四章 石人の物語

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 話には少々ややこしい所もあったが、キゲイはあきれ返ってしまった。七百年前、人間との戦以外にもこんなことが石人世界で繰り広げられていようとは。
 ブレイヤールが先を続けた。
「結局、十二の国は協力してレイゼルトを探すことにした。ところが、協力したとたんにどの国も関係なく、砂の禁呪に襲われ始めた。レイゼルトは、石人の約半数を砂に変えてしまったと言われている。彼のせいで二つの城が滅びた。
終わりの滝年齢でいえば、ちょうどキゲイくらいかな。皆が彼を恐れた。姿も幽霊みたいだったそうだ。骨と皮だけで、目が爛々と光ってて。それでもとにかく、レイゼルトは抵抗むなしく徐々に追い詰められていった。そしてとうとう、黄緑の国の王子によって強力な一太刀を浴び、滝の下へ落ちて死んだ。かわいそうに、黄緑の王子も道連れになったそうだ。でもこうして、石人は全滅せずにすんだ。
今度こそ誰も彼も禁呪の恐ろしさが身に染みて、すべての国は持っていた禁呪全てを葬り去った。あらゆる野心も消えうせて、憂鬱な平和が訪れた。石人達はすべての発端は人間界への興味にあったと考え、人間との接触をひどく嫌うようになった。今は記憶が薄れて石人も緊張感をなくしているけど、許可なく境界石群を越えると罰則がきついのは、今でも変わらない」
 そこでブレイヤールは深く息をつく。キゲイは尋ねた。
「もしかしてこの国、レイゼルトに滅ぼされちゃったんですか?」
 ブレイヤールは首を振ったが、なぜかがっくりとうな垂れてしまう。グルザリオが代わりに答えた。
「確かにこの国は、レイゼルトを追っている時期に滅びたんだけどな。でも、レイゼルトとは直接関係ないことで滅びたんだわ。ほら、今まであちこちの石人の国と戦争してたろ? レイゼルトが現れたからといって、いきなり皆仲良く協力するってわけにゃ、いかないじゃないか。レイゼルトを追っている間も、ああだこうだ揉め合っているうちに……。その、なんだ、当時の王様があっさりと暗殺された。王には世継ぎがいなくて、王位継承にふさわしい力を持つ王族も運悪くいなかった。王のいない城は、安全が約束される場所じゃない。レイゼルトの脅威もあった時代だ。国民達は皆逃げ出し、城は空っぽに。踏んだり蹴ったりだよなぁ」
 そこで大臣が咳払いをして、グルザリオの話を止める。ブレイヤールも疲れた表情で顔を上げた。
「それで、今日王子が出会った魔法使いのことですがじゃ」
「彼が何者かという話はともかく、魔法使いとして年齢不相応に優れていたのは確かだった。大臣、言いたいことは分かってるよ。彼はいつでもこちらの命を奪えた。けどそれをせずに、魔力だけでの力比べに持ち込もうとしたんだ。彼が人間の味方だとすれば、この城や僕の実力を知りたがるのは当然かもしれない。あいつの素性が分かればいいんだけど」
「そういや……」
 グルザリオが二人の話に口を挟む。
「あのガキ、右腕に籠手をしてましたねぇ。確かレイゼルトは、右手が手首の先からないんですよ。小さい頃禁呪を右手に掴んで盗んだから、切り落とされたんだとか」
 キゲイは思い出して、慌てて口を開いた。
「はじめて僕があいつと会ったとき、あいつ、自分で言ってましたよ! 小さい頃に何か触って、右手がなくなったって」
「本当に、なかったか?」
 グルザリオの追求に、キゲイは困って首をかしげた。実際に右手がないのを確かめたわけではない。大臣がグルザリオを叱る。
「馬鹿馬鹿しい。あの子どもは才能を鼻にかけて、『レイゼルト』を気取っておるだけじゃ」
「ただの子どもとも思えないけど」
「王子、あなたまでそんなことを……」
「大臣、分かってるって! それよりキゲイ、確かあいつに、『銀の鏡を預けられた』って言ってなかった? 見せてくれるかい」
 キゲイはうなずいて、懐から銀の鏡を取り出す。少しばかり曇っていた鏡面を袖でちょっと磨いてから、ブレイヤールの方へ差し出した。ブレイヤールはしばらく鏡の上に手をかざし、躊躇する仕草を見せる。結局彼は手に取り、まずは裏返して背面の繊細な彫刻に目を細める。それもつかの間に、再び手の中でひっくり返して鏡面をじっと覗き込んだ。
 レイゼルトはその鏡を、魔法の品だと言っていた。しかしキゲイがそれを持っている間、それは銀の鏡以上のものではなかった。裏側の彫刻が美しいために、宝物みたいではあったが。
 鏡面を真剣に見つめるブレイヤールは、やがて深い溜息をついた。
「これは……。困ったな」
 呟くなりすばやい動作で鏡を裏返し、キゲイに差し出した。キゲイは受け取ったが、「困ったな」と言われた物を返されても、それこそ困る。グルザリオと大臣は、ブレイヤールと銀の鏡を心配そうに見比べた。
「魔術書の類だ。強い魔法を鏡の世界に封じている。内容は……敢えて見たいとは思わない」
 ブレイヤールは額に手を当てて、目をしばたく。グルザリオと大臣の表情が固まる。ブレイヤールは前髪をつかみながら、どこを見るともなく天井をあおいだ。
「大臣、七百年前、本当にすべての禁呪を破壊したんだろうか。『レイゼルト』は、砂の禁呪が書かれた魔術書を持っていたと言われてるんだが。あれは彼の死後、ちゃんと回収されたんだろうか。いや、まさか本当にあいつが『レイゼルト』だと考えてるわけじゃないけど……」
「調べてまいります」
 大臣が椅子を後ろに倒して、勢いよく立ち上がった。その腕を、グルザリオがつかむ。
「待ってください、大臣殿。まさか赤の国に、直接問い合わせる気じゃないでしょうね。それに王子、あんた今、その鏡を触ったんです。まかり間違って、本当に禁呪だったらどうする気で? 神殿にばれたら、首が飛びます。そうなったら白城は完全に終わりだ!」
「まだこれが禁呪と決まったわけじゃないよ。けど、出所を調べる価値はありそうだ。これはれっきとした石人の品物なんだ。それだけは、間違いないだろう」
 鏡に触れた痕が手に残ってしまったか気にするように、ブレイヤールは右手をしげしげと眺めた。それから視線だけをキゲイに移す。
「キゲイ、やり方を教えるから、その鏡の彫刻を型取りしてくれない?」
「はい。……あの、これ、僕が持ってても大丈夫なんですか」
「うん。魔法使い以外の人には、ただの鏡だよ。だけど、魔法がかけてあったね。受け取るとき、解いてしまったけど。後でもう一度かけなおしとこう。もうちょっと穏便な魔法で」
「え……。どんな魔法?」
「君以外の人がその鏡に触ると、ひどく痛い思いをする。君と鏡の距離が一定以上離れても、君はひどく痛い思いをする。鏡を盗まれたり、落としたりしてもすぐ気がつく魔法だよ」
 キゲイは思わず鏡をにらみつけた。レイゼルトもひどい魔法を鏡にかけてくれたものだ。
銀の鏡 大臣とグルザリオはレイゼルトの資料を調べるために食堂から出て行き、ブレイヤールは早速型取りの準備を整える。彼に教えられるまま、キゲイは銀の鏡を沈めた木枠の中へ溶けた蝋を注ぎ込む。後は蝋が固まるのを待てばいい。
「あの、ディクレス様達は、禁呪を探しにここに来たんでしょうか。魔法の宝を探しに行くって話だったし……」
 キゲイはおずおずと、気になっていたことを尋ねる。してよい質問かどうかは分からなかったが、彼はブレイヤールのことを信頼してもよい人物だと思いはじめていた。今ひとつ頼りないものの、その性格に軽々しさやずるさは感じられない。
「どうなのかなぁ」
 ブレイヤールは、壁の掘り込み座敷に這い上がりながら答えた。
「石人世界に禁呪がもうないことは、タバッサでそれなりに調べれば、すぐに分かることだ。それ以前に人間が禁呪を使うには、多くの優秀な魔法使いが必要になる。多くの生贄も。それもタバッサで聞ける話だ」
 彼は座卓で右腕の袖をまくり、そこにも薬を染ませた布を巻きつけた。キゲイは食卓の席に着き、ブレイヤールを見上げる。
「禁呪は力でしかない。禁呪で敵の国を滅ぼしても、その先のことがある。国を救うには、禁呪以上のものが必要なんだ。そんな奇跡みたいなものがこの世にあるんだろうか。僕にも、ディクレス殿が何を求めてこの地に来たのか、よく分からない」
 彼はキゲイの様子を見つめ、それからさらに続けた。
「いずれにせよ、ディクレス殿はこの城に来るだろう。僕は金銀財宝ならば、いくらでも出すつもりだ。それで満足して人間世界に帰ってくれるなら。事実、宝物庫のいくつかは鍵をゆるめてある。城を探索していれば、必ずそこを見つけられるだろう。これは石人の国々が僕に与えた指示でもある。どの国も、人間がこの地に入ってこようとしているのは知っているけど、何を探しに来たのかは知らない。適当な魔法の宝が見つかれば、帰ってくれるだろうと思っているのかもしれない。少なくとも魔法の宝があれば、魔術を使って敵と有利に戦えるようになるだろう」
「ちゃんとした魔法の宝じゃないと駄目なんだよ。適当な魔法の宝じゃ駄目なんだ」
 キゲイは溜息をつき、うなだれる。そこでふと彼は思い出した。
「そういえば……ディクレス様は、『希望でなく奇跡を探しに石人の世界に行く』って話してたって、里長が言ってた。えーと、予言者様が、『サイコロの目を当てて見せる』って言ってたみたい。ん、ちょっと違ったっけ」
「奇跡。奇跡か……」
「そうだ! 『石人の地に光あり。英雄が現る』って言ってたんだ!」
「英雄?」
 ブレイヤールは少し驚いた顔をして、居ずまいをただす。
「それは初耳だな。それにしても、光? 英雄って、誰?」
「さあ……。そこまでは聞いてないです」
「予言者様ねぇ」
 ブレイヤールは右腕をさすりながら、視線を宙にさまよわせる。彼の頭には、その予言が本物なのかどうか、といった疑いが浮かんでいた。もし本物であれば、その予言は石人にも関係するのではないだろうか。
 彼の視線はしばらくして、蝋の満たされた木枠へ移った。
「もう冷めてるかな。魔法をかけておいたんだけど」
 キゲイはブレイヤールに言われたように慎重に木枠をはずし、銀の鏡をはがして蝋のかたまりを渡す。
「思ったよりきれいにいったね。それじゃ、これを紙に写すか……」
「あのぅ、この鏡、どうしたらいいんですか?」
 キゲイは鏡の処理に心底困っていた。アークラントのことでも頭が一杯なのに、これ以上妙なものを抱えていたくない。そんなキゲイの心中に対し、ブレイヤールの返事はあっさりしすぎていた。
「そのまま持っていて」
「ええっ!」
「近いうちに仲間の所に帰るんだし、そのときに自称レイゼルトともまた会うだろう。なぜ彼がこんなものを君に預けたのは謎だけど、君がそれを持ってないと、まずいだろ。いっそ当人に返してしまってもいいよ」
「ううっ」
 キゲイは顔をゆがめる。そうだ。皆の所に帰るということは、レイゼルトのいる陣営に戻るということなのだ。うれしい反面、なんだかひどく気が進まない。
「でも、それ以外の人には見せちゃいけない。ディクレス様にもだ。それだけは約束して」
「はい……」
 妙な鏡ともうしばらくの付き合いになることが分かり、キゲイは情けない顔つきで仕方なく返事する。ブレイヤールはそんなキゲイを置いて、腰をさすりながら食堂から出て行った。

――奇跡を探しにくるなんて、魔法の宝探しよりひどい。まるでおとぎ話じゃないか。
 白王は胸の内でつぶやく。アークラントの行動は、まったくもって無謀で無益な、断末魔のあがきにしか見えなかった。現実的な思考から完全に逸脱している。それでもアークラントの人々は、ディクレスを勇気と知恵に恵まれた人物として慕っていた。そんな人が、こんな非常識な行動を起こすだろうか。予言者の言葉は、それほどまでに力あるものだったのだろうか。
――皮肉なものだな。ディクレス殿は光と英雄を求めて、この地にやって来た。味方として、石人にとっては闇であり、非英雄のレイゼルトを騙る者を連れて。
「アークラント。かつて英雄が建てた国。彼らは再び英雄を必要としているのか……」
 白王は中庭を見渡し、今年は春が遅れていることを思う。それから城の奥へと足早に消えていった。