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書庫の中のノート

工 房 日 誌 2004年5月

2004年 5月30日

哺乳類ではない登場人物を描いていたとき、「へそ曲がり」ということばを使いかけて、手を止めました。彼に「へそ」があったっけ?
それなら「つむじ曲がり」にしようかと思って、また中断しました。果たして「つむじ」もあるかどうか……?
「ひねくれ者」は直接的で面白くないし、ちょっとニュアンスが違ってきます。

身体と感情表現は密接に関わっていて、気が抜けません。
でも、細部にこだわりつづけることは、表現にリアリティを出すチャンスでもあります。

2004年 5月29日

先週、運転免許の更新に行って来ました。2度目の更新で、はれてゴールドです。
ペーパードライバーでこそないけれど、あんまり乗っていないので威張れません。
私が卒業した自動車学校は、卒業生が事故を起こす率が低いことで評価されているそうです。
たった4ヶ月しか(も?)在籍していなかった学校でも、母校だと思うと、そういうことが誇らしく思えます。

2004年 5月26日

きのう、知り合いからインドのおみやげをもらいました。行ったのは彼女のお母さんだそうですが。「文学の神様」の像(小型の人形)だそうです。お心遣い、有り難し。

2004年 5月25日

これから事業を始めたい人や始めたばかりの人(小規模な事業者)を対象に、起業化支援セミナーという連続講座を山口市が開催しています。内容は仕事の参考になる講演をいっしょに聞いたり、営業活動のロール・プレイングをしたり、プレゼンの実習をしたりするのですが、これをきっかけに同業種・異業種の起業家仲間が知り合って、情報交換したり、人脈づくりに励んだり、刺激を受け合ったりしています。
参加した人たちは、同じ志を持った人との交流の場を得て、生き生きとしています。

実のところ、とてもうらやましいです。
文化行政でこういうタイプのことをやってくれないかなあ、と思うのですが、そういう話は聞きません。

文化活動をしていく上で、行政から補助金をもらおうとか、何か手助けをしてもらおうとか考えるようになったら、おしまいだと思います。そんな甘ったれた体質を作ってしまったら、てきめんに作品の質が落ちていくでしょう。プロでもアマチュアでも。
でも、仕事で文化活動をしたい人たちが、知り合って、刺激し合って、情報交換する場というのは、設けられないものでしょうか。

漫画家志望者と作家志望者がキャラの立て方について語り合ったり、カメラマン志望者と画家志望者が画面の切り取り方について意見を戦わせたり、シンガーソングライター志望者と俳優志望者が親の反対を説き伏せたときの体験談を語り合ったり……。

技術的なことは自分で習得するしかないのだから、欲しいのはレベルの高い刺激です。
東京の人なら当たり前のように保てる緊張感を、同じ厳しさの中で仕事をしている人たちとふれあうことによって、保てるのではないかと期待するのですが。
そういう場を設定するには、牽引力のある団体・組織の号令が有効です。あとは自発的な流れに任せて放っておいてくれればいいのです。

2004年 5月24日

山口市立図書館が開館して、7か月が過ぎようとしています。
かつては図書館建設への風当たりが強く、
「市内に県立図書館があるのに、市立図書館を建てるなんて税金の無駄遣いだ」
(県立と市立は役割が違いますから、県立図書館があるから市立図書館がいらないという理屈は、県庁があるから市役所はいらないというのと同じです。)
「よっぽど金が有り余っているのならともかく、バブルの時代でもないのに、ハコものを造るなんて」
(たいていの市にはバブル以前から市立図書館がありましたし、図書館を「ハコもの」と思うこと自体が、図書館の機能を理解していません。)
という意見が盛んに唱えられていました。

行政がようやく重い腰を上げて図書館の建設準備に取りかかってからも、市民が建設反対を述べて、問題視することがたびたびありました。(ここで言っているのは、別の施設と関連した大がかりな白紙撤回運動のことではなく、小さい集会や日常会話レベルでのことです。)

でも、山口市立図書館は連日にぎわっています。大きな声で発言する人が反対でも、何も言わない人たちに図書館を待ち望んでいた人がたくさんいたのです。
もちろん、図書館を待ち望んだ人たちの中にも、積極的に声を上げて、根気強く活動してこられた市民グループもあります。
「山口市というところには、もう市立図書館は永久にできないのかな」と思ったことも何度かありましたが、複合施設とはいえ、こうして開館にこぎ着けられたのは、この人たちのおかげだと思います。

2004年 5月21日

アマチュア演劇での舞台歴は結構長いです。どこから数えたらいいか迷うけれども、高校演劇と社会人サークルだけでも10年を越え、これに中学時代の正課クラブの3年間と、小学生のときの子ども劇団の演劇ごっこ1年間を合わせると、人生のかなりの部分を舞台で過ごしてきたことになります。
それ以前にも、5、6年生を通じて人形劇クラブに入っていたし、発表のチャンスさえあれば、クラスの女の子を誘って劇の上演をしていました。
声に出して本を読むのも好きでした。いろんな役を声色で演じ分けながら。

何が楽しいかと言えば、別の人格になれるところ。
とくに高校演劇までは(女子校だったので)男女の境さえ乗り越えて、男の人生を演じたりもできました。

創作活動にも似たところがあります。
別の人生をたどっていける。それも、老若男女の区別を越え、ときには人間を越え、動物や無生物になることもできます。

自分と同じような年齢立場の人を演じるのはとても難しい。それらしく作ることができません。本職の役者にとってはそんなことはないでしょうが、素人はインパクトのある役でないと、かえって苦労します。地でいける役というのは、実はなかなか難物です。

創作活動も同様です。
自分の身のまわりのできごとを静かに書きつづった作品は、実力のない人間には手が出せません。少なくとも私は苦手です。

結局、私にできることといえば、風変わりな思いつきを御(ぎょ)してプロットにまとめ、膨大な資料を根気よく調べて、長い起伏に富んだ物語を編み上げることです。
時間と手間がかかるけれども、これなら、努力次第で凡人にも何とかなります。

2004年 5月16日

情報紙「本が好きだもん」は読者としての私、ウェブサイト「物語工房」は創作者としての私の場所です。

「本が好きだもん」というタイトルは、(1)ユニークで、(2)覚えやすくて、(3)何についての情報紙か一目で分かるように……と考えて決めました。
(紙一枚ですから、「情報紙」であって「情報誌」ではありません。)

「物語工房」は、(1)場所を表すことばで、(2)単純で素朴で、(3)やっていることが説明なしに分かるように……と考えて決めました。
その結果、「物語工房」はちょっと平凡すぎたみたいな気がしますが……少なくとも飽きが来ることはないでしょう。

2004年 5月15日

一昨年から「本が好きだもん」という情報紙を始めました。
自分の読書の中から、これは他の人と情報を分かち合いたい、と思った本を手短に紹介しています。基本的には気に入った本、ときには期待はずれだった本なども含みます。
A4の紙の裏表に3段組2ページ分の文章を書き、家庭用のプリンタで数十枚を印刷しただけ。
全くの個人紙で、なんの根拠も制約もありません。
近隣の公共図書館3館に置いてもらって、自由に取ってもらっています。読者層の中心は児童図書に興味を持っているお母さんたち、のようです。

初めは行きがかりで作ってしまって(当初の「行きがかり」は流れたのですが)、作った以上は誰かに見せたくなってしまったことから、創刊号を出しました。
それ以後は、隔月1回、せっせとネタ集めをして、文章を書き、印刷しています。
ときには「ほとんど喜ぶ人もいないのに、何でこんなことをやっているのかなあ」と、おっくうになることがあります。
初めのころはまあまあ、最新号に限っては多少は読まれているようですが、その前の数号は知り合いを含めても20部程度しか読まれず、ほとんど自己満足の世界でした(児童図書館が閉館になったのが痛手でした)。
ホームページの立ち上げを機会にやめてしまおう、と密かに決めていたところでしたが、読者の方からお問い合わせをいただいたり、最新号はまた少し捌けが良くなったりで、やめるタイミングを逸しました。

読んだ本について自分の感じたことを見つめ直して、限られた紙面にまとめるという作業は、案外自分にとってもいい勉強になっていたような気もします。
いやでも新刊に目を光らせるようになるし……。

そろそろ、次の号をまとめる時期です。

2004年 5月9日

前回の終わりに「魔法」を描くのが好きではないと記しましたが、読むのが嫌いと言うことはありません。
「ゲド戦記」を読むまでは、おもしろい魔法の物語に出会っていなかったので、魔法の物語の安易さがいやでした。安易でない魔法なら、いやではありません。ゲドの魔法は、その世界での技術の一種であって、尊敬できます。

「ゲド戦記」は学生時代に3巻までをまとめて楽しみました。それ以降については、年月を隔てて読んだせいかもしれませんが、あまりなじめません。それなのに図書館で借りるのではなく、蔵書として買い求めて、読みふけってしまいます。

昨年の第5巻に引き続き、今年は「ゲド戦記外伝」の出版情報を入手しました。
もちろん、すでに予約済みです。

2004年 5月8日

20代の頃、「SFもどき」を書いていたことがありました。その当時は、電卓を片手に、惑星の周期だの、地球時間との誤差だのを計算していました。

今では、エクセルという強い味方がいます。
「時間が短すぎるから、もうちょっと距離を長くしよう」と思ったら、セルに入れる数字を変更するだけ。あとは全部、自動的に計算してくれます。(私が使う数式は+−×÷の範囲です)。

「SF」という分野は、硬派のファンの思い入れがとても強くて、門外漢にはなかなか近づきがたいところがあります。だから、なるべく近づかないようにしていたのですが、近ごろ再び創作意欲に駆られて、「SFもどき」に手を染めはじめました。

いくらSFファンの人に「こんなものはSFじゃない」としかられても、「SF」というジャンルに正しく属する作品を書きたいのではなく、SFであろうがなかろうが、唯一の愛しい「こんなもの」を書きたいのだから、しかたがありません。
だいたいの傾向を説明するのに便利なものだから、つい「SFみたいな作品」などと言ってしまうのですが、SFファンと無用の摩擦を起こさないためには口を慎むべきでしょう。

私が書く「SFもどき」は「サイエンス(自然科学)・フィクション」ではなくて、「ソーシャル(社会科学)・フィクション」です。異世界の人間社会を描くという点では、ファンタジーと何等変わりません。
また、いかに厳格に科学を先取りしているか、実験的な理論が見られるかというような正統派SFにとっての重点課題には全く興味がありません。(単語の選び方が正しくないかもしれません。言いたいことの大筋をご理解ください)。
物語作者にとっては、人間と人間関係と人間の社会を描くこと以上に優先する要素はありません。

ただ、私は「魔法」を描くのがあまり好きではないので、代わりに「技術」で表現するようになり、それでSFの亜種みたいに思われてしまうのでしょう。
この世界(地球)と断絶した別世界ではなく、どんなに遠くても物理的・天文学的につながっている世界(異星)だということも、「SFもどき」めいて見える理由かもしれません。

2004年 5月5日

まずまずの連休でした。といっても、家で「仕事」ばかりしていました。

気がかりだったパソコンのリフレッシュもできたし、本もある程度読めたし、何より良かったのは、書きかけの原稿がはかどったことです。
ほぼ書きあげてあった1〜3章を推敲しただけなので、あまり偉そうには言えませんが。

さて、明日からはふたたび職場の仕事です。何時に帰れるかな?

2004年 5月4日

パソコンが復帰しました。(じつは、2日の夜にはほぼ復帰していました)。
思ったよりは簡単でしたが、時間はたっぷりかかりました。
リカバリも3回目となると、だんだん慣れて図太くなり、途中で間違った操作をしてもあわてなくなりました。
その一方で、フリーソフトをダウンロードしたり、製品版のソフトや周辺機器を追加したり、初期設定を変えたり……と、新しいことをいろいろ始めるので、復帰のための作業は増える一方です。

まだ完全には元通りにしていないところもあるのですが、日常生活で頻繁に使う機能ではないので、今のところはそのままにしてあります。ふだんは軽い方がいいし……。

まずは、相棒の一太郎くんに、忘れてしまった登場人物名や特殊な用語を、覚えなおしてもらわなくてはなりません。

2004年 5月1日

パソコンの調子があまりよくありません。
前回リカバリしてから、1年4か月経ちました。ほんとうは去年の8月に画面が壊れたのですが、そのときはなぜか自分で(偶然?)ほぼ元の状態に戻せたので、そのまま使っていました。でも、その後もいろいろおかしなところがあり、突然動かなくなるのではないかと不安です。パソコン本体はまだしもですが、執筆中の原稿など、データはお金では買えません。

5連休は絶好のチャンスなので、面倒くさいけれども、思い切ってパソコンの大掃除をすることにしました。
ほんとうに面倒なのは、事前のバックアップと、事後に自分仕様のパソコンに戻すときですが。その作業量を考えると、気が遠くなりそう……。でも、だからこそ、今しかできないと思います。

というわけで、ホームページの更新は、パソコンが完全に復帰するまでの数日間、休みます。

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