血の連鎖

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16・理解

伝蔵は、半助を病院の前まで送った後、夜の街を宛てもなく彷徨っていた。
独りで機械的に車を走らせていると、頭が冴える気がしたから…。
それでも、いつまでもそうしている訳にもいかず、伝蔵は帰路に就く。
「おかえりなさい、父上…車を、出していたんですか?」
伝蔵が部屋に戻ると、神妙な顔をした利吉が自室から顔を出した。
窓は伝蔵が開けたままになっており、室内は暑苦しい程の熱気が籠もっていた。
半助の香りはすっかり霧散していて、そこに存在していた跡さえ残していない。
その事に一抹の寂しさを感じつつも、伝蔵は、利吉に向け、あぁ…と小さく返事をすると、窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。
すぐに、冷気が熱を冷ます。
ふと時計を見ると、かなり遅い時間だった。
「あの人間は……帰したんですね?」
利吉の言葉は、質問ではなく確認だった。
「何だか、騒いでいたようだったので、上手く行ったんじゃないかと思っていたのに…」
利吉は苦笑する。
「このままに…するおつもりですか?父上」
伝蔵は、ギクリとした。
利吉の瞳が…そんなことは許さないとでも言っている様に、ギラギラとして見えた。
「半助は…明日、また迎えに行く。今日は無理をさせたからな。結論はその時出す」
伝蔵の言葉に納得出来ないのか、利吉の目は訝しげなまま…。
「あの人間の香りが…途中、薄まった気がしたんですが、まさか……無かった事にしようとしているんじゃないですよね?父上」
「…気のせいだ」
伝蔵は、思わず、利吉から目を反らしていた。
「嘘だ!まさか父上、契約の血を…奪ったんじゃないですか?確か…自分の精気は、再構築出来るんですよね?…私にはまだそんな事、とても出来ませんが」
伝蔵は、一瞬言葉に詰まる。

今まで…利吉に対して、こんな態度を取ったことはなかった。
利吉は、伝蔵にとって…大切な半身。
自分の全身全霊を掛けて、慈しんでいる息子だ。
彼が一人前になるまで、自分には重い責任がある。
利吉は、贔屓目を抜きにして、自分が関わった年少な月氏の中で、秀でた若者だと思う。
だからこそ、真っ直ぐに…ある種、排他的に今までの古い考えに凝り固まった同族とは、一線を画する存在になって欲しい。
今は、それが伝蔵の生き甲斐とも言えた。
例えそれが、伝蔵のエゴであったとしても…。
なのに…心の中に、封印していたつもりの存在が、心を揺り動かしている。
…土井半助だ。
何もかも投げ出して、彼を抱き締めたい。
自分の胸でなら、半助は心からの安らぎを得られるのだろうか?
出来るに違いないと、盲信出来た。
どんな生き物かも分からない自分の血を舐めとれる程に…子供の頃から、一途に自分を思っていたと言い張る少年…否、今は青年か。
身体は大人になっていたが、驚く程に変わっていなかった。
魂の色が…。
半助の、寂しい影のある瞳を喜びに輝かせたい。
ただ、ただ…そればかりを思ってしまう自分が居た。
利吉に自制を説いておきながら……全く情けない限りだ。
ただ確信がある。
こんなに自分と心が、魂が求め会うのは、半助以外には有り得ないだろう…と。


「父上、私…ちょっと驚いたんです。人なんて…ただのエサだと思っていたのに…父上が、あんなに食事に気を使う理由なんて、理解出来なかったのに…あの人間に会って、少しだけ…分かった気がしたんですよ」
利吉は、自分の両の手を広げて見せる。
「この腕に…しがみ付いて来たんです。必死に…。でも震えてました。そりゃあ、そうです…私に襲われた直後だ。父上の所に連れて行かずに食い殺されるかもしれないのに……自分の事なんて、顧みてなかった…そんな人間が居るんだって、不覚にも感動してしまった」
「…利吉」
「最初は…純粋に【果実(デセール)】に対する期待だったんですが、あんなに一生懸命な人間だったら、父上の隣に居ても良いかな…って思ったりして」
利吉は、伝蔵の見たこともない顔で、クスリ…と、笑った。
「大丈夫です。貸してくれ…なんて言いませんから」
「…利吉。」
「父上が、もし…私が居ることで、あの人間を【果実】にする事を悩んでるなら、安心して下さい。その位の分別は持ってます。っていうか…これから持てるようにします。」
伝蔵は、声も出なかった。
いつの間に…。
いつの間に、利吉は…こんな風に考えられるようになっていたのか?
つい…この前まで、予定外の食事を報道されるという失態をやらかしていたと言うのに。
半助の存在が…利吉を変えたのか?
それとも、自分を叱責しなければ駄目だと利吉に思わせる程、情けない姿を見せていたのか?
……どちらも、正解かもしれない。
伝蔵は、両肩から力が抜けるのを感じた。
「…どうも半助が関わると、まともな判断が出来なくなるな。お前の口から、そんな言葉が聞けるとは…嬉しいぞ、利吉。」
伝蔵は、照れ笑いを浮かべた。
「やはり半助は、私の血で【果実】になっていた。私の与り知らぬ事だが…正直、喜んでいた。人とは長い時間、共に過ごす事は出来んからな。だが…以前半助に会った時のわしは、半助に果実になれとも、契約の事さえ、切り出すことも出来なかった。半助が子供だった事もあるが…な。一瞬関わっただけの人に、ここまで心を掻き回されていたというのに、忘れようとしていた。しかもお前を言い訳に…」
「…父上」
「情けない父で済まない。利吉」
伝蔵は、利吉に頭を下げた。
「ち、父上…止めて下さい」
利吉は、それにギョッとする。
尊敬する伝蔵が、自分に頭を下げるなんて、想像もしていなかった。
「利吉のお陰で、半助と話しが出来た。明日、どんな結論になるかは分からんが…礼を言う。ありがとう…な」
「父上…」
もし伝蔵がどうしても、あの人間を【果実】にしないと言うなら、誰かに取られる前に、自分が…そんな考えがあった利吉は、自分が恥ずかしくなった。
でも、それ以上に利吉は、安心した。
伝蔵の表情が、元に戻っていた。
…利吉の良く知っている、いつもの自信に満ちた伝蔵の顔に。

「利吉…飲むか?」
「…は?」
利吉は、一瞬何を言われているのか、分からなかった。
伝蔵は、返事も待たずに席を立つと、手にボトルとグラスを2つ持って来た。
利吉は、そんな事を言われたのは初めてだった。
滅多に食事をしない父の、高尚な楽しみと思っていたソレに、誘われたというのが、まず信じられない。
一人前と…認められた様で、胸がじわりと熱くなる。
…勝手をしたと思った。
無計画に食事をした事ではない。
あの人間を連れて来たのは、父の触れてはいけない部分に踏み込んでしまった様で…後悔した。
許しては貰えないかも…と思った瞬間、それは恐怖に変わった。
見捨てられたら……独りではとても生きていけない。
その場限りの食事など、珍しい事ではない…と、大木雅之助は言っていたっけ。
父以外の月氏にあったのは、初めてだった。
そこで、父が一族からは孤立して、変わり者とまで言われている事を知った。
父程、人の世界に関わっている月氏は珍しい…と。
もし、好き勝手に狩りが出来たら、どんなに楽だろう…と一瞬思った。
しかし、それは間違っていると、山田伝蔵から受け継いだ血が騒ぐ。
あの人は、あの人…やっぱり、父が一番凄いのだ。
自分は、父の様になりたい。
そんな父に見捨てられたら…それは、間違いなく恐怖だ。
しかし、父の懐は、深かった。
こうして、こんな風に考えられるようになれた自分を、多分許してくれたのだ。
敵わないなぁ…と思う。

月氏も、口から食品を全く取れないという訳ではない。
嗜む程度なら、その味を楽しむ事も可能だ。
伝蔵は、人の作ったモノの中で、ワインが一番気に入っていた。
歴史と、時間、人の努力と、運が積み重なって、初めて最高級品が生まれる贅沢品。
その不確実さが、伝蔵には好ましかった。
酔いたい訳ではなかったが、今日は飲みたかった。
いつの間にか成長していた愛息と。
ワインセラーから、適当に取り出した一本は…濃厚な赤ワインだった。
それは、何処か血に似ている。
半助を手元に置くことになったら、今までの様に、食事をする事は無理だろう。
利吉に我慢はさせられないが…。
しかし、半助に自分が人殺しの精気で生きていると思わせたくはなかった。
それが否応無い事実だとしても…。
隠そうとしても、きっと半助にはお見通しになってしまう…そんな気はするが。
伝蔵は、自分の考えに思わず、苦笑を浮かべた。
全てを半助に依存する事もしたくない。
例え、【果実】となって、人より遙かに長い寿命を得たとしても、それは月氏のものとは比較に出来ない短いものだ。
半助からの精気のみを糧にするのは、半助の【果実】としての寿命を縮める。
純粋に精気の搾取が原因かどうかは不明だが、荒淫を強要された【果実】が長生き出来ないのは、事実……命の摂理だ。
半助と共に過ごす事が出来るのならば、少しでも長い時間を…それは楽しい時間だろう。
いつの間にか、伝蔵の中に覚悟が生まれていた。

例え、人としての幸せを自分の都合で奪ってしまう事になろうとも…
それ以上の幸せで包んでやる。

そう考えると、何と簡単な事で悩んでいたのか…と、笑える。
いつの間にか、伝蔵の中には半助との今後の事しか無かった。
「父上、あの人間と、契約するなら…私、この家から出て行きますから」
「…そこまでしなくても」
ちょっと酔いの回った利吉がドンとテーブルを叩いて力説する。
「新婚生活始めたら、あんなもんじゃない芳香が馨るんでしょ?勘弁して下さいヨ!私の忍耐にも限界があるんです!」
「しかし…独り暮らしをさせるには、まだ早い。半助には新しく家を買う事にするから…」
それでは、独り暮らしをするのと、あまり変わらないのでは?と思いつつ、利吉は承知する。
こんな風に、2人で色々話す夜は最後になるかもしれない。
そう思うと、眠るのも惜しい…楽しい夜だった。


そんな時だ。
空調の効いた部屋で、
一瞬、柔らかい風が、伝蔵の頬を擽った様な気がした。

……や…山田、先生。ごめん…なさい。


「…っ?」
それを…伝蔵が感じたのは、偶然か?
「利吉…何か言ったか?」
「いいえ。何も…」
目の前の利吉は、確かに何も言ってはいないようだった。
突然の伝蔵の言葉に、きょとんと目を見開いている。
「いや、確かに聞こえた。わしを呼ぶ声が…」
悲痛な…声だった。
「あれは…半助?」
伝蔵は、顔色が変わっていた。
もう一度、その声を聞こうと、耳に意識を集中していた。
「そんな…父上、気のせいですって」
そう言いながらも、利吉も伝蔵の尋常でないのが伝わってくる。
「あの人は、今頃…病院で…」
利吉は、慌ててテレビを付ける。
深夜で放送していない局もあったが、クラッシック音楽に合わせて字幕ニュースが流れているチャンネルで手を止めた。
「…ち、父上!」
そこには、2人が最も見たかったニュースが流れていた。
「…連続殺人事件の、唯一の目撃者、土井半助(25歳)さんも、病院から姿を消したまま依然行方不明。被害者○×○子(20歳)さんも連絡が取れず、安否が気遣われています。」
利吉は、テロップを棒読みした。
「父上!あの人、病院に…戻ってない?」
「な、なんだと?!」
伝蔵は、慌ててニュースを探すが、既に次の情報が流れるばかり。
ガチャガチャと、チャンネルを回すが、砂嵐と、意味のない映像に、テレビを消す。
「父上、病院まで送ったんじゃ無かったんですか?!」
伝蔵の瞼に、病院に向かう半助の後ろ姿が浮かんでいた。
自分が乱暴に、その血を奪った為に、心許ない足取りだったが…。
しかし…。
「…病院に入る所までは、見なかった」
あんな半助を最後まで見送らなかった自分の迂闊さに、奥歯がギリリと軋んだ。
「じゃあ、病室に辿りつくまでの間に…何かあったんだ。そうとしか…」
利吉は、伝蔵の眉間のしわの深さに、悔恨の深さを思い知る。
「月氏の誰かに攫われたとか?」
「嫌、そんな気配は無かった。」
テリトリー意識の強い月氏は、お互いの気配には敏感だ。
「じゃあ、人間の誰かだ!…結界が無ければ、あの香りを追跡出来るんじゃないですか?」
利吉は、そこで気が付く。
意識して、追跡しようとしても、半助の…半助の香りがしない。
先程、半助の香りが薄まった気がしたが、一時的なものかと、安易に考えていた。
「ち…父上」
こんな状態で…まして、地下などに潜られたら、その香りを追うなど…神業だ。
「落ち着け!落ち着くんだ…」
伝蔵の言葉は、自分自身に言い聞かせている様に…利吉には聞こえた。
「半助の声が聞こえた。まだ半助がわしを思っていてくれるなら、追える筈だ」
伝蔵は、シャワー室に飛び込むと、頭から冷水を浴びた。
改めて、肩まである髪をキリリと束ねる。
「必ず、追う!」
利吉は、伝蔵の本気の姿に立ちすくむばかりだった。
利吉の目の前で、伝蔵は両手で独特な印を組んで、集中に入る。
…あの人間を、助けようとしている。
伝蔵が、あの人の危機を感じたというなら、それは真実だろう。
あの人間が居なくなったら、先程までの穏やかな時間は二度と訪れない気がした。
伝蔵の…半助への執着。
そして、その人を…誰かが、父から奪おうとしている。
人間如きが…。
利吉の中で、猛烈な怒りが沸いた。
父から、何か手伝えと言われた訳ではないが、彼を追う父なら追い掛けられる。
「手伝わせてもらいますヨ。父上」
不動の伝蔵に、利吉の声は届いていない様だった。

「…半助」
伝蔵が名前を呼ぶ。
…それは、何とも切なく響いた。





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