背後で、重い扉が音を立てて閉じた。



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