消えてゆく姿の観法        

「消えてゆく姿」という言葉とその教えに出会ったのは、30年以上も前のことです。
其の時私は、そんな短い言葉を大きな働きに変える教えがこの世にあったのだ、という思いでちょっと感動しました。そして過ぎた日々に対して理由もなく、赦されるのだ、という気持ちになりました。

だれでも、想念のとらわれを糸を切るように、プツンと切れたらどんなに楽だろうと思うことがあるのではないでしょうか。私は余計な事をいつまでも考えている自分に気づいたとき、幾度か思いました。そうした自分から脱却出来る方法論に興味がある人間だったことが、五井昌久氏の教えに出合う要因だったともいえます。
その著書で知ったのは、消えてゆく姿という小さな悟りの実行と世界平和の祈りがセットになった教えです。

ご多分に漏れず、教えは理想であり、現実は足踏みばかりということはありますが、気持ちの切り替えが早くなるなど内面の変化は起こります。

良きにつけ悪しきつけて、様々な想念にとらわれるのが人間です。
消え去ろうとするものをいつまでもつかまえて離さないのは、自らの想念です。

消えていく姿で世界平和の祈りの教えは、想念波動の働きを善用する方法です。
様々なとらわれの想いを放った分、心に明るい光が入って来るという説は、荒唐無稽ではありません。
何事も言葉で聞くほど簡単ではないとしても、地道にあきらめずに信じて行うのが自己改革だと思います。

自分が忘れているときも、守護霊様は常に見守っていて下さるそうです。
自分一人で生きているのではないわけです。
仏教の煩悩即菩提の光明思想を、易しく効果的に行える方法が消えてゆく姿で、世界平和の祈りと考えることもできます。

知らず知らずに心にため込んだ無形の荷物には、過去世から持ち越したものもあるそうです。
だからこそ、人は真理の扉が開くことを心の中で願っているのではないでしょうか。
私にとっては、信じて歩む道筋と方法がある事は有り難いことです。

著書から学ぶ、消えてゆく姿で世界平和の祈りの教え