発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第124号 2024/1/1発行

第123号

新年の第一歩何処を向く

久しぶりの本山参り

前年を振り返り新しい年をどのように過ごせるか考えると、新年は、楽しみいっぱいに出発できそうです。昨年は、温暖化でか世界中で地球が壊れてゆくような事象が起きているばかりか、自分で住んでいる国や地球そのものを人間が壊しているように戦争が起こってしまっています。

日本では、日本の舵取りをしている人たちが、国の為ではなく、自分のためだけに舵をを取っているように思います。私たちが選んだ人たちが、日本をよくする気持ちを持っているのかどうか不安を感じます。そのように考えると、この地球のどこに安心して暮らすところがあるのでしょうか。一人一人が幸せを願っているのだから簡単になれそうですが、反対のほうへ進んでいるみたいですね。自分がうまくいってうれしい時でも、近くの人が一緒に喜んでいなかったら、自分のうれしさも半減しませんか。

親鸞聖人のお名前にも使っておられる七高僧の一人、インドの天親菩薩の遺された『浄土論』の初めは「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 往生安樂国」(世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安樂国に生まれんと願す。)から始まります。天親菩薩自身の一心が、世尊(お釈迦さま)に向かっての表白から始まっています。本文の中では、「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」(仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、能く速やかに功徳の大宝海を満足せしむ)とあり、仏(ほとけ)の働きを顕しています。

そして最後に、「我作論説偈 願見弥陀仏 普共諸衆生 往生安樂国」(我論を作り、偈を説きて、願わくは弥陀仏を見たてまつり、普くもろもろの衆生と共に、安樂国に往生せん。)と終わっています。これは、私の一心は安樂国に生まれたいけれども、その心を成就するのは、阿弥陀仏の方向をいただく事であり、誰もがともに阿弥陀仏をいただいた時に安樂国に生まれる事ができるのであると言われているのです。

私たち人間は、一人では生きてゆけないのですから、助け合わなければならないようになっているのです。そのような弱い私たちだから、自分の幸せはもちろんですが、私の周りのご縁の深い方が幸せを感じられている姿を見ると、私自身も心暖かく嬉しくなるのではないでしょうか。反対に周りの人が、暗く悲しさや寂しさを感じる時は、周りの人も暗く落ち込んでいるのではないですか。

私の一心はどこへ向かわんとしているのかを、仏様と真向かいになって聞いてみる時間が今年の出発式でしょうか?自分が今立とうとしている所がどこなのかをしっかいと見つめ、新しい第一歩を決め、踏み出してゆくのが新年ではないでしょうか。

自分が中心になっている煩悩具足の凡夫である私たちは、初めから一人でゆくのではなく、他の人の力を借りながら育てられながら育って行く事で、共に生きて行く事の楽しさ暖かさを身に付けられてゆく歩みをすすめたいものです。

天親菩薩は、「南無阿弥陀仏」のお心を、「帰命尽十方無碍光如来」といただき、常に呼びかけられ、私の歩む方向を指し示して下さっていると私達を導き、日頃の生活の中で、何時でも軌道修正してゆけるようにして下さっておられます。
合掌

聞光寺・井上を訪ねて

先代・先代坊守から聞いていたお話を思い出しながら北信濃へ行ってきました。信濃時代の聞光寺のお檀家の方が、郷土史研究の一環として訪ねてこられたことがあったことを思い出しました。この度は、北信濃の郷土史研究会の方々のお話を聞き、史跡を見て回ることでした。

若穂公民館で、鎌倉時代以前からの豪族、井上氏、その流れをくむ聞光寺、そして常陸国(現茨城県)で浄土真宗のご教化を受け、故郷信濃に帰ってきたこと。そして信濃を離れるきっかけは、川中島の合戦で、上杉陣営の中に聞光寺があったので越後に行くようになったのです。戦国時代は、武士に翻弄されながら生きつづけてゆく庶民のご苦労が心に響きます。

浄土真宗のお寺は、ご門徒さんと共に教えを守りながら育ってきた宗派だという事をしみじみ感じます。聞光寺とご門徒さんも同様に苦労しながら聞光寺を育てて下さったことを胸熱く歴史を感じさせていただきました。

そんな思いで帰ってきた私たちは、長野で郷土史を研究しておられる方々のお話を。聞光寺のより多くのご門徒さんに聞いていただきたく、この5月15日(水)午後1時半より、聞光寺本堂にて、「北信濃を聞く会」として開催しますので、ご参集お待ちしております。

親鸞聖人と聞光寺を訪ねる旅

前年コロナ感染が5類になったのを契機に、北信濃へ聞光寺と井上氏の足跡を訪ねて、ご門徒さんと行ってきました。5月に長野の郷土史研究会の方から聞光寺本堂でお話ししていただく事になっています。

北信濃の歴史をさかのぼって、聞光寺の開基が武士をやめ常陸国磯辺の勝願寺で出家得度し、親鸞聖人の弟子として僧侶となり、聞光寺という寺号をいただき、一宇を建立して布教していた地域、その後井上の故郷北信濃に移るまでの北関東での生活を偲びながら、親鸞聖人と浄土真宗の歴史などを偲んでみたいと思っています。今年の懇親旅行は、9月・10月の動きやすい時節に、多くのご門徒さんと出かけたいと思っています。

鎌倉時代に始まった北信濃の井上氏、そして、権力闘争に敗れ井上・聞光寺として現在に至っています。どのようなご縁があるのか分かりませんが、柏崎市に、磯ノ辺村があります。明治の初めまでこの磯ノ辺村の「森氏」がほとんど聞光寺の檀家だったのです。今後、そのようなご縁のある方たちを手探りながら、色々な方々からお話を聞き、聞光寺の歴史の流れを色濃くしていきたいと思っています。

一寸一言

私が皆さんの家へ寄せていただく時は、法要などでお内仏(お仏壇)でお参りをする時がほとんどです。お内仏の前に座りますが、座る所はそれなりに綺麗になっているのですが、お内仏の中が白く見えていることが多いようです。お聞きすると、お内仏の中の掃除をしようと思い仏具を動かすと、掃除が終わった後、戻す場所が分からなくなるので、お内仏をほとんど掃除しないでお花だけを変えておられるという事でした。

今の時代は、携帯電話というカメラ付きの便利なものがありますから、正しい荘厳の姿を映してから、仏具の移動をされてはいかがでしょうか。正しいお荘厳は、聞光寺ホームページに書いてありますので、参考にしてください。参考資料と仏具の大きさが違いますので、気をつけてください。まだわからない所があるならば、浄土真宗の僧侶にお聞きください。金物の仏具は、年に1回は金物磨きでお磨きをしてください。綺麗な清々しいお内仏の前での合掌から、新しい一年が始まることを願っています。

『歎異抄』から学ぶ

当院 井上宗温

『歎異抄』(たんにしょう)が多くの人に読まれている理由は、その中に私たちの心へと訴えかける印象的な言葉が沢山あるからだと思います。例えば、「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」という悪人こそが救われるんだという悪人正機説。あれ、どういう事なのだろう?と考えさせられ、そこから私自身の中にある問題を見つめさせられます。

けれども、『歎異抄』全体として、何が書かれているのかを理解する事は、中々難しいです。少し昔の言葉で書かれているので、現代人である私に合った言葉に置き換えて理解していく必要があるし、同時にその親鸞聖人の考え方を、生き方を考えていく必要もあるからだと思います。自分自身でその読み方が中々分からないのなら、他の人に読み方を訊いていくというのも大切な事ではないかと思います。そして、その中で自分自身の気付きというものも生まれてくるのだと思います。

聞光寺では年に4回の計画で、新潟市の明誓寺より田澤先生をお招きして、歎異抄の会を行っています。どうぞ皆様ご参加ください。