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書庫の中のノート

工 房 日 誌 2006年8月

2006年 8月31日

菅野雪虫『天山の巫女ソニン 1 黄金の燕』を読み終えました。読み始める前から書評などを見て「なんとなくおもしろそうだぞ」という感触を得ていましたが、読み始めて、とても手堅く楽しめる作品だと実感しました。
自分の作品の執筆ペースが乗っているときだったので、読書のスピードは遅くなってしまいましたが、本を開いたときにはいつも楽しみ、感心しながら読んでいました。
「感心しながら」というところは、あえて言うなら、この作品が最高級ではない、という意味になるかも知れません。読みながら「なんてしっかりした作品だろう、とても新人のデビュー作とは思えない」という意識が頭のどこかにあったわけですから。でも、なかなかお目にかかれない佳作であることは確かです。
「世界」や「社会」の描き方に特別なものはないかも知れませんが(悪い意味ではなくて)、良い人も悪い人も愚かな人も生きている、あたりまえの「世間」の描き方に共感を覚えました。

私は何でもかんでもシリーズになってしまうのは好きではなくて、単発で読み応えのある作品に出会いたいものだと思っています。だから、これが早くもシリーズの1巻目に定められているのを「そんな……これだけでいいのに」という思いで見ていました。
ところが、最後まで読み終えると、そんな私も、続きが読みたいという思いにかられています。

2006年 8月27日

5月に天文学の本を読んで、自分の知識は古くなっていた、という感想を述べましたが、そのとき読んだ本に載っていた「冥王星は惑星としての地位が危ぶまれている」という内容の記述がさっそく現実のものとなりました。あの本を読んでいたおかげで、冥王星の格下げ(日本時間:8月24日の夜決定)も寝耳に水ではありませんでしたし、すんなり納得できました。個人的な感想としては、これですっきりしたような気がします。最も妥当で、整然とした結論だったといえるでしょう。大国の威信のために科学の分野の判断をゆがめるのはもってのほかです。

アメリカの一般の人たちは「一番好きな惑星なのに残念」などと言っていましたが、発見者の奥さんが「科学は進歩するものだから、科学者の夫はきっと理解するでしょう」と答えていたのは、頭が下がるとともに感動的でした。

これによって、私の書きかけの原稿も少々変わりました。「冥王星」とも「第9惑星」とも書いていないのですが……太陽系の一番外側の惑星、という微妙な表現は止めた方がよさそうです。

2006年 8月26日

図書館で『ゲド戦記の秘密』という本を見つけました。テーマは正しく「ゲド戦記」ですが、こういう本が出るのは映画化があればこそでしょう。ぱらぱらとめくった感じでは、内容は原作をおろそかにしていないけれど、表紙や編集の雰囲気は映画のファン向け、といった印象でした。これをきっかけに『ゲド戦記』の読者が増えるならうれしいけれども、大好きな『ゲド戦記』が別のものになってしまったみたいで複雑な心境です。

2006年 8月24日

テレビで、都知事が斉藤投手の腕に触れているところというのを見ました。すぐに「これが原田巧だったら、絶対に腕をふりほどいて、知事を怒鳴りつけているぞ」と連想しました。やりかねない、というより、間違いなくそうでしょう。
みなさん、「原田巧」は分かりますよね。(『バッテリー』の主人公です)

2006年 8月20日

先週と先々週、ラジオドラマで「精霊の守り人」を放送しておりましたが、無事、全回を聞くことができました(うち2回はタイマーによる録音で)。
イメージが壊れたらいやだな、と思いつつも、聞かないで済ますことは残念でできません。最終回は台風の接近でうまく音が入らないのではないかと心配しましたが、あまり影響はありませんでした。

出演者の声は(少なくとも私にとっては)イメージを裏切られるところがなく、ほぼ満足しています。これが実写のドラマだったら、もっと注文をつけたくなるでしょうけれど。

あしたからは「バッテリー」ですね。これは再放送ですが。

2006年 8月15日

10日近くもご無沙汰してしまいましたが、多忙や病気ではありません。書くことに時間を割いていました。書きかけの長編がようやく最後の章まで届きました。また最初の章に戻って手を入れていくわけですが、これからは地図のある道をたどっていくようなものです。やっと先が見えてきました。

つい最近まで、3通りくらい考えられる結末のどれになるか、自分でも分かっていませんでした。結末が分かったところで最初に戻ると、これはこういう設定にした方がいい、これは作者の考え違いだった、といった点がいくつも見つかると思います。

この年末を一つの目標として、また書き進めていきます。

2006年 8月6日

リチャード・アダムス『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のアニメがDVDになっているのをネット情報で発見しました。この7月21日に発売されたところのようです。

大学生のときにこの本を読んでから興奮もさめやらぬころ、アニメ映画があると聞いて、貧乏学生の身ではあるものの、お金を工面してきっと見に行こうと心ときめかせたものでした。ところが、映画はうちの田舎町を素通りしてしまい、縁のないままとなってしまいました。

右のジャケット(というんでしょうか?)の絵は、私が持っている評論社文庫の表紙の絵と同じなので、見つけたときには懐かしさでとろけそうな気分になりました。もしかしたら話は逆で、映画のポスターや何かから文庫本の表紙をデザインしたのかもしれませんが。

因みに角川ヘラルド映画株式会社の紹介ページもありました。

このDVDが学生時代に見損ねた映画と同じ物かどうかは分かりませんが、時期的にはほぼ合致しているようです。

好きな原作を映像化したものは、見たいような見たくないような複雑な気分がしつつ、結局は見逃すことができないで見てしまうものです。
「ニュース&耳よりな情報」のページで上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」が明日からラジオドラマで放送されるという話題を掲載しましたが、ファンの気持ちは映画と同じくです。

2006年 8月2日

使い勝手がよくて気に入っていた文房具が、しばらく見ないうちに次々と販売中止になってしまいました。充電式の鉛筆削りもそうですが、透明の薄いブックカバーもなくなっていました。昔は4枚入りで80円の商品があったのに、今はもっと厚くて立派なブックカバーを1枚300円で売っているのだそうです。そんなものは別にいりません。大学ノートを保護して、間に内容を整理した紙を挟みたいだけなのですから。

鉛筆と消しゴムと原稿用紙で仕事をしていた時代が過ぎて、いつのまにか消耗品は電器店で仕入れることが多くなっていました。文房具店にはずいぶんご無沙汰をしてしまい、今さら注文をつけられた立場ではありませんが、アナログの好きな文房具が消えてしまうのは残念です。充電式の鉛筆削りが製造されなくなったのも、パソコンとプリンタの普及で、世の中の鉛筆の消費量が減ったせいでしょうか。鉛筆が大好きな私でさえ、この8年で1グロス(12ダース)を使い切っていません。

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