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堀 愼吉 略歴 | ||
1936 | 高知市に生まれる。 幼年期は自家中毒を繰り返す虚弱児であった。戦時下にあって、将来への暗澹たる気分に支配されていた。 |
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1945~ | 健康を案じた両親の勧めで、山や川や海で遊ぶようになり、その楽しさを覚える。 | |
1951 | 中学3年の時、ムンクの「叫び」や「思春期」などの作品に出会う。 心の中の苦悩をえぐり出したような作品も絵画的世界だとすれば、自分の中にも同じようなものがあると感じたことが、絵筆を握るきっかけとなった。 |
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1952~55 | 二期会、水彩連盟展入選。 | |
1959 | 武蔵野美術学校(現大学)卒 | |
1960~ | 郷里で教職のかたわら現代美術の先鋭的な表現活動にたずさわる。「前衛土佐派」創立に参画。「シェル賞展」佳作賞受賞(62年)。 | |
1963~65 | 勤務していた高校内に、学生たちと陶壁(高さ3m×幅10m)を制作。 制作は、高知県立工業試験場とタイアップして、陶体に使用可能な県内の土の研究開発に取り組むことからはじめた。「土」の持つ多様性や深い実在感に感動する。 |
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1969 | 第1回現代国際彫刻展(箱根 彫刻の森美術館)に「ゴム・水・空気」を選抜出品。 この展覧会と相前後して、拡張され続ける人間的欲望に同調していくかのような進歩主義的な芸術的創造行為に対する疑いが、急速に強まる。 |
1969年 「ゴム・水・空気」 |
1970~ | 現代美術の表現活動から離脱。上京して、美術関係図書などの編集業務にたずさわる。 | |
1975 | 石子順造に出会い、山梨に祀られている無数の丸い石の神の調査・取材に誘われる。 | |
1977 | 石子順造、ガンで還らぬ人となる。 | |
1978 | 山梨で40年にわたり石神の研究を続けていた民俗学者・中沢厚を中心に、「丸石神」の取材を再開する。 これを契機に山梨に移住。 「丸石神」の取材でめぐった山深い山村で、つつましく生きる人々の美しく不屈な魂に触れる。 |
『丸石神』1980年木耳社刊 丸石神調査スタッフ: 石子順造 小島福次 遠山孝之 中沢厚 中沢新一 堀愼吉 |
1980~ | 何かをつくるという目的のためではなく、「土」の焼成変化をとおして、自然の事物の持つ底知れない深さや多様性の観察に熱中する。 | |
1988~90 | 音楽家・土取利行の「縄文鼓」研究と演奏活動に協力して、釈迦堂遺跡博物館などの有孔鍔付土器の原寸大複製。 土取利行は、根源的な音の世界を求めて世界各地の民族音楽を渉猟したのち、それまで酒造器説が有力だった縄文時代の有孔鍔付土器に対して、いち早く太鼓説をとなえ、その演奏を実現した。 |
1990年 尖石考古博物館の森で野焼きする堀と 野焼き用の薪で即興演奏する土取利行 |
1988~ | 「土」をテーマにした制作を始める。 以降、京都・軽井沢・名古屋・山梨・東京などで個展。 |
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1989~92 | 『季刊アート』(マリア書房)に「土と石の宇宙」連載。 この連載で、美濃の陶芸家・吉田喜彦と出会い、彼の紹介で「ギャラリー華」の俵有作を知り、そこで数々のみごとなプリミチブアートに触れ、衝撃を受ける。 |
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1994 | 作品集『草茅の楽土』(ギャラリー華刊)出版。「土の階調」「星の土壌」「TOTEM」のシリーズを収録。 文・中沢新一 |
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1997 | 「こんなアヴァンギャルド芸術があった! 高知の1960年代」(高知県立美術館)に参加。 | |
EXHIBITION「モノ原からの手紙」(名古屋 ギャラリーNAITO) |
EXHIBITION「モノ原からの手紙」 |
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2001 | EXHIBITION「土に学ぶ」(山梨 釈迦堂遺跡博物館) | |
2002 | EXHIBITION「大地の種」(東京 INAXギャラリー) |
EXHIBITION「大地の種」 |
2003 | 「大地への返信」(山梨 ギャラリー森呼吸) 開催中に肺気腫により死去。 |
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「高知の美術150年の100人展」(高知県立美術館) | ||
2004 | 堀愼吉ささやかな回想展(山梨 ギャラリー森呼吸) | |
2005 | 「TOR-gate to the spiritual roots」展に参加 (ドイツ ローゼンハイム市立美術館) |
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文中、敬称は略させていただきました。
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