十八章 黙する物語

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 ブレイヤールが呼び出した邪妖精達は、城内から敵を綺麗に追い出した。逃げ遅れた者も邪妖精の餌食となって動けなくなり、黄緑の兵士に放り出された。火事は溢れた井戸や水路の水で延焼を食い止められ、黄緑の兵士達の手によって消されていった。
 それでもやはり、敵は城外に追い出されたにすぎなかった。ハイディーン軍は、邪妖精に脅されただけだったことを悟ると、夜明けを待って兵士達を再び城の麓に集結させ始めていた。おまけに近くの森で昨日一日かけて組み立てたらしい、たくさんの櫓や攻城兵器まで引っ張ってくる。
 城は夜明け前の、もっとも薄暗い時刻にあった。
 ブレイヤールはまだ王座の間へ戻っていない。黄緑の大臣達は見張り塔から麓の様子を眺め、絶望をかみしめる。城の麓に続く谷からは、途切れることなく人間達の援軍が流れ込んでいる。敵の数は計り知れない。一方で、黄緑の兵士の数は限られている。限られている故に、十分な休息時間も与えられない。麓を守る城壁全てに、兵士を配置することすらままならなかった。守りの穴を見抜かれれば、またしても人間の怒涛の侵入を許してしまう。他城からの援軍は間に合うか知れず、兵士の数も期待できないかもしれない。石人の想像を絶して、人間が多すぎるのだ。
 ハイディーン軍の目的は本当に単純だった。黄緑の城にある魔法の武具を手に入れること。それだけだ。武具を求める理由も、アークラントとほぼ同じだ。ハイディーンにはエカという大きな敵がいる。石人の持つ武具がなければ、アークラントの次に滅びるのはハイディーンかもしれない。それだけにどのような犠牲を払おうとも、エカを退ける決定的な一手を得るため、彼らは石人世界に立ち入らねばならなかった。
 刻々と日の出は近づき、最初の光が山の端から差し込む。それが合図だったのか、城の麓から人間達のときの声が上がる。攻城兵器から巨大な岩や火の玉が飛び、城壁に新たな亀裂が走った。大した魔術を扱えない故に、人間が生み出した知恵の力は計り知れない。黄緑の兵達は壁を守りきれず、城内へと退く。
 谷間を揺るがす咆哮があがった。人間達は振り上げた剣を留め、石人達はさらに恐怖を覚えて城内深くへと足を速める。
 白城へと続く谷間の道から、日の光を浴びて、一匹の竜が長い首をもたげた。黄金色に輝く鱗をぬめらせ、鼻から火の息を吹く。竜は谷底に集まる人間達に再び吠える。竜の頭には恐ろしく長い槍を持つ騎士があぐらをかいている。騎士の鎧もまた、日の光と同じ色に輝いていた。
 騎士が長い槍を天へ突き上げる。それを合図に、竜の背後から様々な幻獣達が躍り上がった。影よりも黒い巨大な狼達が、金色の鎧をまとった騎士を背に乗せて、真っ先に崖下へ身をすべらせる。苔生す岩の体を持った巨人が悠々と続き、攻城兵器を拳一つで叩き潰す。
 影の狼にまたがった騎士が手近のハイディーン兵を蹴散らし、岩の巨人が動きを止めると、戦場は静まり返る。ハイディーン軍は思いもかけない相手に背後をつかれ、思考停止状態に陥っていた。
「進め!」
 竜にまたがった騎士が、槍に巻きつけた旗を解き放つ。旗は風になびき、白城の紋章が夜明けの空に透けた。勇ましい掛け声が上がり、竜の足元をたくさんの金色の騎士達が駆け抜けた。彼らは手に槍のような杖を持ち、谷底に滑り降りると次々とそれを掲げていく。青白い光が弾け、杖の穂先に輝く。騎士達は杖を地面へ突き立てる。間髪入れず第二列の騎士達が杖を持って前に進む。彼らもまた巨大な雷を天に放ち、輝く杖を地面に立てる。戦場の大気を、石人にとって有利な魔力を帯びたものに変えているのだ。
 これを見た黄緑の兵達もすばやく動いた。彼らは倉庫の一番奥に眠っていた、結界用の杖を引き出してくる。それは七百年前の戦で使われて以来、誰からも忘れ去られていた。風のように現れた黄城の騎士達の戦い方に、彼らもようやく思いだしたのだ。
 ハイディーン軍もいつまでも驚いているだけではなかった。彼らは反撃に出た。昨晩は散々邪妖精に驚かされた。今朝目の前に現れた見たこともない獣も、岩の巨人も、石人が見せる幻影かもしれないのだ。
 再び影の狼にまたがった騎士達が動き出す。長い槍を天に掲げ、ハイディーン兵に突っ込んだ。槍の先に光が燃えた。
 戦場のあちらこちらで、魔法の雷と炎と霧が渦を巻く。朝日がそれらと混じり合い、虹が踊った。人間達にとっては、あたかも世界創世が再び始まったかのような光景が広がった。ハイディーン兵の振るう剣が金色の騎士を捉えようとする。その切っ先で騎士の姿は弾けるように消え、ひらひらと玉虫色の蝶に変わる。緋色の狐になる。敵の姿を見失ってうろたえるハイディーン兵に、影の獣達が突っ込む。電撃は絶えず戦場を駆け巡り、あらゆる者の目を眩ませた。黄緑の城壁の向こうからも、見たこともない生き物達が飛び出してくる。石人達が輝く煙を吐く巨大な松明を数人がかりで持って駆けまわり、戦場の視界をますます眩いものにする。
 黄王は騎士達に、敵を討つのではなく、生かしたまま想像の限りを尽くした幻影を見せよと指示していた。戦場を行き交う雷光が織りだした幻影に、人間達は混乱を極める。目に映るものも、どこまでが幻でどこまでが現か分からない。敵の姿をまともに捉えられないようでは、戦うこともできない。ハイディーン軍は大きく崩れ始めた。大軍勢だけにその収拾はつかない。黄城の騎士達はよく心得て、彼らを帰り道へと追い込み始める。
「走れ! 境の森は悪夢を通さぬ。己らを守るものが何かを知るがいい」
 白城への峡谷を我先に通り抜けるハイディーン兵達をかき分けながら、竜に乗った黄王は声を張り上げた。
 ハイディーン兵が引き上げるのを確認した黄緑の城でも、城内の残党探しが始まっていた。谷底には黄城の騎士達が杖を打ち鳴らす勝利の音がこだまする。黄緑の兵士達はその音を耳にしながらも、あらゆる家の中、水路の奥、壊れた城壁の下までを探した。残党などよりもっと大切なもの、黄緑の王女の姿はまだどこにも見出されていなかったのだ。その捜索の最中、中層の通路で白王が見つかる。彼は駆けつけた兵に一言、「城の根で、扉の閉まる音がした」と告げ、そのまま気を失ってしまった。
 黄緑の左大臣にはなすべきことが多く、黄城の騎士達が何も告げず白城へ退いていくのも、それに伴って黒い鎧の人間達が同じ方向へ去っていくのも、構っていられなかった。経緯は分からないが、白王が黄緑の王座を操ったという事実が、城民に広がっていたのだ。城民は王座が他国の王族によって汚されたことを心よく思わず、このこととトエトリアがいなくなってしまったことを結び付けて考える者も多かった。左大臣はうわさが大きくなる前にと、白王を速やかに白城へ送り届ける。城民達の誤解を解くのは、並大抵でない。左大臣自身にも王座を汚したことへの批判が噴出していた。
「王女様が見つからなくては、黄緑の血筋はまた薄まってしまう。この城もいずれは白城の二の舞だ」
 黄緑の大臣達は嘆きながらそれぞれ城の後始末に向かう。人間との戦に勝利した石人達は、深い悲しみに包まれた。

「何か、声が聞こえる。また人間達かも。近いわ」
 耳の鋭いアニュディが立ち止り、キゲイもそれにつられて足を止めた。シェドとウージュも立ち止り、辺りに耳を澄ませた。
 黄緑の城を出てから数日。様子のおかしいハイディーン兵の姿を何度も認めて、その都度キゲイ達は身を隠す場所を探さなければならなかった。敵の気配を察するのはシェドの方が専門なのだろうが、彼は負っている傷に難儀していて、時々聞き逃してしまう。
 雨模様の薄暗い空に、昼とはいえ辺りの林は十分視界が効かない。その林が突然の閃光に、木立の影をくっきりと浮かび上がらせた。
「雷ではないな」
 シェドが閃光の正体を確かめに動くと、キゲイも林の奥へと小走りに駆けだす。
 七百年前の古い石畳の道が伸びている。数人のハイディーン兵が、一人の男を囲うように構えていた。男は粗末な旅装で、腕に剣を抱えている。彼はもう逃げられないと悟ると、黒く焦げた剣を左手に握りしめ、右手にした杖を掲げる。杖の先に生まれた光がハイディーン兵の兜を打つ。キゲイは男の後ろ姿にも、持っている杖にも見覚えがある。思わず驚きの声を上げそうになって、手で口を塞ぐ。
「あの人だ!」
 キゲイはシェドの袖を引っ張る。
「僕はあの人を白城に連れて行かなきゃいけないんだ!」
 道の先から、黄緑の兵士達まで駆けてきた。ハイディーン兵が怯み、魔法使いの男は黄緑の兵士へ杖を向ける。キゲイはもう一度、シェドの腕を引っ張る。しかしシェドは様子をうかがっているだけで、動こうしない。
「予言者様!」
 とうとうキゲイは一声叫んで、木の陰から飛び出した。
 シェドは素早く敵の数を数えた。ハイディーン兵が三人、黄緑の兵士が二人。ここは不本意だが、敵の数は五としなければならない。