本堂再建

完成の慶び

あの日あの時

[鐘楼完成]

この度の地震で倒壊した鐘楼が亀山建設様の力添えで以前以上の立派な建物として完成しました。柱は旧本堂の柱を活用し基盤・基礎改良も実施されました。

聞光寺の梵鐘(つり鐘)には松平定信(別名楽翁公)直筆の「無量寿経」という経の一節が刻まれています。柏崎の由緒正しい文化財です。

定信は白河藩主・老中・寛政の改革及び花月草紙・宇下人言うげのひとこと・集古十種など著書も多くあります。

梵鐘が完成したのは天放年(1838年)9月25日、今から175年前です。その頃聞光寺は災難の連続でした。

十六代住職が伽藍を再建した後その子宗登・宗存兄弟の代に二度も火災で焼けました。再建は容易ではありませんでした。

その時江戸下谷の長泉寺を継いでいた末弟の敬明さんが父の偉業・両兄の悲願を助けて梵鐘の寄進を申し出たのです。だから楽翁公の御直筆は長泉寺に賜わりました。

(市史資料集近世3)

文政12年に注文して9年後に出来たそうです。

見積書によると口径は3尺5寸(106cm)で重量は370貫(1480kg)です。全経費は217両2分、制作費35両と炭代7両を除いた残りは材料費です。

契約書によると制作費の半分は歌代佐兵衛が残りは小熊武左衛門・歌代喜右衛門・原孫兵衛が分けることになっていました。

(大久保小熊忠良文書)

旧鐘楼
新鐘楼