「こんばんは…」
「よぉ、久しぶりだな…利吉」
随分、久しぶりに会いに行った月氏…大木雅之助は、陽気で自由を自認する男だった。
【果実】の事を利吉に教えたのも、彼だった。
突然、家を訪ねた利吉を、雅之助は嫌な顔もせず、迎え入れた。
「ありがとうございます」
利吉は、伝蔵以外に親しく話せる同族を、雅之助しか知らなかった。
「相変わらず、固いなぁ…どうした?最近、伝さんの話し…聞かないが、何かあったのか?」
酷く、勘の良い男だと…利吉は思う。
同時に、父の影響力を思い知らされる。
「もう…随分、眠ってますから…」
「な、何?!伝さんが?何があった!」
雅之助は、意外にも本気で心配している様だった。
「その事で…教えて欲しいことがあるんです」
利吉は、自分が酷く緊張している事に気付く。
軽々しく話せる事ではないのだ。
でも、独りで抱えているのは…限界に近かった。
「【
雅之助は、ギョッ…と目を剥いた。
「何て言った?」
「【華燭の典】です。父は今、それで……眠ってるんです」
雅之助は驚いたように、口元でブツブツと何か呟いた。
そして、利吉にニッコリ!と笑顔を向けた。
「そうか…それで。伝さん、やるなぁ〜。半端な人好きじゃないって事だなぁ。なぁ〜に伝さんだったら、すぐに目を覚ますサ。」
呆れられたら…と心配していたが、雅之助から、そんな感情は感じられなかった。
雅之助の、枠に囚われない性格が幸いした。
利吉は、ほっと溜息をつく。
結界の外で、ただ独り、時が過ぎるのを待っているには、長過ぎる時間だったのだ。
その時…不意に、雅之助の顔が浮かんだ。
誰かに、大丈夫だと言って貰いたかったのかもしれない。
「大丈夫だヨ…利吉。伝さんは、強い月氏だから。」
利吉の心に、雅之助の言葉が染みた。
利吉は…あの長い夜の事が、忘れられなかった。
目を覚まさないままの半助は、伝蔵の腕の中で…治療の為と伝蔵が与える精気を、ひたすら【果実】として熟成することを続けた。
人を軽んじる月氏としては都合の良い、最高の精気精製の器となったのだ。
しかし…
それは、伝蔵の望むものとは遙か遠い。
とても半助を助けたとは言い難い姿だった。
そして…静かに、伝蔵は決意する。
月氏の一族は、病や怪我に見舞われた際、自己治癒能力を促す為、眠りにつく。
その為、医者という概念そのものが無い。
優れた能力を持つ者だけが、生きる事を許される厳しい世界だった。
必然的に…【果実】もそれに準じる。
人でなくなった半助は、病院に連れて行く事も、医者に診せる事も出来ないのだ。
しかし、外的な傷は伝蔵が既に直している。
生命を司る精気も、正常な流れを取り戻している。
【果実】としての機能を取り戻している事からも、それは確信出来た。
ただ…心が、戻ってこないのだ。
半助が、半助たりえる
あんな目に遭えば、仕方のない事かもしれない。
嬲り者にされたのだ。
何の落ち度もない…半助が。
人だったら、確実に命を落としていただろう。
その時、身体と同じに…否、それ以上に精神も傷付けられたのだ。
心も…殺されてしまったのか?
いや、それは……違う。
半助の若木のようにしなやかな心が、死んでしまったとは思えない。
……思いたくない。
ただ、眠っているだけなのだ。
…深い、深い眠り。
そう信じていても、心を呼び戻そうとする滋養の為の精気は、そこまで届く前に、半助が命を繋ぐ最小限を除いて、全て精製に回されてしまうのだ。
半助の身体が、滋養の為ではなく、【果実】に与えられた精気と判断して、機能してしまう。
…皮肉な結果だった。
半助の命を救った【果実】としての生命力。
しかし、今度は【果実】としての機能が、半助の心を呼び戻すのを妨げる。
だからと言って、【果実】を人に戻すのは…不可能。
万が一出来たとしても、【果実】の生命力で命を繋いだ半助が人に戻れば、それは死に繋がる。
伝蔵としては、お手上げだった。
しかし…
全く方法が無い訳では無い。
人が【果実】になる以上の、リスクを伴う事になるが…。
【血の契約】では、人である半助が生死を掛けた。
…月氏の精気を受け入れられなかったとして、命を落とすのは、人だけ。
命を掛けたのは…半助だけだったのだ。
しかし
もし、その方法を使うとすると…
今度は、そのリスクを伝蔵が背負う事になる。
半助の時のように、上手く行くとは限らない。
それは、伝蔵とて…恐ろしく無いと言えば嘘になる。
でも…
このままの半助を見続ける事に比べれば、遙かに良い。
大昔に読んだ文献で、ほんの幾つか記録されていた儀式だ。
人の為に月氏が命を掛ける…それは、愚かな行為として、記録を残す事さえしなかった為か、それ程に成功例が少ない為か…は、伝蔵にも分からない。
ただ、半助の為ならば…試す価値はある。
…いや、試したいのだ。
伝蔵は、抱き締めていた半助を、ベッドに寝かせてやる。
そして、側で立ち尽くし二人を見詰めていた、愛息に視線を移す。
「…利吉。」
利吉は、父の見たこともない瞳の輝きに圧倒された。
伝蔵が何事か、覚悟を決めたのは…すぐに分かった。
「父上、何をなさるんですか?」
「勝手な父を許してくれるか…」
伝蔵の声は、あくまで静かだった。
「今のお前なら、わしが独り立ちした時より、余程しっかりしている」
利吉は、父が遠くに行ってしまうようで…急に怖くなった。
「何を言ってるんですか?父上!」
「半助を迎えに行っても良いか?」
「迎えに…って?」
「これから、半助と二人、眠りにつく」
「二人で…って、まさか!」
以前、噂で聞いた事がある。
命を落とした…月氏の若者の話だ。
「まさか……父上」
「本来は、時を選んで…後顧の憂いの無いようにするべきなんだろうが…もう、待っていられない」
「そんな!」
利吉は、伝蔵に詰め寄った。
「今のお前なら、万一の時でも…大丈夫だ」
「勝手な事、言わないで下さい!この前、狩りに失敗したばかりなのに…私を一人にするおつもりですか?」
「利吉…」
「一人暮らしも、させられないって言ってたのに!」
利吉には、分かっていた。
利吉のどんな言葉にも…伝蔵の決意は揺るがないのだ。
「万が一だと言ってるだろう。それに…そう簡単に死んだりしない。」
伝蔵は、利吉に手を差し出す。
利吉も同じように手を出し、握手をする。
「うわっ!」
ビリッ!と電流が走った。
「半助のお陰で…これ以上ない程、気が充実している様だ。」
電気ではなく、お互いの気が反発したのだ。
伝蔵の精気が満ちていた為に、過剰に反応していた。
しかし…
利吉の反応の大きさに、伝蔵はしみじみと呟いた。
「いつの間にか、一人前の【月氏】になっていたんだな…利吉」
利吉は、伝蔵から生まれた月氏だ。
人と同じ営みからは生まれない月氏は、単一で子供を作り、生み出す。
その為、父、又は母と同じ性質の気を持って生まれる。
それが…時を重ねていくうちに、独特の固有の型を持ち始めるのだ。
伝蔵の気を、静電気のように反発として感じたという事は、利吉は利吉特有の気を、持ち始めたという事だ。
「…父上」
利吉は、自らの手を恐々と見詰めていた。
「いくら一人前の月氏になったと言っても、お前がわしの息子であることに変わりは無い」
伝蔵は、何とも言えない表情で利吉を見詰めていた。
「父上…」
利吉は、緩みそうになる涙腺を必死に堪えた。
「わしも、必ず…戻ってくるから、あまり羽目を外すなよ」
「父上も…頑張って下さい。やるからには、しっかり…その人、連れ戻して来て下さいネ。私、ずっと待ってますから。」
伝蔵は、あぁ…と笑う。
これから、命掛けの儀式をするというのに…伝蔵は妙に嬉しそうに、利吉には見えた。
その笑顔を最後に、伝蔵は、結界を張る。
第三者には立ち入れない聖域。
そこで、半助の為に命を掛ける。
「父上、必ず戻ってきて下さいネ!」
利吉は、結界の外で祈った。
そして、思う…。
自分にも、命を掛ける程の相手が見付かるのだろうか?と。
一緒に居たのは、利吉の知る限り、ほんの一晩なのに…。
あれ程、想い合っている二人。
正直……羨ましくなってしまった。
そして、山田伝蔵と土井半助は、儀式を行う為、眠りに落ちた。
【月氏】の長い歴史の中にも、僅かしか記録のない儀式。
……【
それは…【果実】を【月氏】に招き入れる為に行われる。
伝蔵と半助の…命を掛けた、華燭=結婚の儀式だった。
全ては、同じ時を共に生きていく為に…。