十二章 黄金色の国

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 クラムアネスは朝早くから召使に起こされ、不機嫌そのものだった。それでもすぐにブレイヤールのことを思い出し、いそいそ身支度をする。
「生きていたとしても、きっと命乞いをするだろう。いままであの冷たい牢に一晩入れられて、溺れ死んだ者もいるし、生き延びていても、全員心は折れて泣いて命乞いをしたものだ! もしあの小僧が命乞いの土下座すりゃ、あたしは王族に勝ったことになる。うまくすれば、白城を手に入れられるかもしれないね!」
 生きていた方がずっと面白い。今さらのようにそれに気づき、彼女は上着に袖を通すのももどかしく、広間へと大股に急いだ。期待が裏切られることを、恐れながら。
 広間の扉を押し開けた彼女の期待は、幸いにも叶えられた。しかし、すべてが期待通りだったというわけでもなかった。
 昨日と同じ場所に、白い髪の白王が立っている。その後ろには、彼を牢からここまで連れてきた三人の家来の姿もあった。空っぽの王座に視線を注いでいるらしい白王に対し、家来達はクラムアネスに戸惑った顔を向ける。一人がすばやく彼女に近づいて、耳打ちした。クラムアネスは白王に目を向けて聞き返す。
「牢の外で座ってたって? どうやってあそこから出たんだ?」
 彼女が期待していたよりも、白王は弱っている様子はなかった。確かに肌は血の気も失せ、顔つきにも疲れた様子がみてとれる。しかし背筋は伸び、彼女が現れても動ずる気配はない。無視を決め込んでいるかのように顎を上げ、まっすぐ前を向く立ち姿には、怯えも卑屈も感じさせない。昨日、エランになすがままにされていた彼とは、似ても似つかなかった。
 彼女の問いに、家来も首を振るだけだ。彼女は憤然と王座の前に進む。白王の後ろに立つ家来達は、彼をひざまずかせるために動こうともしない。手枷をはめられ、魔法も封じられた者がどうやって牢から出たのか、気味悪がって怯えているのだ。彼女はそれに腹を立てる。
「小僧相手に、何びくびくしてるんだ!」
 王座につくや否やクラムアネスが怒鳴ると、家来達は震え上がって白王の肩に手をかけた。すると今度はブレイヤールが家来達を横目に睨む。家来達はあわてて手を引っ込める。それがさらにクラムアネスの癇にさわった。
「もういい! 下がれ! この臆病者どもが!」
 広間を震わす彼女の咆哮に、家来達は転がるように外へ逃げ出す。クラムアネスは血走った目でそれを見届けると、浮かせていた腰を再び王座へのっしと下ろした。
「生きてたということは、運を持ってたってわけだ。悪運かもしれないがね」
 怒りの覚めやらないまま、クラムアネスはブレイヤールに視線を戻す。彼の態度自体も彼女の怒りの元だった。あの一晩でこの小僧に何が起こったのか、彼女には想像もつかない。目の前に立つのは、寒さで手足の腫れた痩せっぽちの、ようやく青年といえるような年頃の石人で、負けじとこちらを睨み返して虚勢を張っている。恐れる相手ではないはずだ。彼女は足を組み替え、平静を繕いながら口を開く。
「さて、手に入れた運を無駄にしない答えが聞きたいもんだ。もう一晩あの牢で過ごすか、あたしに白城を譲って、この国で隠居してもらうかだ。どっちにしろ、白城に戻ることはできない」
 ブレイヤールは返事をしなかった。むっとした表情のまま、彼女を睨み返すだけだ。クラムアネスはすぐに、この沈黙が我慢ならなくなった。彼女は床を踏みつけ、大きな音とともに王座の前で仁王立ちになる。しかしこの生意気な小僧にいうことをきかせる家来達は、つい先ほど彼女自身が追い払ってしまった。
 押し黙ったままこぶしを震わせる崖の王の前で、白王はようやく口を開いた。
「神殿は私が死ねば喜ぶと言っていたな。つまり私はどちらを選んでも、結局はお前達に消されるわけだろう。お前が言った、この国から利益を得ている神官のことを、ずっと考えていた。お前が私を殺すことを黙認できるだけの権力を持つ者といえば、大巫女様に次いで最高位の神官とされる九竜神官しかいないはずだ」
 クラムアネスの顔は見る間に青くなる。しかしまだそれは、怒りのためだった。ブレイヤールはその顔色から、自分の予想が遠からず当たっていたことを見て取る。外れていたなら、間違いなく彼女は勝ち誇って笑っただろう。彼は王座への階段に片足をかけ、わずかに身を乗り出した。
「忘れてはならないのは、神殿は私を殺すことを黙認する一方で、王族を手にかけた者達も生かしておけない立場にあることだ。十二王族は、神殿の十二祭司でもあるために」
 風向きを変えつつあるやり取りに、クラムアネスの家来達は広間に戻ってきていた。他の武装をした家来達も、広間上階のバルコニーに身を乗り出すようにして聞き耳を立てている。ブレイヤールは視線をめぐらせ、それを確認する。クラムアネスはブレイヤールの目が自分から逸れたのを知り、腕を伸ばして王座の横に立つ真鍮の燭台をつかむ。三つ又に分かれた燭台の腕には、真鍮の大きな鈴飾りがいくつも下がっていた。
 ブレイヤールはクラムアネスに視線を戻し、低い声で言い放つ。
「九竜神官達の本心がどうあれ、王族は神殿と並び、石人達を治める役目がある。私は白城の王族として今すぐ、誰の許可を得ることなくお前達を裁くことができる。少なくともクラムアネス。お前の私に対する扱いは、死に値する」
「裁くだと!」
 クラムアネスの怒声とともに、燭台の鈴がガラガラとぶつかり合う。空を裂く音が続く。ブレイヤールはすんでのところで一歩引き、横様になぎ払われた燭台をかわした。クラムアネスの方も、本気で燭台を当てるつもりはない。しかしブレイヤールに据えられた二つの瞳は怒りに燃え、かっと見開かれた。
「己の立場も分からん、小僧が何をぬかす! 貴様をどうするかは、この王が決める! 生かすも殺すもだ! 神官がこの国から得ている富を、簡単に手放せると思うか? 神殿の飼い犬としてぬくぬくと過ごしてきた若造に、人の心の何が分かるか!」
 クラムアネスは怒鳴り、手にした燭台を地面に突き立てるように引き戻す。そしてもう一方の腕を大きく掲げた。上階のバルコニーに立つ家来達がいっせいに立ち位置を変え、弓を構える。ブレイヤールはそれを目に入れつつ、大股で後ろに数歩下がった。クラムアネスはブレイヤールが観念したと考える。彼女はそれまでの怒りを翻し、乾いた笑い声を上げた。
「さあ、全てが変わる瞬間だ。言ってごらん! 今のお前に必要な言葉を!」
「お前は裁かれる! 捕らえられているのは、お前の方だ!」
 ブレイヤールは挑むように言い放ち、手枷で繋がった両手を突き出す。褐色の瞳が、火花を散らすように光った。クラムアネスの顔から笑みが消える。彼女は無表情のまま、掲げた腕を振り下ろす。
 弦の唸る音が広間に満ちた。放たれた矢が空を裂く。同時にブレイヤールの一声が響いた。
「逸れよ!」
 矢はブレイヤールの脇を通り過ぎ、次々と床に突き刺さる。クラムアネスの怒号が響き、矢は次から次へと放たれた。一矢打つごとに、弓手の表情が呆然としたものに変わっていく。最後の弓手が最後の矢を射終わったとき、ブレイヤールは矢でできた麦畑の中に毅然と立ったままだった。一本として彼に当たった矢はない。
 クラムアネスの目が、零れ落ちそうなまでに見開かれる。彼女の体はわなわなと震える。
 崖の王を見据えるブレイヤールの瞳は、まだ不思議な光をたたえてるように見えた。彼はゆっくりと、大きな息を吐く。それとともに、その光が吸い込まれるように瞳の奥へと消えた。瞬きをした後はもう普通の石人の瞳に戻っている。瞑想に近い極度の集中から、自分を解放した瞬間だった。
 クラムアネスはもう一度燭台をつかむ。今度こそ、本当にブレイヤールを叩き潰すつもりだった。彼女は階段を一歩一歩踏みしめながら、獲物に向かって近づいていく。彼女の足が矢羽の畑へと立ち入ると、ブレイヤールは鋭く叫んだ。
「留めよ!」
 クラムアネスの両脇で、床に突き立った矢羽が火を噴く。彼女は一瞬ひるむが、燭台を一振りして行く手の矢を薙ぎ払う。そして、薙いだ姿勢のまま動かなくなった。彼女の顔は強張り、巨体が小刻みにびくつく。浅黒い額に汗の粒を浮かべ、真っ赤な顔で自分を襲った見えない力に抗おうとしていた。
 ブレイヤールは手枷を掲げ、白城の紋章をクラムアネスに向ける。次いで腕を反して神殿の紋章を向ける。
「白城の王族を、このようなもので封じたつもりだったのか。この手枷は大巫女様と白城に仕えているのだ」
 これは明らかにうそだった。手枷はブレイヤールの魔力をそっくり封じてしまっている。しかし大樹の塔での知識が、放たれた矢の矢羽を操り軌道を変え、床の木板から見えない枝葉を伸ばさせ、その中にクラムアネスを絡め捕らえることを可能にさせた。
 クラムアネスはとうとう、ぐわっと轟く息を吐き、騒がしい鈴の音とともに矢の海へ背中から倒れる。見届けたブレイヤールは厳しい表情のまま、腕を下ろして辺りへぐるりと頭をめぐらせる。
 広間にいた者達はブレイヤールが魔術を使ったのだと信じ、度肝を抜かれてしまった。さらに間髪いれずに示された白城の紋章と、なにより神殿の大巫女の紋章に、弓手達は弓を放り出して命乞いと許しの言葉を口々に唱える。広間に彼らのすすり泣きが満ちた。クラムアネスに従っていたとはいえ、神殿の侵しがたい威厳と王族の絶大な魔力は石人の心に深く刻まれている。それに抗うことは並大抵のことではない。
 ブレイヤールは倒れたクラムアネスに近づき、その顔を見下ろした。クラムアネスは目玉だけをぎょろりと動かし、ブレイヤールを睨み返す。その目は屈辱に満ちている。もしかすると、屈辱という感情すら通り越していたかもしれない。
「あたしを殺すか」
 食いしばった歯の間から、クラムアネスは言葉を引き絞る。ブレイヤールは厳しい口調で答えた。
「殺すか、だと。神殿に殺されるのか、の間違いではないのか。お前は私を利用しようとして失敗した。私自ら手を下さなくても、じき黄緑の国の騎士達がここへ来る。そうすればこの国の者達は捕らえられ、神殿がその処罰を決めることになるだろう」
 広間のあちこちで、小さな悲鳴が上がる。ブレイヤールの言葉は、クラムアネスよりもその家来達に大きなショックを与えたらしい。ブレイヤールはそれを制するよう、「ただし!」とすぐに声を張り上げた。
「神殿の力が及ぶのは、あくまで城の外。城の内ならば、王が判断を下す立場になる」
 内心で先を急ぎすぎたと後悔しながら、ブレイヤールはクラムアネスに嫌々視線を戻した。クラムアネスの顔には彼の思惑を探る表情が浮かんでいる。
「この国を明け渡すのは、お前の方だ、クラムアネス。この国から利益を得ていた神官は、お前を生かしてはおかないだろう。その口から、神殿の者がこの国と関わったことが黄緑の騎士達に漏れると困るからな」
「……本当に、黄緑の連中がここに向かってるんだろうね」
「信じられないなら、待つか? 彼らの姿が見えた時点で、逃げ道はすべて封じられてしまうが」
「あたしにどうしろと」
「平原の人間達と共に石人の城で盗みを働いていたそうだが、その人間達はお前達の目を盗んで何をしていた」
「……この国の子どもらは時々いなくなる。ここは城じゃあないから、魔物に食われるのは珍しくないし、崖の上で足を滑らせて川に落ちたかだろう。親もずっと見張ってるわけにはいかないからね」
「自分の国の石人が平原へさらわれていくのを、知らぬふりをして許していたのか」
 ブレイヤールは胸のむかつきを、こみ上げる怒りとともにどうにか飲み込む。目の前にいるのはどうしようもない悪人だが、今の彼にはここで罰することもできない。自分が優位にあるという芝居を続け、相手を逃がす以外にないのだ。あまりのもどかしさにブレイヤールは眩暈を覚える。
「自分の命と引き換えに、償いをせよ。全員の消息を調べ、連れ戻すんだ」
「それが、あたしに下された罰なのか」
 ブレイヤールは自身への腹立ちをぶつけるように、クラムアネスをキッと睨んだ。
「神殿の判断は別に下されるだろう! 私の判断はすでに下した。二度繰り返すつもりはない」
 そう言ってあごをしゃくって見せる。クラムアネスは跳ね起きた。彼女はマントに引っかかった矢も構わず、振り返りもせず、広間から走り去る。ブレイヤールは崖の王が出て行った扉を背にすると、広間に残された彼女の家来達を見回した。
「城を捨て、神殿をも拒んだ罪は重い。この国はこのときをもって消えねばならない。私は白王として、この国の者達を白城に迎えるつもりだ。大空白平原の向こうでは人間達の戦があり、その戦火は白城に影響を及ぼしつつある。石人世界を保つためには、やがて境界を侵して我々の領域に入り込んでくる人間達を、彼らが友であれ敵であれ、白城で留める必要がある。白城は境界の砦の役割を果たさねばならない」
 ブレイヤールは言葉を切る。
「神殿はお前達の罪を許さないだろう。しかしこれから白城で為すことは、その罪をいくらばかりかあがなう。我が子達に罪を引き継がせたくないならば、速やかに白城へ出立せよ。この国に残る汚れた財産は一切持って行ってはならない。必要なものはすべて城が与えてくれるだろう」
 家来達は緊張の面持ちで、身じろぎひとつしなかった。しかし最初のひとりが広間から小走りに去ると、我に返った者達もそれに続く。そして駆け足となった最後の者達が雪崩を打って出て行く。ブレイヤールは広間にたった一人で取り残されてしまった。
「逃げたのか、それとも本当に白城へ行くつもりなのか」
 ひとり呟き、手枷を見やって溜息をつく。今までのが全て一人芝居になってしまったら、なんとも締まらない話だ。
 ふと顔を上げると、クラムアネスが去った扉が少し開いて、臆病そうにこちらを窺っている家来達がいる。ブレイヤールは思い切って、そちらに歩み寄った。白王が床に突き立った矢をよけながら近づいてくるのを見て、家来達は扉から姿を現し、床にひれ伏した。
「白王、どうぞお許しください。そしてどうか、我々を神殿からお守りください」
 その言葉を聞き、ブレイヤールは内心ほっとした。全員が全員、逃げ出したわけではなさそうだ。彼は鷹揚に頷いて答える。
「そうしよう。そのためにも白城の家臣達にここの者達を受け入れるよう、書面を作らなければ。この手枷を解く鍵はあるか? 神殿の印が入った物を魔法で壊すわけにもいかない」
「すぐに探してまいります」
 ひとりが鍵を探しに立ち去ると、残りの家来達はブレイヤールを火の燃える執務室らしき部屋へ案内する。そして彼らもすぐに、着替えの服や食事を用意しに姿を消した。
 安全な場所でようやく自分ひとりになれたブレイヤールは、強い吐き気を感じて机に腰をかけた。さっきのやり取りが、相当胃にこたえたらしい。
 何十本もの矢の軌道を変え、クラムアネスの巨体を金縛りにするという荒業のために、身も心も消耗しきっていた。疲れた頭はまるで綿をつめたかのように鈍く、これ以上何も考えられない。けれども自分の想像も能力も超えたとんでもないことが、あの広間で始まったのは確かだ。
 自分の人生が、この一、二日ですっかり変わってしまった。クラムアネスの前で見せた精一杯の虚勢を、これからも取り続けることができるだろうか。永遠に失うことになるこれまでの平穏すぎた生活を思うと、先行きへの不安はいよいよ苦いものになる。
 幸いにもブレイヤールには、先のことを思い煩う暇はなかった。休む時間もない。彼はあちこちの棚を探して白紙を引っ張り出すと、ルガデルロ大臣宛に、崖の国の石人達を城内に入れるよう手紙を書く。あの黄色い髭の、常に王族の尊厳を説いてきた頑固な老人が、この手紙にどういう反応を示すか、間近で見られないのは幸いかもしれない。しかし手紙に従ってもらわなければ、ブレイヤールは崖の国の石人達に嘘をついたことになる。彼は強い調子の文を綴り、片耳の飾りをはずして手紙に添える。手枷のせいで字が恐ろしく汚くなってしまったが、耳飾りを付ければこの手紙が本物である証になる。彼はその手紙を足の速い石人に託し、白城へ走らせる。
 手枷の鍵は昼ごろになってようやく見つかった。その間にもブレイヤールは、崖の国の石人達の名簿を作らせ、坑道を回って人間世界で売りさばかれようとしていた商品の倉庫を見つけては、封印の紙を張っていった。
 手枷がはずれると、ようやく着替えをすることができた。食事も運び込まれる。ブレイヤールは食べ終わるまでは誰も部屋に入れないよう外の石人達に伝えて、扉を閉める。彼は温かいスープをすすりながら、名簿に目を通した。崖の国にいた石人達が、すべて白城へ行くとは限らない。中には他所へ逃げるものもいるだろう。それを見込んでも、中規模の町ひとつが出来上がる人数になりそうだ。ブレイヤールは名簿を睨みながら腕を組む。
「どこに住んでもらおう。城内の町は上から石材が落ちてきそうで危ないし……」
 クラムアネスの口ぶりから察すると、この崖の国は神殿や十二城に何らかの不満を持つ石人達が集まってできたように思える。十二城が創生された理由も、元をたどれば神殿支配からの開放だったが、初代国王達の処刑によってその効果は半減した。クラムアネスは次元としてはかなり低いが、神殿からも十二城からも決別した新しい生き方を模索しようとしていたのかもしれない。だからこそ、九竜神官に賄賂を贈ってこの国のことを見逃してもらっていた反面、同時に神官を見下し嫌ってもいた。
 一方賄賂を得ていた九竜神官、つまり神殿側はどうだろうか。神官が金をもらって喜ぶとは、彼には考えられなかった。神殿は神話の時代に届くというその歴史の古さのため、非常に神聖なものである。そして同じ長さの時間、石人の世界に君臨してきたことでは、非常な俗っぽさも持っているはずだ。その神殿にとって、金などよりも欲しいものは何か。この崖の国から得られる大空白平原の人間の動向の方が、ずっと貴重なのかもしれない。ブレイヤールは頭を押さえる。
――僕がこの国を白城に吸収したことで、神殿は何か言ってくるだろうか。十二国は初代国王がいたわずかな間だけだったが、神殿から解放されていた時代があった。不吉な名を持つ者も城にとどまれた。王は支配するためでなく、守るために存在する。守るといっても国民が全員神殿の罪人では、城は巨大な牢で、僕はただの看守でしかないだろうが。いやその前に、神殿はこんな状態で白城の復活を認めるだろうか。
 ブレイヤールが今後のことについてあれこれ考えを巡らせていると、いつの間にやら、あのエランがへらへら笑いながら机の向こう側に立っている。ブレイヤールはあからさまに嫌な顔をして見せた。一番再会したくなかった相手だ。
「一体、どこから。部屋の扉は見張らせていたのに」
「抜け道があちこちにありましてねぇ。クラムアネスは抜かりがなかったもんですから」
 ブレイヤールはみなまで聞かず、外の見張りを呼びつけエランを羽交い絞めにさせる。エランは一瞬凶暴な顔を見せたが、すぐにまた卑屈な表情に戻って訴えた。
「いんえ、お待ちを! 俺も改心したいんですよ!」
「うそだろ」
 ブレイヤールがとりあえずも反応をみせると、エランは顔を輝かせて家来達の腕を振りほどき、机の上に乗り出す。
「お前は人間だ。私にしたことは見逃してやるが、即刻空白平原へ立ち去れ。誘拐した石人の人身売買に関わっていたはず。クラムアネスはお前にまだ用があるだろう。私はお前に用はない」
「じゃあまさか、ニッガナームの方は死刑ってことですかい? もう、やっちまったとか」
「どういうことだ」
「姿が見えないんで」
 ブレイヤールは思わず天井を見上げた。ニッガナームはいち早く逃げたのだろう。
 エランの姿がいい加減煩わしくなり、ブレイヤールは家来達に命じて部屋から放り出させる。入れ違いに崖の国の住人が白城へ発ったという知らせが入る。
「飛脚に白城への手紙を持たせて、先に行かせた。その者達は道を急ぐだけでいい。ところで、クラムアネスはもういないのか」
「そのようです。お子様達の姿も、ありません」
「子どもをつれてじゃ、逃げ切れないんじゃないだろうか」
 ブレイヤールは呟く。しかし今の彼には、ニッガナームやクラムアネスの様子を探らせるような家来はいない。彼の側に残るクラムアネスの家来達はまだ信用するわけにはいかない上、その実力にも疑問があった。彼は二人の追跡をあっさりとあきらめ、すぐに別のことへ心を移す。それはアークラントのことだった。
――ディクレス殿は予言者の夢に希望を見たといった。けど、無人だった白城に石人が戻ってくれば、ディクレス殿は二度と白城には立ち入れない。アークラントは終わってしまう。予言者は本当に正しい未来を見たんだろうか。
 長く考えている時間はない。再び部屋の扉が開き、クラムアネスが溜め込んでいた財宝や商品の目録が届けられる。それは机の上に溢れんばかりになった。さらに石人の魔法を練りこんだ武具が、大空白平原で出回っていることを確認する。ブレイヤールはまたしても、しばらく頭を押さえた。
 戸口にはまだ残っていた崖の国の住人達が列を作り、自分達の難しい身の上と、やむを得ずクラムアネスに従っていた素性を話しに来る。中には、赤ん坊が不吉な名を待って生まれたために神殿に連れて行かれそうになり、親子ともどもこの国まで逃げてきたという者までいる。
 黄緑の騎士達が到着する前に、彼は出来る限り自分自身の采配で、この崖の国を片付けてしまわなければならない。目録の山を整理し、石人達の身の上話を走り書く。これもすべて、崖の国の石人を白城に連れて行くための根拠とさせる。真の罪人はクラムアネスと一部の石人や人間だけで、他はすべて生活のため否応なしに利用させられていただけなのだと。
 机の上があらかた片付いたのは、その日の深夜だった。ブレイヤールは壁にかかっていた風よけの布を床に敷くと、そこで横になる。疲れきっていたのに、彼は夢を見た。不思議なことに、それはディクレスに聞いた予言者の夢とよく似ていた。
 揺らめく草原のはるか彼方から、淡い輝きが差し込んでいる。光の中にはケシ粒ほどの小さな影。歌うように両手を広げ、緩やかに動いているかに見える。あるいは、身動き一つしていないのかもしれない。空を覆う光が陽炎のように揺らいでいるのだ。そしてそのずっと手前に、背の高い人影があった。風が吹き、頭のあたりで何かがなびいている。長髪なのだろうか。人影は遠くの歌い手に心を奪われているかのように、ぴくりとも動かない。無音の世界で、光と草陰だけが揺らいでいる。
 ブレイヤールは怪訝に思った。予言者の夢の中には、人影はひとつだったはずだ。近くにいる人影は、大声で呼べば声が届きそうだ。彼は息を吸い、声を出そうとする。そのとき、何かが彼の腕に触れた。驚いて振り返る。彼は自分が薄暗い部屋の中にいることに気づく。夢から戻ってきてしまった。
 固い床の上に寝て、体は強張っていた。部屋のよろい戸の隙間から、弱い光が差し込んでいる。夜が明けかけているのだろう。痛む体を床から引き起こす。あまりにはっきりした夢で、十分寝た気がしなかった。頭はぼんやりして、心はまだあの夢の中にさまよっているようだ。
「大巫女様」
 薄れ行く夢の余韻とともに、そんな呟きが口から漏れる。直後、くしゃみと一緒に、彼ははっきりと目を開けた。夢の中の感覚は、跡形もない。彼は夢を思い出そうと、前髪をぐっとつかんで両目を強く閉じる。
――予言者の夢が本当なら……。事は近い。