美しい言葉の世界     


美しさへの憧れはいつの世でも女性の願望指数が高く、様々に興味を集めるところです。
その場合の美しさとは、どこまでも視覚に訴える美しさのことになります。それに付随して、立ち居振る舞い、雰囲気、ことば使い、話し方、服装装飾品に至るまで、美しさの基準は多様に拡がります。
美しさに心惹かれるのは男女を問わないのかもしれませんが、私個人のことを言えば、年を重ねるほどに、外見的美しさへの関心は薄れ、興味をもつのは、お金のかからない事ばかりで、経済活動に貢献しない日々です。
そんな私が 目で見る美しさの他にも、心で感じる美しさとがあると想ったことがあります。それは俳句や短歌から連想する美しさと少し似ています。
その美しさを伝えてくれたのは 《 仲よき事は美くしき哉 》 という武者小路実篤氏の言葉です。その言葉は色紙に書かれていて、野菜の絵が添えられていたように記憶しています。
私はその色紙の画像を見た時、視覚的な感覚は別として、言葉の美しさが心の奥に伝わりました。その時脳裏とも胸中ともなく感じたのは、人間の柔和で優しい内面からにじも出る行為は暖かく美しい....そういうイメージでした。
人の心の働きは表面から内奥まで、幾層もあり、それぞれの波動を奏でます。その波動が微妙で細かく精妙であるほど、大きな愛のひびきということになります。
作者はどんな情景を見て美しいと感じたの分かりませんが、私は、作者が描く絵の印象から、素朴で飾り気無く、それでいて心豊かに生きる人達の日常の一齣ではなかったかと想像します。そして美しかったのはハーモニーであり、耳にも聞こえず目には見えない波動であったことになります。
愛の波動は、善であり、美であり、心に温かさが伝わるのは、ひびきには科学的働きがあることの実証です。
ところで、私にとって、優しい心とか明るくて柔和な心は憧れです。人として精神面の理想がそこにあります。なので、理想の心をしっかりと心に捕まえていたいのですが、気が付けば、その理想から遠く離れた自分がいます。心の理想形は掴んでも掴みきれないということになります。その反面、喜怒哀楽の怒とか哀の感情は、自分が意識してもしなくても容易には離れてくれません。
つまりマイナス想念の粗い波動は捕まえやすく潜在意識に積もりやすいことになります。
だからこそそうならないために、何事も原因結果が小さいうちに愛念で対処することが心の問題を大きくしない秘訣ということになります。
人は様々な心の波風を経験しながら 《 仲よき事は美くしき哉 》 にも幾通りも幾段階もある事を体験するのだと思います。
人それぞれ心に思い描く美しい情景は違うとしても、どのような愛の形であっても、それが誰の心にも暖かさを伝え胸を熱くするものは美しいことになります。
理想通りにはいかないのが現実ですが、真・善・美の行為は見えない働きでありながらも、人の心も世の中も浄化する波動である事に間違いはないようです。


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