利府町
トップさくらとおしろ宮城県宮城郡利府町深山館
深山館
深山館跡標柱。
深山館跡標柱。
【所在地】 利府町沢乙熊野堂
【別称】  
【築城年】  
【築城者】  
【城主変遷】  
【廃城年】  
【現状】 熊野神社、山林
 築城年代、築城者は不明、中世から近世にかけて、利府城の支城として利用された城館であるという。

 東北新幹線のトンネル上、熊野神社の鎮座する丘陵が館跡で、神社脇に標柱が建てられている。


 標柱にも特に大した記載もなく、手持ちの資料にも掲載されていないので詳細がよく判りません…。熊野神社からさらに登った丘陵頂部、そしてトンネルを挟んだ保険福祉センターを含んだ一帯が範囲の様です。熊野神社の参道は途中まで階段もない坂道で、雨後の訪問だったので非常に滑りそうでした(^-^; 神社からさらに登れる様な感じでもなく、雨に濡れた草の中を歩く様なことはしない軟弱な人間なので、特に遺構を拝むことも出来ませんでした。利府町史でも読んでから出直します。
トップさくらとおしろ宮城県宮城郡利府町菅谷館
菅谷館
菅谷館跡解説板。
菅谷館跡解説板。
【所在地】 利府町菅谷館
【別称】 竹林城
【築城年】  
【築城者】 菅谷氏か
【城主変遷】 留守氏[菅谷氏(、高城氏)]…
【廃城年】  
【現状】 山林
 築城年代は不明、館主として伊沢(留守)氏家臣菅谷左近の名が伝わるので、利府城の支城の一であろう。なお松島町高城に所在する神楯城主高城氏は、当館より室町時代末期に移ったとも伝わっているという。


 標高76.7mの館山、そしてその西へ続く館囲という二つの丘陵から成っている。館山山頂の東西約80m、南北約50mの平場が主郭とされ、その周囲には2〜3段の壇が見られるという。また西の館囲と呼ばれる丘陵との連結部には、堀切、土橋などの遺構があるとされる。


 菅谷字穴ヶ沢、館跡への登り口に解説板が建てられています。お散歩中?のお母さんに訊いたら、菅谷台ニュータウン方面への登路がありその途中にお城があったらしいけど、今は荒れてて行かれないよ〜とのことでした。でもたま〜に降りて来る人がいる、ともおっしゃっていたので、菅谷台の方に行ってみましたが特に路は判らず…。解説板の所からさらに路は続いているので登ってみようかとも考えましたが、夕闇が近付いていたので今回は断念しました。
トップさくらとおしろ宮城県宮城郡利府町璃府城
利府城
利府城跡石碑。
利府城跡石碑。
【所在地】 利府町利府城内
【別称】 村岡城、師岡城、森郷城、上野館
【築城年】  
【築城者】 村岡氏
【城主変遷】 留守氏[村岡氏]−伊達氏[留守氏](1569-90)
【廃城年】 天正十九年(1590)
【現状】 館山公園、宅地、耕作地
 岩切城主留守氏一族の有力者、村岡(師岡)氏の居城であったと伝わる。

 村岡氏の主家である留守氏は、文治五年(1189)の奥州合戦の後に奥州留守職に任ぜられた伊沢家景を祖とする名門だったが、戦国時代には伊達氏へ服属することでその命脈を保っていた。14代郡宗、16代景宗、17代政景と伊達氏からの入嗣も相次ぎ、有力家臣はそれに強く反対する者もあった。特に永禄十二年(1569)に政景が入嗣した際は村岡兵衛、余目伊勢守、佐藤六郎左衛門らが強く抵抗した。特に村岡氏の反抗が最も激しかったとされ、調停工作も行われたが果たせず、結局同年末から翌年に掛けて政景の討伐を受けて村岡氏は滅亡した。村岡氏の激しい抵抗の背景には、村岡氏が留守家中最大の親大崎派であったこともあるだろう。

 村岡氏を攻め滅ぼした後、留守政景は利府城を修築し、岩切城を廃して居城とした。しかしその期間も長くは続かず、天正十九年(1590)豊臣秀吉による小田原城征伐への不参を理由に留守氏の所領は没収、利府城は廃城となり、以後伊達氏家臣団に組み込まれた。なお近世に至って当地が再び伊達氏の所領となった後も、本城が再び利用されることはなかった。

 なお留守氏は、政景が甥の伊達政宗に厚い信任を寄せられていたため要地を点々とし、黒川郡大谷城、磐井郡黄海城一関城、江刺郡金ヶ崎城の城主を勤めた。そして寛永六年(1629)水沢城主となって以降、水沢伊達氏として明治維新まで存続している。


 現在は館山公園として整備され、頂部に本丸、南面に二の丸が続き、周囲には城跡碑や案内板、記念碑などが建てられています。駐車場なども整備されておりなかなか訪問し易く、また本丸からの景色も良いので家族で訪れても楽しめる…? わたしもしばらく前になりますがりんや奥さんと一緒に訪問しました。でも初めて訪問した時は仕事で宮城に来た時、…例によって深夜だった様な気がする。当時は仕事のついでにお城巡りをしていたので、昼間には訪問出来なかったんだよな〜。次第に仕事と城攻めの割合が等しくなっていったんですが(^-^;

【参考文献】「日本城郭大系3 山形・宮城・福島」(新人物往来社1981)

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