九章 禁呪の復活

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 議場は百人近くが入れる広さのもので、王と神官が傍聴する場も一段高い所に設けられている。七百年ぶりに人間が大勢石人世界に侵入したことで、滅亡している紫の城を除いた十一国の代表が集う、十二国会議の体裁がとられていた。とはいえ、そこに集まったのは二十人にも満たない。結局人間達の侵入は脅威とまでは考えられておらず、実質的に人間に対処しているのは白城であり、主導しているのは黄緑の城だった。灰城は白城と同じ人間世界の境界に近い立地のため、同調的立場から偵察を出していただけに過ぎない。そのため、他国は使者一人だけが出席し、神官が数人、残りは全て黄緑の国の者達だ。
 最後にトエトリアが現れて玉座に腰を下ろすと、星の神殿の神官が、会議の始まりを告げた。灰城の偵察が人間とともに現れた石人に攻撃を受けた知らせは、すでに伝わっていた。そのため、ブレイヤールのアークラントに関する報告は、財宝を持って平原に帰った、という要点だけで済まされ、黄緑の城側の報告も、彼の報告を裏付けるだけに終わった。
 少々引っかかったのは、黄緑の城側がトエトリアのタバッサへの家出と、それに巻き込まれて散々迷惑をこうむった人間の少年について、一言も触れなかったことだ。恐らくこの話はアークラントの動向と関係がなく、黄緑の城にとっても不名誉なことだったからだろう。おかげでブレイヤールも、キゲイの話は一切しなくてもよかった。
 報告会は、人間と一緒に現れた石人の少年の話に向かいつつある。平原へ去ったアークラント王国の人間達のことは、彼らの中では過去の終わった問題になってしまったようだ。
 ブレイヤールは灰城の報告を聞きながら、胸のうちに薄暗いものがいや増すのを静かに感じた。人間世界に対する不安と、それに埋もれそうになりながらもはっきりと胸を刺す、小さな針のような恐れだった。
 灰城の報告は、偵察兵が石人の少年に攻撃を受けたくだりに差し掛かっており、石人達の反応もますます身が入ってきている。偵察兵本人も、体を支えられながら議場に姿を現す。胸から腹までを覆う傷と、膝から無くなった右足に、議場が騒然となる。ブレイヤールは自分がどこにいるかも忘れ、ひとり物思いに沈んでいく。
 誰かに肩を叩かれ、ブレイヤールは顔を上げた。左大臣の澄んだ声が耳に入ってくる。
「――石人の少年に襲われたと、おっしゃられていました。もしその少年が白の王子に匹敵する力を持つなら、これは憂慮すべきことです。彼を襲った魔法について論じる前に、王子の話を伺うべきでしょう」
 話を振られて、ブレイヤールは途方にくれる。それまでの経緯をまったく聞いていなかった自分の方が悪いのだが、石人達が一様にこちらを注目しているのを見ると、どこから話せばいいのかなどと、誰に尋ねる勇気も出ない。何かしている最中に別のことを考える癖が、どれほど間の悪い事態を引き起こすか。ブレイヤールはここで思い知る。けれどもようやく発言の機会を与えられた。そう考えて、気を持ち直す。
「人間達を探して城内を探索中に、例の少年から攻撃を受けました」
 ブレイヤールは石人達の反応を伺い、的外れなことを言ってないか確認しながら話し始める。
「最初は城の中で。彼は館の一部を砂に変えてしまいました。このとき、私は彼の実力の一端を見ました。彼が魔法を扱うことにかけて、非凡な才能と魔力を持っていると確信しました。二度目は、白城に忍び込んだ人間達の側まで行ったときです」
 ブレイヤールの「二度目」の言葉に、多くの石人が目を丸くした。二度も襲われて、緊急の報告を黄緑の城に入れなかったことを非難する者もいる。左大臣も怒りを通り越して呆れた顔をしていたが、周りの者を静かにさせてくれた。
「二度目はもっと早くに決着がつきました。私は油断していて彼の魔法で意識を奪われ、朝から日暮れまで気を失っていました」
「灰城の兵が攻撃を受けたのは、あなたが気を失った後だが、なぜあなたは一度襲われながらも、人間の動向を気にし続けたのだ」
 穏やかな声で尋ねたのは、星の神殿の老神官だった。ブレイヤールは畏まり、身を低くして拝聴する。
「気を付けていたならば、二度目の攻撃を許すようなことなどなかったはずだ。城はあなたの領域というに。白の王族が昔からそうであるように、あなたも祖先に恥じぬ優れた魔力を秘めておられることは、我々もよく知っている。そのあなたを手こずらせた魔法使いを、簡単に見逃してよいものではない」
 声とは裏腹に厳しい追及に、ブレイヤールは神妙に頷いて応じた。
「最初に彼と会ったとき、彼は自分が人間達のために行動しているようなことを話しました。境界の森に魔術をかけた私の力を探りに来たのでしょう。私としても、彼の素性を確かめるため、まずは白城を目指している人間達の侵入を待とうと考えていたのです」
 ブレイヤールは息をついて、頭を下げる。レイゼルトと遭遇した話は、うっかり口を滑らせればキゲイと銀の鏡の存在を示唆してしまう。自分の立場を守りながらもその足場を少しずつ削るように、できる限りの事実を話さなければならない。
「翌朝、私が人間達の隠れ場所の確認へ行ったとき、二度目の攻撃を受けました。警戒していたつもりでしたが、思えばあまりに軽率な行動でした。長い時間気を失って目覚めたとき、レイゼルトが城からいなくなったのは分かりました。これが私がお話できる、精一杯です」
 言ってしまって、ブレイヤールは肺が空っぽになるまで息をはいた。口を滑らせ、「レイゼルト」の名前を出してしまったことに気がついたのだ。一息遅れて、驚きや疑いを飲み込んだ緊張が、まさに水を打ったように議場に広がるのをブレイヤールは目の当たりにする。神官達だけが、激流を砕く巌のように微動だにしなかった。神官の一人が口を開く。
「その名は初めて聞きました」
「……名乗ったのです。私は七百年前の『レイゼルト』を騙っていると思っていました」
 レイゼルトはブレイヤールの前で一度も名乗ったことがない。キゲイからその名を聞いただけだ。ブレイヤールは今更のように気づいた。口を滑らせた動揺と、それに続く嘘で、ブレイヤールの声はかすれた。幸い彼の些細な変化は、レイゼルトという大きな名前の影に見逃された。多くの石人が、灰城の偵察とブレイヤールの姿を交互に見比べて顔を強張らせている。ブレイヤールがここぞとばかりに偵察の方を指し示すと、皆の視線はそちらへ向けられた。
「彼の言葉に耳を傾けてください。私よりも彼が、『レイゼルト』のことを身をもって知りました。片足を砂に変えられたという彼の言葉を、強い魔法にあてられたための恐怖が見せた幻覚とお考えですか。私もまた、砂の魔法を受けていてもおかしくはなかったのです」
「慎みなさい! みだりに口にしてはならない名だ」
 先程の神官が鋭く声を上げ、ブレイヤールの前に歩み寄る。彼は神官と向かい合ったが、言われたとおりに口を閉ざすしかなかった。滅びた城の王族でしかない彼は、神官に逆らうことはできない。
 彼は退いて、頭を下げる。灰城の偵察が受けた傷は、銀の鏡の話を出すことなくレイゼルトの存在を石人達に知らせる、降ってわいた切り札だった。だからこそ彼も、出来うる限り包み隠さず話そうとした。これで信じてもらえなければ、もう打つ手は残っていない。
「己の恐怖を他の者にまで煽るのはやめなさい。あなたまでもが、この者は禁呪で傷を負わされたと言うつもりなのか。レイゼルトは過去の罪人であり、砂の禁呪もまた、過去のものだ」
 神官は退いたブレイヤールへ、さらに戒めの言葉を浴びせる。やはり銀の鏡を見せないと、誰も信じられないかもしれない。神官の言葉にブレイヤールは失望する。
 そのとき、会議の行方を見守っていた老神官の前へ、自らひざまずいた者がいた。灰城の偵察だ。老神官は上体を傾けるほどにして、つぶれた喉から漏れるかすかな声を聞き取り、他の石人達も耳を澄ませた。とうとう兵士が激しく咳き込むと、老神官は医師らに引き取らせるよう合図する。全ての石人が見守る中、老神官は段を登って、王座に座るトエトリアの隣に立った。
「彼は私にこう言った。かの者の魔法は、私が今まで受けたことのある魔法の衝撃とはまったく違う。魂の底まで響き、心を粉々に砕くばかりだった、と。腕が良いだけ、魔力に優れているだけで、そこまで言わしめる魔法を放てるとは思えぬ。白の王子の申されるとおり、我々はレイゼルトを名乗る少年が何者なのか、どのような魔法を用いたのか、突き止める必要がある」
 老神官はそこで言葉を切り、石人達をぐるりと見渡す。ブレイヤールも上体を起こして、老神官へ顔を向けた。
「そもそも我々が予想していたのは、人間達の侵入だけだった。故にその対処も不十分なものとなり、思わぬところで白の王子の身を危険にさらし、灰城の兵に深い傷を負わせることにつながった。レイゼルトを名乗る少年も、取り逃がしてしまったのだ。これは反省すべきことだろう。白の王子一人に負わせる責任ではない。『レイゼルト』を名乗る者のことは神殿の大巫女様にもお伝えし、ご判断を仰ぐことにする。赤城にはレイゼルトの切り落とされた右手が、王墓に残されているはずだ。神殿から高位の星読み達を遣わすことにする。残された右手を調べれば、かの少年が『レイゼルト』と関連あるかどうか、分かるだろう」
 老神官の言葉は強力だった。ことに「大巫女様」の名を出したことは、石人達にとって、事態がどれだけ深刻であるかを否応無しに認識させる。一方で赤城の使者はみるみる顔色を悪くした。レイゼルトの名は他の石人以上に、赤城の者にとって悪夢よりも忌まわしい過去だったのだ。
「我々も、その少年を探す手がかりをつかまなければなりません」
 黄緑の城の左大臣が発言した。十一国側としても、全てを神殿に仕切らせるつもりはない。他の国の使者達も左大臣の言葉に同意し、白城での手がかり収集に人を送ることを決める。ブレイヤールはといえば、これを素直に受け入れるしかなかった。
 使者達と神官は、それぞれの役割や権限の範囲について議論をはじめていた。十一国側は出来る限り神官の関わる事柄を制限しようと苦心し、神官側も十一国側が人間相手にとった穴だらけの警備体制を批判して、レイゼルトの捕縛を主導しようとする。ブレイヤールは議論に熱を帯びてきた集団の中で、次第に外へ押しやられてしまう。文字通り、完全に蚊帳の外になっていた。
「あの、皆さん、お聞きください! 確かに彼の足取りを追い、捕らえるのは、何よりも優先すべきことです。しかし人間達もまだ平原に退いただけで、再び我らの世界に忍び込んでくる可能性が残されています。彼らが峡谷の向こうに退くまで、警戒を解くべきではありません!」
 ブレイヤールは石人達に声を上げる。ところが。
「その話はもう終わりましたぞ。仮に連中が境界石を再び越えることがあれば、今度はその場で追い返せばよろしい。境界石の守備は、白王子、引き続きあなたがやってくだされば、人間の心配はありません。今度はもっと強い魔術を森にかけていただきたいものですな」
 黄緑の城の右大臣が振り返り、諭すようにそう言う。ブレイヤールは食い下がった。
「私は境界石の向こうにも、さらなる注意を向けるべきだと言いたいのです。白城に現われた人間達が、どのような背景を持っているかが問題なのです」
「もうじき滅びる国からやって来たのでしょう。人間達の素性は、あなたご自身が一番よく調べてくださいましたからな。彼らが滅びれば平原への抜け道も忘れ去られ、掟を忘れた人間が群れをなして我等の世界に来ることもなくなるではないですか。混乱されているようですから、もうお引取りになられて結構です」
 右大臣はぴしゃりと言い切ると、背を向けて議論に戻る。赤城の使者がブレイヤールの側に来て、たしなめた。
「我々も取り急ぎ城に戻り、王墓に残された禁呪使いの右手を運び出す手続きをとらねばなりません。殿下も白城に戻られた方がよろしいのではないでしょうか。かの少年がどこへ去ったか、城に手がかりが残されているやも知れません」
「……それを調べるのは神殿と黄緑の国の者達になっていて、私じゃない」
 ブレイヤールは押さえた口調で答えるが、その前に赤城の使者と神官達は足早に議場を去ってしまっていた。完全に身の置き場がなくなったブレイヤールは、トエトリアのいる壇上に登って壇の端に腰掛ける。老神官は話し合いに参加するために壇を降りていたので、壇上にはトエトリアと王衛、近衛兵だけが残っていた。
「何が起ころうとしているの?」
 王座から飛び降り、トエトリアは心配そうに囁きながら、ブレイヤールの隣にかがみこんだ。王女という立場上臨席していたものの、彼女に報告会の内容は難しかったようだ。
「誰にも分からないよ。赤城と星読みの神官が、レイゼルトを見つけるならいいんだけど」
 ブレイヤールはげんなりと呟く。石人達がレイゼルトのことを考え始めてくれたのはいいが、自分自身はこれからどうしてよいか分からなかった。人間達への対処は、ある意味自分ひとりに任されたのかもしれない。しかし手足になる家来が殆どいないようでは、いったい何が出来るのだろうか。
「滅びた国の王族って、本当に不自由な身分だな……」
「そう? 私は自由だと思ってた。一日中、自分の好きなことできるから」
 トエトリアは無邪気だ。そのあまりの能天気さに、ブレイヤールは思わずまぶたを閉じて、涙をこらえる。何の悩みもなさそうな彼女が、今はとてつもなく羨ましい。トエトリアだって、反省しなければならないことはたくさんあるはずなのに。
「違うの?」
 トエトリアはブレイヤールの反応を見て、首をかしげる。しかし頭の回転だけは速い。彼女は、直後に手を打った。
「でも、うちの兵士達が白城に暫くいるなら、チャンスじゃないかな。その間、白城は兵士達が見張ってくれてることになるんだし」
 トエトリアはうきうきと飛び跳ねるような口調でそう続ける。聞き流すつもりでいたブレイヤールだが、この言葉に初めてトエトリアを見上げた。口ぶりから想像できる通り、彼女は満面の笑みを浮かべている。「境界石の向こうが気になるなら、ちょっと見てきたら?」と、そそのかしてくれているわけで、当然それ以上の深い意味はないだろう。
「さすがだね。城を空けるチャンスを見逃さないんだな」
 彼は力のない笑みを返して見せる。その表情とは裏腹に、彼はこれからどうすべきかを見出していた。トエトリアがタバッサまで行ったように、彼も行けばいいのだ。そして、そのもっと先へも――。