喜多方市
旧耶麻郡高郷村(〜H18) |
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荻野館 |
荻野館跡付近(JR磐越西線荻野駅ホームより)。 |
【所在地】 |
喜多方市高郷町上郷細田
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【別称】 |
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【築城年】 |
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【築城者】 |
武藤氏か |
【城主変遷】 |
武藤氏 |
【廃城年】 |
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【現状】 |
宅地、山林 |
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築城年代、築城者は不明だが、天正年間(1573-92)頃に武藤出雲員綱、右馬允與綱父子が居住したとされる。年代から察するに蘆名氏家臣であろう。東西三十六間、南北四十間の規模であったという。
JR磐越西線荻野駅の北東に所在する様ですが、現在は宅地となっており侵入が躊躇われます。遺構の有無は全く判りませんが、関連地名として的場、馬場といった字名が残っている様子です。
高郷には知人が何人かいますので、その伝と高郷村史を手に再訪してみよう…。 |
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福富館 |
福富館跡(熊野神社)。 |
【所在地】 |
喜多方市高郷町太田賀
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【別称】 |
大原村塁 |
【築城年】 |
永延二年(988) |
【築城者】 |
城重則 |
【城主変遷】 |
城氏[安倍氏]…大原氏… |
【廃城年】 |
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【現状】 |
熊野神社、山林 |
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平安時代、越後国蒲原郡より会津への進出図った、越後平氏城四郎重則が築いた会津八館の一。
重則は永延二年(988)会津進出の足掛かりとして八館を築き、河沼郡猿戻城を主城として自らの居城とし、福富館には安倍次郎を配したという。しかし重則は正暦二年(991)慧日寺の寺代官斎藤佐渡守宗顕との合戦に敗れ片門村十文字原で自刃、八館の家臣はことごとく殉死したとされる。後に大原兵庫政行が居住したという。
大原集落の東側、熊野神社周辺が館跡の様です。写真の鳥居を真っ直ぐ登って行くと小さな熊野社の祠がありますが、かなり薄暗くなってからの訪問だったため撮影は出来ませんでした。祠の周囲には取り立てて遺構と思える様なものもなく、また参道にも特に目立った遺構は見られませんでした。参道の左右は森林となっており、侵入すれば何かしらあったのかもしれませんが、さすがに夕方に林の中をウロウロしたくも無かったので早々に退散しました。 |
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【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)、「福島県文化財調査報告書第197集
福島県の中世城館跡」(福島県教育委員会1988) |
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