四章 石人の物語
4-1
池の水で砂だらけの体を洗い、その後グルザリオが魔法で乾かしてくれた。しかし完全には乾かない上に冷え切った体も温めることはできず、三人は震えながら帰ることになった。その間、ブレイヤールとグルザリオは難しい顔で黙りこくったままだった。「人間に協力する石人がいたですと?」
食堂に帰り着き、ブレイヤールが大臣のルガデルロに事の次第を話す。厳格な大臣の顔は、ますます険しくなった。
「それで王子は、相手の石人をどう見立てました?」
「かなりの術士だった。あっという間に、館を砂にしてしまった。館の石には、形を保つ魔法が埋め込まれていたはずなのに」
「それで、あなた様はどうされました。城主として、魔法使いとして、その者にどう対されましたか」
「どうって……」
大臣の厳しい追及に、ブレイヤールは思わず口ごもる。そして、グルザリオと目を合わせた。グルザリオは溜息をついて助け舟を出す。
「子どもの癖に、たいした手練れでしたよ。使う魔術の趣味は最悪でしたが」
「どう巧みだったかは、もう少しお聞かせ頂かなければ、分かりませんな」
大臣はいかめしい顔つきのまま、食卓の椅子をブレイヤールに示す。ブレイヤールは溜息をついて、椅子に座る。大臣は向かいの椅子に座って構えた。グルザリオの助け舟も、大して役には立たなかったようだ。
一方のキゲイは暖炉の側で、昨晩の優しい老婦人に温かいお茶を入れてもらっていた。ブレイヤールが大臣に話し始める。耳を傾けると、どうやらキゲイが気を失った後が本番だったらしい。
レイゼルトの砂竜巻が庭園を吹き荒れたとき、遅れてブレイヤールは逆向きの力を竜巻に与えようとした。それは成功した。砂の渦は止まらなかったが、風は止まった。二人の魔法使いが風に力を加えたため、庭園の大気は不自然に停滞した。竜巻に飲まれた水は砂竜巻の中で霧になるまで細かく砕かれており、庭園に霧雨を降らした。
そこへレイゼルトは砂を、ブレイヤールめがけて叩きつけてきた。ブレイヤールの周りで砂を硬め戻し、石の中に閉じ込めてしまおうとしたらしかった。もちろんのこと、物を壊す魔法より、物を作り出す魔法の方がずっと難しい。レイゼルトはこの魔法だけでも、十分な才能を見せつけていると言える。
ブレイヤールは自分の周りに集まった砂へ、霧雨を集めて染み込ませた。水は砂を包み、ブレイヤールの魔法の支配下にあった水は、砂のほとんどを制した。しかし彼は、水をまとって重たくなった砂粒を持て余した。どう使えばいいのか、分からなかったのだ。
これら一連のやり取りで何よりまずかったのは、ブレイヤールが防戦一方だったことらしい。レイゼルトが常に先手で、うわ手だった。
ブレイヤールが迷っている隙に、レイゼルトは、ブレイヤールに奪われた砂も自分が操っている砂も、あっさり手放してしまった。代わりに、池の中央に立っていた大理石の木に魔法を当て、鋭く尖った黒曜石の葉すべてを飛び散らせた。
ブレイヤールは本格的に命の危険を感じた。恐怖に駆られ、彼は黒曜石の葉に全意識を集中させた。レイゼルトの魔力を一瞬にして葉から払い、黒曜石を木っ端微塵に砕いたのだ。反対に彼の魔法による支配は、停止した大気からも、湿った砂からも逸れた。ずっと自身を守っていた、魔法の守りも崩れてしまった。
留められていた庭園の大気が、再び激しく渦を巻いた。ブレイヤールは完全に虚をつかれて転倒し、石畳の上をなすすべもなく吹き転がされる。彼は館の基礎に頭をぶつけ、気を失った。そして黒曜石を打ち砕いたときの魔力の余波もまた、レイゼルトを襲っていた。
「結果的には、王子が奴を追い払ったことになるんでしょう。あの赤い髪をしたガキ、ふらふらになって逃げていきましたから」
グルザリオが、ブレイヤールが気絶した後の短い顛末を付け足し、話を締めくくる。大臣は、グルザリオをじろりと睨みつけた。
「おぬしは何もせんで、見とっただけか」
「俺ごときが、下手に手出しできませんよ。王子やキゲイを置いて、あいつを追いかけるわけにはいかんでしょう」
グルザリオは悪びれる風もなく、さらりと答える。
キゲイはお茶のコップを静かに置き、三人の近くに行って立ち止まった。ブレイヤールがキゲイに気が付いて顔を向ける。大臣達もキゲイを振り返る。キゲイはブレイヤールが頭に血のにじんだ包帯を巻き、顔にもひどい打撲と擦り傷を負っているのを見た。三人の石人が見つめる中で、キゲイは自分の顔が熱くなるのを感じる。涙で視界が歪む。
「あいつ、レイゼルトは、ディクレス様に雇ってもらうと言ってました。お姫様が傭兵達に捕まったときに、助けようとしてくれたんです。人間に味方するって言ってたし、それに、妙な銀の鏡を僕に預けたんです」
キゲイは涙をこぼすまいと歯を食いしばりながら、そう言った。もう、レイゼルトに関してだけは、知ってることを何でも話すつもりになっていた。レイゼルトはブレイヤールを殺しかけたのだ。いくら人間の味方でも、そのために平和に暮らしている罪もない人達を傷つけるなんて、ひどすぎる。
石人達はきょとんとしてキゲイの言葉に聞き入ったが、あまりに唐突すぎる告白に、内容を理解するのに少し時間がかかった。
「レイゼルトとな?」
しばらくして、大臣が最初にキゲイへ問い返す。口調は柔らかだった。
「殿下をひどい目に合わせた術士が、確かに、そう名乗ったのかの?」
キゲイはうなずく。それに対する石人達の反応は、妙だった。三人とも考え込む様子を見せたのだ。その表情は、一様に苦々しい。
「あいつの名前が、何か変なの……?」
キゲイがブレイヤールに尋ねると、彼は何度か首を縦に振った。自分自身でもその返事を確かめるような、用心深い頷き方だ。
「石人の名前は、生まれたときちょうど頭上に輝いている星の名から、付けられるんだ。星読みの神官が魔法の天球儀を使って、その光が僕達の目に届かない小さな星まで、見逃さずに名付けるんだ。星の名はどれひとつとして同じものはないから、石人の名前も二つとして同じものはない。レイゼルトの名を持つ者は、すでにいた。七百年ほど前の、歴史上の人物だ」
「たいそうな名前を名乗って、いきがってるもんだ。石人に恐怖を与える名前かもしれんが、同時に魔法使いとして恥っさらしな名前さな」
ブレイヤールの言葉に、グルザリオが嫌悪に顔をゆがめて呟く。
キゲイは内心首をかしげた。七百年前といえば、ちょうど人間と石人が争っていた時代ではないだろうか。ディクレス先王について石人の世界へ行くことが決まったとき、里長が地読み士達を集めて、簡単に話してくれた。
「七百年前の大戦……」
「そう。石人と人間が、争っていた時期だ。終結したのは七百と十八年前になる」
キゲイの呟きに、ブレイヤールが答える。
「人間達が、石人の持つ魔法の宝を求めて侵攻してきたんだ。でもこの戦は、三十年ばかりで終わった。人間達は石人の世界から追い返された。石人も人間も、多くを失った。戒めのために、平原の端から端まで境界石群を建てて、石人と人間の世界をはっきりと線引きしたんだよ。お互い二度と、相手の世界を侵さないと約束して。キゲイはこの先の話を、聞いておいてもいいかもしれないな」
ブレイヤールは右頬の擦り傷へ、薬湯に浸した布を当てる。レイゼルトとの争いで、彼は右半身を強く地面に打ち付けていた。特に右の頬骨は赤黒く血が滲み、ひどいありさまだ。
「長い話だから、俺がしましょう」
主の痛々しい姿に溜息をつきながら、グルザリオは大臣の隣の席に座る。実際彼の方が、ブレイヤールより話し慣れていたようだ。
「戦の原因となっていた魔法の宝というのは、禁呪だった。禁呪ってのは、人が使うにはあまりに魔法的すぎるものだ。魔法なのに魔法的すぎるって表現はおかしいかもしれないが、人が使うにはあまりに多くの犠牲を必要とする、強大な力を持つ魔法と考える方が分かりやすいかもな。人間達が狙っていたのは、とどのつまりこの魔法が記された魔術書だったわけだ」
人間と石人の戦は長く続き、先に疲労の色を見せ始めたのは石人達だった。石人は魔物との戦いは慣れていても、大勢の軍隊を相手に戦ったことなど滅多になかったからだ。味方の犠牲が大きくなるにつれ、石人の中には禁呪を用いて人間を追い払うべきだと考える者達も現れ始めた。人間が求める禁呪を人間に向けて使い、その力の恐ろしさと扱いの難しさを身を持って知らしめるのは、有効な手立てかもしれなかった。
しかし禁呪が使われることはなかった。人間との戦にうんざりしていたのは確かだが、それが禁呪を用いる正当な理由になりはしない。石人にとっても、禁呪は難しく危険な魔法だったのだ。
やがて戦は、人間達の敗走によって終わった。境界石群を建てることが決まったとき、人間と石人、それぞれの思惑はどうだったのだろうか。人間は、境界石群の向こうから、石人が復讐のために追いかけてこないことを願ったかもしれない。石人もまた、魔法もろくろく知らないような荒っぽい種族と、きっぱり縁が切れることを喜んだかもしれない。
境界石群は、大空白平原を端から端まで途切れることなく分断する長大なものだった。始端である最西端の海岸から終端である東の竜骨山脈までを、通して歩いた者はいないはずだ。人間が平原から石を切り出して運び、石人が石を地面に立てた。その石に人間は自らの神々を掘り込み、石人は星の名を刻んだ。互いに顔を合わせないよう、人間は昼に作業し、石人は夜に作業した。
石人が人間に興味を持ち始めた理由は、この時期にあるのだろう。作業場におかれた巨大な石柱を、魔法も使えない人間がどうやって切り出して運んだのか。人間の忘れ物らしい小さな楽器は、華やかな音階を奏でた。戦場では目にしたことのない人間の持ち物を、石人は初めて目にした。
境界石での共同作業によって、石人は人間達の存在をまじめに考えるようになった。人間世界は土地の持つ魔力は乏しいが、それ故に魔物も精霊もほとんどいないことを知った。石人世界に比べ、種をまけばそれ以上の実りで応える豊かな土地がそこかしこにあることも。時間を分けて境界石での作業をしていたとはいえ、決まりを破って互いに会う者達もいたようだ。それまで石人達は、人間世界にも人間にも興味はなかった。魔力を持たない土地に行けば、石人は三日で干からびてしまう。だからそこに住む人間と、交流を結ぶ必要もないはずだった。
境界石群を立て始めて数年後。すでに、石人達の当初の思惑は大きく変わっていた。
人間は不可侵の誓いを疑うことなく、境界石群での作業を続けていた。石人も変わらず境界石を立て続けてはいた。ところがその裏で、石人の国の幾つかが、人間世界を手に入れようと言い出したのだ。人間にとってはとんでもない話だ。境界石の誓いは、なんだったのか。ところが石人達にとって、人間との約束など、必要がなくなれば守る義務もないものに過ぎなかった。先の戦に勝ったのは、自分達の方なのだ。
当然、人間を支配することに反対する石人の国もあった。人間世界へ侵攻したがっている国は、禁呪によってそれをなそうと主張していたからだ。まともに戦えば手ごわかった相手でも、禁呪なら簡単に勝てるという算段だったのだろう。彼らは人間世界の富に目が眩んでいた。
もっともこれに反対する石人の国も、あまり関心な本音を持っていなかった。これを機会に相手の国から禁呪を取り上げ、自分達のものにしようと考えた。禁呪はそこに存在するだけで、大きな魔力を城に与えてくれる。魔力は石人の城を豊かにするのだ。
人間界への侵攻を主張する国々も、それに反対する国々も、その愚かさではもはやどちらも救いようがない。
やがて石人の国々は二つの陣営に分かれ、武力で争うこととなる。その間、侵攻派の国々は人間に対する禁呪の使用を唱えていたとはいえ、石人の国々に対して、禁呪を使うことはなかった。同族にそのような恐ろしい力を振るうのは、ためらいがあったからだ。
この状況に、石人世界の中心である「星の神殿」の大巫女は、ひどくお怒りになった。ところが大巫女は俗世にかかわる権限をもたない。彼女は唯一の抗議手段として、次代の大巫女を指名なさると、神殿の中枢にお篭りになった。石人世界全十二国が考えを改めない限り、一切の食事をとらず言葉も発しないと申されて。
大巫女の静かな抗議は、誰の耳にも届かなかった。石人世界は騒がしくなりすぎていたのだ。尊い大巫女は空しく亡くなり、次代の大巫女は幼すぎたため、石人達を止めることのできる者はいなくなった。
やがてこの戦は、石人達に取り返しのつかない代償を求めることとなる。
広大な湖の中にそびえ立つ赤の城は、人間界へ攻め込むことに反対していた国のひとつだった。しかし戦に負け続け、いまや目前に敵の連合軍が迫っていた。味方の国々もそれぞれに押され気味で、援軍を望める状況にない。
湖岸には、敵の軍勢が何千と布陣していた。その様は、色とりどりの花が咲き乱れているようだった。石人は自分の髪の色彩を誇りに思っており、決して頭すべてを覆う兜をかぶらない。また兵士達は、それぞれが所属する国の色を身に付けている。
赤の兵士達は圧倒的な数の敵を前に、城に篭る以外なかった。出て行けば、赤は敵の色彩の渦に巻き込まれて、消え行くしかない。兵士達は迫る運命に重苦しい夜をじっと耐えて、決戦がおとずれる夜明けを待った。
空が白む。赤の兵士達は見張りの高台から湖岸を確認する。驚いたことに、敵の姿がひとつも見当たらない。それどころか、様子が妙だ。兵士達は赤王(せきおう)の命により、湖岸へおもむく。
それは言いようのない、恐ろしい光景であった。敵の陣はそのままだった。いたる所に、敵の武具と鮮やかなマントが砂にまみれて落ちている。天幕の中も、砂だらけで無人だった。敵達はすべて、血肉を砂に変えられ崩れてしまっていたのだ。
兵士達は怯えきって戻り、赤王へ見たままを報告した。ところが赤王は顔色一つ変えず、それどころか満足そうな笑みを浮かべてこう言ったそうだ。
「それこそ禁呪。奴ら自身が用いようとしていた力なのだ」
彼はその先にも言葉を続けたそうだが、記録には残っていない。王の傍らにいた書記官の筆が、事のあまりに凍りついたためだった。
赤王が禁呪を用いて敵を一掃したという話は、その日のうちに城中に知れ渡った。すべての家臣と国民は、国王に裏切られたと感じ、王の居室へと踏み入った。彼らが見たのは、すでに冷たくなった王の亡骸と、その傍らに立つ成人した王の息子、そして涙にくれる王の妻の姿だった。詰め寄る家臣に王子は青白い顔を向け、こう言ったという。
「もはや戦どころではない。王の罪は、あがなうにはあまりに深い。だが、手を貸してくれ。まずは城にある禁呪の書をすべて破壊せねば。二度と過ちを犯さぬために」
時を同じくして、湖岸にいた本当にわずかな連合軍の生き残り達が、恐怖に鞭打たれるまま走り続けていた。そしてとうとう、赤の国の援軍に駆けつけていた白の国の軍と鉢合わせた。
白の軍ははじめ、こちらへ駆けてくるのは赤の国の使者だと思っていた。彼らの姿が赤かったからだ。しかし近づくにつれ、彼らは赤い服を身に付けているのではなく、裸で全身から血を滲ませていることに気がついた。彼らは高位の魔法使いばかりだった。全身砂だらけで、皮膚はやすりをかけられたように傷つき、頭髪も頭皮と一緒に抜け落ちていた。裸だったのも、服が肌に当たってひどい痛みを与えるため、脱いでしまっていたのだ。
白の軍は彼らから何が起こったのかを問いただすと、きびすを返して自分の国へと急ぎ足に戻っていった。
赤の国が禁呪を使ったことは、こうして瞬く間に石人世界すべてに伝わった。赤の国は禁呪によって、味方の国々はおろか敵の国々をも裏切ったと言える。石人世界の中心である「星の神殿」の神官達、そして神殿が認める正十二国のうち、赤の国を除く十一国の王が一堂に会することとなった。
常に中立にあり石人世界の行く末を見守る神殿も、沈黙し続けることは難しくなっていた。それに禁呪を使う者を罰するのは、神殿の役目でもあった。その点では禁呪を使って人間界を支配すると言っていた国々も、神殿に対する反逆を起こしていたことになる。こういった状況もあって、神官と十一人の王との会議の雰囲気は、大変とげとげしいものだった。
会議では、赤の国は禁呪をもって罰するより他はない、という意見が出た。禁呪には禁呪でしか対抗できないのだ。十一人の王達は、赤の国の王はこのまま禁呪の強大な力に魅入られて、石人世界を支配する気になるだろうと考えていた。
王達と神官は長いこと意見を交わしていたものの、結局何かを決めることはできなかった。それどころか赤王の死が伝えられてくると、元凶は消え心配事はなくなったとばかりに、それぞれの王達は自分達の国へと帰ってしまった。そして再び戦争をはじめた。神殿だけが混迷する赤の国での調査を開始した。
ところが禁呪の使い手だった赤王はいなくなったはずなのに、同じ惨事が起きた。黄緑の国と白の国が戦っていたとき、突如黄緑の軍勢が砂になって崩れ落ちたのだ。別の戦場でも事は起こった。禁呪で人間界を支配しようとしていた国々は、ことごとく砂の禁呪のえじきと成り果てたのだ。
再び神殿によって、会議が招集される。王達の顔には、恐れがありありと浮かんでいた。前回とはその顔ぶれも、いくぶん変わっていた。何人かの王は砂になって亡くなっていたのだ。
そこへ十二人目の王、新しい赤王が現れる。彼は他の王の敵意ある視線を浴びながら、会議室の中央へと歩み寄った。静かに立ち止まり、周りを円形に囲む十三の椅子を見渡す。そのひとつに腰掛けている神官の前へ、彼は先の王の名をささげた。罪を犯した王族は、命と名前をとられるのがしきたりだった。
「なぜこのようなことが続く!」
緑王が我慢できずに叫んだ。
「術者は誰なのだ!」
残りの十人の王も立ち上がる。赤王はやつれきった顔を王達へ向けた。
「わが王族に、以前にも禁呪についての罪を犯した者がおりました。幼き頃何の計らいか、封印された書庫から禁呪を盗み出した者です。名はレイゼルト。わたくしの実弟でした。禁呪に触れるは死に値する罪。しかしまだ幼い子のしたこと。今は亡き先代の大巫女様は情けをくださり、彼は罪人の塔に幽閉されるにとどまりました。
それから年月が流れ、この戦が起こりました。いつかは分かりません。また、手段も分かりません。わが先代は扉が塗りこめられているはずの塔から彼を引き出し、ひとつの禁呪を与えたらしいのです。まことに信じられませんが、彼はその禁呪を読み解きました。そして使ったのです。湖の畔で。塔に封じてから食事や衣類を小さな穴から差し入れるだけで、人との接触もありませんでした。ようやく言葉を話せるようになった程度の年の頃より塔に入ったため、まして文字など……」
赤王はその場で両膝をつき、こうべを垂れた。
「すべてはレイゼルトが手を下しております。それを指示したのは先代。今もレイゼルトは、先代の言葉通りに動いていると思われます。わが国は全力でかの者の行方を追っておりますが、いまだその影すら捕らえることかないません。一刻も早くレイゼルトを止めねば、石人の国々の半分は滅びてしまいましょう」
「それは我らに対する脅しか! 赤王!」
侵攻派の王達はそろって立ち上がる。逆に赤王は、深くひれ伏した。
「我々の力だけでは、かの者を止めるに叶いません。赤の国の禁呪はすべて捨て去りました。先代の妻が禁呪を残らず窯へ、その身と共に運び入れました。そうしてわたくし自ら火をつけ、神官長と共にすべて灰になったのを見届けたのです。少なくともレイゼルトを除き、禁呪に触れた者は赤の国より消え去りました。どうかもう戦はやめ、力をお貸しくださりませ。どうか」
赤王を罵っていた王達も、この言葉に口をぴたりと閉ざした。そこへ赤の軍が砂になったという、急な報告がもたらされる。
「これもまた、亡き先代が末息子に遺した指示の一つか」
騒然とする会議室で、神官は静かに問いかけ、赤王は弱々しく首を振ってそれに答えた。度重なる心労のあまり、赤王の心はこれ以上かき乱されることはなかった。
「力は、人の心を狂わせます。わたくしは命を懸けて、最後の罪人を追わねばなりません」
赤王はそうとだけ答えたという。赤王の「人の心を狂わせる」と言わしめた「人」とは、先代赤王だけでなくこの戦を始めた石人全てを暗に指したと言われている。