五章 交錯

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 昼過ぎ。ディクレスは石人の巨大すぎる城の中を、家来を従えて探索していた。いや、むしろ散策に近いものだったかもしれない。古びた城内は、崩落の危険にさえ気をつければ他の不安は無かった。この辺りはすでに、地読み士達と雇われ魔法使い達が調べた後だ。歩を進めるたびに、精緻で巧みな装飾が施された通路や広間が現れる。美しいものを見ながら警戒し続けるのは難しいものだ。無人の城が見せるあらゆる造詣に、人々は心を許しがちになっていた。
「この城に落ちる影は、みな青いのだな」
 予言者トゥリーバは、先王の言葉に「さようで」と、同意する。
「往時はさぞかし美しい城だったのでしょうなぁ」
 ディクレスについてきた側近達も唸った。
 廊下の壁には、かつては絵画か何かをはめ込んでいたらしい窪みがいくつも続いていた。窪みには、接着剤の跡らしき黒っぽい汚れが残っている。同様の汚れは柱にも見られ、全体として殺風景な印象はあった。それでもどこまでも続く廊下や高い天井、巨大な柱は見ごたえがある。
 人間世界にはこれほどまでに巨大な城は存在しないだろうし、これほどまでの装飾を施せるほど豊かな国もないだろう。田舎の小国から出てきた者達にとっては、まさにお伽の城だ。
 一同はやがて開けた場所へと出た。誰からともなく感嘆の声が上がる。
 そこは高い吹き抜けの大ホールだった。はるか頭上にある八方の窓から光が差し込み、埃に色あせながらもなおその神秘さをたたえる天井のモザイク画を浮き上がらせている。それは羽毛で覆われた羽を持つ、蝶のような鳥のような純白の幻獣の姿を描きだしていた。またディクレスの言ったとおり、光はホールの随所に青い影を投げかけている。その青さがどこから来るのかは分からない。純白の石が、空の青さに化粧をしているのかもしれなかった。
 滅びてからの長い無人の年月は、城に重くのしかかっていた。砂埃はあらゆる物を覆い、あらゆる歪みはヒビとして無尽に現れ、盗賊達は略奪と破壊を尽くしている。ここは紛れもなく廃墟だった。しかしあたりに満ちる静寂は、侘しさよりもいっそうの荘厳さを物語る。静寂の裏には、長い時を重ねた石人の歴史が潜んでいた。
「ディクレス様、あれを」
 側近の一人が、天井まで続く柱の上部を指差す。そこには柱を包む、朽ちかけた木造の透かし彫刻があった。もともとは柱全体に彫刻が貼り付けられていたのかもしれない。天井を、数匹の小鳥達が窓から窓へと飛び過ぎていく。
「ここは、どういった場所なのだろうか」
 ディクレスは青味を帯びたホールに見とれながら、ついて来ていたレイゼルトに問う。レイゼルトは目深にかぶったフードの下から、小鳥たちの飛び去った窓に鋭い視線を向けていたが、すぐにディクレスに向き直る。
「送りの間です。その中央の石台に死者を弔い、魂を星々に送る儀式をするのです。この間では静寂が重んじられます。みだりに立ち入ったり口をきいたりすれば、災いが降りかかると言われています」
 彼は大人しい様子で、静かに答える。しかし配慮を欠いた物言いに、側近達がレイゼルトを睨んだ。レイゼルトはそっぽを向く。質問に正しい答えを返して、何が悪いといった感じだ。レイゼルトの隣に立っていた彼の師を名乗る人間の老人が、持っていた長い杖の先でレイゼルトの頭を叩いた。レイゼルトは老人を横目に見上げ、ディクレスは一人苦笑した。
「異種族の神聖な場所を汚す前に、立ち去るとよいでしょう」
 そう言ってトゥリーバも眉をひそめ、レイゼルトに射るような視線を向けた。
 一同はもと来た道を帰り始める。
「ところでトゥリーバ殿。最近の夢見はいかがですかな」
 道中側近の一人が、少し小馬鹿にした様子で年若い予言者に問いかける。
「申し訳ありませぬが、夢見は変わりませぬ」
 トゥリーバは真面目くさって答える。
「光の中の人物……、英雄。ただ、この石人の地に入ってから、その者との距離が縮まったように思われます」
 レイゼルトはトゥリーバの表情を盗み見る。瞳にかすかな戸惑いの色を読んだが、トゥリーバが気がついてこちらを見たので、彼は目を逸らした。
 トゥリーバは話題を変えた。
「ところで昨晩も申し上げましたとおり、夜になってこの城に立ち入るのは危険です。石人の世界は魔法の力が強く、我々人間にはただでさえ危険な場所です。ことに古い遺跡ともなると、魔法の力に加え、過去の亡霊すらたち現れるやも知れませぬ」
「我々は、幽霊なぞ恐れている場合ではないぞ」
 側近の一人が鼻で笑った。レイゼルトはそんな彼を戒めるかのように、再び口を開いた。
「城主の許しなく入った者は、城に滅ぼされます。この城は城主を失い滅んでいる。それでも、城は眠っても死んでもおりません。ただ沈黙しているだけ。我々をしかと見ています。それだけは、お忘れなきよう」
「しつこいぞ! 幽霊の話は、魔術師同士か子ども同士でするんだな。大体お前は『森に幻術をかけた者を探してくる』などと言って、結局何の成果も持たずノコノコ帰ってきただけではないか」
「ああ……、まことに申し訳ありません。これ、レイゼルト! もうお前は、質問されるまで口をきいてはならんぞ」
 とうとうレイゼルトの師が、側近達に頭を下げた。
「老魔術師よ、その子どもは厳しく躾けねばならんぞ! 魔法の才能があるかは知らんが、それを鼻にかけて尊大な態度をとるというのは――」
「彼は幾つかね」
 側近達の言葉をさえぎって、ディクレスの物静かな口調が聞こえた。側近達は見事なくらい瞬時に口を閉じてしまう。レイゼルトの師はうやうやしく答える。
「石人は、年を追うごとにゆっくりと老いていきます。この子は、人間で言えば十四、五才といったところでしょうか。実際には二十七、八年は生きています」
「そうか。私の若い頃の様子にそっくりだ。私が二十七、八の時のな。よくよく城臣達を困らせたものだ」
 ディクレスが城のさらに奥へ通じる廊下へ曲がったので、レイゼルトと彼の師は「一足先にテントへ戻ります」と告げ、一行と別れた。
白城の庭 二人は白い柱の林立する庭園の道を進む。それぞれの柱には細工がしてあるらしく、風が吹くたびに柱が様々な音程で歌った。レイゼルトの師はこれらの柱を不思議そうに眺め、手に触れて振動を確かめたりしていたが、やがて口を開いた。
「それにしても、あの側近連中は、愚か者ですな。人間界での考え方が通用する場所でないというのに。それすらにも気づけんとは」
「だからこそ、ディクレス様はあの者達を連れてきた。今のアークラント国内には、本当に有能な家臣しか残っていないはずだ」
 レイゼルトは笑みを含んだ声で答える。それは決して、師に対する口のきき方ではない。老人は怒るでもなく、柱を見上げながらほくそ笑んだ。
「彼らは無能と?」
「それ以下だろう。居てもらうと困る。敵国に下る機会を逃し、仕方なしに付き従っている。あるいは、ぎりぎりまで待つことで、とうとう石人の宝を手にする機会を得た悪賢い連中かもな。……トゥリーバはどうかな。人間にしては、なかなかよい魔法使いだ。予言が己の運命で曇って見えていなければ」
 老人は喉の奥で笑う。
「何であなた様はあの男をあんなに嫌うんですか。もうちょっと抑えてもよいと、不肖な弟子ながら、私めはそう思うのですが。おや?」
 レイゼルトが、庭園の半分を覆う深いいばらの茂みへ、左手をさっと突き出した。風もなく茂みが大きく揺れ、小さな影が驚いて飛び立つ。それは高く舞い上がり、寂しげな口笛の音を残すと館の向こうへと消えた。黒い尾羽と、灰色の翼を持つ小鳥だった。
「あれは、なんという鳥でしたかな。……年をとるといけませんな」
「エギン、この世界では、小さな獣相手でも油断できない」
 レイゼルトは風の中、暴れるマントの襟元を右腕の籠手で押さえた。
 二人は庭を通り抜けて城内へと入る。廊下の両側にはいくつもの部屋があり、扉のなくなった入口から室内が見て取れる。どの部屋も調度はなく、窓の近くは雨ざらしになって泥が堆積し、いつのものとも知れない枯葉が散らばっていた。閑散とした眺めだ。壁面のモザイク画は盗賊達によって荒らされ、余計にうらぶれた様子となっている。
「レイゼルトの名は石人にとって不吉この上ない」
 しばらく黙って歩いていたレイゼルトが、再び口を開く。
「七百年前は石人を滅ぼしかけた。今回はどうなる。別の名が不吉となるか。アークラントは人間と石人の境界を犯し、この世界に風穴を開けてしまった。しかし石人どもめ。人間ばかりに気をとられていると、痛い目を見るぞ」
 それはほとんど独り言だったため、エギンは答えなかった。
 廊下の先から、数人の傭兵達がどやどやと現れた。彼らも彼らなりに城の探索をしているようだった。金目の物を見つけようという下心があったのだろう。もっとも期待はあっさり裏切られ、苛ついているのがありありと見てとれる。
 レイゼルトは歩調を緩め、エギンの後ろについた。
「よおよお! 魔法使いさん達じゃないか。なんかめぼしい物は、ありましたかねぇ? こっちゃ、さっぱりだ」
「ネズミの糞すら、ありませんわな」
 エギンは相手に合わせて答える。傭兵達が廊下に広がり、二人の行く手をふさぐ。二人はやむなく立ち止まった。傭兵達はレイゼルトをじろじろと眺める。
「おい、じいさん。あんたの弟子は大丈夫か? 俺達を裏切ったりせんだろうな」
 エギンは朗らかな笑みを浮かべる。
「この子は、大空白平原に捨てられていた赤ん坊でした。わしが拾って育てたのです。本人は、自分が人間に生まれなかったのを残念に思っているくらいで」
「ほほう。そりゃ、いい子に育てたな。大空白平原にはなんでもあると聞くが、石人の赤ん坊も落っこちてるのかい。俺達も平原の方が稼げるかもしれんなぁ……」
 傭兵達は太い指で髭をごりごりこすりながら、レイゼルトから視線をはずさない。タバッサでの一件があるから、仕返ししたくてたまらないのだ。エギンは咳払いをして長い杖を床にトンと突き、レイゼルトの腕を引っ張って、傭兵達の間をすり抜ける。傭兵達もそれ以上に絡んではこなかった。やはり魔法の怖さは、身に染みていたらしい。
「魔物にでも食われて、くたばるといい」
 傭兵達の姿が見えなくなったところで、レイゼルトが押し殺した悪態をつく。
「幻術で魔物を見せて脅してやろうか。さぞかし見物になるだろう!」
 エギンはそれを聞いて、短い息をついた。
「師匠。老人になった私めから言わせていただきますと、子どもはいつまで経っても、子どものままですわい。たとえ不老不死で、何百年と生きていようと」
 レイゼルトはそれを聞いて、口元をゆがめる。
「私ぐらいの年で不老になったら、それこそ地獄だ。見識は十分なはずなのに、心がそれを認めない」
「老いてしか悟ることの出来ないものもありますからな。しかしその年でも、自重は十二分に出来なさるでしょう」
 レイゼルトは耳を塞ぐ仕草をし、エギンは肩で笑う。
「それで、行動はいつ起こされます。もうお発ちに?」
 エギンは真顔になり、声を潜める。
「もう少し様子を見てから。この城を探索して、適当な隠し場所をみつくろっておきたい」
「私は適当なところで、平原へ戻らせていただきますよ。できるだけ怪しまれず、あなたをアークラントの者達に雇わせるという目的は、達しましたから」
「そうか。どの町で待つ」
「平原の東にあるカナリーという町で。あそこで、のんびり逗留させていただきます。さて、では、お先に失礼を」
 二人は別れ、別々の方向へ去った。どちらも自分の行く先に迷いはなく、振り返りもしなかった。