血の連鎖

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25・可能性

「…って言うか、むしろ普通の【月氏】と違う、『規格外品』だ」

「規格外…品。」
半助は、雅之助の言葉を、思わず復唱していた。
まだまだ一人前じゃないのは分かっていても、『規格外』だと…ハッキリ言われては、動揺を隠せなかった。
そもそも半助は、目覚めたばかりで【月氏】のこと自体を良く知らないのだ。
知っているのは、伝蔵が…【月氏】だということ。
そして…自分が人では、なくなったこと。
それは、つまり【月氏】になったという事ではなかったのか?
伝蔵は、立派な【月氏】に見える…と言ってくれた筈だ。
なのに…こうして第三者に『規格外』という言葉を突き付けられると、お前は伝蔵の仲間にはなれない…と宣告されたようで、胸がざわつく。
深く沈み込んでしまいそうな心を支えてくれたのは、半助の手をしっかりと握り返してくれた、伝蔵の温かい手だった。
「とは言っても…あんたの中に、ハッキリ伝さんと同じ精気を感じるから、人間とも【果実】とも違うのは分かる。だが…だからと言って、他の【月氏】と同じ能力を持っているとは限らんだろ?それは、まだ誰にも分からない……伝さんにもな」
半助は、驚きに伝蔵へと視線を移していた。
伝蔵は、眉間に皺を寄せ、ぐっ…と目を閉じていた。
その表情で、雅之助の言葉が正しいことを知る。
伝蔵に任せておけば、万事上手く行くのだ…と半助は思い、疑いもしなかった。
「伝さんとあんたが儀式に入っている間、利吉と資料をかき集めてみたが…【果実】から【月氏】になった者の事はおろか、【華燭の典】自体の記録が…皆無に近い。」
「…皆無?」
「そんな状態で…やろうと思った伝さんには、もぅ脱帽だ。方法も漠然とした記述しかないし、そもそも成功例があったのかどうかも疑わしい…そんな儀式なんだヨ、【華燭の典】は」
「そんな…」
「…これを記録しておけば、後々の役に立つこと受け合いだろうな」
小声でブツブツと呟きながら、雅之助の瞳がキラリと光る。
近くに利吉が居たら、その目は…商売の種を見付けた時の輝きだと見抜いただろう。
伝蔵は覚悟を決めた様に、その強い意志を持つ瞳を半助に向け、告げる。
「正直、何もかも…手探りだった。事後報告でスマン…半助。」
半助は、この時初めて、伝蔵の中にも不安があったことに気付いた。
ましてや、朧気にとは言え知識があった分、失敗する可能性を考えずにはいられなかった筈だ。
半助は、静かに首を横に振っていた。
「……謝らないで下さい。そんな必要ない」
感謝こそすれ、謝られる謂われは全くない。
放っておけば、死んでいた命だ。
例え、儀式の方法が間違っていて、自分に何かが起ころうとも構わなかった。
(そう言えば、既におかしい部分があったっけ…。)
半助は、昨夜の情事で…女のように濡れた自らの身体を、思い出す。
それを考えると、己の異常さ・はしたなさに…目眩がする。
しかし、それも詮無い事だ。
伝蔵が良いと言ってくれるなら、それで良いのだ。
他の誰に見せる訳でなし…。
半助は、自分の身体がおかしかったのは…相手が伝蔵だったからこそだ、と思いたかった。
そして…【華燭の典】を正しく行える確証を持たずに実行に移した伝蔵が、不安を抱いていると知った今…半助が、いつまでも気にすることで、伝蔵に掛ける負担を増やしてしまうように思えた。
既に1つ、【月氏】とは異なるらしい…半助の身体の欠点を知っている伝蔵。
彼の事だ…責任を感じて、半助に対し過保護になるのは、当然なのかもしれない。
「わしが言いたいのは、そんな儀式を経て生まれたあんたが、丈夫じゃないだろう…って事だ。」
あの事を知らない雅之助までが、そんなことを言う。
「言っとくが、月氏には病院なんてものは無いからナ。怪我は舐めりゃあ治るし、酷いダメージを受けた時には、【華燭の典】の時と同じ様に、眠りに入って自己治癒力に任せることになる。」
「私……そんなに、か弱く見えますか?」
半助は、雅之助に思わず聞いていた。
確かに、自分でそんな風に治療が出来るのか分からないし、【月氏】から見たら、何も知らない自分は頼りなく見えるだろう。
しかし、半助も本当に体調が悪ければ、無茶はしない。
初対面に近い雅之助にそこまで言われる覚えはない…と、反論したくなったのだ。
「少なくとも…そんなにキスマークを残した身体じゃ、説得力はないわなぁ。」
「キ…」
半助は予想外の反論に、目に見えて赤面した。
「…雅之助!」
伝蔵も、雅之助を諫めるように語尾を荒げた。
状況的には、原因と結果が寄り添っているのだから、半助の恥ずかしさは、いや増す。
「誤解するなヨ。キスなんて可愛らしい名前は付いているが、要は皮下出血…痣だからな。そんな跡もそのままで、直せないのなら、自己治癒能力を疑いたくもなる。」
「……っ!」
半助は言葉を失った。
キスマークが、まるで異常の証拠のように言われて…。
これは、そんなものじゃない。
自分は先程、同じ跡を見付けて…幸せな気持ちに浸ったというのに。
半助の中で一瞬高まった自尊心が、憂鬱に沈んでいく。
「実際、こうして倒れているだろう?さっきも伝さんが居なかったら…」
「もう良い。…雅之助」
伝蔵がゆるりと、言葉を遮る。
「別に、虐めてる訳じゃない。」
しかし、雅之助の語気は緩まなかった。
「自分の状態が分かっていない相手じゃ、伝さんも労りようもないだろ?まぁ、精気のコントロールは慣れだろうが…」
雅之助の話術は、真剣とジョークの間を境無く揺れ、人を惹き付けるようなリズムがあって、淀みなかった。
「少なくとも、相手が誰かも分からない状況で、さっきみたいに突然、姿を見せるもんじゃない。伝さんも…愛しい半助の事となると、冷静じゃなくなるようだし…わしは、山田伝蔵のファンだからナ。伝さんの【華燭の典】のお相手には長生きして欲しいのサ。出来たらずーっと。」
その語気が時々強まるのは、半助の無知・無自覚に対する怒りなのかもしれない…と、半助はぼんやりと思う。
そして…雅之助が軽口を叩きながらも、伝蔵を慕っているのが伝わってくる。
そんな雅之助が言うのだから、半助は肝に銘じようと思った。
「何せ、土井半助は……山田伝蔵が命だけじゃなく、五年もの時間を掛けて育んだ、大切な『規格外品』だからな。」
「ご…五年?」
半助は、耳を疑った。
あの時の絶望……死を覚悟したのは、確かに遠い昔の様に朧気な記憶になりつつある。
しかし実際に、それほどの時間が経過していたとは…全く実感が伴わない。
「それに…全くコントロールは出来てないようだが、さっきの気の高まりは本物だ。立派♪立派♪」
雅之助はからかう様子から、不意に真顔になった。
「それに……規格外な分、他の【可能性】を秘めているって事か…。案外、もぅ伝さんには、その心当たりがあるんじゃないか?」
なぁ…伝さんと、同意を求め、ニヤリ…と笑う雅之助。
半助はその笑みに、含みを感じたが、伝蔵は雅之助に目を向けており、その表情は読みとれなかった。


伝蔵は、雅之助を追い出す為、見送りに部屋を出る。
帰り際、じゃあ、またな〜と、手を振る雅之助は、言いたいことを言ってスッキリしたのか、晴れ晴れとした顔をしていた。
一方、一人部屋に残された半助は、余りにも一度に沢山のことを知らされ、混乱していた。
目の前に、自らの手を翳して見ると、蛍光灯の光とは違う流れが見える。
精気が身体中を流れ、それを感じる事が出来る。
その変化があまりに劇的だった分、それだけで…【月氏】になれたと思い込んでしまった。
…自分が、早計だったのだ。
でも、あの時は、伝蔵とのことで…半助の許容は一杯一杯。他に意識が回らなくても仕方がない。
(これから……ボロボロと欠陥が見付かるかもしれないな)
今、この瞬間にも、残念でしたぁ〜と、精気の流れが止まってしまうかもしれない。
それが、全く恐ろしくないと言えば嘘になる。
しかし…
半助は驚く程に冷静な自分に驚いた。
半助の中に、揺るぎない意志があるから。

『規格外』と呼ばれ、他の【月氏】と同じではないかもしれない。
例えそうだとしても、こうしている今、自分の中には…確実に伝蔵の精気が存在している。
あの…胸の奥にある馥郁(ふくいく)とした泉は、そのイメージなのかもしれない。
今はまだ、人間が血液の流れをコントロール出来ない様に、どう扱って良いものなのかは、分からない。
一寸波立っただけでパニックになってしまったが…あれは、これからずっと自分の中にあるものだから、すぐにでも、一人で制御する方法を身に付ける必要があると思う。
それが出来ないこと1つとっても、自分は…かなり危なっかしい存在だ。
しかし…そんな状態でも、目覚めてから…人とは違う感覚で、ハッキリと伝蔵の存在を感じる。
半助は……死をも覚悟したのだ。
伝蔵の与り知らない所で、独り孤独な死を迎える筈が…生きている。
しかも、その傍らには、山田伝蔵が居る。
それだけでも、代え難い僥倖なのだ。

今更ながら…半助は、初めて利吉と遭遇した時の事を思い出していた。
普通【月氏】にとって、人間は餌なのだ。
【果実】と言っても、餌という前提は変わらない。
それを仲間にしようだなんて…全く、酔狂なことなのだろう。
まして、失敗などしたら、意地でも周囲は記録を残すことはないだろう。むしろその存在自体を消してしまいたがるかもしれない。
そんな儀式を、伝蔵はしたのだ。
自分の命を助ける…ただ、それだけの為に。

その瞬間、半助の中に沸き上がった感情を…なんと表現すれば良いのだろうか。
喜び、感動……どんな言葉も陳腐に思える。
魂の根幹から、狂喜に打ち震える感じ。
かつてそんな激情に襲われたことはなかった。
「…山田先生」
その名を口にすると、じんわり…と心に染みる。
「何だ?…半助」
いつの間にか、伝蔵は戻ってきて、半助の傍らで微笑んでいる。
自分の名を呼ぶ伝蔵が居る。
そんな事にも…半助はまだ慣れない。
身体の温度が、急に上がった気がした。
それは表面的なものではなく、身体のずっと奥。
あの精気の泉のようなところが…じわじわと熱に侵食されていく。
先程感じた、ぱちゃぱちゃとした、さざめきとは違う。
粘性を持った熱は濃密で、半助の胸を焼くようだった。
「あ…っん」
半助の口から漏れ出た声は、半助自身の耳にも、いやらしく響く。
「す、すみません…私…」
半助は、その声で自覚した。
全身が……伝蔵を求めているのだ。
気持ちが、精気を、全身の熱を沸き立たせている。
それが、上手くコントロール出来ずに暴走を始めてしまった。
このまま、じっと伝蔵に見詰められていたら、何も話せなくなりそうな予感。
半助は、それから目を反らす様に、早口で告げる。
「大木さんに言われるまで、【華燭の典】のこと、甘く見てました。それに、山田先生が一緒なら、私にも…何でも出来るんじゃないか、と思ってしまって…。これからは、【月氏】や自分の身体の事、色々分かるまで……安静に、先生の仰るとおりにします。」
半助は、弱々しく笑う。
「勝手ばかり言って、すまない…そうして貰えると安心する。」
「私こそ…足手まといですみません。」
「……馬鹿を言うな」
そんな事はない…と伝蔵は、半助に自らの手のひらを見せた。
「コレが…見えるか?」
突然、何をしようとしているのか分からない半助だったが、伝蔵の手のひらの丁度真ん中辺りに、精気が集まっているのが見えた。
「あ…精気が、集まってる?」
「あぁ。さっき、お前からもらった精気だ。」
「私の?」
あぁ…と、半助は先程の件を思い出す。
波立った気を、静めて貰ったときのものだ。
思い出すだけで…伝蔵が、気脈に触れた瞬間の心地良さも、同時に蘇り、目の前にトロリと膜が張る。
「こんな凄い精気は、そうそう無い。あんな僅かで…人一人分の精気に匹敵する程だ」
「そんなに、すごいんです…か?」
半助は、必死に会話を続けようとする。
手のひらで集まった気は、僅かな間に、半助の目の前で紅い小さな結晶になった。
伝蔵は、それをベッドサイドの机の上へと置く。
こんな風に…簡単に気が固化するなんて、普通は考えられない事だ。
半助の精気が、それ程の濃度と質を持っていたからこそ、出来たと言える。
それが、どれ程凄いことなのか…。
「あぁ、そうだな…」
伝蔵は、どう説明すれば分かり易いのか…一瞬、思案した。
それを見ていた半助は、何かに思い当たったのか、ふわり…と微笑んだ。
「こうして話していると…昔を、思い出します。また…色々教えて頂けるなんて、やっぱり『山田先生』です。」
半助の口から零れる「山田先生」という言葉は、特別な響きを持って伝蔵の耳へと届く。
伝蔵は、それが妙に、くすぐったかった。
「……全く、可愛いことばかり言う」
思わず…半助の唇に口付けを落としていた。
「…な」
半助が必死に、会話をするために、堪えていたもの。
それが…キス1つが呼び水になった。
何せ、山田伝蔵からのキス。
半助は、例の泉から必死に意識を逸らしていたのに…。
伝蔵からの接吻一つで、半助の精気は沸点を越え、身体は暴走する。
「あぁ…っ、ゃ…山田、先生っ」
今の半助に、何か説明をするのは無理そうだった。
伝蔵が自ら台無しにしてしまったのだ。
虚ろになりがちな半助の瞳で、伝蔵には半助の状況が分かっていた。
それに…
半助から…なんとも言えない、良い香りが漂い始めていた。
「まずは…精気のコントロールの仕方から、覚えんとな」
「ゃ…山田、せんせぇ…っ」
半助は、伝蔵に両手を差し伸べた。
もう限界だった。
「毎回は…流石に、不味かろう」
伝蔵の言葉が、半助の耳にぼんやりと届く。
半助の中で、あの身体の奥の泉が、温泉の源泉の様に煮え立って、その熱は全身に広がっていた。
その出口は、欲望の形で、半助の下肢に集まっている。
「…もぅ、止まらない」
そう囁く半助は、堪らない色香を放っていた。
半助の煮え立つ精気と、同じ型を持つ伝蔵の精気が…簡単に共鳴を始める。
伝蔵はパジャマに手を掛けると、半助の身体のあちこちに散っていた跡が、いつのまにか消えている事に気付く。
まるで、新しい跡を付けて下さい…と言わんばかりに。
伝蔵は、その欲望に素直に従った。



また、ろくに会話をしないまま、身体を重ねてしまった。
伝蔵は、ベッドで眠っている半助を見詰める。
初夜の激情から一夜明け、雅之助と言い合うことで、伝蔵は冷静になれたと思う。
――半助の身体のこと。
――そして【月氏】としての能力のこと。
雅之助に言われるまでもなく、伝蔵は考えていた。
その上で、半助には何の憂いもなく、穏やかに過ごして欲しかった。
だからこそ、【華燭の典】の不確定要素に関しては、秘密にしようとしたのだ。
あんな形で、半助に知られる事になってしまったが…雅之助の言う事にも一利ある。
半助が、意外な程…冷静に受け止めてくれた事で、安心した。
精気のコントロールについては、最初に色々教える必要がありそうだが…。
しかし、それ以外は、精気も自然と定着したようだし、【月氏】として不安材料は少ない。
自己治癒能力も、心配いらない事が分かった。
それより、むしろ……雅之助的に表現するなら【可能性】か。

昨夜は気付かなかったが、半助から…良い香りがする。
それは、性的な衝動に駆られた時に起こる現象のようだが…。
そして、欲望に濡れる身体。
2つが揃っては……そう考えるしかない。
伝蔵は、ベッドサイドに置かれたままになっている紅い結晶を見る。
半助から搾取した、ほんの少しの精気から作った…と、いうより生まれたと言っても良い程、簡単に固化した…結晶。
半助には、意識の無いまま【果実】として、伝蔵の精気を精製していた時期があった。
そのため伝蔵は、【果実】の精製した精気は知っているし、判別出来る。
しかし、今日のものは、【果実】の作り出す精気とは明かに違う。
むしろ…遙かに、それを凌駕する質だ。
伝蔵が考え違いをしていなければ…間違いないだろう。

半助は、【月氏】でありながら……【果実】の能力を持っている。
それだけでも信じがたいことだと言うのに…
【果実】より、遙かに良質な精気へと、精製する事が出来るのだ。

「わしは、もの凄いパートナーを得てしまったのかもしれんな…」

同時に想像する。
同族の者達は、半助をどう思うだろう。
普通に考えれば、プライドの高い彼らの事だ…元人間と見下すだろう。
しかし、半助にそんな能力があるとしたら…。
半助を、己が者にしようとする輩が現れても不思議じゃない。
「この事は…周りには、秘密にした方が良いだろう…な」
伝蔵は、一人呟く。

「半助には、しばらく不自由してもらうようだ」

同族共の反応を見るまで間…などと、期間を考える。
しかし、それが2人にとって『蜜月』であることに、変わりはない。



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