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クイズ解答編   

1, 15世紀のフィレンツェに存在しなかったものは次のうちどれでしょう。

正解 D.ピアノの塾 

解説
ピアノができたのは、18世紀以降です。
図書館は紀元前からありました。
銀行もありました。フィレンツェの支配者であったメディチ家も銀行家です。
大学は1321年創立です。

2, フィレンツェのニッコロ・マキャベリは「君主論」を書いたことで有名ですが、その父親セル・ベルナルドの職業は何だったでしょう。

正解 A.弁護士

解説
「セル」というのは、弁護士や公証人につける敬称です。

3, 15世紀ころ、イタリアはいくつもの国から成り立っていました。次のうち、3つは共和制の国ですが、1つは違います。共和国でないのはどれでしょう。

正解 C.ナポリ

解説
ナポリは王国でした。

4, 日本が弥生時代だったころ、中国を治めていた王朝は次のうちどれだったでしょうか。

正解 B.漢

解説
商(殷)はもっともっと前、縄文時代です。随には聖徳太子が使者を送っています。唐は隋のあとの王朝で、約300年続きました。

5, 同じく日本が弥生時代だったころ、朝鮮半島(韓半島)にあった国や地域は次のうちどれでしょうか。

正解 B.辰韓

解説
そのころ朝鮮半島には馬韓、辰韓、弁韓の三つの地域がありました。辰韓には12の小さな国があり、そのなかで最も勢いをつけた国が、後の新羅になりました。

6, 古代の日本では、翡翠の大きな原石が盛んに使われ、勾玉などに加工されていました。次のうち、当時もっぱら利用された翡翠の産地はどこでしょうか。

正解 B.越(北陸)

解説
越の姫川の水の中や河原で翡翠が採れました。
隠岐では黒曜石が採れました。久慈では琥珀が採れました。出雲の東部の花仙山では碧玉(青瑪瑙)が採れました。「碧玉」「青瑪瑙」といっても、色はブルーではなくグリーンです。

, 江戸時代、江戸で栄えていた狂言の流派は二つありました。一つは鷺流。もう一つは現在も家元が続いている流派です。それは次のうちどれでしょうか。

正解 D.大蔵流

解説
和泉流は尾張藩の抱える狂言の流派でした。明治以後、東京に進出しています。
喜多流と観世流は能楽の流派です。
江戸で栄えたのは鷺流と大蔵流です。

,13世紀の半ばから終わり頃にかけて、大国モンゴル(蒙古・元)の軍勢に三度も攻められながら、撃退したアジアの国はどこでしょう。 

正解 C.大越(ベトナム)

解説
日本は2回、ジャワは1回攻められましたが、嵐のおかげで撃退しています。
高麗は元の支配下で、最も苦しめられました。
大越(ベトナム)は苦戦しても完全に支配されることはなく、3度目には有名な「白藤江の戦い」で元軍をうち破りました。

9,平安時代の日記文学で、源氏物語を愛読した少女時代のことを書いてあるのは、次のうちどの日記でしょう。

正解 A.更級日記

解説
蜻蛉日記と土佐日記は、源氏物語よりも先に書かれています。紫式部は本人が源氏物語の作者ですから、少女時代に源氏物語を愛読することはありません。

10,物語の作中に出てくる歌(和歌、短歌)を集めたという、中世の歌集は次のうちどれでしょう。

正解 C.風葉和歌集

解説
万葉集は現存する最も古い歌集です。古今和歌集は平安時代の初期にまとめられた最初の勅撰和歌集です。金槐和歌集は鎌倉幕府の3代将軍源実朝の個人の歌集です。
風葉和歌集は他の三つの歌集に比べて有名ではありませんが、現代では失われた物語の歌も収められており、文学史の研究の上でも興味ある歌集です。

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