十一章 石人の亡霊

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黄の城 白城が石人世界の北の端にあるならば、黄城はその逆、南の端にある。城の南には湖に沈んだ深い森があり、この森から石人とは異なる人々の暮らす土地が始まっているのだ。広大な森の向こうには巨大な月が半身を覗かせ、周りを囲う星々の気配を飲みながら夜空に輝いていた。黄城は中腹から二つの山に分かれた形をしており、その二つを繋ぐ巨大な大橋を持っている。橋を支えるアーチは月の弧に負けないほど大きく、夜の遠景が最も美しい城でもあった。
 黄城を取り巻く環境は、その美しい城の姿から想像もできないほどに厳しい。南から吹く風は、石人には強すぎる魔法の気配を運んできた。黄城に住む石人達は、南風が吹くと魔除けの印を柱に描き、風除けの帆をはる。さらに南の湖に沈む森からは、風だけでなく、青白い肌をした人々が小船に乗ってやってくることもある。石人は彼らを青鬼人と呼んで嫌っていた。彼らはいつも飢えていて、隙あらば石人をさらい、代わりに食料を要求したり、我慢が出来なければそのままさらった石人を食べてしまったりする。時には大勢で黄城に押し寄せることもあった。そのために黄城の兵士達は、石人世界では珍しく、戦の仕方を心得ている。
 レイゼルトは荒れ地の丘から、この黄城の姿を望んでいた。
 すぐ隣には、青紫の毛皮に銅色の翼をたたんだアニュディの姿がある。黄緑の城から飛び立ってから、彼女は石人世界を遠回りに縦断する形でここまでやって来た。長い距離を長期間飛び続けるのは、体の大きい彼女には向いていない。体力には恵まれているとはいえ、さすがに疲労が溜まってきている。城の目前で限界を感じ、ひとまずの休憩を取るために降り立ったが、再び飛び立つほどの力はなかなか戻ってこなかった。彼女は前足を体の下にたたみ、寒風に毛並みをさらしながら眠ろうとしていた。
――彼女は休ませておこう。それに、ここからは一人で行く方がいい。
 レイゼルトは考えた末にそう決める。近くの木から長い枝を折り、先を地面に引きずりながら黄城へ向かって歩き始めた。引きずった枝の先で、アニュディのために魔法の道しるべを描きながら。これならば、彼女も黄城の近くまで一人で行けるはずだ。その後は黄城の石人が彼女を助けてくれるだろう。彼女は夢うつつで、レイゼルトが側を離れたのにも気づかなかった。
 夜が深まった頃、レイゼルトは黄城の門の側にたどり着く。門の屋根には吹流しが掲げられ、東風になびいていた。近くの岩場に身を隠して様子を伺うと、城門には数人の黄色いマントを羽織った兵士の姿がある。兵士達の武装は他の城の兵士よりも重い。黄城の兵士達は、魔物を追い払う者と青鬼人達と戦う者とで、武装も日頃の訓練も大きく異なっている。ああして鎧で体を覆う武装の重い兵士は、青鬼人向けだろう。
 レイゼルトは深く息を吸う。事は一息に運ばなくてはならない。
 最初に異変に気付いたのは、門の正面にいた兵士だ。風に乗って、細かい砂粒が顔に当たってきたのだ。仲間を振り返った兵士の目に、同僚が、身に付けている黄色いマントごと、細かな粒になって散っていくさまが映る。見る者も、砂に変わる者も、まるで夢の中の出来事のように、ただ眺めることしかできない。兵士の姿が風に掻き消えると、残った兵士達は互いに顔を見合わせた。消えた兵士が立っていた場所に駆け寄って、見えなくなった仲間を探そうと腕で宙をかく者もいる。
 レイゼルトは眉間に力を入れて目を閉じ、木の枝の杖に意識を集中させる。風に乗って細かな砂が杖の先に集まってくる。彼はそのまま杖を勢いよく振った。
 絶叫が響いた。彼らは目の前の仲間の姿が崩れていくのを見、そして自分の体も同じようになっていくのを見た。地面が彼らの体を飲み込むように、足元から砂に沈む。
 レイゼルトはその悲鳴とともに、隠れていた岩陰から飛び出した。彼の放った魔法が、黄城の門を一息に吹き飛ばす。門を走り抜けると同時に、門にいた兵士達は全て砂粒になっていた。レイゼルトの走り去った後を魔法の風が追う。風は砂を吹き上げ、空高く舞い上げていった。
 城門の大音響と絶叫を聞きつけた城内の兵士達が、次々と姿を現してくる。彼らは、古風な衣装に身を包んだ少年を認める。
「何者だ! 止まれ!」
 レイゼルトは制止を無視し、通路の先から来る兵士達も砂に変えた。そして脇の通路から現れた兵士達に、その砂をたたきつける。兵士達は眼を押さえて怯む。その隙に城門から続く建物を抜けると、黄城の裾野に広がる草地に出た。側に水路がある。水の流れを目で辿っていくと、運搬用の昇降塔が林の向こうに長い影をつくっている。
――登るのに時間がかかるな。
 レイゼルトは自分の背後に、巨大な火の壁を作り出す。これで暫くは追って来られないはずだ。後で良い目印にもなるだろう。彼は水路の桟橋にあった小舟に飛び乗る。そして魔法の言葉で編み上げた帆を、舟に張った。
「戻れ!」
 杖をかざして一声かけると、砂を含んだ風が舞い降りてきて強風に変わる。小舟は風に乗り、昇降塔めがけて水路を滑っていく。レイゼルトは後ろを振り返る。例の城門から水の波紋が広がるように、城壁に沿って明かりが灯されていくところだった。行く手の黄城を見上げると、城門から広がる明かりに異変を知り、そこでもまた明かりが増えていっている。しかし城内の兵士達に何が起こったのか詳しく伝わるまで、まだ少し時間があるはずだ。
――黄王が動くまでに、中層にはたどり着かねば。
 七百年前、戦場で多くの石人を砂に変えたレイゼルトでも、石人の城で同じことをするのがどれほど難しいか、知っている。そもそも石人であれば、敵の城に入ろうなどとは考えもしない。王が城の力を用いれば、侵入者側にはまず勝ち目がないからだ。たとえ禁呪をもってしても、城の力の前では無力だろう。それほどまでに城の力は絶対的だ。
 小舟が昇降塔まで達すると、レイゼルトは身を伏せ、帆と風の向きを変える。舟は帆いっぱいに風を受け、塔の壁を垂直に滑走する。天辺までたどり着くと、舟は焦げ臭い煙を上げながら勢い余って宙にすっ飛び、石畳の上に落ちた。魔法の帆も、たくさんの言葉を飛び散らせて粉々に消えた。砂を含んだ風は小さな竜巻になって、空に昇っていく。
 レイゼルトは城を見上げる。ようやく、下層の上部までたどり着いたところだった。崖に掘り込まれた館が目の前にそそり立っている。この館を登れば中層だ。館には、窓や柱廊から眩いばかりに明りが漏れている場所と、ほとんど明かりの灯っていない場所がある。明かりのない場所は、うち捨てられた部分だ。黄城も、今ではすべての館を満たすほど、石人の数は多くなくなっている。彼は建物の暗い部分を覚え、手近の柱から蔦を足掛かりによじ登る。薄暗い二階の柱廊の手すりに手をかけて体を持ち上げると、奥から響く足音を聞きつけた。「気をつけろ」という掛け声も聞こえる。どうやら彼が下層の守りを突破した知らせは、すでに届いているようだ。
 レイゼルトは魔法で足音を殺し、周りの暗闇を切り取って身にまとうと、階段を駆け上り始めた。どちらもごく簡単な魔法だったが、追っ手の兵士達は階下の通路を気づかずに通り過ぎて行った。子どもの悪戯みたいな魔法が効いて、レイゼルトはむしろ不安を感じる。しかしいくら進んでも、もう兵士達の追って来る気配はない。
 暗闇がざわめいた。
 レイゼルトは立ち止まって意識を集中する。どこか遠くから力が流れ込み、近づいてくるのを感じる。城の力だ。黄王が侵入者を探し出し、捕えようとしているに違いない。兵士達の姿が消えたのも、黄王の操る城の力の巻き添えを避けたからかもしれない。
――だったら、こちらもやりやすい。
 レイゼルトは杖を振りかざす。その先から真っ赤な炎が水のように溢れ出し、彼の姿を丸呑みにして廊下に満ちる。あふれ出した炎は窓から噴出し、その一部が建物の壁を舐めながら這い上がる。
 中層に広がる草地の斜面では、黄王が騎士達を引き連れて、侵入者を待ち受けていた。魔法使いを捕えるなら、広い場所に囲い込んで追い詰めていくものだ。黄王は自身でも青鬼人との戦いに赴く武人として知られた壮年の男で、魔法だけでなく剣の名手でもあった。彼は北西の城門に異常があったとの知らせを受け、最初は家来にその対処を任せていた。ところが次々に明らかになっていくとんでもない状況に、とうとう城の力を用いて敵の姿を見極め、騎士達を集めて中層に降りてきたのだ。斜面の下には長城があり、侵入者がそのまま建物の階段を上がっていれば辿り着くはずの場所だ。
 黄王は城の力を通してレイゼルトの魔力に気付き、相手がただの魔法使いではないことを実感していた。彼は再びまぶたを閉じ、自分の手を逃れた侵入者を探すため、地面の下を流れる城の力と自分の意識を重ねる。侵入者の気配は炎の熱に溶けるように消えてしまったが、しょせん一時的な目くらましに過ぎない。城にいる限り、敵は必ず捉えられる。
「陛下、長城に魔法の火が」
 騎士の声に、黄王は瞳を開ける。長城の一角が、炎を窓から噴出している。そのうちに、黄王は再び侵入者の気配を見出した。今度は肉眼でも確認できる場所に相手はいる。王は炎の明かりの中に、人影を認めた。人影はまっすぐこちらに向かって走ってくる。まるでこちらからの攻撃など考えていないかのように、まったくの無防備で。
「それがお前の姿か!」
 黄王は低い声で怒鳴り、斜面の上から侵入者を見下ろす。相手はすぐそこまで来ていた。明かりを掲げた騎士達が敵を取り囲み、王を守ろうと間に立った。敵はどう見ても子どもだ。しかし少年であること、赤い髪を持つこと、そして右手がないことに、黄王は最も望ましくない名を思い浮かべる。
「城門の兵達が砂にされたと聞いた。私は何かの間違いかと考えた。だがもし真実であるならば、そのような術が使えるのは誰かとも考えていた」
「ならば、あなたは私の名前を知っているはず」
 レイゼルトは叫び返す。まさか王の方から現れるとは思ってもいなかった。騎士達を引き連れてきたことも、むしろ彼には好都合だ。斜面の上には中層の町並みが並んでおり、そこからここを見ている者達もいるだろう。
「かつてレイゼルトという者が、砂の魔法を用いた」
 黄王は厳しい顔をレイゼルトに向けた。
「もしお前が真にレイゼルトであるならば、人の道を踏み外しただけでは飽き足らず、あの世への道も見失ったというのか。お前をここに遣わしたのは何だ。まだ同胞を殺し足りぬのか」
 黄王の言葉に、レイゼルトは湧き上がった怒りで王を一瞬睨みつけた。それでもすぐにその怒りをおさめる。
「足らぬのは確か」
 レイゼルトは口の中で呟く。王に聞こえたかどうかは分からないし、聞かせる気もなかった。彼は声を張り上げる。
「聞け! 私は思うものを砂にする。それは時経た今でも変わらない!」
 その一言で、レイゼルトの左側に立つ騎士達が砂になって崩れて行く。
「そして一度終わった命が、この世で再び目覚める悪夢を知るがいい!」
 レイゼルトは王に向かって一歩踏み出す。その右側で、やはり騎士達が砂になる。王の側を守っていた騎士達が、剣を抜いてレイゼルトに向かってきた。しかし禁呪はあまりに強く、彼らの振りかざした剣は砂とともに空しく地面に落ちる。
 王の側には、もう王衛一人しか残っていなかった。ところが王衛の引き抜いた剣は、守護の剣ではない。黄城では守護の剣は過去に失われていた。そのため黄城の王衛は、いわば形骸化した役職に過ぎない。レイゼルトは王の前に立ちはだかった王衛へ視線を向ける。
「……守護の剣に従う者は、我々の世界に近づく。守護の剣がなければ、お前にとって私は影だ。影を斬ることはできない」
 王衛の背後で、王が城の力にすべての意識を集中させるのが見えた。今度はレイゼルトが地面に崩れる番だった。彼はかろうじて両膝を付き、体を支える。目に見えない力が彼を捉え、草地の上に押し潰そうとしていた。王衛が彼に近づこうとした刹那、レイゼルトは杖を黄王に向かって投げつける。鋭く飛んだ杖は、それを打ち落とそうとした王衛を砂に変え、無防備となっていた王の額に当たる。王の体は微塵の砂になって弾けた。城の力は操り手を失い、あっという間に立ち消える。
 城の力から解放されたレイゼルトは、のろのろと体を起した。まだ終わってはいない。
 彼は左腕を高く上げ、空を掴んで握りこむ。砂含みの竜巻が夜空から舞い降り、草地で一反の疾風に変わった。風は斜面を駆け下りる。新たな砂を巻き上げて白く煙る砂嵐に姿を変えると、北の空へ去った。レイゼルトはそれを見届け、長城に向き直る。
 長城からの音は届かない。人の持つ明かりだけが忙しなく行き交っている。まだたくさん兵士がいるはずだが、誰一人としてここまでやって来る者はいない。この斜面で何が起こったか、見た者はすべて知ってしまった。あそこは混乱のるつぼと化しているだろう。黄王も、自らレイゼルトの前に姿を現さなければ、砂にならずにすんでいた。
 レイゼルトは荒い息を繰り返し、ぼんやりと建物の明かりを見つめる。緊張の糸は切れ、頭の中は空白になっていた。力は使い果たした。紫城にとどめをさし、黄城の力に抗い禁呪を用いたのだ。夜風が弱った体から容赦なく体温を奪う。寒さと疲労に歯が鳴り始めて、ようやく思考が戻ってくる。
――違う。寒さだけじゃない。
 それに気づいた直後、肌があわ立った。彼は無意識のうちに、気配を感じていた。それは黄王が消えた直後から、彼に近づき始めていのだ。あの気配はいつも無意識の向こうからやってくる。
 彼は心の底から沸々と恐怖がわき上がるのを感じ、辺りに視線をめぐらせる。その人影は近くの木立の傍に、ぽつんと佇んでいた。人影は月明かりを吸って淡く白い靄に包まれ、風にあおられて揺らめき、容貌も定かでない。しかし赤い色が頭の辺りをたぎるように舞っている。
――やはり禁呪の力を追ってきた。
 レイゼルトは自分の足元を見回す。騎士の持っていたらしい大弓が目に入った。彼はそっとそれを引き寄せる。あれだけ近くにいるのに、人影はレイゼルトの位置をはっきりつかむことが出来ないらしい。よろめきながらじわじわ移動している姿は、夜風に弄ばれているだけにも見える。
 引き寄せた弓は握りの部分に小楯が付いていた。これを地面に置いて弓の上から片足をかけると、安定しそうだ。レイゼルトは人影の位置を確かめると、魔法で弓を湾曲させ、緩んだ弦を軸に呪文の帆を立てる。新たな魔法の風を引き起こし、帆にたたき付けながら、もう片方の足で地面を蹴った。即席の草ぞりは勢いよく斜面を滑走する。城門で燃やした火の壁が、斜面から見える空の下端をわずかに赤く染めていた。レイゼルトはそちら目指してそりを走らせ、草地から飛び出す。眼下は長城の壁が下層の草地まで垂直に落ち込んでいる。
 このままもう少し、空を飛んで逃げるしかない。レイゼルトは姿を変じる。魔法の言葉とともに弓は炎に包まれ、彼の姿も火の中に溶け消えた。より強くなった風に帆は膨らみ、燃える弓を連れて天高く舞い上がる。
 一人残された白い影は、風によろめきながらレイゼルトの魔法を見送った。影は腕を伸ばす。掌から小さな赤い炎の粒が立ち昇り、レイゼルトが去った方向へ飛び立っていく。白い影は、地面に吸い込まれるようにして消え去った。