『 神は沈黙していない 』 より  著者 五井昌久   



良質な睡眠の大切さと夢について

夢が生まれる時

睡眠や夢については、一般の人たちは関心を持ちながらも、深く探求は致しませんが、近来は学者たちの間で、真剣にこの問題の研究がされ始めております(※「神は沈黙していない」の初版は昭和42年) 
〜略〜

ジョン・ファイファーという人は、眠りと夢の正体という本の中で、睡眠を四段階に分けて、その中で科学的に夢の状態を説明しています。
「現在までにこの分野の研究で4千人の被験者が実験台にのぼり、1万回の夜間観察実験が行われ、〜略〜 目の動きを電気信号としてキャッチし、頭部から脳波をキャッチする。また心臓の鼓動、筋肉の緊張など他の要素も電気信号でとらえる。
〜略〜

第1段階=うとうとする段階。
 
  電圧の低い不規則な波が急速に続き、さざなみ模様を描き出す。
第2段階=浅い眠り。 1秒に12ないし14の割合で活発な紡錘状#gが生まれる。
第3段階=比較的深い眠り。 電圧の高い大きな波がゆっくりと現われる。
第4段階=深い眠り。 大きな波ばかり続く。       

以上の四段階が終ると、次は逆戻りする。大きな波がいくつも続いたあと、その数が次第に少なくなり、ついで紡錘状の波に変わり、さらにさざなみ模様に戻る。注意すべきは第一段階に戻り始めたときであり、この時が夢の生まれる時間である。 このような実験が繰り返された結果、夢の基本的パターンが明らかになった。まず、夢を見る時間が1晩に4,5回訪れること、その時間を合計すると、全睡眠時間の20ないし、25パーセントを占めることである。 
〜略〜
夢は極めて重要で、必要欠くべからざる生物学的現象なのである。」

夢はどんな人もみている

筆者はデメント、ワイシャー両氏が、被験者に夢をみせない実験を行った時のことを書いて、夢の時間に入ると被験者を起こす、ということを何回もしていると、益々夢を観る回数が多くなって、ついにはまるで頭脳は失われた夢の時間を取り戻そうするように、焦って夢をみようとする状態になり、夢の邪魔をすることが不可能になってしまった、といっています。 
また「神経細胞の放出する電気信号を調べると、夢の時間には頭脳は実に活発に活動していることが判った。 実際のところ、昼間のたいていの時間より、もっと活発かもしれない。われわれが日常の決まりごとをする場合には、頭脳は最高能率をあげないものである」ともいっていまして、夢を発生させる中枢部が脳にあることは、夢をみることが生き残るために必要であるためだろう、といっているのです。
夢を交えた睡眠というものが、どんなに人間が生きるために必要なことであるか計り知れないのであります。人間ばかりでなく、動物もそうなのですが、この場合は人間だけに限って説明してゆくことにしますが、第二次大戦中、アメリカで数100人の兵隊を使って、睡眠の実験をしたのですが、その結果は肉体的にはどこにも異常がないのに、精神的に参ったっものが多かったということであります。
眠りと脳の活動とは深い関係があることを示しています。 東大の実験でも、逆説睡眠状態の人を起こしてみると、100%夢をみていたということ、もしそうだとすれば、逆説睡眠の時間は毎晩2,3時間あるのが普通だから、たいていの人は、2,3時間は夢をみていることになる、といっている学者もあり、逆説睡眠の脳波をくわしく調べると、脳の海馬溝といわれる部分からの脳波がいちじるしい、といいます。
つまり、この辺が活動状態にあるということで、おもしろいことにこの海馬溝は記憶の海≠ニいわれ、過去の出来事と関係がある。過去の印象の再現ともいわれる夢がどういうしくみで起こるのか、このへんに解決の手がかりがつかめそうだ、と研究者たちはいっています。

夢をみなければ人類は滅びている

さて、そこで私はどういうふうに睡眠や夢について考えているかと申しますと、拙著「神と人間」の中でも少し書いておきましたが、睡眠は勿論のこと、夢をみなければ、この人類はとうの昔に滅び去っている、ということを痛切に感じているのです。
 前述のように学者たちの研究でも、夢をみることの大事さが次第に取り上げられてきていますが、実は夢はみるものではなく、みせられるものなのであります。 
人間を肉体的人間としてみた場合は、夢は自分勝手にみることのできるものではなく、守護の神霊の力によって、過去において蓄積された想念波動を、夢の世界に於いて消し去ってもらっている姿なのであります。
人間がねむるということでもそうでありますが、いかにも自分勝手にねむったり起きたりしているように思えますが、よくよく考えてみますと、睡るということは、極めて自然に力みもなく気張りなく行われることでありまして、自分で睡ろう睡ろうとすれば睡眠薬でも飲まないと眠れなくなってしまうもので、自然に眼がさめると同じように、自然に睡るのであります。 
人間が生きていて呼吸をしているのも、意識して呼吸をしようとして呼吸している人はありません。自分の気付かぬうちに自然と呼吸しているのでありまして、呼吸の事に想いがとらわれたりしますと、却って呼吸が乱れたり苦しくなってきたりします。 人間の万般、心臓から肺臓、腎臓肝臓、すべて、人間意識に関わりなく活動しているので、その場所やその働きが気になり出した時は、その個所が故障している時なのです。

宗教的な言葉として使われている無為にしてなすことの大事さ、全託の必要さは、肉体内部のこうした働きをみると、全く尤もな教えであると思わざるを得ないのです。人間が生きている、といえるのは霊性がすっかり開発された人で、自己が神の分生命である事を知り、自分の想念がいつも本心から発せられている人たちの言える言葉であって、肉体人間としての立場に立っている人としては、生かされている、という心構えが本当なのであります。 
わたしがいつも申しますが、太陽といい、空気といい、この大地といい、みな肉体人間の生存のために、大愛そのものの誰方かのお力が働いていることは事実なので、それを神と呼ぼうと、大自然と呼ぼうと、日々感謝せずにはおられないものがあります。 睡らないでいれば、断食に耐え得る期間よりはるかに短い時間で、人間は参ってしまいます。睡眠の大事さがその一事で判ります。

夢と睡眠は守護の神霊の一つの働き

それでは睡眠とはどういうものであり、夢とは如何なる事態なのかということを、私なりに解説してゆきたいと思います。私には学者の研究のように、種々のデーターがあるわけではありません。私が守護の神霊方から知らされた通りを申し述べてゆくだけです。人間の想念も肉体も、すべて波動そのものであり、波動の現われでないものはないのです。
一人の人間が何かを想います、するとその想いは波動となって、宇宙に伝わってゆくのです。 善いことを想えば光の波動が、悪いことを想えば汚れた波動が流れてゆくのです。そういう状態が何人にも、過去世からひきつづき行われてゆくのでありまして、その想念波動は輪のようになって廻っているのです。それが顕在意識(あらわれているこころ)として、または潜在意識(ひそんでいるこころ)として、行いとなり、形となって、自己の運命をつくりなしてゆくのであります。
それを仏教的には因縁因果というのであり、この世を輪廻転生の世界というわけです。神から分けられた生命エネルギーを基として、人間各自は、自己の想念波動をだして、自己の形の世界の運命をつくってゆくのでありますが、人間が地球というこの物質世界に、肉体という衣をまとって生活するようになってからは、どうしても肉体的自己保存ということに重点が置かれ、競争心や争いや恐怖や恨みや怒り妬心などが生じてきまして、今日の世界をつくりあげてきたわけです。 
そして想念の波は行為となり、行為は潜在意識層入って、再び顕在意識となり、また行為として繰りかえさせてゆくのですが、その間、人を憎む想い、争いの想い、妬みの想い怒りの想い等々の、他を痛め自己を傷つける想いが、自己の想念の輪の中にも、地球世界全体の波動圏の中にも充満してゆくのです。
これが大きくは世界戦争や、転変地変となり、小さくは自己の運命の崩壊ともなって現われてくるのです。 そういう業想念波動(カルマのなみ)を霊界において洗い浄めることになったのです。 肉体が睡っている時、その霊魂は神界あるいは霊界において統一行をしているのであります。 
そして、その時に守護の神霊が、その人の業想念波を洗い浄めるのです。 その洗い浄める時に、幽体あるいは肉体の脳裡に、その波動が夢として画かれてゆくのであります。 想ったことは必ず形の世界に現われてしまうのが、業の法則なのでありまして、形の世界に現われないうちに、何とかして消し去ってしまわなければ、この人生は終わりになってしまうのです。
拙著
「神と人間」にも書いてありますが、肉体人間の世界では、自己を守るのあまり、人を恨み妬み、恐れ怒り、というように、悪い想念をだすことが多いのでありまして、人間各自の想念波動がそのまま形にあらわれてしまったら、この地球世界は一瞬のうちに業火によって滅び去ってしまうのは必然なのです。 
そして悪い想念を出すまいとして抑えていれば、肉体内につもってしまって、肉体を痛めてしまい、大病になり滅びてしまいます。 どっちにしても、日々の蓄積されてゆく業想念波動を何分かでも消し去ってゆかなければ、個人も人類も滅亡し去るより仕方のない状態が現在の地球世界の状態なのです。 
ですから、この面から人間を観る人は、人間は本来悪なのだ、と観じてしまうのであり、人間は神から遠い隔たりをもった生物であるように思ってしまったりするのです。こういう観方もあながち無理ではないもので、この肉体世界だけを人間の世界とみている正直な唯物的な人は、善悪の戦いということを考えてしまうのです。
ところで、神は大愛なのであり、絶対的能力の持ち主なのです。 自らの分生命である人間を、むざむざ滅ぼしてしまわれるようなことをなさるわけがありません。 そして、守護の神霊の一つの働きとして、睡眠があり夢があるのであります。 現在の人々は、人間というものを肉体人間唯一のものと思いこんでいますが、そのことが、人間の進歩を阻んでいる最大のものなのです。

人間は肉体だけのものではない

人間は神の分生命(わけみたま)であり、太陽のような光そのものなのであります。その光エネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる世界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。そしてみなさん御存じの肉体世界があるのです。ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に、幽界にも霊界にも神界にも住んでいることになるのです。
人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみてください。肉体自身は意志をもち想念波動によって動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念もなく活動するということはありません。 人間は生命そのものであり、生命の働きが光の波となり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであり、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。

生命である人間は、神界において働き、またずっと粗い波動体として肉体界にも働いているのであり、生死を超えた永遠の生命なのであります。この人間生命は種々様々な階層に神のみ心を画きだそうとして働いているのであり、皆さんが肉体界で意識しようとしないに関わりなく、皆さんの本心本体は、神界霊界幽界肉体界を通して、生命波動、光の波動としての働きを続けているのです。
睡眠の場合などは、人間の本心と守護の神霊とが、人間の顕在意識の想念波動に邪魔されることなく、充分に働き得る貴重な時間なのであります。肉体がめざめている日常生活の中でも、常に本心は神のみ心を伝えているのであり、守護の神霊は、浄めの光明波動を与えているのですが、肉体界の波動が邪魔をして、その当人にその事実を判らせることができないのです。 つまり、肉体の意識想念が邪魔なわけです。そこで、古代の聖者方は、いずれも、その想念波動をとり払うことを教えているわけで、それが空になる修業とか、鎮魂とか、無為とか全託とかの教えや方法の伝授になったわけです。

何にしても、人間が神の分生命であり、神のみ心をこの地球界に現わす為に、自己がこの地球界にいるのだ、という真理を、阻げる想念行為が人間の進化を遅らせ、地球世界の平安を乱しているのであります。 私はこれを消えてゆく姿で世界平和の祈りとして、神のみ心との一体化をはかっているのです。実際人間というものは、人類に必要なことよりも、人類の進化をさまたげるような、業想念を多く出しているのであって、このままでは実に困ったことになるのでありますが、守護の神霊のたゆみなき加護と、睡眠による浄化という方法で、何とかもちこたえているのであります。

人類進化の為に大きな働きをしている
前述の学者たちの研究によると、夢の時間の方が昼間のたいていの時間より頭脳が活発に働いているとか、海馬溝といわれる脳の部分が夢の時間にはいちじるしく働いているといい、その海馬は記憶の場といわれる、等の発表がしてあるのは、私が守護の神霊に教わったことと一脈相通ずるものがあるのです。 それはどういうことかといいますと、頭脳というものは人間の進化にとって一番大事なところであることは誰でも知っております。その大事な頭脳の働きが、夢をみているときが最も活発に働いているということは、人間の進化の為の一番大きな働きを夢の時間にしている、ということになってきます。そしてもう一つ面白ことは、脳の海馬といわれる部分が記憶の場であって、しかも夢をみる時に最大の働きをしているということです。

これは私の説の裏付けをしているようなもので、過去からの想念波動の蓄積は、その脳の海馬溝といわれるところにあるので、この海馬溝は、幽界、霊界、神界という、他の階層との波動の交流点であるのです。ですから、想念波動の記憶は、この交流点を通して、幽界から肉体頭脳に、肉体頭脳から幽界に、あるいは霊界神界にと交流してゆのであります。 そして、睡らされている時の肉体意識は、肉体界と、幽界、霊界、神界との交流の阻げをしない無意識状態なので、神霊界の光明を肉体頭脳に流しいれ、肉体頭脳に蓄積されている業想念(カルマ)波動の記憶を、夢と画いて消し去ってゆくのであります。そういう働きが急速になされるので、その時、その働きを司る肉体頭脳の一部、つまり海馬が活発に働くということになるのです。

こういう作業を行っているのは守護の神霊方なのであります。守護の神霊の働きを考えないで、自然に睡ったり、自然に起きたり、夢をみたりすることは決してできないのです。ちなみの睡たくないときにいくら睡ろうと思っても、薬の力にでも頼る他は睡れるはずもありません。 人間は肉体ではなく生命そのものであり、光の波と想念波動によって、肉体世界というものがつくられているのであることは前にも申しましたが、光の波と想念波動とは、常に神界霊界幽界という様々な階層にそれぞれの世界をつくっているのでありまして、肉体世界はいつでもこれらの階層の影響下にあるのです。
それが、神界の影響を強く受けうる意識想念の人々は、人格高潔な立派な人物となり得るのであり、幽界の低級波動の影響をより多くうけている人は、人格低劣な人物になってしまうのであります。

守護の神霊への感謝を怠らずに

守護の神霊はいずれも、自己の守護する人間の本心開発のために働いているのであり、その人間に悪しかれと思ってやることは決してないのですが、あまり過去世の業想念波動が蓄(たま)りきった人間に、一挙に神界の光明波動を注入しては、その人間が肉体波動を保つことができなくなってしまうのです。真昼の太陽を真正面(まとも)にみると眼がくらんでしまう、と同じようなもので、光明波動が強すぎると、業波動が一挙に崩れ去るので、その衝撃に肉体が耐え得なくなるのです。 そこで、少しずつ浄める為に、その肉体人間に適当と思われる階層に波を合わせて、適量の光波を注入するのであります。これを宗教的霊的に説明致しますと、肉体が睡眠に入るということは、死と同じように、霊魂が守護霊に誘導されて肉体を離れてゆくのです。そう致しますと、その霊魂に適当な階層まで守護霊が連れてゆき、そこで統一に入らせたり、目ざめてから必要な道の修業をさせたりするのであります。

その状態を情景として画けば、高僧の前で修業させられていたり、衣冠束帯の神人の指導で統一行に励んだりしている姿となるわけです。そういう状態の間に、守護の神霊は、その人間の霊魂にまつわる業想念波動の浄めの働きをするわけなのです。 そして、ある時間がくると、肉体にその霊魂を戻してよこすのです。 只、死の状態と違うことは、霊線が肉体に戻れるようになっているのです。 魂(たま)の緒(お)が切れればそれは死という状態になるのであります。
こうして毎夜霊魂の浄化が行われ、新しく霊要素を頂いて、一日の仕事を成し遂げてゆくのです。 ですから、急に叩き起こされたり、大きな音で目ざめたりすると気持ちが悪くなったりするには徐々に霊魂が肉体に入ってくるのを、急速に戻してしまうので、不調和な状態になる気持が悪くなるのです。 又、折角充分な睡眠をとっていながらも、寝ざめが悪かったりする時もあります。 これは霊魂が肉体外の階層で修業に疲れたりするときの名残りがあるからです。 しかしこれは業想念とは関係ありません。 人により、その日の状態によって、その夜の予定だけ浄化できにくかったりする場合も疲れが残るものです。

何にしても、この睡眠中の守護の神霊の働きは大変なもので、守護霊、守護神というものは、寝ても醒めても、被守護体の人間を守りつづけ浄めつづけているものなので、人間の運命を考える場合に、守護の神霊のことを考えないではいられないものなのです。 このように睡眠というものは大事であり、夢という状態で、業想念が浄められてゆくことのありがたさは、とても筆舌ではつくせない御恩であるのです。 (神と人間参照)  ですから、人間は一日たりとも、守護の神霊への感謝を怠ってはならないものであります。守護の神霊への感謝は、少しでも神のみ心をこの世にあらわす手助けを人間側がすることにあるのでして、その一番易しく大きな行為が、世界人類完全平和を願う、世界平和の祈りの行為であるのです。
睡る前に感謝の心で世界平和の祈りを祈り、目ざめてすぐに世界平和の祈りを祈り、常に自己の行為を反省して悔い改め、すべての誤った想念を消えてゆく姿にして、世界平和の祈りの日常生活をつづけてゆく時、あなたの睡眠はより進化の道を早め、あなたの安心立命の道がより早く切り開かれてゆくのであります。

*****************************

逆説睡眠(レム睡眠)について 『ウィキペディア(Wikipedia)』より

睡眠中の状態のひとつで、身体が眠っているのに、脳が活動している状態である。身体的には骨格筋が弛緩状態にあり、急速眼球運動のほかは身体はほとんど動かないが、脳波はシータ波が優勢で覚醒時と同様の振幅を示す。外見的には寝ているのに、脳は覚醒状態にあるため、逆説睡眠(ぎゃくせつすいみん)とも呼ばれる。
レム睡眠に対して、急速眼球運動を伴わない睡眠のことをノンレム睡眠または徐波睡眠(じょはすいみん)という。入眠時にはまずノンレム睡眠が現れ、続いて約1時間から2時間ほどでレム睡眠に移る。以後、ノンレム睡眠とレム睡眠が交互に現れ、レム睡眠はほぼ90分おきに20 - 30分続く。一晩の睡眠では4 - 5回のレム睡眠が現れる。夢を見るのはレム睡眠中であることが多く、この期間に覚醒した場合、夢の内容を覚えていることが多い  TOP


ホーム