血の連鎖

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21・門出

夕闇の静寂を破り、パリン…という破壊音が響き渡った。
必要の無くなった結界が、音を立て壊れたのだ。
…外界からすれば、何の前触れもなく。
本来、物質化しないものでありながら、伝蔵の張った結界は、外界との遮断を目的とした硬質なもので、派手な破壊音を立てた。

「父上!」
利吉は、すぐに結界の張ってあった伝蔵の部屋へと向かった。
この時を、ずっと待っていたのだ。
しかし、駆けつけるまでも無く分かっていた。
…山田伝蔵の完全復活を。
利吉はそれまで、結界が壊れる音など…聞いたことがなかった。
しかし、それが結界が破壊された音だと、すぐに分かった。
【月氏】は、同族の気配に何より敏感だ。
音と共に、吹き出すように溢れた精気が、圧倒的な伝蔵の存在を示していた。
長い間、伝蔵の気配・精気を封印し、2人を隔離するように守っていた結界は、伝蔵の大量の気によって、内側から破壊された。
伝蔵らしくない乱暴なやり方だと思ったが、それだけ…守りの意味で強固な結界を張っていたのだろうと、利吉は思う。
「……父上!」
久しぶりに見た伝蔵は、結界に入った時と全く変わらない様子で立っていた。
「利吉、大分…待たせてしまった様だな。」
伝蔵は、利吉に目を留めた瞬間、全てを察したように…表情を曇らせると、苦笑いをした。

「ち…父上、お帰りなさい。」
利吉は、思わず声が震えていた。
父はあの時、必ず戻ってくると約束してくれた。
しかし…
2人が【華燭の典】の儀式に入ってから、月氏にとっても短くない時が流れていたのだ。
こうして、父の声を聞くのは……5年振りにもなろうか?
まだ少年の風情を残していた利吉は、立派な青年へと成長していた。
利吉は、父を信じていたが、待っている間、様々な書物を調べ、知れば知る程に不安が増した。
【華燭の典】は、それ程に…月氏にとっての禁忌だったのだ。
どんなに己のレベルを上げても、父の張った完璧な結界の中は、窺い知れない。
様々な心配が、何度も心をよぎった。
この先、何も変わらないのでは?
自分は何も出来ないまま…ずっと、2人の結界を見守り続ける事になるのでは?と。
しかし…それは杞憂だった。
父は、禁忌である【華燭の典】の儀式さえ乗り越え、生還したのだ。
自分のパートナーとなる相手を、その胸にしっかりと抱いて…。
「利吉。これが…わしのパートナーになる、土井半助だ」
伝蔵は、命を懸けて連れ戻した半助を、自分の黒翼で守る様に抱いていた。それは無意識だった様で、気が付くと、慌てて翼を術で隠す。
伝蔵の腕の中で…半助は、まだ半覚醒のような状態だった。
それでいて、半助の中に流れる…伝蔵と同じ精気をしっかりと感じた。
「父上と…同じ、精気だ」
今は、独自の型へと変化したが…自分も昔は、これと同じものが身体に流れていた。
伝蔵の精気を通して、繋がってる。
それは、人でいう血縁よりも濃く、次代へと連鎖していくものだ。
こうして知らない訳でもない半助を、改めて紹介するのは、半助という存在の意味が変わったから。
半助は、以前の半助とは全く違う…伝蔵と同じ精気を纏う【月氏】となったのだ。
「…あれ?」
「ん?どうした…利吉」
一瞬、何かか利吉の鼻腔を擽った。
ほんの一瞬だが、芳香が、ふわりと漂ったように感じたのは…利吉の気のせいか?
【果実】だった頃の残り香?
利吉は、自分の考えを振り払った。
そんな訳はない。
伝蔵が命を懸けて、死の淵から連れ戻し【月氏】となったのだ。
その身体には、脈々と伝蔵と同じ【月氏】の精気が流れているではないか…と。
折角の奇跡の生還に、水を差すことはない。
伝蔵は、何事かと…利吉を見詰めていた。
「す、すみません。何でもないです。」
考えてみれば、自分に分かる事を伝蔵が見過ごす筈はない。

伝蔵は、まだ本調子ではないのか微睡み始めた半助を、ベッドへと寝かせてやる。
そして、改めて…約束通り、自分達を待っていた愛息を見詰める。
「おめでとう…ございます。本当に…良かった」
利吉は、身体が震えるのを、しばらく止められなかった。
(…本当に、父上は凄い。)
禁忌の儀式さえ成し遂げ、【月氏】としての能力の差を見せ付けられた気がしていた。
一方、伝蔵の方は…安定した独自の気の型に、利吉の成長を見ていた。
保護者である筈の自分が…恐らく数年に及んだであろう儀式の間、利吉を放って置いてしまった。
しかし…目を離しているいた間に、利吉は肉体的にだけではなく、精神面も大きく成長していた。
僅かの間でも、それは十分見て取れた。
「本当に、立派になったな…利吉」
この数年をどう過ごしていたのか…と、感慨深く聞きかけた伝蔵。
突如、ピクリ…と、一瞬表情を固くした。
「父上…?」
「よぉ、伝さん。」
「え…?ま、雅之助!」
利吉は思わず、声を上げていた。
伝蔵の部屋の入り口に突如現れたのは、大木雅之助。
「おめでとうさん♪まさか、本当に【華燭の典】を成功させちまうとはなぁ…流石、山田伝蔵」
雅之助は部屋に入る事無く、遠巻きに、眠る半助の様子を眺めていた。
それは、興味がありながらも、半助に対しての配慮だったのだろう。
雅之助は商人だ。そんな商売柄、リップサービスもするし、遠慮のない所がある。
しかし、今の言葉に嘘や、嫌な含みは無い…伝蔵は、そう感じた。
「何で…?」
一方、今日、雅之助が朝から遠出しているのを知っていた利吉は、その神出鬼没振りに驚きを隠せなかった。
「何でって、こんな派手なご帰還しといて、気付かない筈ないっしょ。」
「まぁ、確かに、その通りなんだけど…」
「良かったな…利吉。やっぱり、わしの言った通りだったろう?」
雅之助は、ニヤリと笑う。
利吉は、雅之助とこんなやり取りをしているのを、伝蔵がじっ…と見ている事に気が付く。
何故かは…分からないが、それが…急に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。私…」
利吉の言葉を、伝蔵が遮った。
「雅之助…わしが眠っている間、利吉が世話になった様だな。」
そう告げた伝蔵は、ペコリと頭を下げた。
「お、おぃおぃ…止めてくれヨ!伝さん」
ギョッとしたのは雅之助だ。
伝蔵に頭を下げられた事など無かったし、禁忌を可能にする程の、圧倒的な力を思い知らされたばかりだ。
「父上!」
利吉も、父のこんな姿を見るのは、まだ二度目。
前回、自分に頭を下げた時も、何とも言えない気がしたが…。
今…頭を下げている相手は、利吉から見て、伝蔵より格下にか思えない…大木雅之助なのだ。
「今回の事は、わしの勝手な都合でした事だ。待っている利吉を…1人にしないでくれた…それだけでも、礼を言わせて欲しい。」
「…ち、父上。」
伝蔵が頭を下げているのが…自分の為だと思うと、利吉は目頭が熱くなった。
「頭を上げてくれ、伝さん。わしも、利吉と居るのが楽しかったからナ。生意気だが…流石、山田伝蔵の息子…見所がある」
雅之助も、利吉が見たこともないような、真剣な顔をしていた。
「雅之助…。」
利吉はいつも、強引に押し掛けて来る雅之助には、文句ばかり言っていた様な気がする。
しかし、自分の事をそんな風に思っていてくれたなんて…利吉は、不覚にも感動してしまった。
伝蔵が眠っている間、利吉は、雅之助に相談相手になってもらった。
【華燭の典】について調べる書物に関しても、雅之助は、大量の書物を扱っており、都合が良かったし…何より、沢山の月氏と取引がある為、かなりの情報通であった。
利吉は、自分にはない世界の広さを、いつも雅之助から感じていた。
最初、結界の様子を見てもらう為に、数回家に呼んだ。
それが…いつの間にか、毎日の様に現れるようになり、部屋に私物を持ち込んで、そこにいるのが当たり前になっていた。
約束をした訳ではなかったから、いつも文句ばかり言ってしまっていたが…。
素直に認めたくない気がしたが……正直、月氏にとっても短くない5年もの日々を恙無く待っていられたのは、雅之助のお陰だった。
雅之助が、それを『楽しい』と思っていてくれた事が嬉しかった。

利吉と雅之助。
笑い合う2人を見て、伝蔵は…父親としての仕事が終わってしまった事を理解する。
本当に利吉は、独り立ちしてしまったんだな…と。
それを残念に思う自分は、勝手な父親だと思う。
自分が守るべき、一番の相手は…既に利吉ではないのだから。


「しかしなぁ〜これからが、大変かもな…伝さん」
雅之助が、ぽつりと呟く。
「あんた、派手に復活し過ぎ。【華燭の典】を成功させたことも、そのうち知れ渡るだろうなぁ」
「嫌なことを言うな…」
折角のいい気分に、水を差さなくとも良いだろうに…。
伝蔵は、否応なく出されるであろう『ちょっかい』に、溜息を1つ。
月氏の一族は、独立心が強いのだが、虚栄心も重ね持つ。
誰か1人が持つ能力…などというものを歓迎しない節がある。
まして、伝蔵は…何処の組織・傍系血族からも離れている。
今までは、その能力の高さは知られていたが、人間社会に近づき過ぎている「変わり者」として、その『ちょっかい』からは逃れて来たのだ。
「伝さん…すっかり伝説になってるからなぁ…」
「それって問題あるんですか?」
月氏としては、まだまだ若い利吉は、自分達が一番だと思っている者の強欲さを知らない。
伝蔵が利吉を独立させられない…と思っていたのは、その心配も大きかったのだ。
「火の粉が一杯飛んでくるぞ。あぁ、利吉の事は、わしに任せて貰っても良いから。こいつ、結構使えるし…」
「結構…って失礼な。何勝手な事、言ってるんですか?!」
「なんだぁ〜利吉。新婚家庭に居座るつもりか?」
「し…新婚家庭って…」
利吉は不意に、思い知らされた。
【華燭の典】の儀式が、人でいうところの『結婚』である事に…。
利吉は思わず、ベッドで眠っている半助に視線をやり、赤面した。
「わしらの事なら、気にするな…利吉」
「伝さん、青少年に『気にするな』ってのは、無理だって…」
雅之助は苦笑する。
「なぁ、利吉。お前さえ良かったら、本気で…うちの店の手伝え。」
「え…?!」
雅之助が、伝蔵の家に居座っていた為、利吉も雑用をさせられていた。
それは、外界との接点の少なかった利吉にとっては、新鮮で、中々楽しかった。
「悪い話しじゃないだろう?それに…いざって時は、わしが利吉を守ってやるから、伝さんは、その…『お嫁さん』をしっかり、かまってやれよ」
雅之助は、ニヤリと笑った。これは…色々と含みのある笑み。
「『お嫁さん』…ってなぁ」
その表現には、流石の伝蔵も、言葉に詰まった。
利吉は、しばらく考え込むようにしてから、ゆっくりと雅之助に向き合う。
「あの、連れて行ってくれなかった仕入れにも、同行させてくれますか?」
「あぁ…必要ならな。タダ飯食わすつもりはないから、今までより、しっかり働いてもらう」
「…だったら、良い機会かもしれない。」
利吉の瞳がキラリと輝きを持つ。
「父上、私…雅之助の所に行きます。だから…父上は、この人を幸せにしてあげて下さい。」
「利吉!それでは…」
伝蔵は、声を荒げた。
それではまるで、自分が半助を選んでしまったが為に、利吉を追い出すようではないか…と。
「違いますヨ。私が行きたくて行くんです。父上が居ない間、雅之助のやってる仕事を少し手伝いました。持ってる本や知識…色々な事に興味があるんです。」
利吉は、嘘を付いているようには見えなかった。
しばらく考えた後、伝蔵は問う。
「行くからには、本気でやる覚悟はあるのか?」
「はい」
決意を含んだ、凛とした返事だった。
雅之助は、伝蔵の事を誇張して誉める傾向があるが、彼自身も十分な有名人だ。
月氏の世界の異端児と言える。
今まで、月氏と、そして人と関わり合って、商売をしようとした者など居なかった。
それを成功させ、一見、飄々と生きているのだ…この大木雅之助という男は。
「やりたいのなら、止めないが…中途半端なことはするなよ」
「はい。父上」
利吉の目には希望があった。
伝蔵は、反省する。
利吉を育てるのに、狭い世界に閉じ込め過ぎていたのかもしれない…と。
籠の鳥は、自由に飛び立つことを強く願う。
それが、利吉の選んだ道なら、自分はそれを見守るしかないのだ。
親というのは、それしか出来ないものなのだと…伝蔵は自重した。
「雅之助、利吉を頼んだ。」
「あぁ、任された。伝さんに頼み事をされる月氏なんて、滅多に居ないだろ〜からな。光栄でございます。わしと、利吉の間がどうなっても、一切文句はナシだぞ」
「何言ってるんですか!馬鹿な事言わないで下さい。…父上、ありがとうございます」
軽口ばかり叩くが、雅之助は信用に足る月氏だ。
既に、いい関係が出来上がっている様で、伝蔵は安心する。
「おぉ〜っと、じゃあ…わし、抜け出して来たんだった。戻らんといかんな…」
「え、急に何を言ってるんですか?」
「おい、利吉、お前も来い。荷物は、おいおい運べば良い。今は急げ…」
「えぇ、あ…はい。」
付いてこいと言われて利吉は、何とも嬉しそうだった。
バタバタと、慌ただしく2人は出ていく。
こんなに慌ただしく出て行かなくても…。
伝蔵は、そう思いながらも、事が進展する時は、こんなものだ…とも思う。
そして…
一応、見送った伝蔵は、部屋を見て絶句する。
自分の家に見たこともない、胡散臭いモノが、大量に持ち込まれていたのだ。
「本当に、雅之助は、ここで仕事をしてたのか?」
伝蔵は、家の状況を見て、独り言を言わずには居られなかった。
「さっさと、片付けさせんとな…」
ブツブツと文句を言いながらも、
前途洋々たる息子の門出に、幸多かれと、祈らずにはいられなかった。


そして、今が己の新たなスタートでもある。

伝蔵は、自分の部屋に戻ると、規則正しい寝息を立てる半助を見詰めた。
そこだけが静寂に包まれ、平和の象徴のように思えてくる。
目が覚めたら、まず何と言ってやろうか?
今までの人としての人生全てを捨てさせ、【月氏】の時間軸へと引きずり込んでしまった。
その人として永久にも感じる時間、決して1人にはしない。
…共に過ごそう。

そう誓う伝蔵は、自然と込み上がる笑みを堪える事が出来なかった。



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