責めてはいけません 著者 五井昌久      
今迄の宗教の誤り
ー P74〜
(前略)
ところが幸いなるかな、世界平和の祈りというのが出てきて、あなたが悪いのではない、今あなたがわるいように見えていても、あなたの心が悪いのではない。 過去世の因縁が今あなたの前を通りかかって、消えてゆく姿ですよ、と教えてくれるわけですね。
 だから消える姿なんだ、どんな悪い想いが出てきても、どんな悪い行いが出て来ても、しまったと想ったら、それを?んだままで、世界平和の祈りの中で洗濯してもらいなさい。 
そうすれば世界平和の祈りの大光明が消して下さるから、もう再びその悪い行いをしなければいいのだ、また出てきたら、また入れればいい。 三度び出てきたら三度び入れればよい。四度び出てきたら四度び入れれば良い。 そういうように入れちゃえばいいでしょ。 そうやって入れてしまう内に、きれいになってしまうのです。

なんでもかんでも自分で始末しようと思ったって、出来っこない。 自分で心臓を動かすことが出来ないと同じように、自分の業想念は自分では始末がならないのです。 始末がなっていれば、御釈迦様以来みんな幸福になっているわけなのです。御釈迦様のような偉い人は出ても、イエス様のような偉い人が出ても、この世の中はそんなによくならなかった。
それは (業想念の)始末が自分では出来ないから。 それで法然さんのような偉い人も、親鸞さんのような偉い人でも、自分ではどうしにも始末が出来ないから、阿弥陀仏におまかせするんだというんで、南無阿弥陀仏といって、阿弥陀様一念に入っちゃったでしょう。 
あんな偉い人でもそうなんだから、まして社会生活の混沌とした生活の中で、欲望の中にまきこまれながら生活している現代人が、自分で自分の心を変えるなんてことは、とても出来るものではありません。 私自身出来やしない。だから神様の中に全部入っちゃったわけですよ。



日 本 の 天 命

守護の神霊の存在にふりむこう
ー P26〜
人類は本来神の分生命(わけいのち)であります。 人類の本心は、宇宙法則そのものである宇宙神のみ心としっかりつながっている光明心であります。
 そして宇宙神の分かれである人類守護の神霊方は、常に地球人類を宇宙法則に乗せきろうとして、業想念消滅のために、働き続けておられるのです。
業想念が(迷い心)が心の奥深くにあったのでは、守護の神霊にとっても、その消滅が容易ではなく、無理に消滅させようとすれば、人類の苦悩は強くなります。 
ですから、徐々に徐々に奥から表面に浮き出させて、表面に出きったところで、一挙にその消滅を計ろうとして、守護の神霊は種々と手段を講じておられるのあります。

古来からの聖者賢者の出現も、みな人類を守護する神霊方の働きによるのでありまして、キリスト教的にいう、ミカエル、ガブリエル等の大天使たちも、みな人類守護の神霊なのであります。 
個人の病気や、不幸災難なども、個人個人の守護の神霊が、その人たちの本心開発のために、過去世からの業想念波動を光明波動にかえてゆくために、なされているものであって、消えてゆくにしたがって、その人の心も体も立派になってゆくのです。 
しかしその理を知らぬ人々は、いたずらに病気や災難を恐れつづけますが、その人の本心を蔽う、邪魔な想念を浄め去ってもらうのであって、何も恐れるには当たらないのです。恐れる想いのかわりに、これでじぶんにまつわる誤った想いが消えてゆくのである、守護の神霊に感謝の想いを捧げる時、意外なほど楽に消え去ってゆくのであります。
このことわりは人類全般にも当てはまるのでありまして、汚れた想いのまま、軌道を外れた生き方のままでは、地球人類の平和は絶対に達成できないのですから、一日も早く、人類の心の汚れが浄まり、宇宙法則にしっかり乗って、真実の生き方のできるように、守護の神霊の加護を願わねばならないのです。 それが、消えてゆく姿で世界平和の祈り、という私共の生き方なのです。

生命エネルギーの浪費は寛容の心の欠如
今日の個人も人類も、神のみ心と一つである本心を忘れ果てているのです。 そして、本心から湧き出でてくる、考える能力 働く力、等々の生命エネルギーを、枝葉として分かれ分かれになっている個人民族の、不為となる物事に対する争いの想い、嫌悪の想いを起こさせる波の中に浪費してしまうのです。生命エネルギーは個々別々に活動しておりますが、枝葉枝葉としての活動はしておりましても、それは常に神の大調和の世界をつくるための枝葉枝葉の天命を完(まっと)うするようになっているのです。 
ところが、個人も国家民族も、その大調和の原則を破って、個々別々の利害関係に、自己の能力を使っているわけであります。 
人間の働きは本来、上下左右に働くものであって、上下の縦の働きによって、神のみ心、生命エネルギーを補給し、横の働きによって、神のみ心である天命をまっとうしてゆくのであります。図にすれば、円形の十字交叉のような形で働くのであります。 
しかし、実際は、縦の循環をしないで、つまり神のみ心のほうには想いを向けないでいて、横の働きにだけ想いを向けている。 そうしますと、生命エネルギーは、神のみ心の新しい力を補給しないで、自己に蓄積されているだけのエネルギーを循環させていることになり、そのエネルギーは古く汚れてくるのです。

さすれば当然、その能力は新鮮さを失い、本来の使命感を忘れ去り、蓄積されたものを失うまいとする欲望に変わってくるのであります。すべての能力は神からくることを忘れてしまいますと、その人やその国からは広い豊かな心は失われてゆき、いわゆる寛容の美徳がなくなってくるのです。
自分たちを守るために、どのような手段でも講じるというようなことになってしまうのであります。私共の研究しております、宇宙子波動科学によりますと、素粒子の一番微妙な、一番根本的な働きの存在を宇宙子と呼んでおりまして、この宇宙子は神のみ心の中心である、宇宙核というところから、生まれ出て流れ出てくるのであります。
この宇宙子には、精神を生み出す要素と、物質を生み出す要素とがありまして、そのプラス、マイナスの離合集散により、或いは角度や場の転換によって、種々様々な変化を遂げるのです。

この宇宙子を常に新鮮なものにしておかなければ、その人間の完全な働きができなくなるのでありまして、精神面の宇宙子が汚れてしまえば、精神面の欠陥となり、物質面が汚れてくれば、肉体面の欠陥となってくるのです。一口で地球上でエネルギーと呼んでいる力の中には、この宇宙子の働きがあるわけで、この宇宙子の働きをいつでも新鮮に、循環をよくしておくことが、精神面にも物質面にも一番大事であるということになるのです。

現在の地球科学では、精神作用は物質的脳髄から生まれ出ているような解釈をしておりますが、ここが重大な誤りでありまして、精神作用も物質作用も、肉体の生れぬ前の、宇宙法則の流れの中において、その要素は同時にできておるのでありまして、物質ができて、そこから精神作用が生れでるのではありません。
私共の宇宙子波動科学では、はっきりと、精神と物質との生れ出でる経過を分けておりまして、この交流の調和によって、人間が完成されてゆくことを、生命学的に、物質学的に研究しているのであります。
しかしまだ研究途上でありますので、現在では、宗教的な方法で、その道を知らせるより仕方がありません。そこで私は、私の通ってきた道、私の日々の体験等を通して、こうしてゆけば、個人も人類も同時に完成の道に入ってゆき、世界平和到達への道を進んでゆくことになるのだ、ということをお話しているのであります。

肉体は人間生命の働きの場
それはどういう事かと申しますと、人間は自分で気づこうと気づくまいと、常に守護の神霊に守られて生活しているのだから、いつも守護の神霊への感謝を怠ってはいけないということと、人間とはこの肉体のことをいうのではなく、生命体そのものをいうのであって、肉体は一つの器であり、働きの場なのであるから、肉体生活ばかりに執着していて、肉体生活の満足感ばかりを追っていてはいけない。 神の生命の分れである、永遠の生命としての自己をはっきりと認識できるように努めるべきである、ということを常に説いているわけですが、その方法として、消えてゆく姿で世界平和の祈りという教えを説くわけなのです。

人間というものは、習慣の想念に縛られているものでありまして、なかなかその習慣から脱け出すことができません。習慣うちでも一番ぬけ難いものが、肉体人間なんだ、という観念があります。 それは無理もないのでありまして、生まれて想いが出てくるときから、肉体の他の自分というものは、眼にも手にも触れることは出来ないのでありますし、周囲の人たちがみな、肉体人間だけが人間だと思っている中で育ってきたわけなのですから、ここが難しいところなのです。 
しかし難しかろうとどうであろうと、肉体人間は生まれてきたら、必ず死ななければなりませんし、形あるものは変化変滅してゆきます。これはどうにもならぬ宇宙のきまりごとです。
(中略)
変化変滅しない、根本世界に根ざした人間というものを、宗教的な観念論ではなく、実際にはっきりと人類全般が把握しないことには、地球世界の真の繁栄はあり得ません。 釈尊はじめ古聖たちは、その根本の生き方、根本に根ざした能力というものを、自分たちが示して見せたのでありますが、その根本が判った人たちだけが救われたのですが、一般の大衆は、その根本の生き方も、根源に根ざした能力も判らずじまいで、今日まできてしまったようです。 
私はいつもそれはいけないと思いつづけていました。 そして遂に、一般大衆にもはっきりと分る科学の道を、祈りの中から示されたのであります。 それが現在やっております、宇宙子波動科学、はっきり申しますと、宇宙子波動による生命物理学なのであります。
これは先ほども申しましたように、未だ研究中なのでありますが、根源の世界や、他の進歩した星の世界では、はっきりこの学理を、そのまま実生活に応用した生き方をしているのでありまして、この科学がやがては地球世界で応用されることは、実にはっきりしているのであります。
 『責めてはいけません』 著者・五井昌久 白光出版   TOP