本心と良心について     


良心的、とか良心に恥じるという言葉があるように、良心は自分を正しく保つ心といえます。 損得を超えて、理性を働かせる抑制心でもあります。またやさしさや思いやりも、良心の働きということになります。
そのように良心と一口にいっても、いろいろな心の動きがそこには含まれています。その良心と似た言葉に本心があります。そこで良心と本心はどう違うのかという、ちょっとややこしいことを考えてみたいと思います。
本心という言葉は、本音という言葉と使われ方が似ています。良心に近い心が本心ですが、本心も本音も、時と場合によって変わる隠れた心という意味でつかわれると、良心とは違う意味になってしまいます。
そこで五井昌久氏の教えで使われている本心について、私が知る範囲での説明をしたいと思います。
五井昌久氏が説く本心は嘘のない心、真や善に沿った心という事では良心と同じです。それに加えて、本心とはその時々揺れ動く心ではなく、こころの奥の中枢にあって、宇宙生命の根源とつながっている働きであり、愛一元、光一元である事になります。
良心にも何段階もあるとすれば、.その段階の最も奥の心が本心ということになります。
嘘と本当は相対する言葉です。心にも本当と嘘があるように思いがちですが、嘘をつくのは心ではなく想念という事になります。
でもまだまだ本心の働きについて、具体的に認識されることはありません。そんな折、先日二宮金次郎の生涯を伝えるテレビ番組を見て、、一人の偉人の伝記の中に本心の働きが随所に輝いていることを感じました。
そして、偉大で高徳な功績を遺した人物の生き方にこそ、本心を生かすお手本があり、ヒントがある事を想いました。一人の高い人格者は単なる成功者ではなかったのです。
民衆が抱える困難な問題を解決してゆく開拓精神は、内在する本心の開発でもあり、持てる力を出し尽したからこそ、余人が真似の出来ない大きな功績と軌跡が残ったことになります。その二宮金冶郎物語の概略を以下に記してみます。

二宮金冶郎の生涯

二宮金次郎といえば、思い出すのはたくさんの薪を背にして歩きながら勉学の書を読む金次郎像です。その像は小学校の校門近くに立っていました。ということはその像の年齢設定は10歳前後ということになるのでしょうか。とにかく小さい頃から人一倍の勤勉さと勉学心で頑張り、その生涯をまっとうした偉大な人格者として有名です。でも詳しい伝記をほとんど知らなかった私は、とても興味深くテレビを見たのでした。
番組内容から知るその人間像は、恵まれた資質で努力を惜しまない人物という印象でした。幼い頃から青年期にかけても、大変な苦労に出会いながら、負けずに人並み外れて頑張った人でした。そして一生を通じて努力を重ね、多くの人を苦境から立ち直らせた功績が輝いているのでした。誰からも尊敬される偉人となる背景には、内在する資質の優秀さがある事を想いながらも、それを発揮できた意志力も並外れていることに驚嘆しました。

金次郎は江戸時代の終わりごろ地主の家に生まれましたが、五歳の時洪水が起き、それまで豊かであった田畑はすべて濁流に押し流され、石や土砂の下に埋まってしまいます。 そうした苦難に出会い、金次郎は自然災害の怖さを学びます。そして彼が十四歳の時、災害を乗り越えて再起するために命を賭して働き続けたお父さんが亡くなってしまいます。その二年後にはお母さんも亡くなり、子供達だけが残されます。
そのため家の田畑は売り払われることになり、金次郎は伯父さんの家に引き取られます。 両親を亡くし、弟たちとも離れて伯父さんの家に身を寄せるという苦境の中でも、金次郎は負けることなく、自立する日のために、人一倍働き、人一倍勉強します。
その苦労が実り二十歳になった時に、生まれた家に戻り独立することが出来ました。 というのが金次郎の青年期までの大まかな境遇です。

そこまでの生き方から、あらゆる逆境をその人並みはずれた努力で見事に克服した人であることが分かります。それだけでも凄いのですが、彼が残した偉業はそれ以後にありました。 
農業分野でその持ち前の努力と研究心勉学心を生かし、農作物の生産性を高めるという実践に成果を上げます。そして研究開発の知識を生かし、指導者としても人望を高めてゆきます。
更に金次郎は人の気持ちの機微を見通す人格者で、その人柄が人を指導するうえで大きな力を発揮することにつながったのです。
指導者としての名声も高まった彼に対して、或る時藩から要請がありました。それは荒廃し続ける田畑と就労意欲を無くした村人たちという2重苦を抱える村の農業指導に当たってほしいというものです。

とても強く請われますが、その村の復興という目標達成が生易しくないことを悟り断り続けました。でも遂には困難を覚悟で10年という期間を与えてもらう約束を取り付け、その地へ赴きます。着いて見たその村の状況は、課せられた年貢米の納入を果たすどころか、自分達が食べる食物さえないという惨状に陥っていました。
そうなってしまったことの背景には、長年の年貢米の重さに耐えかねた村人が、どんどん働く気力を失せていった、という悪循環がありました。
その地で指導に立った金次郎は、村人に対する農業指導に加えて、一人一人の民衆の心の荒廃を見抜き、そのこころに希望と勇気を与える方策を取りいれることを考えます。 
そしてきめ細かい報奨を打ち出し、勤労意欲を取り戻させるとともに、自ら個々の民衆を励まし勇気付け、時には叱責しつつ、人心を束ねていったのでした。
金次郎の指導によって、村全体が次第にやる気と元気を取り戻し、みんなの努力が実り農地も次第によみがえり稔りを得るようになってゆきます。そして村全体が力をあわせて頑張ることによって、ついには目標とした農業収獲量を上げる成果を導き出したということでした。

本心の働き

マイナスからの出発でありながら、プラスアルファーまでの成果を上げるに至るということは、農業指導面だけでも、よほどの研究知識と実践がなければ出来ないことです。 そしてそこには10年という月日がつぎ込まれたことを思い合わせるとき、並大抵の仕事ではなかったことが想像されます。強い意志力を持った指導者の存在は大きかったことになります。
では二宮金次郎伝記と本心の働きをどう結びつけるのか、ということですが、尊徳翁は人並みはずれて本心が開発されていたからこそ、その偉業の数々を残すことが出来たと理解できます。
そして、常に生涯努力し続けたことが伝えられるその人間性は、本心開発実践のお手本に違いありません。最初から本心が開発されている人はいないのですから、そこには人並み外れた努力があったことが想像されるのです。

そしてそのテレビの内容から私が注目したのは、こころを荒廃させてしまった民衆の側にもあります。 いかに指導者が優れていても、民衆自身が心に希望とやる気という灯を点し続けなければ、10年という長い期間を貫いて、目標に至ることはなかなか難しいと思うのです。そこには金次郎という師を得て、教えに従い頑張れば豊かさを得ることが出来るというイメージが明確化したからこそ、その想いをエネルギー化することができたと考えられます。それは表現を変えれば、何度となく挫折しても、希望を失わない信頼できるものが意識の中にあり、それが本心の力と結びついたからといえます。

更にその偉業として讃えられるのは、大飢饉という社会的惨禍の時にも、金次郎の働きが多くの人を飢饉の害から救ったというのです。農業研究による知識にも秀でていた金次郎は、ある年、稔った作物の状態に例年にない変化を見てとり、大飢饉が発生することを予見し、事前に出来る対策を講じたというのですから凄いです。
そして備えを怠らず、多くの人たちが飢餓に陥るという、最悪の結果を免れる手立てを種々と行い、その努力は成果をみたのでした。それでも大飢饉による飢餓は避けようもなく、身体が弱って起き上がれないような人たちにも、少量の食べ物を与え、少ない食料でも我慢して生き延びるように、と言葉をかけて多くの人を勇気付け、あきらめさせないようにして救ったということです。
そのとき金次郎の一言が、苦しい状況の人たちの心に響いたということは自ら生命の働きに光明を灯した事になります。そこに誰の中にも本心の働きがあることを見ることができます。

「どんな人にも,どんな物にも『徳』がある。その『徳』を掘り起こすのは,人の力だ 」 とは二宮尊徳翁が語った言葉だそうです。実感がこもった力強い言葉です

 

 TOP