迫城跡標柱。 |
【所在地】 |
角田市平貴字迫
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【別称】 |
南館、桜田館 |
【築城年】 |
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【築城者】 |
迫氏か |
【城主変遷】 |
迫氏…伊達氏[桜田氏] |
【廃城年】 |
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【現状】 |
果樹園、耕作地 |
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築城年代は不明、標柱に迫伯耆(迫兵衛か)の居城とあるが、所在地から考えると亘理氏家臣であろうか。また「日本城郭大系」には桜田玄蕃元親の居城とある。元親は伊達郡河股城(舘ノ山城)主桜田右兵衛尉資親の子で、伊達氏に従い天正十三年(1585)の人取橋合戦、同十七年(1589)の摺上原合戦などに参戦している。その後宇多郡駒ヶ嶺城代となり、慶長五年(1600)関ヶ原合戦に伴う白石城攻撃の際には、駒ヶ嶺より進発して河股城を攻め落とし、梁川城、福島城の上杉勢を釘付けとする陽動作戦を見事に成功させている。慶長十九年(1614)伊達政宗の庶長子遠江守秀宗が宇和島城へ移り宇和島藩が立藩されると、政宗の命により家臣として随行し藩政を担っている。
頂部の細長い平場が本丸跡とされ、北西部に曲輪、東端に空堀が認められる。
学生の頃でしょうかね、実家の父母が何やらドライブ中に標柱を発見、その情報により訪問した城跡です。階段状に細長い平場が連なっており、栗の木が植えられてました。桜田玄蕃の居住云々については資料不足で何とも判りませんが、この迫城跡の周囲には阿武隈川を東西に挟んでやたらと城館があります。実家に行ったついでに見て回ろうと思いつつ、全然進んでいないのが現状です。 |