血の連鎖

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22・覚醒

伝蔵と半助が結界から出て、数日。
半助は、依然…眠ったままだった。
雅之助と利吉が、慌ただしく荷物を運び出す喧噪も、半助の耳には届かなかった様だ。
時々、寝惚けたような半覚醒の状態になる事はある。
しかし、【月氏】…何より、伝蔵のパートナーとなった土井半助として、まだ何の言葉も交わせてはいなかった。

―はい。私も、山田先生とずっと…ずっと一緒に生きていきたいです。

伝蔵の耳に残るのは、半助の誓いの言葉だ。
そう告げる瞳には、強い意志…そして、願いが込められているように見えた。
あの後、不覚にも伝蔵は意識を失ってしまったようで、そこで記憶が途切れている。
安心して、張り詰めていた気が緩んだのだ。
一時は、全てを失う事を覚悟した。
与える…などとはおこがましい。
半助の生きようとする意志に、吸い取られるかの様だった。
しかし、どこかで頼もしいとも感じた。
人から異形の者へと変えられる…それを受け入れる柔軟な魂。
伝蔵と共に在りたいと強く願う、純粋過ぎる愛。
言葉にするのは簡単だが、種族までをも越えるそれを、伝蔵は半助以外から感じた事はない。
土井半助…流石、自分が選んだ唯一無二の存在。
だからこそ、伝蔵も同じものを半助に捧げたのだ。
…命を掛けて。

次に目覚めた時…
伝蔵から半助への、一方的な気の流れは止まっていた。
半助の中に、【月氏】としての気が満ちたのだ。
半助は、伝蔵の腕の中で、穏やかな表情で眠っていた。
死の影は…もうどこにも見えなかった。
「……良かった」
半助は、生まれ変わった。
人から【果実】…そして、【月氏】へと。
伝蔵と共に生きる…その為だけに。
そして…
そんな半助を見ていられる……自分は健在なのだ。
大半の精気を失ったように思えたが、現状…以前の己と比べても、その能力に何の遜色もないと言える。
正直、全く恐ろしくなかったと言えば、嘘になる。
しかし今はこうしていられる。
そして、
これからも、ずっと…。
伝蔵は、無意識に半助をグッと抱き締めていた。

伝蔵は、最後の賭けに勝ったのだ。



「…半助」
何となく、名を呼んでいた。
早く、自分の伴侶となった半助の声が聞きたかった。
それは、結界から出て以来、毎夜繰り返されていた事だが、今夜は…今までと少し違う。
雅之助の荷物が粗方片付き、利吉が完全に旅立ったと言える今夜は、初めての2人きりの夜なのだ。
伝蔵は、半助の傍らに共に横たわり、その身体を抱いていた。
「半助、今日からは…本当に2人きりになったぞ」
心無し、半助に呼びかける声は、熱を帯びていた。
半助は、決して悪い状態ではない。
まだ眠りに落ちてはいるが、その気は、確かに【月氏】のもの。
派手ではないが、しっかりとした気を纏っている。
しかし、人間から【果実】…そして【月氏】への変化は、あまりに急激で、半助には肉体的・精神的に大きな負担を掛けたことは、想像に難くない。
伝蔵は、自分以上に半助の回復に時が掛かるのは、無理ないことだと思っていた。
「半助、」
しかし、呼びかけずにいられなかった。
それは、自分の為か…。
半助をその胸に抱いていると実感できる…その感覚を、享受したいのだ。
こうして…半助を見詰めていられるのは、再会して…初めてかもしれない。
すっかり大人になっていたと思ったが、抱いて見ると、案外に腰回りが華奢なのに驚く。
あまりに熱い瞳に押されてがちだが、閉じられた瞳を覆う睫毛は、意外に長い。
特別に美しいという訳でもない青年から、妙に感じる色香は何だろう?
半助の持つ空気感が、雰囲気が…何とも、そそるのだ。
不意に……背筋をブルリと震わすモノが、駆け抜けた。
それは、消えるどころか、重く蟠る。
再会した時に感じたのは、【果実】に対する【月氏】の本能だと思った。
しかし、今や【月氏】となった半助にも同様の、否…それ以上の衝動を感じる。
伝蔵は、自分が半助に欲情している事を、はっきりと自覚した。

最初は、助けてやりたい…と、思った。
子供だった半助に、独りで生きていく道標にでもなれば…と。
初めて、伝蔵の心を掻き混ぜた【人間】だった。
次に逢った時は…衝撃だった。
半助だと…すぐに分かった。
こんな風に時を開けて、同じ【人間】と関わる事は殆ど無い筈だった。
確率的に有り得ない事だった。
――や、山田…せんせい
半助が、自分の名を呼ぶまで…何処かで、信じられなかった。
そう呼ばれて、自分がどれ程…この【人間】に捕らわれていたのかを思い知らされた。
気の迷いだと、思いたかった。
いっその事、目を背けたくなる程、酷い【人間】に成長してくれていたら…。
半助の変化は、全く違った方向で、伝蔵を驚かせた。
こんなに伝蔵の心を惑わす【人間】が…よりにもよって…【果実】になっていようとは。
もう逢わないようにしなければならない…と、心の中で何かが警告していた。
そうで無ければ、完全に捕らわれるしかない。
利吉が、半助を連れて来た時、情けなくも抵抗した。
それは…何に対する抵抗だったのか?
今に思えば、笑い話だ。
その、往生際の悪い抵抗も、半助は自らを顧みることなく乗り越えてきた。
あの時…。
利吉が…半助の唇を奪った時。
利吉を諫めるのに、何も利吉を投げ飛ばす必要は無かった。
頭が真っ白になる程の感情があった。
理屈抜きに、手が出る程…。
それは、今に思えば…醜い嫉妬。独占欲だ。
利吉の言い分は尤もだったが、根底にあった怒りはそれだ。
自分に逢いに来たのだから、半助にそれをして良いのは自分だけだ…と。
そんな事を思いながらも…自分が、1人の人間に捕らわれるのは恐怖だったのかもしれない。
半助の為にならないなどと、色々理屈を並べてみたりもした。
しかし、初めから…自分の想いに、抵抗など出来る筈がなかったのだ。


カーテンの閉まっていない窓からは、満月に少し欠けた月が見える。
太陽の様に全てを暴き出す光と違い、月光は優しく半助を照らし出していた。
欲望は理性で押さえ込み、気が付くと仰向けから横を向いてしまう半助を、静かに抱いていた。
側に居ると、自分の気と半助の気が共鳴して…何とも心地よかった。
こうしていると、半助の気が少しずつだが、高まっていく気がする。
考えてみると、結界を出て以来、こうして身を寄せ合うのは、久しぶりかもしれない…。
それは、いつ訪れるとも知れない、雅之助や利吉への配慮だったのか?
むしろ、照れだったろう…と伝蔵は、悔やんだ。
「半助、側に居てやれなくて、すまなかったな…」
話し掛けながら、半助の前髪を優しく撫でる。
その時だ。
ピクリと、半助の身体が震えたのは気のせいか?
「半助?半助、目が覚めたのか?」
思わず声が大きくなってしまった。
伝蔵の呼びかけに、うぅ〜ん…と、半助は呑気な呻きを上げる。
無意識にか、胎児の様に身体を縮こませ、一転伸びをする。
そして……その瞼がゆっくりと開く。
半助は、まだ何処にいるのか理解していないように、視線を泳がせる。
しかし、半覚醒の時の虚ろな目とは違い、半助の瞳でハッキリと伝蔵が像を結んだ。
「や、山田先生…」
伝蔵に目を留めると、ふわりと笑った。
伝蔵は、その笑顔に釘付けになってしまった。
惚けた様に、半助を見詰める伝蔵。
その近過ぎる距離感に、半助は遅蒔きながら、自分が抱き締められている事に気付くと、頬を赤く染めた。
「山田先生?」
戸惑う半助の声に、伝蔵は我に返った。
「半助…何処か、痛む所は無いか?」
「はい。大丈夫です。先生は…」
そこまで言って、半助は眩しそうに目を細めた。
「気がキラキラして…眩しい位です」
「分かるか?」
分からない筈は無い…と半助は思う。
今までとは、見え方が全く違っていた。
いつの間にか、結界から出て、伝蔵の部屋に寝かされている事にも、半助は驚いていた。
何度か見たことのある伝蔵の部屋だったが、そこに意味がある事も見て取れた。
伝蔵との気の相性が良いのか、足下から温かいようなエネルギーを感じる。
今まで見ていたモノ全てが…違って見えた。
それは、二次元から三次元に飛び込んでしまったかのような、劇的な変化だった。
半助は、自分の両手をマジマジと見詰める。
伝蔵と繋がっていた穴は既にない。
「私、本当に…【月氏】になれたんでしょうか?」
「わしには、立派な【月氏】に見えるがな。ただ、違ったとしても…お前が、こうして生きている。それだけでも十分だ」
伝蔵は、半助のこめかみに、閉じられた瞼に、鼻に…順にキスを落とす。
その存在を確認するかのような行為だった。
待ちきれないように、半助が、山田先生…と呟くのを吸い取るように、それは唇に辿り着いた。
触れるだけのキスが、思いを込めるように深くなる。
「…ぁん」
唇が離れる瞬間、半助から名残を惜しむ声が上がる。
「前も…夢じゃなかった。山田先生とのキス…」
その感触を確かめるように、半助は自分の唇を人差し指でなぞる。
「あの時、先生から初めて…してもらったから、帰ってこようと思えたんです。もう一回してもらおう…って。」
半助は、クスリと笑った。
「もう一回…キスし…」
半助のお願いは、伝蔵の唇に塞がれ、吸い取られる。
何度でもしてやる。
これから…何度でも。
伝蔵は、想いを唇に乗せた。

半助は、息が上がりそうだった。
リクエスト以上のものを伝蔵は与えてくれた。
半助の反応を確認するように、その唇は全身に降り注いだ。
そして時折、うっとりと甘い声で囁く。
「お前は、どこもかしこも甘いな…」
そう言いながら、伝蔵の手が半助の全身を優しく愛撫する。
「そ、んな…」
半助は欲情に潤み出す顔を隠す様に、伝蔵に縋り付いた。
伝蔵が、自分を求めてくれているのが感じられる。
全てを叶えてあげたかった。
伝蔵は、半助の望みを叶えてくれたのだから…。

「夢…みたいです。」
半助は、まだ酔っていた。
伝蔵という存在に。
その人に甘やかしてもらうことに…。

「夢じゃないさ。これからは、ずっと2人だ…」



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