◆“栄 光”第30号(’13.9.7)
「正々堂々と競技することを誓う」、スポーツ競技の開始に当り必ずといってよく聞くことばである。これは卑怯な手段を
用いず、態度が立派なさま、ということで、競技者としての基本的な心得を示すものである。
ところで、昨今「不正堂々まかり通る」といった風潮がみられるのはどうしたことか。競技者個人は勿論のこと、指導す
べき立場にある競技団体の責任者まで及んでいることは憂慮に耐えない。先般の全日本柔道連盟の迷走ぶりなどその
最たるものといえよう。
「正々堂々」すなわちフェアプレーに徹することが何故できないのか。先日、失格も覚悟で「ルール違反」を申告した女
子プロゴルファーがいる。堀奈津佳選手である。彼女は「ボールを拾い上げ泥をふくことができる」という、特別規則を
誤解していたことに気付き、第二ラウンド終了後届出た。この時点で単独首位に立っていた。「優勝のチャンスはこの後
何回かあるかも知れないが、私のゴルフ人生は一度だけ」と話す堀選手、特別規則を告知した文書に不備があったた
め失格は免れ、首位を守って3年目での初優勝を飾った。
勝利のためには手段を選ばない行為さえあるスポーツ界において、堀選手のとったフェアプレーの精神は真にフェア
プレーに値する行為といえる。
スポーツのなかでは、時に他人の失敗を責める、技能の低い人をからかう、負ければふてくされるなど、こうした行為は
ルール違反といえないが、フェアなプレーにはふさわしくない。「書かれていないルール」は存在するのである。
フェアプレーとは何かを理解し共有し、個々人がファプレーの精神に徹することで、フェアプレーのスポーツ界を築いて
いくことになるのではないか。⇒先頭へ
◆“栄 光”第29号(’13.2.9)
このたびの講演で、勝利至上主義−勝負というものは・こだわりすぎでは−をとり上げた。
「フェアプレーとは何か」という問いをスポーツ界に投げかけている問題だ。
野球ではいま高野連で反響を呼んでいる留学生問題・特待生問題からくる、勝利至上主義が問われている。
そして、今度のロンドンオリンピックでも行き過ぎた勝利至上主義の事例があった。「サーブをネットに向けて打っ
たり、わざとアウトになるように打つ」そんな無気力試合がバトミントン女子ダブルスでみられた。韓国二組と中国・
インドネシア戦で、準々決勝以降の組合せを有利にする目的で、勝利を放棄するようなプレーが続き失格となった。
自らのペアに有利な相手に当るように敗戦を選ぶという、勝利至上主義に根ざしたアンフェアなプレーだった。
サッカーの“なでしこ”にもあった。南ア戦での途中で引き分けを指示した−1位で通過スると次戦が長距離移動先
となることから、というのが理由だったと監督は明らかにしている。失格にならなかったのだからいいものとはいえ?
「お互いに対戦相手を尊重してルールを守り、勝利に向けて最善を尽くす」という、フェアプレーの精神こそ求められ
ているのではないか。⇒先頭へ
◆“栄 光”第28号(’12.9.15)
「最大の強みは正確さである。勝負にこだわるより、将棋と突きつめようとする姿勢である。」この言葉は長年
のライバルの佐藤康光王将が、将棋界のタイトル王の羽生善治への評価である。これは、このたびの棋聖戦で勝利
し、史上最多81期目のタイトルを獲得し、将棋界に一つの金字塔を打ち立てたとこのことである。
羽生は特定の得意戦法を持たないオールランドプレーヤーで、常に新構想をもって対局に臨んでいるといわれて
いる。「将棋は研究していても指してみないとわからないことがあり、実践の中で考えてみることが一番の研究に
になる」と語っている。
野球に関していえば、野球の父といわれるかの有名な飛田穂州が、“優勝の秘伝は”とは、と問われて、「・・・
今まではっきりした答えを出した者はいない。高校野球を長い間見てきて、大型打線とか大物打ちぞろいとうわさ
されたチームにかつての優勝者は出ていない。華麗な守備を高く買われていたチームもまた存外もろく負けている。
大型打線には穴があり、華麗に見える守備には確実性がない。優勝したチームには論外なく地味で野球の“いろは”
をしっかりのみこんだチームに限られているといってよい」と答えている。
どんな競技、勝負の世界であっても、勝利の根源は「確実さ、正確さ、突きつめようとする姿勢」にあることを
示唆しているように思われる。このことは人生にとっても一つの大きな教訓といえるのではないだろうか。
⇒先頭へ
◆“栄 光”第27号(’12.2.12)
「絆」(きずな)とは断つにしのび難い恩愛とか、離れがたい情実ということである。
この文字が言葉となり活字となって、人々のなかに深く刻み込まれたこの一年だった。
3.11東日本大震災の地震・津波、加えて原発事故という未曾有の大震災からの、私たちのとった行動である。
ある人はボランティア活動で直接的に、またある人は義援金などの活動で間接的にかかわったものである。この
ように私たちは少なくとも何らかしらの行動を通じて、「絆」を感じたはずである。
昨今、とかく社会の共同体が崩れ、分断が少なくとも進んでいるといわれる。人間と社会のつながり、社会の中
人間であることの認識を忘れ去り、暗い世相が続いてきているともいわれる。
しかし、人と人とのつながりが再認識され、日本人が「絆」で結ばれていることを確認する契機となったのでは
ないだろうか。
この度は、私たち後援会のなかでも会員同志が、被災地を気づかい連絡をとりあったという話を聞いている。こ
れまでややもすれば疎遠過ごしてきた仲間の「絆」を呼び覚ますこととなった。だが、私たち軟式野球部後援会活
動のなかでの会員間の「絆」はと問われれば、創部以来50余年の流れの中でややもすれば薄れてきているように
にも思われる。
会報「栄光」の発行が唯一私たちをつなぐ「絆」となっていることに心を寄せ、いつまでも会員間の和が保たれ
ていくことを願っている。⇒先頭へ
◆“栄 光”第26号(’11.9.17)
「一生懸命さ」こそが求められている。これは何も甲子園の場だけの言葉ではない。日ごろ各校が練習に励んでいる
グランドの場においてもである。
先年、朝日新聞社が実施した全国世論調査(’08年)によれば、「高校野球に何を最も望むか?」との問いに、
60%の人が「フェアプレーの精神を広めてほしい」を選択している。
「勝利至上主義」に抵抗感を覚える人を含めると、70%以上が「正々堂々」を求めている。
「公平さと公正さに裏付けされた一生懸命さ」こそが、高校野球を国民的スポーツに押し上げている所以だ、という
ことを忘れてはならない。相手を出し抜くためなら、法律やルールに抵触しなければ何をやってもいい。昨今、あらゆ
るスポーツにこうした「勝利至上主義」が広がっている。
高校野球も例外ではない。野球留学を支える特待制度の是非が問われ、大きくクローズアップされいるのも当然のこ
とといえる。この問題の検討は未だ道半ば、早急に誰もが納得のいく結論を望みたいものである。
甲子園は今夏も猛暑のなか、数々の熱戦譜を刻んで閉幕した。省みて常々感じていることだが、マスコミ・主催者に
望みたい。「勝利至上主義」をあおるかのような大々的な報道や記事を自粛してほしいものだ。また、甲子園での各試
合後のセレモニーである。「勝者の栄誉を讃えての校歌斉唱・校旗掲揚」をやめ、敗者のそれに改めたらどうだろう。
勝者は最後に必ず讃えられるのだから。
「一生懸命さ」こそが讃えられるべきことなのではないだろうか。⇒先頭へ
◆“栄 光”第25号(’11.2.12)
古来、日本には「寒稽古」というのがあった。寒中に厳しい鍛錬が課せられたことから寒稽古と呼ばれる。昨今はも
っぱら武道の言葉となっているが、昔から年初めの行事や芸事などで行われていた。
人々は厳寒での稽古は精神を集中させ、芸を一段と高めると信じていたし、寒気が厳しければ厳しいほと、精進する
人の身中奥深くに飛躍の種が宿ると考えて打ち込んだものと考えられる。
ことわざに「寒のうちに雪がたくさん降るとその年は豊作」というのがある。寒中に新たな年の吉凶が凝縮されてい
ると考えていたようだ。寒中の大雪に豊作を思い描いたのも、寒稽古が技や芸を実らせると信じたのと同様の心の動き
によるのだろる。
いま考えてみると、野球に長年かかわってきた者として、味のない冬休みを含めた冬場の厳しい練習を繰り返したこ
とにその感を強くしている。北国は冬はいきおい屋内練習を強いられることになるが、夏に備えての足腰の鍛錬を欠か
さず続けたことに思いが至る。このように、野球は夏のシーズンのものだけでなく、オフシーズンの鍛錬如何が勝利の
結実につながることを、教訓とすべきではないだろうか。
よく聞くことばだが、「あの時(冬期)もう少しとりくんでいれば・・・」である。後悔してもはじまらない、こと
をみんな持ち合わせているのだが。⇒先頭へ
◆“栄 光”第24号(’10.9.11)
「・・・に集中する」「集中力を高める」という言葉がある。これは「ひとところに集める、または集まる」という
ことである。ときに、力・精神を集中するというような使われかたをする。
私たちの日常生活など、あらゆる人間生活の場でよくみられる。特に仕事や勉強そしてスポーツなどでは、この集中
力が試されている場合が多い。特異なものだが、宇宙ステーションでの精密さを要する組み立て作業、医療現場での大
手術、あるいはウィンブルドン(テニス)での二日間にわたる熱闘などがある。
野球に例をとってみれば、9イニングスを集中力を高めたプレーが要求される。両チームが緊迫したゲームを展開し
ているうちは、集中力の欠けるようなプレーはおこらない。しかし、集中力が欠けたところで、バランスが崩れ、均衡
が破れると一気に悪い流れに陥ってします。
甲子園の熱戦で、中京高(連覇がかかる)が早実高の前にもろくも大敗を喫し、翌日には大勝した早実高が関東一高
の前に大敗するという試合展開があった。集中力を高めながら乗り切ることの難しさ、個々の選手が集中力を高めるこ
とはもとより、チーム全体が集中力を保ち続けることの難しさを如実に示していたように思われる。難しいことのよう
であるが、ときには集中力を高めてみることがあってもよいのではないだろうか。⇒先頭へ
◆“栄 光”第23号(’10.2.14)
野球というスポーツほど「人間くささ」「人間らしさ」をもつのはない。野球が多くの人から愛され、親しまれ、人
気を保つゆえんがこんなところにあるように思う。
野球には他の競技にはない幾つかの点がみられる。先ず野球の塁(ベース)である。この塁を島に見立てたとき、塁
上の味方の走者は「孤島で助けを待つ仲間」に見えてくる。待ってろよ、「ヒットで必ず生還されてやるぞ」と呼びか
けたくなる(打者の心情として)。また、野球の基本はキャッチボールである。キャッチボールは白球を介しての対話
なのである。相手の胸もとに取りやすい球を投げてやる。自分が暴投すれば、ボールを拾いにくいのは相手である。
「相手の立場に立って」という仲間への思いやりが、キャッチボールには込められている。
さらに、野球には「人間そのものが得点になる」という、他の競技にはみられない点がある。ゴールにボールを入れ
れば点になる球技と異なり、選手が本塁を踏む(生還する)ことで点となり勝利に結びつくというスポーツである。
「仲間のために」「仲間を信じて」より多くの仲間を本塁に還すという、仲間同士の助け合いが求められる競技とい
える。
なんと人間くさい、人間らしいスポーツだろうか。昨今、こんな野球の本質を忘れ、おろそかにする選手や監督
(勝利至上主義におちいり、特待生や留学生にこだわるなど個人の技術優先に目がいくなど)がみられるのはいかが
なものか。 ⇒先頭へ
◆“栄 光”第22号
(’09.9.12)
50年の歴史を刻み新たな一歩を踏みだした軟式野球部である。OB諸君には、時に過ぎ去った青春への思い出が頭
をよぎることもあると思う。なつかしく故郷を思い浮かべ、なつかしの校舎を、そして友を机を並べ勉強や語らいに興
じたあの日、グランドで汗と涙を流したあの時のことどもを。
苦しかったとき、楽しかったとき、人生山あり谷ありで、その時々に青春への思いを深めることで、自分の今を確か
めるようなときもあるのではないだろうか。
時に開かれる学級・学年同期会などでは、みんなの思いが最後には応援歌・校歌へと導かれていく。「北シベリアの
風荒れて・・・」「渺茫ひらくる日本海は・・・」と唱うのである。
私は常々校歌の三番、「あしたに進取の精神(こころ)を高め、ゆうべに自省のおもひを深む、たゆまぬ向上ゆるが
ぬ自覚、正義の大道只一筋に、進みてやまざる健児の意気を、いざ声そろへて共に謳はん」に、新商の校風の一端を感
じるのである。
勉学やスポーツに励めたのもこの気持ちがあればこそとおもえるのである。現役諸君はもとより、OB諸君も50年
をきっかけにふり返ってみることも意義あることではないだろうか。⇒先頭へ
◆“栄 光”第21号(’09.2.14)
見事にやり遂げた、すばらしい創部50周年記念、おめでとう。三役をはじめ実行委員の献身的な努力と、これを
支えた会員の和の精神の結集の賜と敬意を表したい。
過ぐる日の記念講演会の栄を担った私は、演題を“継続は力なり”と決め、いかに凝縮して精一杯の内容を披露でき
たのか、果たして反応はいかがなものであったのか反省しているところである。
「草創期の様相がいまに甦ってくるような思い出、参会できたかいがあった」「先生が野球人生の決め手といわれた
“飛田野球”の資料を検索、その業績を知る機会が深められた」「人生あらためて、先生のことば“もうだめだと思う
向こうに道がある”を見つめなおしている」など、さまざまな感想や印象、。大きな反響をいただき、ほっと胸をなで
おろしている。
私が言いたかったこと(内容は講演要旨で)、それは軟式耕作部が原点(和の精神)であり、現実と理想のはざまで
夢と理想を苦難の中で追いつづけ、新商軟式こそリーダーの自覚と誇りをもって、指導者か監督かを教育の中の高校野
球として貫いた50年。飛田精神に立脚し、“野球道・心そして哲学”を求め、私なりに“教育者としての理念・ロマ
ン・人間性”を追い求めた50年であったことに尽きる。
いま、私は再び病と向きあい入退院が続いているが、私の好きなことば“もうだめだ、と思う向こうに道がある”
の気持ちをもって人生街道を歩みたいと決意している。継続は力なりを途切れさせないためにも。⇒先頭へ
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