血の連鎖

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12・贖罪

2人掛かりで両脇を抱えられ、下りた階段の先には廊下があり、幾つかのドアがあった。
その中の一つ。半助が連れ込まれた部屋は、入り口のドア以外、窓も無い閉鎖された空間だった。
何となく薄暗い部屋は、いかにも拷問部屋の風情で、まるで安物のドラマを見ているようだった。
しかし、これは悪い夢でも冗談でもなく、現実。
改めて、半助は未知の恐怖に震え上がった。
これからされるであろうことは勿論、自分が、あの人達の事を話さずにいられるだろうか…と。
部屋の中央に突き飛ばされた半助に、お座なりに問われる真偽。
「もう一度聞く。仲間は何処にいる?」
勿論、半助は必死に首を横に振る。
「仲間なんかじゃ…ない。本当に違うんだ…」
そんな半助の否定は、彼らの求める言葉では無かった。
「…強情な」
1人は忌々しげに舌打ちをする。
「本当に、知らないんだ!」
半助は震える足で、空しく出口を目指そうとするのを、ニヤついた男が遮る。
「素人さんに、手荒な真似はしたくないんですがね」
そう言いながらも、男達の目は強者の立場に酔っていた。
こういう場合、僅かの抵抗が火に油を注ぐ事になることは、半助もよく知っていた。
しかし、本能的に抵抗せずにはいられなかった。
パシッ…と乾いた音と、突然の頬への衝撃。
半助は遅蒔きながら、頬を平手で叩かれた事を自覚する。
頬の痛みよりも、容赦なく叩かれたショックと、脳が揺れるような感覚に、酔いそうになった。
「あ、バカが!若に顔に傷は付けるなって言われただろ…」
「平手だって。…女相手じゃないんだ、コレくらいは許してくれるだろ?」
男達の勝手な会話が頭上で交わされているのを、ぼんやりと感じる。
唇でも切れたのか、目の前の床にポタリと血が落ちた。
…追いつめられたら、鼠でさえ猫を噛むという。
そんな事も、自分には出来なかった。
藻掻く身体を男達に押さえ込まれた半助。
手首を簡単に握り込む男の力からは、逃れようがなかった。
乱暴に両手首を一纏めに縛られ、そのまま爪先が地面に着くか着かないかの所まで、釣り上げられた。
「うぅっ…」
それだけの事で、自分の全体重が手首や肩に掛かり、ギシギシと身体中の間接が音を立てて軋む。
これ程、己の体重と重力を感じた事はなかった。
無意識に地面を求める足先が空しく揺れる。
そうする程に身体が揺れ、己を苦しめる事になっても…。
しかし
男達の追求は、それで終わった訳ではない。
むしろ、これからが本番。
縛り上げられ、吊されただけで苦痛に呻く半助に、男達は苦笑する。
「これでも、まだ言いたくないんですかねぇ?先生」
男が、手にした何かで、バシバシと派手に床を叩く音がする。
半助は、絶望の中で覚悟を決め、口を閉ざす。

一矢報いる事は出来なかったが…
自分の戦いは、これから始まるのだ。
自己欺瞞でも良い。
自分の口から、あの人達に害は及ぼさせない。

覚悟を決めたとしても、戦々恐々と2人の様子を伺う事は止められない。
男のうちの1人は、パイプ椅子を持ち出し、腰掛けると呑気に煙草を燻らし始める。
半助の沈黙を是と受け取ったもう一人の男が、半助の背後に回り、視界から消える。
しばらくの嫌な静寂の後…。
半助の背中を、痛烈な一打が襲った。
「うぁ…っっ…」
それは、バシッ!と派手な音を立てた。
「うっ…うっ…」
始めのうちこそ、すぐにでも半助が陥落するのでは…と、一々半助の様子を確認する為、一定の間を取っていたが、半助に口を割る意志が無いのを見て取ると、それは雨霰の様に半助に降り注いだ。
ほんの少しもその威力が妨げられないように、来ていたパジャマも引き剥がされた。
その白い背中のあちこちに痛々しい跡が散っていく。
最初の痛みを、それを越す痛みが消していく。
痛みを避けようと、身体を出来る限り捻ると、新たな場所が危害を受ける。
それ以上に、気まぐれに落ちる腹への一発の方が、半助を苦しめた。
「…ぐぅ…ぐぅっ…ぐぅ…ぅ…」
とうに腕の感覚は無い。
身体中、痛みを感じない部分はない程に痛めつけられた。
遠のく意識の中で、半助は思う。


何処で間違えてしまったのだろう…
どうして、自分がこんな目に?

この男達に捕まった事がいけなかったのか?
でも、それは不可抗力だったとしか思えない。
あの人に、血を抜かれてしまい、本調子では無かったし…。
第一、こんな風に自分が狙われるなどとは、考えも及ばなかった。

病院を抜け出して、捕まる機会を作った事?
それは、一欠片の後悔も無い。
あの人に会いに行ったのだから。
それで、あの人の話を聞けたのだから。
あの人の優しい心に触れられたのは、半助の宝物だ。

では、毒威組に関わってしまった事?
それこそ、自分とは関係ない所で関わってしまった様なもの。
確かに、利吉が毒威組の人間を襲っていた現場に行ったのは自分だ。
それは、あくまで犯人が…あの人だと思っていたから。
でも…
何で、利吉は…あそこで、あんな人目に付くかもしれない所で、食事を摂っていたのだろう?
利吉は、伝蔵の目を盗んで、恐らく突発的な食事をしていた。
その利吉の目の前に、被害者が居合わせてしまったのは、不幸な偶然としか言えない。
でも…
不意に、利吉の言葉が蘇った。

『お前か…この熟れきった香りの元は。』

まるで…
まるで、香りの元を探していたかのような言葉ではないか?
そうだとしたら、利吉は…半助の香りを辿っているうちに、あそこに辿り着き、食事をする事になったのか?
そう思い始めると……そうとしか思えない。
利吉が、伝蔵の教えを守って、悪人(?)そうな人間を狙っていたとしたら、少なくとも、もっと繁華街に出た方が、能率が遙かに良いはずだから…。
利吉は、そんな事が分からない程、愚かでは無い。
何と言っても、あの人と強い絆で結ばれた息子なのだから。

だとしたら…
今回の事態を招いた元凶は…半助自身ではないのか?
全ては、勝手に【果実(デセール)】になった……自分が悪い。
自業自得なのだ。

これは、その罰。
今、与えられている苦痛の全ては、自分への罰なのだ。
(ごめん…なさい)
全てを受け入れてくれる…大きな人だ。
(だからこそ…許して…とは、言えない)
あの人に、害しか与えられない自分。
その…罪への贖罪。


半助が気が付くと、絶え間なく、全身を襲っていた打擲が止んでいた。
「中々、頑張るじゃねぇ〜か!先生さんよぉ〜」
半助が頑なに口を閉ざすので、男はイラ付いて余裕を無くしていた。
顔を上気させ、肩で息をしながら、ガックリと項垂れていた半助の顎を、それまで半助を打ち据えていた凶器で持ち上げた。
それは、先を意図的に割った竹刀で、内臓や骨に致命的な怪我をさせずに、派手な音を立て恐怖心を煽る為の凶器だ。
素人相手には有効だが、半助に知る由もない。
持ち上げられた半助の顔は、苦痛に冷や汗が滴り、髪がべったりと張り付いていた。
「…ぐぅ…っく」
半助は、自分の喉が奇妙な音を立てるのを止められなかった。
不意に、半助の顔を持ち上げていた支えが無くなった。
「顔に傷は付けるなと言っただろうが!」
ドサリと何かの落ちる音。
ぼんやりとした視界の中で、半助を痛めつけた男が平謝りする様子が見えた。
「お前は、もう良いから、上に戻っていろ」
いつの間にか、若と呼ばれていた男が半助を見ていた。
先程の丁寧に構えた様子より、今の方が余程…それらしい。
「正直ここまで、耐えられるとは…な」
しみじみと語る男の指が、半助の紫色に腫れ上がった背中の傷を辿る。
その度に、半助の身体はビクン、ビクン、と震える。
男は、殊更半助が酷く反応する部分ばかりを、弄くった。
煙草を吸っていた男が立ち上がり、半助に歩み寄る。
「ホントに何も知らないって事はないですか?」
「それは無いだろう?」
「でも、若…もう、そんな事、どうでも良いってお顔、してらっしゃいますヨ」
若と呼ばれている男が、どんな顔をしているのか…半助に知りようがない。
「水だ」
男の言葉の後、半助の全身を水飛沫が襲う。
打擲に腫れ上がり熱を持っていた半助の身体には、いっそ気持ちが良かった。
しかし…それは、否応なく遠のき掛けていた、半助の意識を現実に引き戻す。
若と呼ばれた男は、自分が濡れるのも気にした様子もなく、グイと、半助の顎を持ち上げた。
「仲間の事を吐く気はないんだな…」

最後通告だと…半助は思った。
ギラギラと狂気を孕んだ瞳が、自分を見詰めていた。
その狂気の意味を、半助は知っている様な気がした。
しかし…答えは決まっていた。
頷くことの出来なかった半助は、同意の意味で瞬きをした。

「それじゃあ、仕方がないな」
半助の返事を、男は嬉しそうに受け入れた。
元々、大して仲が良かった訳でもない、問題ばかり起こしていた愚弟だ。
弟の事件など、正直なところ…どうでも良くなっていた。
そんな事より、目の前の希有な存在に心は飛んでいた。
拉致した時も、上の部屋でまみえた時も、ライオンの檻に紛れ込んでしまった子兎の様に見えた。
ここまでしなくとも、一言脅しただけで、降参するかと思えたのに…。
意外な誤算に、男はほくそ笑む。
弱り切っている筈なのに、半助の目は死んではいない…。
男には、そう見えた。
こんな時、人は本性をさらけ出すものだ。
見るからに弱々しい身体に、誇りと、それを守る勇気を持っている。
それに奇妙な程に…嗜虐心をそそる何かを持っていた。
最高の獲物ではないか…と。
その、誇りを全て奪ってやったら、どんな顔をするだろう。
そう思っただけで、ゾクゾクする。

男の興味は、獲物の矜持を挫く事に変わっていた。
その笑みは、悪魔の笑みだった。




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