ホーム サイトマップ プロフィール 作品紹介 読書ノート 宮沢賢治
ご案内 blog(日記)  街 (山口) リンク

書庫の中のノート

工 房 日 誌 2009年7月

2009年 7月31日

水害と断水でどたばたしているうちに月末になっていました。
まだ山口市の災害の後始末は完全には済んでいませんが、うちの家に関しては最大の問題だった断水が解除され、あたりまえの生活が戻ってきました。
この騒ぎの間に1Kgやせたと思ったら、今日はさっそく500g戻っていました。断水の苦労のせいではなくて、ただ単に体重が少し増減しただけのことかも知れませんが。

月も改まるので、今日で災害現地リポートは終了しようと思います、(今後、何ごとも起こらなければ)。
豪雨が夏休みに入ってからだったのは、不幸中の幸いでした。子どもの登下校の被害もなかったし、学校を長期間の避難所としても授業に支障がありません。これが学期中だったら、子どもを撥ねてしまいそうで、うかつに給水車等の出入りも出来なかったでしょう。
学校給食調理員や市立幼稚園の教諭も、夏休み中だったおかげで、本来の仕事を離れて給水活動などに人手を割くことができています。

トップページのてるてる坊主ははずしました。梅雨明け宣言はまだだけれど、今日は一日晴れでした。

2009年 7月30日

今日からはもう、給水に行かなくても済みます。今日中に、市内の全地域で断水が解除されたと聞きました。半額や無料で提供されていたお風呂も、終了するようです。
それでもまだ、避難所を離れられない人たちがいます。災害対策本部の仕事もまだ続いているようです。

給水所からもらってきた水の袋を見たら、近畿地方の市から来た物でした。西日本の広い範囲からいろいろな街の職員が応援に来てくれていたのだと、改めて有り難く思いました。公務とはいえ、よその街の災害を助けに行って、そこの住民に苦情を言われたり、怒鳴られたりしながら、あくまでも低姿勢で丁寧に応対してくれていたわけですから。
たぶん、いらだって文句を言っていた人たちは、全部が山口市の職員だと思っていたのでしょう。地元の大学生もボランティアとして働いていたそうです。だとしたら、給水所できびきびと車の誘導をしていた若い女の子たちが居たのは、あれはボランティアの大学生だったのかな、と思い当たりました。

2009年 7月29日

仕事から帰ってみたら、水が出るようになっていました。あたりまえだけど、蛇口をひねっただけで水がどんどん出てきます。手を洗っても嬉しく、食器を洗っても嬉しく、シャワーを浴びても、タオルをじゃぶじゃぶお湯で洗っても、幸せな気分になれます。

山口市全体では、まだ避難している家庭もあり、さらに大雨でも降ったなら、新たな被害が発生する恐れがあります。完全に安心できるのは、もう少し先のことになりそうです。

2009年 7月28日

今日は通常の仕事は休みの日でしたが、高齢者世帯に水を配る仕事をしてきました。私が担当した地域は、ふだんの行動範囲にない地区で、田舎なので目標になる建物もなく、同姓が多く、家を探すのに時間がかかりました。これまでに何度も運んでいる人もいますが、私は今日が初めてだったので、実に要領が悪くて相棒に迷惑を掛けました。

そこの地域では、今日から水が出始めたそうで、まだ濁りがあるので飲料水は必要だけれども、一応洗濯なども出来るようになったようです。
うちはまだ断水が続いています。今日あたり復旧だと聞いていたので、かなり落胆しました。あしたは水が出るといいのですが、30日ということもあり得るみたいです。
どうやら市内で一番早く断水になって、一番遅くに復旧する地域にあたってしまったようです。もう、水を運んだり、移し替えたりするのに疲れました。

2009年 7月27日

今日は晴天でしたが、水がないので洗濯も出来ません。明日の午後からはまた天気が崩れるようです。でも、明日かあさってには断水が解除されるというニュースがあったので、終点は見えてきました。あともう少し、がんばるだけ。
いきなり水が止まった初日と違い、給水所に行ったり、雨水を溜めたりして、断水に耐える態勢も整ってきました。

大雨は近畿や東北にも及んでいるらしいので、トップページのてるてる坊主はもうしばらく吊しておきます。

2009年 7月26日

今夜は雷雨です。そろそろパソコンの電源を切ろうと思います。
それにしてもよく降るもので、いったい空にどれだけ水が溜まっていたのか。
トップページに出したてるてる坊主は、私の手作りです。素材を一から創って載せたのは初めて。天候の回復を願って。
周りの雨粒は素材屋さん(てづくり素材館)から拝借したものです。

2009年 7月25日

「被災地現地リポート」その5です。
まだ断水は続いています。雨は昼からあがり、すっかり青空が戻ってきたかと思えましたが、夕方から突然降り出して、ずっとばしゃばしゃ降り続けています。これでまた復旧が遅れるのではないかと心配です。それどころか、新たに被害が発生するところも出る可能性があります。

もう今では山口・防府地域だけの災害ではなくなり、応援に駆けつけてくれた各地でも、それぞれに被害を抱えるようになってきました。
電気とガスまで通らないところがあるそうなので、こうしてパソコンを使っていられるのはとても有り難いことです。情報も得られるし。
浸水した住宅でははるかに苦労が多いことでしょう。水に不自由する代わりに、ビニール袋やウェットティッシュなどを贅沢に使って衛生管理をしていますが、それができるのは家が無事なおかげです。

2009年 7月24日

山口市の住民による「被災地現地リポート」その4です。
一昨日と昨日は天候が落ち着いていましたが、今日は朝から降り続いています。21日と違って、ほどほどの降り方のときもありますが、屋内でも大きな音が聞こえるほど降るときもあります。
一部には断水が解除された地域もあるようですが、うちの周辺はまだ干されています。雨水を容器に確保(非飲料水)できたのが有り難い一方で、雨のせいで復旧工事は遅れているようです。新たに勧告が出て、避難所に集まっている人たちも居ます。明日もしばらくは降り続くようで、これ以上の土砂崩れなどがないことを祈ります。

2009年 7月23日

ついでに今日も被災地からの現地リポートをやります。
今夜は車を出して、地元の小学校まで給水車の水をもらいに行きました。学校の前の道路は両側から来る車が渋滞していて、交通整理の人が1台出て行くのを確認しては、次の1台を招き入れていました。行ったときには給水車1台で対応していましたが、そのうち1台が到着して、長い列が少しは早く捌けました。後から来た車は、なんと近隣の県から来た給水車でした。県内のあちこちから応援に来ていることは、市のホームページで見た給水の計画表で察しが付いていましたが、県外から駆けつけてくれるとは驚きました。

両手に6Kgずつ、合わせて12Kgの水を持って一気に車まで運びましたが、夢中だったので全然重いと感じませんでした。家に帰って容器に移し替えるときには、水の重さがずしりとこたえましたが。
つい先日読んだ『建具職人の千太郎』(岩崎京子・作)の中に、数え年10歳の女の子が水くみに追い使われて、重くて何度も往復する場面がありましたが、今ならもっと実感をこめて思いやれることでしょう。

うちの職場で断水していたのは、昨日思っていたより多く、少なくとも3人はいるようです。防府の災害で行方不明になっている方や危機一髪で逃れた方と縁故のある同僚もおり、やはり地元の災害は、テレビで見るよその地方の話とは身にしみ方が違います。

2009年 7月22日

続報です。山口市は大雨の復旧作業に追われています。
うちの職場(約30人)でも自宅が被災した人がいました。そのほか、断水で全く水が使えないのが、私を含めて二人。今日が非番だった人もいるので、実際はもっと多いかも知れません。山口市のホームページによると、市内のほとんどの区域で断水世帯があるようです。
浄水施設が大きな被害を受けたので、給水復旧のめどは全く立っていません。復旧に携わっている人たちも朝から夜中まで働いて相当に大変なはずですが。

人間は、電気を1週間とめられるよりも、水を2日止められる方がこたえるものですね。両方経験したことがあるから、自信を持って言えます。それも、2日ではすまみたいです。

2009年 7月21日

今日こそは朝から凄まじい降り方でしたが、うちの周辺では、住宅への浸水などはありませんでした。
全国ニュースですごい映像が流れたので、よその地方の人からは、山口全体が水浸しになったかと心配されたようです。
ただし、市内の給水施設が復旧するまでは、いろいろと大変なことになりそうです。

2009年 7月20日

今日は梅雨らしい降り方をしてくれました。仕事は休みなので、雨に濡れながら通勤することにならずにすみましたが。

7月に『天山の巫女ソニン』の第5巻が出るらしいと割合早めに情報を得ていたのですが、どうやら今回が最終巻のようです。
これくらいの長さですっぱりと終わるシリーズは好きです。中だるみなしに、第1巻から巻を追う毎におもしろくなって。
最終巻を読み終えたあとで、改めて絶賛したいものだと期待しています。まだ読んでいないので、感想がどうなるか分かりませんが。

2009年 7月18日

ごぶさたしました。15日の晩にひさしぶりに更新しようと思ったら、パソコンの不調でインターネットに接続できなくなっており、平日は対応する間もなく、とうとう10日以上間が空いてしまいました。

書こうと思っていたことは、
『一瞬の風になれ』1〜3がとうとう文庫本になりました!
値段も多少は安くなりますが、本棚に並べても場所を取らないし、軽いので鞄に入れて持ち歩きやすくなります。一般論として文庫化は3年経過が目安だと聞いていたのですが、まさに3年足らずというところで、かないました。

2009年 7月6日

図書館の期限内に読み切れなかった『虎と月』を、もう一度借りてきて、今度は読み上げました。元ネタとなっている『山月記』とは、大いに趣が違う話でした。
おもしろいかと聞かれればまあ、それなりにおもしろいと言えるかもしれません。当時の社会背景が書き込まれているところは、『山月記』にない『虎と月』の個性でしょう。

ただ、『山月記』を熱愛する人間としては、これは別物として無視したい気持ちです。宿業に身を焼く孤独な詩人であった李徴が、現代人並みの人権意識を持った物わかりの良い紳士になってしまい、作品は詩業への執着とは何の関係もなくなっていました。

高校2年のとき、国語の教科書に載せられていた『山月記』を初めて読んだのは、授業のときでした。たしか、美声自慢の先生が全文を朗読されたのだったと思います(家で予習していなかったようですから、いきなり次の教材に進んだのでしょう)。
教科書の文字を目で追いながら、授業中であるにもかかわらず、ぼろぼろと涙を流して泣きました。「臆病な自尊心」とか「尊大な羞恥心」とか言ったフレーズに、自分の内面をえぐられるような気がしました。
「こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ」という一文に至っては、わがことのように恥ずかしく悲しく、李徴と自分を同じに考えるのは不遜だと思いながらも、将来の自分の失意の姿を李徴に重ねました。つまり、作家を志しながらもかなわず、諦めきれずに未練がましい夢を見てしまう晩年の自分をイメージしたのでした。
そして、終わり近くの「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ」という李徴のことばに、わずかに自分の可能性を期待しました。

このとき「私は李徴になってはいけない。悔いを残してはいけない」と心に決めました。たとえ、甘い夢を見るやつだと嘲笑されても、将来の進路希望が「作家」であってもいいではないか、と。(そんなことは周囲の大人には言いませんでしたが)

その日の下校時に本屋に立ち寄り、文庫本の『山月記』を買いました。
「……己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」
「……才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰が己の凡てだったのだ。」
「……成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、この儘では、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠ける所があるのではないか、と。」
これら全体にちりばめられたメッセージを心に刻みつけ、文学修業の指針(反面教師として)のように考えました。

私の読み方は特殊なのかも知れません。17歳のときの心にぴったりと嵌ってしまったから、中島敦が創作する人の心の修羅を描いたように思いこんでいました。だから『虎と月』のあまりに違う雰囲気に、めんくらってしまったわけです。
もちろん二番煎じの作品では当然つまらないはずですから、まるっきり違うというのは適切な創り方だったかと思います。
しかしながら、素朴な説話や神話など(今昔物語集とか古事記とか)を素材にするならともかく、完成度の高い近代の短編をネタにして新しい作品を創るというのは、相手が『山月記』でなくてもハードルが高いでしょう。

上に戻る

Copyright (C) 2004-2009 waki hiroko