『 死んだらどうなるQ&A 』        
肉体、幽体、霊体、神体を含む正しい生命観の確立

人間とは肉体生命だけを観て、その働きの全容を説き明かすことができない存在です。
生命の働きは、肉体の他に、幽体、霊体、神体として、異なる波動世界につながっていて、神体、霊体、幽体、肉体のトータルが人間であるといわれています。
その中で、肉体は最も粗い波動体であり、幽体、霊体、神体と波動段階を昇るごとにより精妙で微妙な波動の働きが存在することになります。
でも私達の実感は、生命とは100%肉体の事であると信じて疑いません。それは常識という思考が、生命観を数十年という限られた年月の範疇に固定しているからといえます。
そして、死んだ先のことはだれも判らないという、不安定な意識世界を是としてきました。

それでいて、死への恐怖をぬぐい切れないという矛盾を胸の内に抱えています。そうした有益とは想えない常識が常態化して、変化する余地がないとすればそれこそが問題です。ではそうした潜在する矛盾を解決するためには何が必要なのでしょうか。
それは、肉体の死とその先にある事の真実に対して、超常識的考察であっても、無碍に否定することなく、意識世界の中に組み入れてゆく、そうした思考を持つことです。
その一つに、正しい生命観の確立という事が挙げられます。
それは神体、霊体、幽体、肉体のトータルが人間である、という考え方を是認する事でもあります。何故そういうことがいえるのか・・・、その答えを下記掲載致します。

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『死んだらどうなるQ&A』 著者五井昌久 白光出版刊

 死を恐れなくなる心構えを教えてください (P24)
 
死を恐れなくなることは、人間等しく念願していることなのですが、人間の真実の姿をはっきり認識しない限りは、死を超えることはできません。
(中略)
私たちがこれが人間自身だと思っている肉体身は、実は人間の一つの現われに過ぎず、
人間生命は、肉体以外の他の体、つまり肉体身より微妙な波動を持つ、幽体とか霊体とか神体という、種々の体をもって活動しているのであります
違う言葉でいえば、エーテル体とか、アストラル体とか、メンタル体とかブデー体とかいうことになります。
そして肉体の死というのは、ただ単に自己が肉体波動から、より微妙な」生命波動に移って、活動することになったことに過ぎないのです。

こうした真理を知ることが大事なのですが、こう説明されただけでは、そうですか、それでは死ぬことは、なんでもありませんね、という具合に想いが切り変わるわけにはまいりません。自分は肉体身だけではないのだ、肉体身において、その環境に於いて、誠心誠意の生き方をしていれば、肉体身を脱け出た死後には、肉体身の生活とはくらべようもない程、雌雄で美しい環境で活躍できるのだ、ということを、常に自分に言い聞かせておいてその想いを潜在意識に入れておくことが大事なのです。

死を恐れるということは、自己がそこで消滅してしまうことの恐れや、死後の世界の不明な点からくるのですから、死という事が他界への転移であって、自己が一心に日常生活を生きていさえすれば、よりよい世界に転出することができるのだ、ということを知ることによって、自己の心が安まり死を恐れる気持ちが薄らいでくるものです。

それからそれよりももっと大事なことは、
自己の生命は神よりきているものであり、神のみ心は慈愛なのだから、神が人間に対して悪いようにするわけがない、と信じて、神のみ心の中に、常に入りこんでいることです。いわゆる真実の信仰心なのです
真実の信仰心ということは、神が罰を当てるとか、自分たちの行いが悪いからといって、恐れているような信仰態度ではありません。真実の宗教信仰者は、自己が神の分生命であることを認識し、親神様の大愛に、自己のすべてを託しゆだねて生活してゆける人でなければなりません。神が愛そのものであることを信じなければ宗教信仰というものは成り立ちません。
(中略)
自己の身近に守護の神霊がいらっしゃって、自分たちのねむっている間も守りつづけていて下さるのだ、ということは、どんなにか安心できることでしょう。この守護の神霊は、
その守られている人々が生れるときから、死後の世界までもついていってくれるのですから、守護霊、守護神に死後のことまでも、お願いしていれば、これほど安心な事はないのです。
守護神はあなたを、肉体身において置かれていた環境より 以上の世界に連れて行ってくれることは必定なのであります。
それは私が幾多の例で、よく知っているのです。私などは守護の神霊と全く一つに交流して働いていますので、神々のみ働きを熟知しているのです。
死の恐怖を超える方法としては、今申し上げた二つの方法を同時におやりになってくだされば、、必ず非常な効果がありますから、ぜひおやりください
またそれに加えて
世界平和の祈りをおやりになれば、あなたの生活はますます光輝あるものとなります。

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生命の本質という分野の解明が、科学的法則性に関連するとすれば、その探求の広がりは同時に、人間の可能性の拡大を紐解くことでもあります。
人間の可能性の拡大という思考の対極にあるのが、、生命とは肉体という有限期間の活動であり、肉体は物質の法則に帰す、という地上法則に縛られた有限論です。
それでは、知能を働かせるという能力の隔たりを除けば、人間は動物とあまり大差ない生命ということになりかねないのです。ということは、人間生命に対する意識が有限か無限かどちらに向かうかによって、人間の可能性の拡大、精神的能力の開発に於いても、雲泥の差が生じるといえるのです。

動物は神の被造物といわれます。一方で、人間は神ご自身のいのちの光を宿す分霊であり、創造の働きを内に持っているといわれています。
でも肉体界以外の異次元である、幽界、霊界、神界のことを肉体側から観察することは出来ません。ただ異なる次元世界の存在を信じるか否かは個々の選択肢にまかせられています。
そんな生命の働きの中で意識が肉体感覚から離れる時間帯があります。それは睡眠中です。その時、肉体の頭脳も神経系統も自己の内部で起こっている働きを全く関知できません。でも生きている以上は、日々仕事内容による個人差はありますが、肉体の疲労に加えて精神的疲労素も溜まります。そうした身心全般の回復、改善の為、睡眠中こそ、私たちが知り得ない働きがに行われるといわれています。

身心全般のミクロ的乱れの修復修正もそこには含まれており、その想念の汚れが夢という形で消され、時にはその断片が記憶に残るといわれています。
私達が眠っている間も、生命そのものは常に休みなく働きつづけている、それは 神体、霊体、幽体が常に肉体と密接に関わり、生命の働きの中に存在するから可能となっていると考えることができます。

私たちは生命を得て生きていると同時に、瞬々の呼吸と共に大生命に生かされている存在です。そして平凡な日常も、様々な人々の働きがあってこそ成り立ちます。
肉体の生命は限りがあります。有限法則が幅を利かせるほどに、永遠なるものの働きが、観え難くなる世界です。 そこに執着が生まれ、喜怒哀楽の感情が増幅します。
でもそうした感情に流されることに任せずに、肉体を離れても神仏と一体であるという生命観を持つことが大事であることを、上記の著者は説いています。
潜在意識に繰り返し、たゆまずに新しい光明意識を入れていくという方法はとても地道な行為に思えますが、潜在意識の光明化に大いに効果がある事を著者は断言しています。

話が飛躍しますが、幽界とは思ったことがすぐに現実化する世界だそうです。
たとえ想像であっても、脳裏に様々な映像を結ぶだけでも、記憶層に想念波動が刻まれると云います。 想念が疑似体験することは、幽体がそれを記憶するのであり、想念回路は見えないながら、個々の精神世界を創りだします。
だからこそ、潜在意識の光明化はそのまま幽体の光明化につながっているというは、私たちの想念の働きの中にある見えない鍵であるといえそうです。
すべての想念は波動として働くという科学の領域がそこにはあるからです。

生命の神秘はまだまだ奥が深い、という段階に生きているというのが、私たちの現実だと思います。 でも生命の奥深さという真理があまり深く理解されていないのも現実です。なぜなら驚くほど簡単に自死をする人が増えている事を感じるからです。とても心が痛みつつ、私の想い違いであることを願うばかりです。
それにしても、自殺後どのような苦しみが待っているか、その恐ろしさに少しでも理解が届いていれば、絶対に自殺はできないはずなのです。
生命の尊さの本質は神仏しか知り得ないほど凄いと聞きます。自らが自らの肉体生命を断つ事の罪があの世でどのように現出するのか、この世では実感できません。
大いなる大生命の仕組みから自他を離してしまうことの過ちがどれほどのことなのか想像もできませんが、幽体感覚は肉体感覚以上に鋭敏であることは間違いがありません。
殺生を戒める仏教の教えは今いずこ(?)という感じです。

必要以上な死への恐怖を持たないためにも、そして精神がこの世で真理を離れた闇に迷い込まないためにも、正しい人間生命観の確立は、誰にとっても避けて通れない事項のはずなのです。
肉体は器であり、上着であると言われています。
肉体という上着を脱いでも幽体という個性のすべてを記憶する下着が控えているです。肉体の時間以上に幽体、霊体として生きなければいけないのです。平凡なことながら、人はいつの時も、自らの人生を大事に、正直に生きなければいけないという事に尽きるようです。肉体生活を終える事がそのまま、個の生命全体の終焉ではないからです。

肉体界も、幽界も霊界も神界も、すべてがつながっているという科学法則があるからこそ、人間生命の真性と輝きを祈り出すことも可能であることになります。
この世もあの世も、大生命の働きの中でみんなつながっているという真実の中に、大いなる救済もあるといいます。世界平和の祈りという大光明の働きにつながる祈りがある、それは未来永劫にわたる大きな希望であるのです。


参考図書 「苦界の救われ」 村田正雄著    TOP