ここから、文章が「です。ます。調に・・・」

2007年12月14日(金)
妊娠しました
昨年と同じ日に、妊娠がわかりました。
昨年と同様、この間まで高熱を出していたので風邪薬を飲んでいた為、ちょっと不安です。
毎回この時期に風邪をひき、またこの時期に妊娠・・・
去年よりは、少し緑内障に対しても妊娠に対してもベテランになったせいか?落ち着いています。
明日は主治医の眼底検査だったのですが、検査が出来ないかもしれません。昨年同様、キサラタンをやめるつもりでいます。
2007年12月17日(月)
主治医の診察
3ヶ月ぶりに主治医の診察に行ってきました。
今回は眼底写真を撮るということで、瞳孔を開いて4種類の写真を撮りました。
CTではないという事で、妊婦でも問題ないということでした。
眼底写真は健康な人の目と比べて、全体に色が薄く神経が弱いということですが、2年前と変わらないということで安心しました。
この病院では、まず主治医以外の眼科医の診察を受け、その後主治医の診察を受けるという2重の診察をします。
院内でのセカンドオピニオンという感じです。
今回1人目の先生に「妊娠したので目薬を中止したい」事を告げると
「心配しながら目薬をするほうが体によくないし、一生の間の数ヶ月、目薬をしないからといって100歳までに目が見えなくなることはない」と言ってくれました。
この言葉が目薬を中止する決心を、後押ししてくれました。
主治医は「赤ちゃんの健康第一ということで」と目薬を休止することを承諾してくれました。
不安がないといえば嘘になりますが、昨年よりは不安がありません。楽しい妊婦生活を送りたいです。
2007年12月22日(土)
産婦人科に行きました。
今日は夫に熱海の大学病院の産婦人科へ連れて行ってもらいました。ホームページで「習慣流産の治療100%の成功率」とあったので信頼して受診しました。先生はとてもゆっくり話を聞いてくれて、又話しやすい先生でした。キサラタンについては妊娠中は中止しなくても問題ないという事を、キサラタンの情報を実際に見せてくれながら説明をしてくれました。むしろ授乳中の点眼の方が赤ちゃんに害があるようです。しかし私自身が「出来れば大事な臓器が形成されるまでは念の為に中止したい」ということを告げると「9週まで中止して、妊娠中は点眼を続けて、授乳前に再び中止する。」という方針を決めてくれました。今日はまだ週数が3〜4週間なので2月の1週目まで点眼を中止する事にしました。
早めの受診だったので赤ちゃんの姿はまだエコーで見えませんでしたが、今日は血液検査を行って、目薬の方針と受診する病院が決まったので、安心してお正月が迎えられそうです。今回の受診で子宮筋腫が2個も見つかりましたが、妊娠に支障がある場所でなかったので問題ないようです。眼科の方は、このまま東京までずっと通うのか、この大学病院の眼科にお願いするのか次の主治医の予約が3月なので、それまでに決めようと思います。
2008年3月11日(火)
その後
1月17日に再び流産してしまいました。今回は順調だったのと、つわりを乗り越えたので、信じられないという気持ちで今日まで日記を書く気持ちになれませんでした。毎日声を上げて泣いていましたが、冬眠から覚め今は元気に暮らしています。
1月17日はベッドの上で、赤ちゃんの名前を名づけの本を見ながら考えていました。そしていきなり出血・・・。流れる血液を右手に受け止めながら病院に電話しました。昨年の流産は、妊娠の自覚症状も流産の自覚症状もなく、そのまま手術だったので、悲しいと言う気持ちさえ良く分からない状態だったのですが、今回は生々しい血液の映像が頭から離れませんでした。次の日病院にいくと、やはり流産しているということだったのですが「すべて流れているので手術をしなくても、このまま1週間から10日で出血が止まります」と言われ、特に薬も処方されずに家に帰りました。
手術しない方が、体に負担がないそうです。

それからの2週間は体がだるくて、悲しくて、赤ちゃんと一緒に消えてしまいたい気分でした。
昼間は声をあげて泣き、夜は夫の前でがんばって笑っていました。
2週間後に診察に行くと「子宮の中は、もう水しか残っていなくてきれいになっているので、明日から運動やお風呂も大丈夫ですよ。」と言われました。それからの2〜3日は体力を戻す為にスポーツクラブに行ったり仕事をしたりと、元気に過ごしていました。

それが2月6日の夜9時過ぎから、突然の激しい腹痛と腰痛があり、1リットルほどの大量出血。
通っていた大学病院へ電話すると、すぐに救急車を呼ぶように言われました。貧血で震えが出て、意識が遠くなりながら「119番」へ電話をしました。救急車で横になると、安心したのか気が遠のいてきたのですが、搬送先の病院が決まらず、ずっと家の前から移動しないのでニュースで話題の「病院たらいまわしの上、死亡」と言うのが脳裏をかすめました。その間もどんどん出血していていました。
結局大学病院で受け入れてくれるということになり、1時間かけて病院に到着しました。
今回は主治医ではなく、もう一人の先生が見てくれたのですが、原因は先日の流産がすっかり残っていることによる大量出血。
先生はこの状態で入浴やスポーツをしていたことに驚いていました。処置後に帰れたのですが、処方してもらった痛み止めを入れ忘れられ、朝まで痛みで眠れませんでした。どこまでもついていませんでした。
昨年は手術を行ったので、2週間後には元気に過ごしていたのですが、今回は1ヶ月も経過したあと大量出血。こんなことなら手術した方がましだったという気持ちと、流産から1ヶ月経って気持ちも少しずつやわらいできた時にこの出血で、医師への不信感なども混じって混乱していました。
3日後に主治医の診察があったのですが、開口一番「今日はどうしましたか?」という言葉に驚くというよりあきれました。子宮の中はきれいになっているという診断だったので仕事やスポーツをしていたのに、あの大量出血。自宅にいる時だったから良かったものの、外出先でなっていたらと思うとぞっとします。結局胎盤も全て子宮に残っていたので、感染症の心配さえあったのに「今日はどうしましたか?」と言う何事もなかったような言葉。その時の私には何かを言う元気もなく、そのまま診察室を後にしました。
流産から2ヶ月経った今は、主治医を変え、希望をもって生活しています。私には優しい夫がいるので乗り越えられます。
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