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書庫の中のノート

工 房 日 誌 2004年4月

2004年 4月30日

今年こそ、一太郎の新バージョンを発売直後に買おうと思っていたのに、何となく見送ってしまいました。思えば、ワープロ専用機のときは9年も同じものを使っていたわけで、良く辛抱したと我ながら感心します。それに比べると、一太郎10はちゃんと使えているので、とくに買い替える必然性はありません。買い替えたらどんなに便利かということは買ってみないと分からないから、あんまり不平に思わずに我慢しています。

最近のATOKは、古典の文章をきちんと変換できる(らしい)ところが、古典文学の好きな人間としては、大きな魅力の一つです。その使い心地を試してみたいと思いつつ、今のところ必要に迫られていないので、財布の紐を緩めていません。
たぶん、このまま次のバージョンを待つのでしょう。

2004年 4月27日

外交辞令を本気にすると言う困った癖があります。

ずっと前、山口在住の方に東京で出会って、「山口に帰ったら訪ねていらっしゃい」と言われたので、早速ご挨拶にうかがったら、「あんたは誰?」という顔をされました。
温かい励ましのことばに感激して身を乗り出したら、すっと身を引かれてしまう……というのも、しばしばです。

それに懲りて、次には控えめになります。ひがみっぽいくらいに疑って、用心深くなります。
「いつでも相談にいらっしゃい」とか「できたら知らせてください」とか言われても、本気にしたら笑われるだけではないかと思って、こわくて踏み出せません。
「不遜なことを考えてはいけない」「そんな言葉をかけてもらえるほどの人間なのか」と言う声が、自分の中から聞こえてきます。びくびくしているうちに、ご厚意を無にするようなことになってしまいます。

それを反省して、次には積極的に打って出るのですが、そうすると「うぬぼれの強い人」というレッテルを貼られます。

子どもでも若い人でもないのだから、処世術について、今さら適切な判断力が身につくとは思えません。
老いるまで、こんなふうに人生を渡っていくのか、と今はあきらめの境地です。

2004年 4月26日

ストーリーに富んだ夢を、あまり見なくなりました。昔は無料で映画を見られるみたいでとても便利だったのですが……。物語の素案としても、大いに活用したものです。
(「夢」というのは、もちろん寝ている間に見る夢のことです。ストーリーに富んだあこがれや願望のことではありません。)
それでも、時々はストーリーが入り組んだ夢を見ます。

そんな夢の中には、夢の世界だけで通用する過去というのがあって、夢の途中のある時点で、夢の話の視点となる「私」(夢の主人公、現実の自分とは限らない)は、そのことを思い出します。その瞬間から、さかのぼって様々なできごとが確定されます。その直前までは、夢の中には現在しかなかったはずなのに、突然「過去にこんな事実があったから、今はこうなっているんだ」というふうに、確認されます。

この過程は、創作のときと同じです。
書き始めたときには、過去はありません。あっても、ぼんやりとしています。ただ、書き進めるにつれて、現在のできごとからさかのぼって、「過去はこうだったに違いない」という事実が導き出されます。こうして、登場人物たちに生い立ちや若かりし日や思い出や古傷、人間としての厚みや深みが加えられていきます。
これは最初からあんまり周到に用意しても意味がありません。夢の中で過去を知るときのように、作者にも、突然「わかる」のです。

今朝はひさしぶりに面白い夢を見ました。夢の中で、これは面白いから覚えておこうと思ったのに、目を覚ますとするりと忘れてしまいました。

2004年 4月24日

近ごろ帰宅が遅くなりがちで、あまり本を読めていません。
書きかけの長編の推敲を、毎日、意地で10行ずつくらいして寝ます。
ホームページの更新もそろそろ息切れがしてきました。
始める前には「週に1回くらいは更新しなくては」と考えていたので、今のペース(1〜2日に1回)は、上出来なのですが……。

早く来い、来い、GW!

2004年 4月20日

宮沢賢治記学会(イーハトーブセンター)から先日届いた会報に、今後は会員の名簿を発行しないと書いてありました。会員相互の交流という目的から逸脱した使い方が多いというのが理由のようです。
たしかに、我が家にもダイレクトメールがたくさん来ました。どう考えても、これは会員名簿を見たな、と思えるようなコマーシャルもありました。
迷惑と感じるほどの悪質なものではありませんでしたが。

一度は、地元の研究者の方から、研究発表のご案内をいただきました。
昔なじみの人が会員名簿に名を連ねているのを見つけて、「おや、あの人も賢治の愛読者だったのか」と初めて知ったこともありました。
地方セミナーで出会った人たちと「○○県の□□です。あとで名簿を見て〜」といった自己紹介を交わしたこともありました。もう、あんな会話もできなくなります。

名簿の廃止に反対ではありません。個人情報への配慮はありがたいことだと思います。けれども、いよいよお終いとなると、良かったことばかりが思い出されます。
山口県在住の会員が年々増えていくのをながめるのは、楽しみでもありました。
世間では、さまざまな名簿を悪用したビジネスが花盛り。
これもしかたのないことだけれど、ちょっと残念です。

2004年 4月19日

ほんとうに頑張っているときは、人は「自分は今、がんばっているんだ」なんて、決して思わないものです。
頑張っているときには、ふつうのことをしているつもりで、何も特別なこととは考えていなくて、本人はちっとも苦労しているつもりがありません。
後になって、もうあんまり気力がなくなったときに、「あのときはよくやったなあ」と驚嘆しつつ思い出すものです。

だから、こんなに自分は頑張っているんだ、などと思いはじめたら、注意報だと思わなくてはなりません。(自戒)

大切なのは、意識して頑張ることではなく、頑張る意識を忘れてしまうくらいに、好きになって熱中すること……。
いい仕事ができるのは、そういうときだと思うのです。

2004年 4月17日

ホームページを開設しようと思いたった理由は、大きく分けると二つあります。

まず、勤め人としての都合。
数年前からうちの職場では、外注コストを減らすため(……たぶん?)、内部の人手でホームページを作成・管理できるように、ホームページビルダーを導入しています。つまり、どの職員も、業務として「ホームページビルダー」という作成ソフトを使いこなし、ページの更新・修正ができないといけないわけです。
去年の春、同じ課にいたパソコンに詳しい人が2人そろって転出してしまいました。
ついに必要に迫られて、自宅で練習するために、ホームページビルダーのソフトを買いました(パソコンを買ったときと全く同じパターンです)。
目的もなしに操作を覚えようとしても身につかないので、練習課題として、自分のホームページを作ってみることにしました。

それから、文芸職人としての思惑。
やっぱり、自分の情報を発信できる場所があるというのはいいものです。こんな私でも、面識のない人が私の作品を読んでいたり、知っていたりするので、不特定多数の人に向けて、作品にまつわる情報や児童文学の話題を発信したいという思いはありました。
加えて、日々の生活に流されやすい境遇のサラリーマンですから、常に自分自身の「裏の仕事」を意識し、創作意欲をかきたてる環境を保つには、こういう作業をしていくのが好都合でした。

きっかけはさておき、作ること自体、大いに楽しみました。本末転倒ではないかと思うくらいに、のめり込んでしまいました。

2004年 4月15日

おそるおそるアップロードしてから、1週間が経ちました。この工房を訪れてくださった皆さん、どうもありがとうございました。
今日もまた誰か来てくれた人がいる……と思うと、何とかやっていけそうです。

2004年 4月14日

じつは、4月の人事異動で新しい所属に配置されました。昼間はサラリーマンなもので、こういう事柄は常についてまわります。

前の職場(所属課)は、わりあい最先端のIT情報などが流れ込んでくるところでした。だから、私のようなデジタル音痴の事務職員でも、なんとなく新しい情報機器だの技術だのの名称や噂くらいは耳にしていました。そんな環境の中で、ぼちぼちとホームページの開設準備をしておりました。
でも、もとがアナログ人間なので、環境が変われば、仕入れた情報を忘れていくのは、あっという間のことでしょう。
新しい仕事も覚えなくてはならないし、こんな時期にホームページ開設などをしてだいじょうぶだろうかと思いつつも、作ってしまったものは見てもらいたくなるのが、創作者(クリエーター)のさがのようです。

2004年 4月12日

私の好きな充電式の鉛筆削りが製造中止になり、各社とも充電式のタイプは作らなくなったと、先日、文房具屋さんに聞きました。とても残念です。そうと知っていれば、もう一つ予備に買っておくのだった……とても使い勝手が良かったのに。

すでに初代は使いつぶして、今の充電式鉛筆削り器は2代目です。最初のは、回転式の刃がすり減ったらしく、削りかすが粉のように細かくなり、やがて削れなくなりました。
原稿をもっぱら鉛筆で書いていたころに比べると、使い方はだいぶ穏やかになって、2代目はかなり長持ちしています。パソコンへの依存度が高くなるにつれて、鉛筆の消費量は減っていきました。それでも私にとってはなくてはならない文房具です。

いつの日か、この鉛筆削りも初代と同じように刃がぼろぼろになって朽ちるのでしょうが、それまでは大切に使わなくては……。

2004年 4月11日

トップページにも掲げていますが、今日は金子みすゞの誕生日です。生誕101年にあたります。

明治36年のこの日、山口県の仙崎(現在の長門市)に金子みすゞが生まれ、その後移り住んだ下関市で、多くの童謡を書きました。
昭和36年の別の日には、山口県の下関市に和木浩子が生まれ、幼い頃移り住んだ山口市で散文を書きました。

それがどうした、と言われそうですが……じつはそれだけです。くだらないオチですみません。同じ「36年生まれ」だということに気づいたとき、妙にうれしかったものですから。

2004年 4月10日

我が「物語工房」では、注文による制作はほとんどありません。たいていは、作りたくなったものを勝手に作り、作ったあとで売りに行きます。(めったに売れません)。
稀にはローカルで小さな仕事を受けることもありますが、とても稀です。

最近は、在庫も少なくなってきました。若いころのように、中途半端に書き飛ばせなくなったのです。未熟だけど勢いのある下書きの山に囲まれて、次から次へと書き飛ばしていたのは、30歳代のはじめ頃まででした。
もともと早く書ける方ではありませんでしたが、近ごろはますます遅筆です。
しかも取り組んだ作品は、たいていが時代考証の必要な大長編になってしまいます。今の原稿も、とりあえずの完成まで何年かかることやら……。

これだから、サラリーマンを辞めるわけにいかないのですが、サラリーマンだから充分に書く時間がないという事実もあります。でも、サラリーマンとしての生活があるからこそ、曲がりなりにも書けているのかも知れません。そのあたりは混沌としています。

2004年 4月8日 (開設日)

5年前には自分がパソコンを使う人になろうとは、思いもよりませんでした。文章を書くにはワープロで充分。うっかりパソコンを使ってウイルスにでも感染したら、大切な原稿が危険にさらされてしまう。とんでもないことだ、と思っていました。「2000年問題」とかいう、やっかいな問題があるらしいし……何のことか分からないけど……。

ところが、その次の年、職場の事情で私が経理を担当することになり、パソコンを使わなくてはならなくなりました。そこで、自宅でこっそり練習するために、思い切ってノートパソコンを購入しました。2000年の夏のことです。古いワープロ専用機よりも新しいパソコンのワープロソフト(一太郎10)の方が文章を書くのにも便利だと知って、本気で驚いたくらいのパソコン音痴でした。

でも、そのときはまだ、インターネットに接続する気はありませんでした。文書作成ができて、簡単な表計算ができれば充分だと思っていました。

外の世界と通信を始めたのは、それから1年近く経ってから。
どこかの誰かが作ったホームページが自分のパソコンの画面に映し出されるのを見て、これは何の魔法だろう、とめまいがするような思いでした。初めからパソコンの中に入っていたのではないか、ほんとうに外に繋がっているのだろうか、と。
PHSを使っていましたから、パソコンと回線をつなぐケーブルがあるわけではなく、なおさら不思議な思いがしました。

今では、インターネットのない生活は考えられないようになりました。
さて、ついに自分が発信する立場になります。

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