十六章 白の城

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「殿下がお連れになった石人どもは、神殿と十二城の存在を否定しただけでなく、クラムアネスという大悪党に組し、大巫女様の手枷をはじめ、白城から貴重な財宝を盗んでいった盗賊でもありますぞ」
 青いというよりほとんど黒ずんだ顔色で、白城の大臣ルガデルロはブレイヤールに問い正す。夕方の影が室内に満ちてきていたが、どちらも明かりを灯すまでに気が回らない。それほどまでに、ブレイヤールがもたらした知らせは重いものだった。
 黄金色の国とクラムアネスが自称していた坑道から白城へ無事に戻ったのは、ほんの昼過ぎのことだ。クラムアネスと対峙して彼女の国を解体した後、ブレイヤールは助けに来た黄緑の国の騎士達を坑道で出迎え、さらには黄緑の国へ行って、左右の大臣とも話し合わなければならなかった。黄金色の国の住人達は、坑道に残っていた者はおろか白城に向かおうとしていた者達まで黄緑の騎士に捕らえられてしまっていた。
 うんざりするほど長くややこしい話し合いの末、ブレイヤールは住人の多くを白城で引き取ることを黄緑の大臣達に納得させた。一方で、クラムアネスと直接ぐるになってあくどい商売をしていた石人は、全て黄緑の城で捕らえられることとなり、エランをはじめとする人間の悪徳商人達は口封じの魔法をかけられた上に重たい手枷まではめられて、空白平原に連れて行かれた。
 問題は、クラムアネスとニッガナームの消息がつかめないことだった。特にクラムアネスの逃亡については、ブレイヤールにも責任の一端があると黄緑の大臣達は考えたらしい。ブレイヤールの手枷が外れた後、彼がその気になればすぐに捕まえられたかもしれないのだ。左大臣に散々お説教を食わされ、白城に戻ることは許されたものの、神殿が下す判断を待たなければならなかった。
「白城があの者達の牢屋代わりというわけですか。亡き歴代の白王様方がこれをお知りになったら、どれほど嘆かれるか。我々といたしましても、白城に民が戻ることを望み続けていたとはいえ、このような形でそれが叶えられるなど、夢にも思っておりませなんだ。あまつさえ、殿下御自身までも神殿の審判を待つ身となられようとは」
 明るい黄色の髭を震わせながら、かろうじて平静を保って仁王立ちになっている大臣を前に、ブレイヤールは逃げ出したくなる。大臣の動揺は彼の予想をはるかに超えていた。しかしここで引き下がるわけにはいかない。
「クラムアネスは重罪人だ。けど僕がここに連れてきた石人達は、クラムアネスに利用されていただけだ。人間の奴隷商人に自分の子どもをさらわれてさえいた。確かに白城の財産を盗んだけど、そのために彼らを引き受けるのを拒むのか。僕が彼らにした約束を、守らせてくれないのか」
「それ以前の問題がございますぞ!」
 大臣は突然大声を上げる。
「彼らの多くは神殿より送られる星の名を捨てております。名を拒むは石人であることを拒むも同然。大巫女様に対する冒涜。このような罪人どもをご自身の命で城に入れれば、殿下もまた王位をはく奪され、それこそただの看守にされるやもしれませぬぞ!」
「無人の城の王より、看守の方がましだ!」
 忍耐の隙間を破ってついに弾けた大臣の怒りに、ブレイヤールもついカッとなる。お互いは一瞬にらみ合ったが、すぐにどちらも自分の非を認めて互い違いに視線を逸らした。
「……七百年もの間、城を守り続けてきた皆の誇りと苦労を踏みにじる決断だとは思った。でも、手枷を外すには彼らを味方に引き込まなきゃならなかった。それに彼らをクラムアネスから救わなくちゃいけないとも思った。けど本当は、ただあの場をやり過ごしたくてなりふり構わないことをしただけなのかもしれない」
 しばしの沈黙の後に、ブレイヤールはおずおずと口を開く。
「確かに殿下がご無事に帰られたことは、我々にとって何よりのことです」
 ルガデルロは石のように強張ったまま、無感動にそう答えただけだ。ブレイヤールが顔を上げると、大臣のうつむいたままの姿が目に入る。ブレイヤールは次の言葉を待った。ところが大臣は突然大きな溜息をついて、後ろの椅子に背中を向けて座り込んでしまう。その後姿は溜息でしぼんだかのように、ずいぶん小さく見えた。
「本当に、よう戻られました」
 大臣は疲れた様子で呟く。先程の固い口調とはうってかわり、感情が戻っていた。大臣はのろのろと立ち上がり、再びブレイヤールの前に立つ。落ち着きを取り戻したが、まだブレイヤールの決断を認めたわけではないことを、その鋭い目が示していた。
「彼らを城の住人とすることで、城の内のみならず外にも多くの問題が出てきましょう。それについてのお覚悟も、されているんでしょうな」
「それは……。まだよく分からない」
 ブレイヤールは気弱に答える。クラムアネスとの対峙のときもそうだったが、覚悟を決める前に行動しなければ間に合わなかった。あの瞬間はそれでよかったのかもしれない。しかしあれ以来、事態はまるで滝となって白城の運命をどこかへ押し流し始めた。次にやるべきことは何か分かるが、早いうちにどこかでこの流れの先を見極めなくてはならない。よくない方向へ向かいつつあるなら、流れを変える決断が必要だ。実際のところ、ブレイヤールは呆然自失としていた。七百年間停滞していた白城の運命の堰を破ったのは、他でもない自分だったが、これほど怒涛の展開になるとは想像もしていなかったのだ。
 ブレイヤールの怖気に、大臣はいっさい同情するつもりはないらしい。大臣はますます厳しい表情を見せた。
「ここでとどまってどうするのです。白城は再び蘇えらんとするのです。神殿がどのような采配を殿下に下すかはまだ分かりませぬが、それまでは王として振る舞っていただかなくてはなりませんぞ。しっかりしてくだされ。ご自分の立場を忘れたわけではありますまい」
 ブレイヤールは自分の立場というものを苦々しく思った。どんなに無能でも、王という立場からは逃げられない。分かっているからこそ、魔法で喉を焼きつけられてしまったかのように、決心の言葉が出てこない。
 本来であればブレイヤール自身が打ち破るべき沈黙は、突如としてどたばたと騒がしい足音でぶち壊されてしまった。部屋に駆け込んできたグルザリオだ。彼は手に握り締めた何枚かの紙を、ブレイヤールとルガデルロの間へねじ込むように突き出す。
「二人とも急いで内容を改めてください。先程届いた神殿からの召喚状と、こちらは大きな声ではいえませんが人間からの書簡です。白城を狩場にしてるタバッサの盗人が持ってきましたが、差出人についてはよく知らないようで」
 ブレイヤールは人間からの手紙に飛びつき、大臣は神殿からの手紙を取った。それぞれが手にした手紙へ目を走らせ、ついで互いの手紙を交換して知らせを読み下す。グルザリオは部屋に明かりを入れて回り、二人が読み終わるのを待って尋ねた。
「神殿からのは、レイゼルトがらみの話です。使者が話していましたが、大巫女様はこのところ体調が思わしくなく、だいぶ前から誰にもお会いにならないそうで。赤城から送られたレイゼルトの右手も、九竜神官様方が封じておられるようです」
「神殿は十二城の王に神殿へ集まるよう求めている。九竜神官達と魔力をあわせて、レイゼルトを探し出し、あわよくば追い詰めるつもりなんだろう。黄王がレイゼルトに砂にされてしまったのは、やっぱり本当なんだ……」
 ブレイヤールは手紙を脇の机に置いた。
「僕には、人間の問題は家来に任せ、神殿へ発てとある。けど無理だ。そっちの手紙の知らせが、悪すぎる」
 ブレイヤールの指差した先で、大臣は手紙を手にしたまま再び青くなっていた。
「差出人の名はないけど、内容からしてディクレス殿だ。アークラントから大空白平原へ抜ける峡谷を開くとだけある。つまり、アークラントから人間が来るということだろう」
「じゃ、黄緑の城にもこの話を知らせたほうがよいのでは。人間が何を企んでいるかにもよりますが、空白平原に出るなら石人側も無視できません」
 グルザリオは眉を寄せる。ブレイヤールはうな垂れ、こぶしを握った。
「……この手紙を他の石人に見せることはできない。こちらから手紙の内容を確めに、峡谷に人をやらないと。誰かいないか」
 大臣もグルザリオも無言だった。峡谷の様子を見に行ける者は、この城には一人としていないのだ。ブレイヤールは顔を上げ、二人の家臣を見つめた。
「僕が行くしかないんだろうか」
「それはなりませんぞ」
 素早く、大臣が断固とした口調で戒める。
「殿下がお連れになった石人達を置いて、城を留守にするなどもってのほか。今は次に何が起こるか分からぬ状況。城主が城を空けてよい時期ではございません。神殿からの手紙にも、折り返しこちらの状況を伝える返事を用意せねばなりませぬ」
「何もできないということか」
「やるべきことはございます」
 大臣はふくれっ面の主に苦々しい表情を向ける。
「城に新しい石人を迎え入れるには、彼らの名を城に知らせる儀式を執り行わなければなりませぬ」
 大臣の指摘に、ブレイヤールは居ずまいを正した。大臣の表情は、やや悲しげなものに変わる。
「殿下がお連れになった石人達の名が城に受け入れられれば、我々もそれを否定することはできませぬ。他の家臣らにも私からこのことを知らせ、明日にでも儀式を行えるよう場所を整えましょう。殿下は彼らの名をご用意くだされ。名を持たぬ者には、殿下から仮の名を与えるより仕方ありませぬ」
 ブレイヤールは視線を床に落としたまま、その言葉を最後まで聞く。しばらくしてわずかに頷いた。そして何もいわず、部屋を足早に立ち去る。大臣は開けっ放しに残された扉を静かに閉め、人間からの手紙を蝋燭の炎にかざして燃やした。
「我々は城か王子か、いったいどちらに従ったらいいんでしょうか」
 グルザリオは佇んだままの大臣を横目に、神殿の手紙を丁寧に丸め戻す。彼としては皮肉のつもりの言葉だったが、大臣はそれをそのまま受け入れて溜息混じりに呟いた。
「おぬしは誤解しとる。殿下はそのうちご自分で気づかれるじゃろうが。……王も臣下も城民も、城に従わねばならん。それが古来からのしきたりじゃ。王が力を持っているように見えるのは、王が最も城に近しい立場におるからだけ。本当に力を持ってはならん。城民を迎えるか拒むかは城が決めることで、城主が決めることではない。王が力を持てば、城民は王を恐れるようになる。かつて神殿が力を持ちすぎたとき、十二城は建てられたではないか。十二城の次は、あの崖の国のような穴倉が石人の住処になるのか? 同じ過ちを繰り返すのは愚かじゃろう」
「そうですか。俺はてっきり、この城をただの牢獄にしてしまうことを嘆いて、渋っておられるんだと」
「まだ納得はいっとらん。悪夢を見ているようじゃわい」
 大臣は夢なら醒めよとばかりに、皺だらけの顔を片手で強く拭う。大臣の機嫌は最悪と見て、グルザリオはそれ以上余分な口は聞かないことにする。
「キゲイや魚の子については、黄緑の兵士達もまだ捜索中だそうで。キゲイは例の鏡とお守りを持っているから、魔物や邪妖精に関しては心配ないはずですが。女の子の方は城内で迷子になっているのか、城外に出てしまったのか、さっぱり分からんそうです。王がいれば、城内の行方不明者ならすぐに見つけられるんですが……。トエトリア様の戴冠を待ち望む黄緑の民の気持ちが分かります」
「わしらには手の施しようはない」
「ですんで、黄緑の兵士達に任せてきました。……心配はしてるんですよ。これでも」
 そっけない大臣の返事に、グルザリオは顔をゆがめた。大臣は上の空で、せり出した額の眉越しに、ひび割れだらけの天井を睨み付けている。
「峡谷から人間が平原へ現れれば、平原の人間どもも気づくじゃろう。連中が利益をともにすれば、七百余年前の石人と人間の争いが再現されることになるかもしれん」
「はっ?」
「峡谷への道が開けば、タバッサは白城を狩場にするこそ泥と旅商人を相手にするただの宿場町から、アークラントへ通ずる基幹道の都市になれるからの」
「下手をすると石人は、レイゼルトに加えて人間も相手にしなきゃならないと?」
「分からん。分からんが、ともかく陛下が今この城を離れるほどまずいことはない。それだけは間違いない。人間が束になってきたら、この城で何としても、連中を押しとどめなければならんのじゃ。神殿が何を言おうと、時間を持たせねば」
「陛下? いつから王子は王になったんで?」
「今、家臣がそう認めねば、いつ王になれるんじゃ。あのお方は」
 大臣がじろりと目玉だけを動かしてグルザリオを睨み付ける。同時に手を伸ばしてグルザリオから神殿の書簡を取り上げると、半分半分にと小さく何度も折りたたんで懐に収めた。グルザリオはにこりともせず手紙が大臣の懐に消えるのを見つめ、まじめくさった顔で答える。
「王子がクラムアネスを煙に巻けた理由がわかりました。大臣がいらっしゃるなら、白城も安泰です。俺も家臣の務めを果たしましょう」
「崖の国の石人の中から、兵士として使えそうな者と、体の頑丈そうなのを選んでくれんか。それと、王の正装を整えてくれ。成人の儀のときに身につけられたものがあったはずじゃ。余分な装飾は取って、動きやすいよう軽くしておいたほうがいいかもしれん。普通の礼服では足らぬ相手を出迎えることになるかもしれんでな」
「承知しました」
 グルザリオは一礼をして足早に立ち去った。銅板の上の灯が揺れて、大臣の影も大きく揺れる。かと思うと床の上に長衣と短剣の帯が滑り落ち、月色の羽根が数枚散らばった。大臣もまた姿を変えて、窓から夜空へと去ったのだ。