本堂再建

完成の慶び

表白

敬って
西方の救主阿弥陀如来ならびに
十方三世一切の三宝に白して申さく
つらつら惟れば

当山は 信濃国井上光盛の子
四郎高義が貞応元年(1222年)39歳の時
関東磯部の勝願寺に於いて出家得度をし
聖人より法名「釋宗観」を賜り 一宇を結ぶ

その後 応長元年(1311年)
本願寺三世覚如上人より三世宗賢が
寺号「聞光寺」を賜った

正和元年(1312年)井上の故郷へ移り
以来 歳を経て 信濃国高井郡島村に250年余
越後国米山寺に10年
そして文禄元年(1592年)
当山九世永尊が御門徒の願いにより
柏崎の現在地に一宇を建立するに至りました

幾度かの災害にあいながらその度毎に
住職・門信徒の懇願により 再びその尊容を現わす事ができました

しかし 平成19年7月16日午前10時13分
未曾有の災害「中越沖地震」により 本堂・鐘楼が倒壊しました

柏崎全体が被害甚大であり
御門徒さんのほとんどが被災された中に於いて
本堂再建を 有縁遠近の僧俗共々願い歩んできました

そして 岐阜・関市の亀山建設株式会社様
京都市の 株式会社若林仏具製作所様のお力によって
本堂・鐘楼の再建 内陣等の荘厳が整えられました

本日ここに 有縁の方々と共に
落慶法要を厳修するに至りましたことは 誠に喜びに堪えません

春まだ浅きこの時節 本堂再建の意味を考え
再建に向けた心とあらためて向き合い
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と言われる六道なる世界より
逃れきれない私たちの生様をみつめたいものです

世 移り 人 変わると雖も
永久に それぞれの歩みをしてゆくことでしょう

我らまた遠き宿縁によって 聖人の御化導に遇いたてまつり
如来の大慈 大悲に抱かれて
安らかに日々を送り続けたいと願うものであります

伏して請い希くは
三宝蓮華蔵世界より影向して 限り無き光益を垂れ給い
梵音 永久に響流して
遥かに末世に群盲の無碍の燈炬とならんことを

時に

平成25年3月23日(24日)

無量山 清和院 聞光寺住職

釋  温 成

敬って曰す