十二章 黄金色の国

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 道が上りに転じ、行く手に明るい出口が見えてくる。視界が一気に開けた。
 そこは大きな岩の広間だった。三階分もの吹き抜けになっており、各階には木の手すりがついたテラスが壁面をぐるりと囲っている。壁面の一方には窓のくり貫きがあり、夕の最後の光を取り込んでいた。木製のタイルが敷き詰められた床の上には、暖と明かりを兼ねた火桶が置かれている。天井を支えるために残された三本の岩柱は、荒く削られたままの無骨な姿だ。
 広間の最奥には厚手の毛織物を天蓋にした台が設けられ、一目で王座と分かる立派な椅子が据えてあった。椅子は差し込む夕日を浴びて、黄金色の輝きに曇って見える。広間の中でそこだけが、異質の空間を醸し出していた。王座の周りには、ありとあらゆる財宝が積み上げられていた。金銀宝石の他にも、見事な陶器の壷、手の込んだ装身具、目もあやな織物、極彩色に彩られた彫像の数々。広いだけの空洞に、なぜかそこだけが無秩序に高価なもので飾られている。
 ブレイヤールの踵をエランかニッガナームかが蹴って、王座の階段下にひざまずかせる。ブレイヤールは半ば呆れつつ、半ばこの仕打ちに憤慨しながら、豪奢な王座を見上げた。こんな王座を作る余裕があるなら、広間をもっときれいに整えたほうがいい。
「王の御なり!」
 広間にはいくつもの出入り口の穴があったが、ひとつだけ立派な木の扉が取り付けられた所がある。その両脇に整列していた十数人の石人達が、広間にとどろく大声で告げた。扉が重々しく開き、見事な体格の大女が現われる。
 たっぷりとした胴回りに、日に焼けた逞しく大きな手足。顔は横に広く、目鼻の作りも大振りで左頬から顎にかけて鮮烈な紅がひいてある。魔除けの刺青というより、顔の古傷を隠しているか目立たせているかのどちらかだろう。癖のある髪は見事な黄金色で、頭の上で縛ってまとめている。広間に入ってすぐ、鮮やかな紫の瞳はブレイヤールを鋭く見据えていた。彼女の一歩一歩には重量感があり、その足の下でタイルがミシミシと音を立てる。彼女は悠然とブレイヤールの前を通り過ぎ、王座に腰を下ろした。彼女の後から何人かの石人の子ども達が続いて現われ、王座の周りを取り囲んで、思い思いの場所に座り込む。丸めた絨毯を椅子代わりにする者もいれば、彫像の台座の端に腰掛ける者もいる。年齢はブレイヤールと同じくらいの者から、年上の子に抱かれている幼児まで様々だ。そしてどの子も同じように見事な金髪をしている。
「これはこれはクラムアネス様。今宵もご機嫌麗しく何よりでございます」
 エランが大げさな身振り手振りで、王座に向かって恭しくひれ伏す。彼はブレイヤールの髪を掴んで、一緒に頭を下げさせた。ブレイヤールも女の姿に圧倒されて、ついつい抵抗も忘れて額を床に打ち付けてしまう。あの女になら、確かにあの王座も似合う。どっちも個性が強くて、品がなくて、強烈な存在感だ。
「面白いものを捕まえたと聞いてね。子ども達にも見せてやろうと思ったのさ」
 クラムアネスは低いガラガラした声で答える。エランは再びブレイヤールの髪を引っ張って、顔を上げさせた。クラムアネスは目を細め、満足げにブレイヤールの顔を見やる。
「ニッガナーム、この坊やには見覚えがあるけど、どこの子だったかねぇ?」
「白城の王族でさ。崖の王」
 クラムアネスは明らかに無駄なやり取りで、王族を辱められるこの状況を楽しんでいた。エランもまるで王に対するようにクラムアネスに接し、ニッガナームも彼女を頭目と呼ばずに王と呼んでいる。十二色の王以外、王の存在を認めない石人世界では、こんなことはただの王国ごっこにしかならない。しかしたとえ「ごっこ」だとしても、クラムアネスは大勢の手下を従えており、ブレイヤールを殺すのも生かすのも好きに出来るのは確かだった。そして王族を殺してしまえば、これはもう「ごっこ」ではなくなる。
「茶番はもう十分だろう」
 頭を振ってエランの手を振りほどくと、ブレイヤールはクラムアネスに目を据えた。
「私を使って何がしたい? いずれにしても、お前達は神殿と十二城を敵に回すことになるぞ。この崖の中だけで大人しく暮らしていればいいものを」
 クラムアネスは王座から身を乗り出し、ブレイヤールの様子を楽しげに眺める。彼女は神殿や十二城の言葉にも動じなかった。一方で周りにいる手下の石人達がわずかな不安の表情を見せたのを、ブレイヤールは見逃さなかった。そして、クラムアネスの周りに座る彼女の子ども達も、年かさの者だけが眉をひそめて母親の背を真剣な表情で見守る。つまりここにいる石人の殆どは、神殿や十二城の権威を知っていて、恐れている。
「お前がここにいることを知ってるなら、確かに十二城は黙っちゃいないだろうねぇ。けど、神殿はどうだろうかね」
 クラムアネスは丸太のような右足を上げて、悠々と足を組む。
「滅びた国の王族のために、わざわざ神殿が動くかね? その昔は、紫城だって見捨てたのに。神殿はまだ、十二城から奪われた覇権をひとつに戻すことに、ご執心なのさ。恐ろしく気の長い話じゃないか。十二城建国は何千年前の話だってんだか。大巫女様と九竜神官様も、根っこは割れちまったしね。城にもちゃっかり神官が入り込んでる。星読みの神官どもが城内で力を持って、連中の名付けには王だって口出しできない」
 ブレイヤールは黙っていた。「名付け」の書を得られなかったために、十二城は神殿から完全に独立することができなかった。石人にとって、宇宙の星々から与えられる名前ほど、大切なものはない。名前を得られなければ死後の魂は帰る星が分からず、永遠に虚無をさまよう。
 あるいは不吉な名前を持てば、それもまた不幸だ。災いをもたらすとして神殿に連れて行かれ、生涯そこから出ることを許されず、王も彼らを城に留めることを許されない。ここの者達が城に不満を持っているとしたら、原因はそこにあるのだろうか。だとすれば、城を捨てた石人達の問題は根が深い。
「で、お前をどうするかだけど、もう用は済んでいるのさ。白の王族がいなけりゃ、白城はただの廃墟。あそこにはまだ財宝がたんまり埋もれてる。神殿も十二城の勢力がまたひとつ消えて、喜ぶだろうさ」
 クラムアネスは片腕を上げる。その合図でエランが、ブレイヤールを立ち上がらせるために襟首を掴む。ブレイヤールは苛立ち紛れに身をかわそうとしたが、ニッガナームに突き飛ばされて階段の上にうつ伏せに転んだ。歯を食い縛って痛みと屈辱に耐えながら見上げると、クラムアネスがにんまりとこちらを見下ろしている。
「自分が死んだら、『面』を顔に当てて大笑いする連中がいるってことは、知ってるだろう? 悪いけど、お前はもうあそこにゃ帰れないんだよ」
「今白城を空けたらどういうことになるか、分かっているのか!」
 再び襟首を掴まれて階段から引き剥がされながら、ブレイヤールは怒鳴った。
「大空白平原から人間達が入り込もうとしているんだ! 平原の人間と取引してるのに、何も知らないのか!」
「だ、か、ら、今が時期だったんだよ。お前をとっ捕まえるね」
「……やはりお前達は、平原の人間とつながりを持ってるんだな」
 ブレイヤールは声を落とした。相手が突然おとなしくなったのでクラムアネスはきょとんとしたが、次の瞬間には両膝を打って嬉しそうに頷いた。
「そうそう! さすがに少しは頭が回ってるようだ。わたしらが生きていくには、確かに城や神殿なんぞよりも、平原の人間どもが頼りなんだよ。ねえ、エラン。お互い随分儲けたじゃないか」
 クラムアネスは両腕を広げ、王座の周りに積み上げられている財宝を示す。しかしブレイヤールはそれを無視して、さらに問う。
「それより、『今が時期』とはどういうことだ。おまけにお前は私を捕まえて、神殿が喜ぶともいった。神殿を喜ばせることが、お前達に何か関係でもあるのか。むしろ私の姿がなくなれば、実際はどうであっても、神殿は私の行方を十二城とともに捜そうとするはず。黄緑の城は遅かれ早かれ、必ずここを探り当てるぞ。なぜ私をさらうなどという危険を冒した」
 クラムアネスの顔から笑みが消え、見た者をぞっとさせる余裕の表情だけが残った。彼女は王座から立ち上がり、階段を下りて近づく。そしてブレイヤールを哀れむように、うって変わった静かな声色でゆっくりと語りかけた。
「かわいそうに。結局十二城は、神殿の助けがなけりゃ王族一人を助けることすら出来ない。そうだよ。わたし達の国から利益を得ている者の中には、神殿のとある神官様がいらっしゃるんだ。お前はどうなのさ。あの廃墟みたいな城と、化石同然に頭の古い家臣どもと、それ以外に何を持っている?」
 崖の王の問いかけに、白王は憤然と両腕を繋ぐ手枷を突き出す。そこでとうとうクラムアネスはたっぷりした胸を揺らし、カッカッカと本気で笑い出した。笑いの発作がおさまると、彼女は目に浮いた涙を指で拭いながら、エランとニッガナームに指示する。
「膝が震えているくせに、なかなか洒落た答えじゃないか! ひとつこいつの運命を試してやろう。なに、王を直接手にかけるのが怖いわけじゃない。ただ、この崖の国の連中に見せてやる必要がある。十二王族なんて、しょせん過去の歴史に乗っかってるだけの、ただの石人だってね。こいつらは惰性で王位に居座り続けているだけなのさ。だから廃墟しか持ってなくても、恥知らずに王族を名乗ってられるんだよ」
「どういたしましょう?」
 エランは不安そうに尋ねる。彼はブレイヤールを平原に売り飛ばせば、大金になると思い込んでいたのだ。しかしクラムアネスはあっさりとこう言った。
「地下の牢に一晩置いておきな。明日の朝まで生きてたら、また考えるさ」
 彼女はきらびやかな金糸刺繍のマントを翻し、来たときと同様子ども達を伴って、のっしのっしと広間を後にした。
 その場に残されたエランは、ニッガナームに食い付く。
「どーいうことだよ! ええっ?」
「だから言っただろ。こいつは金になるかどうか分からんってよ。今まで散々儲けさせてもらったんだ。たまにゃ、俺達の都合にも付き合いな!」