血の連鎖

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18・果実

「…半助」
伝蔵は、半助を家へと連れ帰った。
月氏流の移動で半助に負担を掛けることのない様に、利吉に車を取りに行かせ、運転までさせた。
伝蔵は、その間中、シーツにくるまれた半助を片時も腕から離さななかった。
それはそれは、真綿でくるむ様に、丁重に、慎重に扱った。
そんな父の姿に、利吉は言葉を失う。
半助を手に掛けた者達への復讐など、既に伝蔵の眼中には無いように見えた。
腕の中の人の事で、頭が一杯なのだ。
「半助…」
繰り返し、繰り返し、半助の意識を呼び戻そうと、名前を呼ぶ。
「…半助」
その切ないまでの声色に、利吉までもが、月に祈る想いになる。
(このまま、この人間…否、もう父の【果実】か…彼が、死んでしまったら…?)
伝蔵がどうなってしまうのか、利吉は、それが心配だった。

伝蔵のマンションまでは、深夜だった為か、それ程時間は掛からなかった。
しかし、伝蔵は1秒でも早く安全な場所で、半助を休ませてやりたかった。
鍵を開け、部屋に入ると、ワインボトルや飲みかけのグラスがそのままに、放置されている。
少し前までは、こんな事態は予想も出来なかった。
あくまで、選択する自由が伝蔵と半助には残されていた。
しかし、今…伝蔵は、半助の【果実】としての生命力に頼るしかない。
伝蔵は、自分の部屋へと半助を運び込む際、足を止める。
扉の前で、暫し時を忘れる。
(ここで…半助は、わしの呪を破ってでも、わしに会おうとしてくれた)
半助が、自分の意志で伝蔵の元へやって来た時、最初にそれを拒んだのは伝蔵だ。
(あの時、自分の気持ちに素直になっていれば……)
伝蔵は、ともすれば後悔ばかりが押し寄せるのを、踏み留めるように、グッと歯を噛み締め、自らの部屋に半助を運んだ。
(今度は、わしが…お前を、呼び戻してやる)
ベッドに横たえると、半助の力無い様子に、それほど広く無いはずのセミダブルのベッドが異常に広く感じた。
伝蔵は、半助の側に寄り添い、無意識にその頭を繰り返し撫でていた。
「…半助」
子供の頃の半助は、頭を撫でてやると、ほわりと照れたように微笑んだ。
その笑顔が見たくて、伝蔵は、機会があるごとにそうしていたっけ…。

「父上…」
利吉は、適当に見繕った自分のパジャマを、伝蔵に差し出した。
ダラリと力無く垂れた半助の素足が、ずっと視界に入っていたから…。
「…ぁ、すまんな。」
伝蔵は、そこで利吉の存在を思い出したように、詫びた。
そして、利吉を部屋の外へと促す。
二人きりにして欲しい…と。
利吉は、何か言いたげだったが、静かに頷き、従った。

半助と二人だけの部屋。
伝蔵は、今更気付いた様に、半助の身体を覆っていたシーツを取ると、利吉のパジャマを着せてやった。
改めて見ると、半助の身体は見た目よりも華奢で、利吉のものでも大きかった。
「偏食は、直らなかったんだな…半助」
これが冬なら、袖を一つ折っても、大きかっただろう。
僅かに感じる精気の流れを促す様に、身体をさすってやる。
すると、半助の身体も伝蔵の動きに反応するように、温まる。

一方が意識を失ったまま行った【血の契約】は、上手く効力を得るのか?

第一の心配は、杞憂に終わった。
再び、伝蔵の精気を受け入れた半助は、死の淵から脱した。
少なくとも、発見した時のような、今にも命の火が消えそうな儚さは無くなった。
半助は、伝蔵の【果実】となったのだ。
人間よりも強い果実としての生命力が、半助を救った。
伝蔵は、思い付いたように、再び、半助の口に己の血液を含ませる。

契約が成立すると、【果実】は、月氏の精気が糧となる。
特に、主人の精気がなければ生きてはいけない。
つまり、今の半助にとって、一番の滋養が伝蔵の精気という事だ。

伝蔵は、最も充実した精気を媒介する血液を、半助に与えてやった。
慣れない身体への負担を考えて、少しずつ、幾度にも分けて…。
「半助…っ、目を覚ましてくれ」
それ以上に、伝蔵の半助を想う気持ちを注ぐようだった。
そして…
次第に、半助の身体から…何とも言えない芳香が漂い始めた。
半助の為に与えた伝蔵の精気が、半助の中で…熟成しているのだ。
【果実】としての機能が活動を始めていた。
顔色もすっかり良くなって、ただ眠っているだけにも見える半助。
しかし…
意識は、中々戻らなかった。


翌日…既に陽は落ち、夜になっていた。
半助を連れ帰って、それだけの時間が流れても、伝蔵は部屋から出て来ようとはしなかった。
ドアの隙間からは、熟成した果実特有の芳香が漏れて来る。
最悪の事態になってはいない事だけは、蚊帳の外に出された利吉にも理解出来た。
しかし、利吉が心配している事は分かっているだろう伝蔵が、何も言ってこないというのは、あまりにも不自然。
元気になった【果実】との逢瀬を楽しんでいるとは…とても思えなかった。
我慢の限界を超えた利吉は、思い切って伝蔵の部屋のドアを叩く。
「父上…?」
ノブに手を掛けると、すんなりと開いた。
部屋の中には、果実の香りが充満していた。
カーテンが閉められていない室内は、月明かりに照らされて、ほんのり明るい。
そこにドアを開けた事で、光りが差し込んでいた。
ベッドサイドに座り込む伝蔵。
その表情は影になり、利吉には読みとれなかった。
「父上…電気つけます」
蛍光灯の光に、晒された事実。
死人の様だった半助の顔色は、すっかり回復していた。
利吉は、ホッと息を吐く。
しかし…
半助は、頬を上気させ、口元をほんのり開いて、苦しげに荒い息を吐いていた。
足を摺り合わせる様に、身体を震わせている。
明かに……半助は、欲情に喘いでいた。
昨夜、死にかけていた筈の【果実】が…?
「これは…」
利吉は、予想外の展開に、伝蔵に問いていた。
「滋養の為に、わしの血をやったんだ。」
伝蔵は、自分の誤算に項垂れた。
「だが…目覚めてくれなければ…意味がない。それどころか…わしの精気を、【果実】として熟成し始めてしまった」
「…父上」
うん…っと、半助が苦しげに唸り声を上げる。
「半助?」
伝蔵の声は苦渋に満ちていた。

半助は、目を閉じたまま眉根を寄せ、しっとりと汗をかいていた。
利吉は、思う。
伝蔵は、純粋に半助の回復の為だけに、精気を与えた。
しかし、意識の無いまま半助の身体は、精気の熟成を進めた。
…まるで、伝蔵への奉仕の様に。
そんな精気を、伝蔵が搾取出来る筈がなかった。
しようという発想さえ、思いも寄らないことだろう。
しかし…
「父上、意識が無くとも、熟成した精気がそのままじゃ、辛いだけです」

利吉に人間の価値を認めさせた、半助という人格は、失われたままで…。
精気を熟成させることの出来る、身体だけが残った。

苦しむ半助を目の前にしても、行動に移れなかった伝蔵。
本当に、そんな事の為に、血を…精気を与えた訳ではなかったのだろうから…。
利吉は、動こうとしない伝蔵の手を取ると、半助の首筋に押し付けた。
利吉の暴行の跡が残る部分に…。
「何を…っ?!」
手を添えて力を加えてやると、ズブリ…と伝蔵の指が、半助の皮膚の内部へと飲み込まれる。
「あぁぁ…」
半助が陶酔したような、声を上げる。
意識がないとは思えない、艶やかな声色だった。
身体を伝蔵へと委ねているのが、側にいる利吉には手に取るように分かった。
(……以前、私が同じようにした時とは…まるで違う反応だ)
この人間は山田伝蔵のモノなんだなぁ…と、改めて利吉は思う。
例え、意識が無かったとしても…。

「…半助」
伝蔵は、利吉にされるがままだった。
半助の気道に触れた瞬間、そっと吸収する。
その精気の充実振りに、指先が燃えているような錯覚を感じる。
「…ぁ…ぁ…んっ」
伝蔵が、気道から精気を搾取する間中、半助は全身をブルブルと震わせ、あえぎ声を上げ続けた。
伝蔵は、自分が与えた以上の精気の濃度に、目眩を感じた。
隠すことを忘れていた黒翼が、ブルリと震えた。

「…半助」
まるで濃厚な性交のような時が終わる。
熟成した精気を提供し終えた半助は、満足気な表情で眠りに落ちた。
伝蔵は、全身が高揚するのを感じていた。
半助の首筋から指を抜いた時、伝蔵の瞳から、ポロリと涙が落ちた。
皆が【果実】を欲しがるのが…分かった気がした。
でも…
「果実の精気が、どんなに凄かろうと…わしは、お前だったから…土井半助という人間だったからこそ、側に…居て欲しいと思った。」
あまりの精気に、力が漲るようで、伝蔵は悲しくなった。

「お前の…【果実】の器だけが、欲しかった訳じゃない!そんな事も分からないのか、半助?」
その言葉は、そのまま伝蔵の慟哭だった。





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