「死後の生活の説明をしてください」の質問と答え


死んだらどうなる?Q&A』の著書の最初に、死後の生活の説明をしてください、という質問があります。そのアンサーの文章には、超常識的な表現があふれています。
でも、私も含めて著書でしか、或いは全く著者の存在を知らない人はアンサーの内容に驚くことになります。というか、一般常識にはない解説なので、信じられないと無視されるレベルかもしれません。

でもその反面では、本当は誰も語れない、答えられないことを解説している貴重な内容という理解が成り立ちます。
著者が伝えたいことは、死後の世界は絶対に存在する、と知ることのメリットであり、守護霊様が存在しているので、死を恐れなくてもよいという救済の道理だと思います。

というわけで、この世的常識と著者の体験や解説との間にある見えないギャップ等は埋まるのか、考えてみたいと思います。


下記は五井昌久氏の著書 『死んだらどうなる?Q&A』 からの一部抜粋です。


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『死んだらどうなる?Q&A』 著者・五井昌久

Q: 死後の生活を説明してください
A: まず私の体験として、死後の世界が絶対に存在するということを、最初に一般読者に申し上げます。
死んでしまったらもう終わりだという考え方が、まだ圧倒的に多い世の中ではありますが、私たちにとっては、死後の世界は、この肉体世界以上に、はっきりした存在であることが確実なのであります。
死後というより、この五感に感じられない世界が確実に存在するといった方がよいでしょう。
いつも申しておりますように、大きく分けて、幽界、霊界、神界という世界が、肉体界と異なる世界として存在することは事実なのであります。(中略) 

死んでしまったらもう終わりだという考え方が、まだ圧倒的に多い世の中ではありますが、私たちにとっては、死後の世界は、この肉体世界以上に、はっきりした存在であることが確実なのであります。
死後というより、この五感に感じられない世界が確実に存在するといった方がよいでしょう。
いつも申しておりますように、大きく分けて、幽界、霊界、神界という世界が、肉体界と異なる世界として存在することは事実なのであります。
(中略)

しかし、絶対神は、すべてのすべてであるが故に、個体としてその姿を現されることはありません。
それ故、人間世界には、守護神、守護霊をして、守らせ指導するような方法がとられるのであるのです。
最も微妙である守護神と人間の心の波長を合わせることより、自分に身近い守護霊に波長を合わせることの方が、肉体身にとってはずっとやさしくて、早い時間で出来るのです。
(後略)


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上記の文章でアンサーの冒頭に、“
まず私の体験として、死後の世界が絶対に存在するということを、最初に一般読者に申し上げます。という記述があります

これは本当は衝撃的な表現です。でもその重要性に気づかずに普通に読み流していました。
ところが、よく考えると、”私の体験”から得た答えが、”死後の世界が絶対に存在する.”.と読むことができます。
ということは、私の体験とは、「死」を体験した、という意味になります。
そういう前提があってのアンサーであることを、読者にまず先に伝えます、と読めるのです。
「死後の世界は絶対に存在する」と断言する言葉の重みは責任の重差でもあります。そのことについては、著者は十分に承知の上での解説であることになります。

著名な人が、死後の世界にはまだ行ったことがないからわかりません、答えるのを聞いたことがあります。それがこの世的模範解答である訳です。それでは全く疑問の解消にならないはずですが、納得しているというか、納得するしかないようです。

そういう納得とは全く違う違う納得を提供しているのが、 『死んだらどうなる?Q&A』のアンサーだと思います。信用できる答えであることを明示している訳です。
でも、この世には、死後のことを学ぶとか語るという常識はありません。死後の世界は存在するかも知れない、と可能性を肯定することもできません。誰も確信がないからです。まして絶対在ると断言出来る世界ではありません。
なので、五井昌久氏の、常識をはるかに超えた解説を、受け入れる意識の余地がどれほどあるか、という聞き手側の問題があります。

等々、色々考え併せても、やはり結論は、著者は常人にはありえない事を体験した、つまり昇天(死)を実体験したのだと考えられます。ではそうした特異体験はいつどこで起きたのか。家族や周囲はそれを知っていたのか、等々疑問が起こります。

そのあたりの出来事については、著書の「天と地をつなぐ者」に記載されています。
自我(真我)が肉体を抜け、様々な階層を抜けて、神界に至り、直霊の本体と一体化する情景が画かれています。

でも著者の体験はすごすぎて、私達の理解がついていけません。著者である五井先生の人物像については、古くから先生を知る方々によって、「素晴らしい人物」の太鼓判が押されていて、本物の霊覚者であったことが語り伝えられています。

そこで 『天と地をつなぐ者』 を再読し、昇天体験と想われる個所を探してみました。
その結果、最終章の、「天と地ついに合体す」に、様々な不可思議な体験の様子が記述されていました。  後にも先にも聞いたことがないような、凄い体験談ばかりです。
たとえば、町を歩きながら想念停止(空観)の修行中、肉体も精神もまさに危険極まりない、ぎりぎりの瀬戸際まで追いつめられるという場面があります。
常人はけっして、安易に踏み込んではいけない、畏怖すべき見えない世界がある事になります。結果的に、精神と生命の両方がとられかねない壮絶な霊的修行を乗り越えたことが書かれています。

さらに著書を読み進めると、想念停止修行が完了した後、就寝前の瞑想時に常識では理解できない事が起こったその様子が著されていました。 直霊との一体化です。
その異変が起こることを指導霊は前日の瞑想終了後に著者に伝えたことが記されています。

吸う息がなくなり、吐く息だけが続いた、という表現があります。その状態が30分続いたと書かれています。意識を持ったまま、肉体生命が一度召されたとしか考えられません。
凡人には理解できない事ばかりなので、間違ったことを書きそうです。
著者の体験は、只々すごいです。

実際にどのような体験が描写されているのか、著書「天と地をつなぐ者」から
「天と地ついに合体す」の一部をお借りして、次頁に掲載することとします。

 
参考図書・著者 五井昌久 白光出版
 『天と地をつなぐ者』 『死んだらどうなる?Q&A』 

 
次頁
 「天と地ついに合体す」
「死を恐れないためのQ&A」