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季節だより

2014年~2015年

2014年~2015年お知らせ



2015年12月1日  48号
大阪府の鳥 モズ(百舌)

        1/15 摂津峡 メス                 11/12 淀川 オス
(秋になってもメスを見つけられず今年の1月に撮った写真を使用)

 モズは大阪府および堺市の鳥である。府下でもふつうにみる事が出来ること、また仁徳天皇稜(注釈参)とも関係(日本書紀の記述)があり、堺市の百舌鳥町の地名由来になっていることなどから選ばれた。大阪府の公式マスコットキャラクター『もずやん』はモズをモチーフとしている。モズは百舌や百舌鳥とも書くように他の鳥の鳴き声がとても上手である。全長20cm。オスは過眼線が黒色で精悍な顔立ちである。日本では全国の平地から低山地の農耕地や林緑、川畔林などに生息して、繁殖している。冬には北日本のものや山地のものは、南下したり山麓へ下りる。秋に『高鳴き』をしてなわばりを確保し、越冬したものは、2月頃から越冬した場所で繁殖する。4月中頃までにひなを育て終った親鳥は、高原や北へ移動している。小さなからだなのに、くちばしはタカのようにカギ型をしており、小鳥を捕らえたりもする。モズは生け垣などのとがった小枝や、有刺鉄線のトゲなどに、バッタやカエルなどのえものを串ざしにする変わった習性があることで知られ、日本ではこれを『モズのはやにえ』と呼んでいる。モズに関することわざの中に『モズの高鳴き75日』がある。これは、秋になって初めてモズの高鳴きが聞かれるようになってから75日目に霜が降りるという意味である 。

     もずやん

 あくあぴあ芥川(高槻市立自然博物館)において企画展『モズのはやにえ』が開催されている。
この ”はやにえ”の写真は展示品から。
  期間:10月10日~12月13日


(注)仁徳天皇稜は、大阪府堺市堺区大仙町にある前方後円墳。古墳最大長が840メートル、最大幅が654メートルあり日本最大である。墓域面積は世界最大とされる。仁徳天皇稜を含めた百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)は、巨大な前方後円墳を擁する古墳群として知られる。4世紀末ないし5世紀初頭から6世紀後半頃に築造された古墳が分布する。堺市は百舌鳥古墳群の世界文化遺産登録をめざした取り組みを進めている。

     堺市HP 仁徳天皇陵古墳百科

今月の歌     

 『トロイカ』

雪の白樺並木
夕日が映える
走れトロイカほがらかに
鈴の音高く


響け若人の歌
高鳴れバイヤン
走れトロイカかろやかに
粉雪蹴って


黒いひとみが待つよ
あの森越せば
走れトロイカ今宵は
楽しいうたげ


 20世紀初頭から歌われるロシア歌曲。作詞者は不明。金持ちに恋人を奪われた若い御者の悲しみを歌った哀切な歌である。一般に知られている日本語詞は明るい歌詞だが、この曲に最初に日本語の訳詞を付けたハバロフスク地区の日本人捕虜による楽団「カチューシャ」が間違えてブラーホフ作曲のトロイカを訳したため、このような歌詞で定着してしまったそうだ。NHKの『みんなのうた』でも放送され、小学校の音楽の教科書にも掲載された。ちなみにトロイカとは、この歌では三頭立ての馬車を指す。


歌が聞けます  (YouTube)


皇帝ダリア


               11/20 自宅にて

 昨年、ホームセンターにて苗を購入したが、その年は咲かかなかった。今年になって地植えしたら、こんなに高く伸びた。(4m強)物干しざおで支えている。 学名がダリア・インペリアリス(皇帝ダリア)で、和名はコダチ(木立)ダリア。メキシコ地方原産で、秋深い11、12月頃にピンク色の花をいっぱい咲かせる。


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2015年11月1日  47号
コスモス(秋桜)

10/19 三島江地区のコスモス畑 (左側の遠くの土手は淀川、その右横に見える白が映える建物は段蔵)



 「コスモスロード」の愛称で親しまれている三島江地区の休耕田を活用したコスモス畑が10月1日~10月30日まで開放された。春にはレンゲ畑が開放されている。
 コスモスはメキシコ原産の植物で、日本には明治時代にやってきた。アキザクラ(秋桜)とも言う。庭や花壇、休耕田などによく植えられており、いまでは日本の秋を代表する花となっている。暑い夏が終わり、秋の風を感じる頃になると花が咲き始める。コスモスはどうやって花を咲かせる時期を知るのかというと、それは気温の変化ではなく、夜の時間が長くなることに関係する。コスモスは、決まった時間以上の暗やみが続かないと、花になる芽をつけない。そのため自然の状態では、夜の時間が昼の時間より長くなる秋分を過ぎてからでなければ花になる芽を付けない。夏の暑さが残っていても、夜の時間が長くなれば、コスモスは茎や葉の成長を止め、花の芽づくりにとりかかる。コスモスやキク・ダリアのように夜が長くなって花の芽をつける植物を「短日(たんじつ)植物」、逆に夜が短くなって花の芽をつけるカーネーションやスイートピーなどの植物を「長日(ちょうじつ)植物」という。ヒマワリなどのように、夜の長さに関係なく、おもに気温の変化がきっかけとなり、花の芽をつける植物もある。



段蔵(だんぐら)



 最初の写真でも確認できるが、この写真の奥に写っている倉は段蔵(だんくら)と呼ばれている。たび重なる洪水対策として建てられたものだ。建物を洪水から守り、そこを避難拠点とするよう工夫されている。地盤面より敷地が高くなり段差が生じるため、日常においては不便を強いられるが、日常の利便性より洪水への対応が優先されている。この水害対策のための建物は、高槻市や寝屋川市では「段蔵」と呼ばれているが、地域により「水屋」や「段倉造り」と呼ばれているそうだ。高槻市・島本町の段蔵については、かなり少なくなっているものの、連立段蔵・孤立段蔵・複合段蔵という3形式の段蔵が確認されている。
 淀川水系では、古代より多くの水害が発生している。淀川のほとりに位置するこの三島江地区も例外でなくではなく、特に慶応4年(明治元年)の水害では唐崎村と三島江村の中間付近の堤防が決壊、下流にある三島江の田畑が淀川の砂で埋没し三島江地区全体が高野と化す、という大きな被害を被っている。砂に埋もれた田畑の耕土を一鍬ひとくわと掘り起こす作業を繰り返して、明治17年には田畑をほぼ元通りの状態に回復したとのこと。重機のない時代なので長い年月がかかっている。


今月の歌   

  『秋桜』

うす紅の秋桜(コスモス)が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
この頃 涙もろくなった母が
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす
独り言みたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさがしみて来る
あした嫁ぐ私に苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った


作詞:さだまさし
作曲:さだまさし


 「秋桜」(コスモス)は、1977年にリリースされた山口百恵の楽曲である。「日本の歌百選」に選ばれている。オリジナルは山口盤ではあるが、山口は1980年に引退したため以降本作はもっぱら、さだまさしによって歌われている。山口百恵は結婚を期に引退するラスト・コンサートの日(1980年)に「この歌の意味がようやく分かりました」というメッセージをさだに送っているそうだ。
 本作は元は「小春日和」というタイトルだったが、曲を聴いたプロデューサーの提案で「秋桜」に変更となった。当初、さだはタイトルの「秋桜」を、「コスモス」と読ませるつもりはなく、本来の和名である「あきざくら」とするつもりであった。本作のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が広まるようになった。




ノビタキ(野鶲)



 ノビタキは夏鳥として南の国から本州中部以北に渡来するが、大阪など本州中部以南では春秋の渡りの期に平地や農耕地などで見られる鳥である。スズメより小さく、コスモスにも止まることから、ここ三島江でも『コスモスにノビタキ』を狙ってカメラマンが集まってくる。私もそれを期待して何回か訪れたが、ノビタキはコスモス畑の周辺を動き回るだけでそのシーンは撮れなかった。その代わりといっても何だが、高槻市マスコットキャラクターのハニタンに出会った。イベントではなく、ホームページ用の写真を撮りにきたとかで周りに人も少なく、通りがかった子供たちは大喜びであった。『コスモスにハニタン』となった




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2015年10月1日  46号
ハギ(萩)



9/18 新川桜堤

 散歩コースで秋の七草のひとつであるハギを見つけた。赤紫色が2本、白色が1本並んでいた。『萩』の字は『秋に草かんむり』なのでまさに秋の花。開花時期は6月から10月だが、9月が見頃なようである。大振りだが花が小さく目立たない。枝先を切って生ければ別と思うが、七草といわれても草には見えない。マメ科の落葉低木とのこと。



 枝や葉は家畜の飼料や屋根ふきの材料に、葉を落とした枝を束ねて箒(ほうき)に、根を煎じて、めまいやのぼせの薬にするなど、人々の生活にも溶け込んでいたそうだ。秋の十五夜(満月の夜)に、「薄(すすき)」 「おだんご」と一緒に 縁側などに置いて、お供えする習慣がある。
 あんこのおもちに「ぼたもち」と「おはぎ」があるが、実は同じものである。春のお彼岸に供えるのは春を代表する花の牡丹(ぼたん)の花にちなんで
   「牡丹餅」→「ぼたんも」→「ぼたもち」
と呼ばれ、秋のお彼岸に供えるのは、秋を代表する花の「萩」の花にちなんで
   「萩餅」→「御萩餅」→「御萩(おはぎ)」
と呼ばれるようになったとか。
 ハギは和歌や俳句で多く詠まれているが、万葉集(7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集)の中で142首を数え、もっとも多いそうだ。(ちなみに第二位は、梅で119首)
 他にハギを見れる場所としては、高槻市の山奥にある萩谷総合公園がある。駐車場から多目的広場やサッカー場に通じる道路の両脇に地名にちなんでか植えられている


今月の歌      

 『赤とんぼ』

夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か


山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか


十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた


夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先


作詞:三木露風
作曲:山田耕筰


 日本の代表的な童謡の一つである。三木が1921年(大正10年)に、故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、童謡集「眞珠島」で発表された。その後、1927年(昭和2年)に山田が曲をつけた。


9/29 赤とんぼ 北摂にて

歌が聞けます  (YouTube)


ゲッカビジン(月下美人)


9/28 16:40



9/28 18:50                      9/28 21:00

 近所の方に月下美人が今晩咲くからどうですと声をかけられ、貸していただいた。美しい花をいつまでも保つためにと焼酎付けにしたものは昨年見せてもらったが、実物は見たことがなかった。夕方に貸してもらったのだが、その時はまだつぼみであった。18時に外出し途中経過は見れなかったが、月下美人といわれる通り、21時には満開となっていた。しかし、朝にはしぼんでいた。一晩でしぼんでしまうが、うまく手入れをすれば、年2回以上咲かすことができるそうだ。メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とするサボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物である。日本には大正末期に渡来したと言われている。


9/29 21:10 自宅ベランダにて

 月下美人が咲いた9月28日は、まさにスーパームーンが見れる日であった。ところが写真を撮ろうとしたとき、少し雲がかかっておりうまく撮れなかった。それではと翌29日に撮ったのがこの写真である。1日過ぎたため右側が少し欠けてきている。スーパームーンとは、月が地球に最も近づいたときに満月が重なると観測できる天体現象のことで、次回のスーパームーンは、2016年11月14日とのこと。


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2015年9月1日  45号
メダカ(目高)

 4/24 スイレン鉢の中のメダカ             5/16 スイレン鉢  年越ししたスイレンが咲いた

 昨年、温帯性スイレンを買った時に、袋の中に赤いメダカが1匹入っていた(昨年の8月号に既報)。そのままスイレン鉢に入れていたが、4月に普通のメダカを4匹買って同居させた。その後、スイレン鉢に入れていたホテイアオイ(水草)が繁殖してきたため、5月末に余っていた梅干し用のかめに株分け。6月はじめにかめを覗くと、黒くて小さな生き物がうようよ泳いでいた。最初ボウフラかと思ったが、よく観察するとメダカの稚魚であった。ホテイアオイの根に卵を産み付けていたようである。親メダカと一緒にしていると親メダカが食べてしまうようで、タイミングがよかった。20匹以上はいる。スイレン鉢にも何匹か生まれたようだ。8月に入ってスイレン鉢の水草を取り出して中を確認したところ赤いメダカがいなくなっていた。寿命なのか、多勢に無勢であったか。
 夏休み、孫二人がやってきたので、ペットボトル水槽を二つ作って孫の名前を記載。3匹づつ入れてやり、自分のメダカとして餌やりをさせた。



 かめとスイレン鉢                    ホテイアオイの根 ここに卵を産み付ける



 メダカは目が大きく、頭部の上端から飛び出していることが、名前の由来になっている。飼育が簡単なため、キンギョ同様、観賞魚として古くから日本人に親しまれてきたほか、様々な目的の科学研究用に用いられている。西欧世界には、江戸時代に来日したシーボルトによって、1823年に初めて報告された。流れのゆるい小川や水路などに生息し、動物プランクトンなどを食べる。蚊の幼虫ボウフラを好んで食するため、ボウフラを退治する益魚としても知られている。
今月の歌    

  「めだかの学校」

めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ


めだかの学校の めだかたち
だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か
みんなで げんきに あそんでる


めだかの学校は うれしそう
水にながれて つーいつい
水にながれて つーいつい
みんなが そろって つーいつい



作詞:茶木滋
作曲:中田喜直

 昭和26年3月、NHKのラジオ番組「幼児の時間」で発表された。歌詞の誕生には、茶木滋が昭和21年に神奈川県小田原市にある荻窪用水で息子と交わしたやりとりが大きく関わっている。小田原市に在住していた茶木は、戦中は家族で箱根に疎開して難を逃れていた。しかし、自宅が全焼したために、戦後はバラックのような家に住むことになり、食糧を確保するためにたびたび買い出しに出かけていた。ある日、買い出しのために息子と山を降りて荻窪用水周辺を通りかかると、息子がメダカを見つけた。息子が大声を上げるとメダカが姿を隠してしまったので、茶木が「あんまり大声を出すんで逃げてしまったんだよ」と言うと、息子は「大丈夫、またくるよ。だってここはメダカの学校だもん」と答えたという。




5/16 スイレンの花                     8/6 ホテイアオイの花

メダカと俳句

 メダカの季語は春と思いがちだが正解は夏である。昔は水鉢などに飼って涼味を楽しんだそうで、季語的には金魚と同じ扱いとのこと。ネットから俳句をひろってみました。
 
睡蓮の葉かげに目高見えかくれ (久保田一豊)
 
東京にもらはれて行く目高の子  (前田達江)
 
弾みたる子等の声して目高散る (川崎美代子)



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2015年8月1日  44号
クマゼミ(熊蝉)の羽化

    クマゼミ                7/9 20:30 奥は羽化の途中

 今の時期、朝から「シャンシャンシャン」と大きな声が聞こえて来て、ついテレビのボリュームを上げてしまうが、犯人はクマゼミである。
 このクマゼミの羽化の様子を自宅のキンモクセイの木で観察できた。このキンモクセイには、毎年いくつもの抜け殻が残されている。一度様子を見てみたいと思っていたのだが、7月9日の19時半ごろ外に出て覗いてみたら、3匹の幼虫が木にぶら下がっており、1匹はすでに羽化が始まっていた。急いでカメラを取ってきて撮影し、あと経過観察した。翌朝の日の出時刻を確認し、4時半に目覚ましをセット。翌朝、予測通りまだ残っていたが、羽はすでに成虫の色であった。6時45分に再度確認すると、すでに飛んで行っていた。



 19:41 羽化始まる                    21:09 羽化終わっていた


  4:47 まだ残っている                   6:51 抜け殻のみ

 成虫の寿命は2週間程度とされているが、産卵されるのはその何年も前である。セミの幼虫は、何年も土の中で過ごす。アブラゼミとミンミンゼミでは7年目,ニイニイゼミでは4年目だそうだが、クマゼミはまだきちんと調べられたことがなく判明していない。大阪ではかつてクマゼミは少数派のセミであったが、20世紀後半に増加し、今やセミの中で圧倒的多数を占めてる。アブラゼミの数は減り、ニイニイゼミやツクツクボウシはほとんど見られなくなってしまった。クマゼミは本来、暖地性のセミであるため地球規模の温暖化や都市特有のヒートアイランド効果の影響がある。最近は関東地方などにも分布を広げているようだ。
 鳴く時間帯は、おもに日の出から正午までの午前中で、日が照って温度が上がる午前7時頃から午前10時頃まで最もさかんに鳴く。朝の鳴いている時間帯は高い場所にいるが、昼間は木の根元付近まで降りてきている。またアブラゼミと共存している地域では、午前11時ごろまではクマゼミのみが鳴き、それから後はアブラゼミのみが鳴くという「鳴き分け」が見られる。



 セミの抜け殻のことを空蝉(うつせみ)とも言うが、空蝉といえば源氏物語に登場するある女性の通称でもある。光源氏の求愛に対して一枚の着物を残し逃げ去ったことを、源氏がセミの抜け殻にたとえて送った和歌から、そう呼ばれるようになった。空蝉のモデルに関しては、境遇や身分が似ているため、作者の紫式部自身がモデルではないかと言われているそうだ。



2015.7.15 毎日新聞夕刊 近藤勝重(1945~  )編集員 ”しあわせのトンボ” から

《 文芸評論家、秋山駿(1930~2013)氏の絶筆となったエッセーにしばしばセミが出てくる。
『季節にも、その季節の「魂」というものがあって、蝉の合唱は、夏という季節の、魂の声である、と感ぜられる。大きくは世の中の栄枯盛衰から、それとは反対に、もっと微細な一人ひとりの喜怒哀楽に至るまで、すべてを表現しているような気がする。』
また、「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」(芭蕉)の句にふれ、こう書いている。
『非凡な作品である。この「蝉の声」は、自然や、運命や、永遠と向き合って、いま在る命というものの不思議さ、ありがたさを、精一杯表現しているものだ』
全盛の夏を過ぎた氏の老いが微妙に重なる一文だ。
 ぼくも全盛の夏はいつしか過ぎて、身の上に戦後も、災後も重ね合わせて生きている。今夏、近所でセミたちが盛大に鳴いたとしても、それは懸命な生の営みである。悲しみは覚えても、やかましいなどとは決して思わないだろう。》



今月の歌   

  「牧場の朝」

ただ一面に立ちこめた
牧場の朝の霧の海
ポプラ並木のうっすりと
黒い底から勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと


もう起き出した小舎小舎の
あたりに高い人の声
霧に包まれ あちこちに
動く羊の幾群(いくむれ)の
鈴が鳴る鳴る りんりんと


今さし昇る日の影に
夢からさめた森や山
あかい光に染められた
遠い野末に牧童の
笛が鳴る鳴る ぴいぴいと


作詞:杉村楚人冠
作曲:船橋栄吉


 昭和7年初出の文部省唱歌。
 福島県にある日本最初の国営牧場「岩瀬牧場」がモデルとされている。明治40年にオランダ王国レーワルデンの酪農家からホルスタイン種牛13頭を輸入。日蘭友好の記念として岩瀬牧場に鐘(かね)が贈られた。「鐘が鳴る鳴る かんかんと」というフレーズがあるが、これはこの時にオランダから岩瀬牧場へ贈られた「友好の鐘」が鳴り響く音だとされている。


歌が聞けます  (YouTube)


コアジサシ(小鯵刺)親子



 淀川にて、抱卵中のコアジサシを見つけた。何日か通い、7/14に生まれたての雛を確認できた。写真をよく見ると親鳥のおしりの下に卵が1個残っているように見える。
 親鳥はハトほどの大きさ。白っぽいからだと、黄色い嘴(くちばし)が特徴。飛びながら魚を狙い、上空からダイビングして捕らえる。日本にはオーストラリアやニュージーランド周辺で冬を過ごした集団が飛来する。4月に日本に到着したコアジサシは、5〜8月の繁殖期に海岸の砂浜や河川の河原・中州で繁殖する。通常2~3個の卵を産み、卵は3週間ほどでふ化。ヒナは20日間くらいで飛べるようになる。9月には南の国へ渡っていく。環境省の第4次レッドリスト(平成24年8月)で絶滅危惧 II 類に位置づけられている。









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2015年7月1日  43号
ユリ(百合)


 左の写真は散歩中に街角で撮影したユリ。(6/10) 『歩く姿は百合の花』なる女性の美しさを形容することばがある。風を受けて揺れるさまが清楚で美しいとか、うつむき加減なところが古風でよいとか・・・。どうでしょうか。
 右の写真は昨年6月に自宅で撮ったもの。家に3本の白ユリ(テッポウユリ)があるが、今年は花のつぼみに虫がついて全て咲かなかった。だからという訳でもないが、某局の天気予報中継で知った大阪舞洲のゆり園に行って来ました。(6/6)






 大阪舞洲のゆり園は2013年にできたばかり。舞洲(まいしま)は大阪市此花区にある人工島で、大阪湾を臨むロケーションに250万輪のゆり畑が作られている。今年の開園期間は5/30~7/5。JR大阪環状線の西九条駅からバスで約30分である。見ごたえがありました。



 ユリの原種は100種以上、品種は約130品種を数える。日本には15種ある。花の観賞は明治30年代頃からである。幕末にシーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。なお持ち帰られたのは琉球列島原産のテッポウユリである。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した

今月の歌   

  「汽車」

今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無くトンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら)


遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒(のき)
森や林や田や畑
後へ後へと飛んで行く


廻り灯籠の画(え)の様に
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里


作詞:不明
作曲:大和田愛羅

 1912年刊行の「尋常小学唱歌 第三学年用」に掲載された文部省唱歌。作詞者については諸説あり、一番の歌詞には「闇を通って広野原(ひろのはら)」というくだりがあるが、これを単に「広い野原」という普通名詞ではなく、福島県双葉郡広野町の「広野」を指しているとも言われている。



コチドリ(小千鳥)


      6/24 淀川にて

 スズメ大である。顔や胸に黒色部があり、目の周りの黄色いリングが目立つ。夏鳥として九州以北の河原、海岸、干拓地に飛来。小石や砂の地上で繁殖する。酒に酔ってふらふらと歩く様を千鳥足というのは、この鳥の歩き方のように真っ直ぐ歩かないことになぞらえているそうだ。


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2015年6月1日  42号
ツバメのなかま

     ツバメ  5/26 塚脇                   5/8 芥川

     イワツバメ 5/11 堤町               5/22 淀川

 この時期、私の散歩コースの芥川(新川桜堤沿い)ではツバメ(燕)とイワツバメ(岩燕)は普通に見ることが出来る。イワツバメはスズメくらいの大きさだがツバメはもう少し大きい。飛ぶスピードが早いため識別が難しいが、上面全部黒いツバメに対し、イワツバメは腰が白いためよく観察すると区別できる。またツバメはのどが赤く、尾は長い 。
 高槻ではツバメのなかまとして他にコシアカツバメ(腰赤燕)やショウドウツバメ(小洞燕)が観察されている。



     イワツバメ 5/17 堤町                翼を広げると腰の白がよくわかる

 ツバメは人家や店などの軒下等に巣を作るため誰でも一度は巣を見たことがあのでは。しかしイワツバメの巣はあまり見かけない。「岩ツバメ」という名前が付けられている通り、本来は海岸や山地の岩場に巣を作るのだが、道路・橋・鉄道などのコンクリート製の高架下でも集団で営巣する。散歩コース近くの芥川にかかる府道14号線の陸橋下(堤町)や阪急電車の高架下(八丁畷町)で巣が確認できる。


     イワツバメ 5/13 堤町

 スズメがしょっちゅう巣をのぞきに来るのだが、イワツバメはおとなしい性格か、追い払おうとせず眺めているばかり。子育てが始まると強くなるのだろうか。スズメに巣を乗っ取られることもあるようだ。


     イワツバメ 5/22 淀川

 新しい巣なのか巣の補修なのか、みんなで土集め。頭を上げると顔中に土が。


     5/28 鵜殿のヨシ原

 春に東南アジアから渡ってきたツバメは繁殖を始めると、巣や巣の近くで寝るようになる。夏になると繁殖を終えたツバメとその子ども達は、巣場所周辺を離れて、ある程度の面積を持ったヨシ原で集団で寝る(ねぐら)ようになる。大阪府下のねぐらは昨年十ヶ所確認されているが一番大きいのがヨシ焼きで有名な高槻市鵜殿のヨシ原(淀川右岸河川敷)である。大阪府下で約七万羽強だが約四万羽が鵜殿にやってくる。秋になると20グラムに満たない体でフィリピンやマレーシアなどへ何千キロ以上もの渡りに旅立つ。イワツバメは集団でヨシ原に集まることはないようである。

『今来たと 顔を並べる つばめかな』
『又おせは(わ)に なりまするとや 鳴燕(なくつばめ)』


                小林一茶(1763年~1828年)

今月の歌      

  「あざみの歌」

山には山の 愁(うれ)いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば


高嶺(たかね)の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い


いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は はてなくも
香れよせめて わが胸に


作詞:横井弘
作曲:八洲(やしま)秀章


 詩は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、疎開先の下諏訪の八島高原で、野に咲くアザミの花にみずから思い抱く理想の女性の姿をだぶらせて綴った歌詞に、八洲が作曲した歌が、NHKのラジオ歌謡に採用され、昭和24年8月8日から放送された。 NHKの「日本の歌ふるさとの歌百選」にも入選し、今でも皆に愛唱される歌となった。伊藤久男の歌唱でレコード発売されたのだが、倍賞千恵子もこの歌を歌っている。横井弘は、「下町の太陽」「さよならはダンスの後に」など倍賞千恵子の代表曲の作詞者でもある。


歌が聞けます  (YouTube)


ノアザミ(野薊)


        5/20 淀川にて

 ノアザミはキク科アザミ属である。アザミは、キク科アザミ属 およびそれに類する植物の総称であり、標準和名を単にアザミとする種はない。世界に250種以上あり、北半球に広く分布する。地方変異が非常に多く、日本では100種以上あるとされるが、現在も新種が見つかることがあるそうだ。アザミの仲間で春に花をつけるのはこのノアザミだけ。歌はこのノアザミなのだろうか。


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2015年5月1日  41号
レンゲソウ(蓮華草)







 写真は高槻市三島江である。毎年4月にレンゲまつりが開催される。
 ゲンゲ、レンゲとも呼ばれるレンゲソウは室町時代のころに中国から渡来したマメ科の越年草である。田の一面を紅紫色のじゅうたんのようにそめ、春の風物詩とされてきた。しかし、田のレンゲソウは野生化したものではなく、緑肥として田植え前の土にすき込むために人為的に栽培されたものである。近年は化学肥料に押されて見かけなくなっていたが、最近は価値が見直され、各地でレンゲ田が復活しているそうである。花の長さが12~14mmで、6~12個の花を輪生状につける様子をハスの花に見立てて、レンゲソウ(蓮華草)と呼ばれる。

 鳥はチドリのなかまのケリ(鳧)である。ハト大で、足は黄色く長い。主に関東以西の水田で繁殖し、積雪のある地域では秋冬に暖地に移動。河原や干潟で見られることもある。声はキリッ、キリッなどと鋭い。



 レンゲソウは花びらの奥に蜜や花粉が隠されており、花柱の先に生えている毛が柱頭(花粉を受けるところ)をおおっているので、ミツバチの仲間のハナバチ類が来ないと、柱頭に花粉がつかない。ハナバチ類はレンゲソウから蜜や花粉の供給を受け、レンゲソウは花粉を媒介してもらうことで結実する。モンシロチョウやモンキチョウなども密を吸いに来る。しかし、チョウ類はレンゲソウの仕組み上、おしべ・めしべには触れないため、細い口吻で蜜を吸うだけで受粉の仲立ちをしないそうである。

 今月の歌   

   「さくら貝の歌」

美わしきさくら貝ひとつ
去りゆけるきみに捧げん
この貝は去年(こぞ)の浜辺に
われひとりひろいし貝よ


ほのぼのとうす紅染むるは
わが燃ゆるさみし血潮よ
はろばろと通う香りは
きみ恋うる胸のさざなみ


ああ なれど わが思いははかなく
うつし世の渚に果てぬ


作詞:土屋花情 作曲:八洲(やしま)秀章

 八洲が恋人の死を悼み短歌にし、これを土屋が歌詞にし、八洲が曲をつけた。昭和14年のこと。その後ほとんど知られなかったが、山田耕筰が気に入って自ら編曲し、昭和24年にNHK「ラジオ歌謡」で放送され広く知られるようになった。八洲は『山のけむり』『あざみの歌』など、数多くの抒情歌を作った。


自宅にメジロの親子が

     



 4/24朝、自宅のヒマラヤスギにメジロの親子がやってきた。親鳥はえさを求めて近くを飛び回り、幼鳥は木のてっぺんで10分以上じっとしていたが、やがて飛んでいった。これからは鳥たちの子育ての季節である。ただメジロの市街地での子育ては珍しいと思われるが、どうなのであろうか。


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2015年4月4日  特別号
新川桜堤









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2015年4月1日  40号
モクレンのなかま


 3/8 芥川公園(南芥川町)で2種類のモクレン科のつぼみを見つけた。調べたところ左はモクレンかハクモクレン、右はコブシのようだ。コブシといえば ”♪こぶし咲く あの丘 北国の・・・♪” のコブシである。花が咲けば分かるのだが、はたして結果は・・・・・。




          3/21                         3/27

 左はハクモクレン(白木蓮)であったが、右は調べてみるとコブシ(辛夷)かタムシバ(田虫葉)のようだ。花は似ているそうだが、コブシが花の下に葉が1枚ついているのに対し、タムシバは花の下に葉がないので見分けられるとなっている。しかし小さな葉だがあるものとないものがありよくわからない。




 ほかにコブシがどこかにないかと気をつけていたのだが、以外や近くにあった。花が咲いて気が付いたが、ホームセンターコーナン(城西町)の駐車場脇に4本植えられていた。しっかり花の下に葉が1枚ある。昔はコブシが咲くと田植えを始めたことから、別名「田打桜(たうちざくら)」とのこと。
 家内に話すとコブシは家内の出身地(福井県大野市)の花と言われびっくり。



          3/21                         3/27

 左はシデコブシ(四手辛夷)である。別名ヒメコブシ(姫辛夷)。(西之川原)。右はいわゆるモクレン(木蓮)である。別名シモクレン(紫木蓮)。ハクモクレンより10日ぐらい後から咲くようだ。(新川桜堤)。いずれもモクレン科である。

 今月の歌    

   「花」

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき


見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言ふ 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を


錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき


作詞:武島羽衣 作曲:瀧廉太郎

 瀧 廉太郎(1879-1903)は、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人。明治時代の前半には、日本最初の音楽教科書「小学唱歌集」が存在していたが、「蛍の光」、「才女(アニーローリー)」、「庭の千草」などに見られるように、その多くが賛美歌やスコットランド民謡などの外国の旋律をそのまま用いたものだった。日本人作曲家によるオリジナルの歌曲を望む声が上がる中、滝はその声に最も早く応え、代表作である『荒城の月』、『箱根八里』、『お正月』などの名曲を次々と生み出していった。ただ肺結核のため23歳の若さで亡くなっている。

歌が聞けます  (YouTube)


万博公園と山田池公園でコブシを見つけた。

■万博公園(吹田市) 3/23


     コブシ


     オジロビタキ(尾白鶲)


     メジロ(目白)と梅                   ヤマガラ(山雀)

 万博公園で1本だけコブシを見つけることができた。花の下に葉が1枚しっかりついている。またラッキーなことにオジロビタキを見つけた。冬鳥として飛来するが見かけるのはまれといわれている。オスはのどが橙色なのでメスまたはオスの幼鳥と思われる。メジロとヤマガラにも遭遇。


■山田池公園(枚方市) 3/26


     コブシ


  山田池 林の中央に小さく白く見えるのはコブシ      公園エリア ミモザとハクモクレン


     オシドリ(鴛鴦) 全身が灰褐色の方はメス

 山田池公園においてもコブシの木を1本見つけた。かなり高い大きな木である。コブシとの表示があった。ここは大阪府枚方市にある大阪府営の大きな公園である。園のほぼ中心を市道が北西から南東へ走り園を二分している。山田池のある地区は樹木が多く、散策路が整備されている。対して市道の南側は芝の植生された広場が中心である。訪れたのは20年ぶりぐらいであろうか。南側のあまりの整備ぶりにびっくり。オシドリがまだたくさんいた。日本では北海道や本州中部以北で繁殖し、冬季になると本州以南(主に西日本)へ南下し越冬する。


3/17 先月号で紹介した乾性寺(けんしょうじ)の紅梅が満開

    




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2015年3月1日  39号
春の足音
 春の足音が聞こえてくるとは、1月、2月、それとも3月頃を指すのか。それはともかく、街中のお寺(乾性寺)の境内で春の息吹を撮ってみました。(2月27日)


     紅梅

     万作

     福寿草
 最初の写真は紅梅である。樹齢300年余り、高槻市の古木に指定されている。また日本樹木保護協会の蘇生外科治療が行われているとの記述がある。八重咲きの花が串刺しの団子のように枝にびっしりつくのが特徴とのことだが、満開にはもう少し時間が必要。
 次の写真はマンサク(万作)。花弁は黄色で長さ1.5cmほどの細長いひも状になる(5弁)。山で一番早く花を咲かせて、春の訪れを告げる木だそうである。そこから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。
 次の写真はフクジュソウ(福寿草)。お寺の方に場所を教えていただいたのだが、別の梅の木の下で3本ひっそりと咲いていた。春一番に咲く、めでたい花とされ、新年の季語にもなっている。また元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名をもっているため、正月明けにも開花するように思われているが、実際に野外で咲き始めるのは3月に入ってから。季語が旧暦によること、栽培品を目にすることでそのように思われているようだ。ポンポン山(高槻市の最高峰678m)に福寿草の群生地があるそうで一度訪れてみたいものだ。




 野鳥はルリビタキ。乾性寺には2月に何回か訪れたが2月10日に境内で運良く見つけた。スズメとほぼ同じ体長。雄は青いからだ(雌は尾だけわずかに青色)。日本では北海道と本州・四国の高地に繁殖し、冬は主として関東地方よりも南の地方の山地か、低い山地の林に移る。この辺りで見れるのもあとわずかか。





 乾性寺(けんしょうじ)はJR高槻駅北側にある上宮天満宮(天神さん)の東隣 辺りに位置する1619年創建の日蓮宗のお寺である。駅からは1キロ弱か。天神さん正面右の細い道を上がって行くと大きな竹林(たけばやし)に入る。デパートや高層マンションが立ち並ぶ街中とはとても思えない、まるで竹取物語の世界に紛れ込んだような神秘的な気分になれる。竹林の小道を通り抜けると乾性寺の参道に出る。境内は広くはないが、木々は手入れが行き届いている。また横には広い墓地がある。


 今月の歌       

 「早春賦」(そうしゅんふ) 

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず


氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空


春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か


 吉丸一昌作詞、中田章作曲
1913年(大正2年)に発表された日本の唱歌。吉丸は、大正の初期に長野県安曇野を訪れ、穂高町あたりの雪解け風景に感銘を受けて「早春賦」の詩を書き上げたとされている。


歌が聞けます  (YouTube)


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2015年2月1日  38号
コミミズク(小耳木菟)

      『いないいない』          『ばぁ』

 手はなくても『いないいないばぁ』ができる・・・?。フクロウの仲間は正面を向いた状態から、左右にそれぞれ270度も回転できる。180度で真後ろなのでそれ以上。写真はコミミズク。クリスマスのころから淀川(水無瀬付近のゴルフ場跡地)に6、7羽飛来しており、何度か写真を撮りに出かけた。近年、この近くで確認されていなく希少種であるため、連日カメラマンで大変な賑わいである。一部の新聞やテレビでも報道されている。
 コミミズクは越冬のためシベリアから全国的に飛来する渡り鳥である(冬鳥)。体長は40cmほどだが、1mもある大きな翼を広げ獲物を探す。河川敷や田畑で野ネズミなどの小動物を餌に冬を越す。目は黄色、目の周囲は黒い。夜行性だが、昼間に活動することもあり、地上に降りたり、杭などにとまっていることが多い。春になると、子育てのためシベリアに帰っていく。
 留鳥であるフクロウはもう少し大きく体長は50cm、目は黒い。



       正面               カメラの列

 写真右は土手の草むらにて獲物を食べている(ネズミか)。7,8メートル離れて周りをカメラマンが囲んでも逃げる様子はなかった。


 今月の歌   

   「蛍の光」

蛍の光、窓の雪、
書(ふみ)読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。


止まるも行くも、限りとて、
互(かたみ)に思ふ、千萬(ちよろづ)の、
心の端を、一言に、
幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり。


筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、
一つに尽くせ、国の為。


千島の奥も、沖繩も、
八洲の内の、護(まも)りなり、
至らん国に、勲(いさを)しく、
努めよ我が背、恙(つゝが)無く。



 前号に引き続き、スコットランド民謡である。
NHK連続テレビ小説「マッサン」でたびたび登場する。スコットランドに伝わるメロディーを元に、スコットランドの詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)により作詞された。
 アメリカやイギリス、スコットランドなど英語圏の国々では、大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われる新年ソングとなっている。日本では『NHK紅白歌合戦』の最後にこの曲の大合唱が行われることが恒例。
 日本には、1881年(明治14年)に我が国最初の音楽教科書『小学唱歌初編』に掲載されて広まった。


1番の歌詞の「蛍の光 窓の雪」とは、「蛍雪の功」と言われる、一途に学問に励む事を褒め称える中国の故事が由来である。
4番の歌詞は、領土拡張等により文部省の手によって何度か改変されている。
  千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 護りなり(明治初期の案)
  千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)
  千島の奥も 台湾も 八洲の内の 護りなり(日清戦争による台湾割譲)
  台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 護りなり(日露戦争後)
3番と4番は国家・領土の防衛を歌ったものともいわれ、戦後は歌う事も無く学校で教えることも無くなったとのことである。






   演目:恵比寿(えびす)        演目:大蛇(おろち)

 野見神社(野見町)の十日えびすに高槻市の姉妹都市である島根県益田市より石見神楽(いわみかぐら)が来演した(1/10)。迫力があり楽しめました。
 石見神楽は島根県石見地方において伝統芸能として受け継がれており日本神話などを題材とし演劇の要素を持っている。
 神楽面を始め、舞台を彩る天蓋や衣装など、あらゆるものにユネスコの無形文化遺産に登録されている石州半紙を含む伝統工芸品の石州和紙が使われており、石見神楽には欠かせない素材だ。特に蛇胴は和紙と竹のみという簡潔な造りながら、軽量自在に伸縮し、うねりのたうつ蛇の姿を見事に現し、舞に説得力を持たせることに成功したとのこと。


石州半紙とは
 昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、日本政府が推薦した「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」について無形文化遺産に登録することを決めた。登録対象は国の重要無形文化財に指定されている細川紙(埼玉県)、本美濃紙(岐阜県)、石州半紙(島根県)。
 3種の和紙のうち、石州半紙は2009年に単独で登録された。政府は他の和紙の登録も目指して遺産の枠組みを和紙全体に拡大し、細川紙と本美濃紙を加えて13年に再提案した。



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2015年1月1日  ---
あけましておめでとうございます

                 高槻市立第一中学校(城内町)校門

      
                 ホームセンターにて(大塚町)


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2014年12月1日  37号
落葉(おちば)

11/21 八丁畷町 京大農場(工事の囲いは発掘調査)



                                 11/21 新川桜堤

 落葉とくればたき火を思い浮かべる。また同様の意味の枯葉は有名なシャンソンの曲名もありよいイメージがある。しかし誰が言い出したのか、定年退職後の夫が、特に趣味もないために、妻が出かけようとすると必ず「ワシも(付いて行く)」と言って、どこにでも付いて来る様子を『濡れ落葉』という。濡れた落ち葉が地面に貼り付いて取れないさまから来ている。
 ただ、これが出てくるまでは『
粗大ゴミ』などと表現されていて、それに比べるとまだましとして好まれているとか・・・?。


吹き上げて 塔より上の 落葉かな
         夏目漱石(1867-1916)


濡れ落ち葉 頼りにされる 年の暮れ
掃除して 分かった厄介 濡れ落ち葉
濡れ落ち葉 乾いた挙句 宙に浮く

         川柳サークルサイト(投稿者:フータさん)


京大農場とは(高槻市HPより抜粋)
 高槻市八丁畷町 JR高槻駅から徒歩20分,阪急高槻市駅から徒歩15分
 正式名称は「京都大学大学院農学研究科附属農場」、通称「京大農場」。この農場は今から84年前の昭和3年に開設された。建設する際の工事中に発見された遺跡は約2500年前に米作りが始まった弥生時代の村跡で「安満遺跡」と呼ばれている。農場は遺跡上に立地しているため、開設時の主要な建物や施設が老朽化しても建て替えができないことに加え、実習学生も倍増して手狭になっている。こうした中、京都大学はこの農場を京都府木津川市の関西文化学術研究都市に移転することを決定し平成24年7月に高槻市と京都大学、UR都市機構の3者により同農場の移転に関する協定書が結ばれた。高槻市は跡地が市街地に近接した貴重な空間であることから、その周辺一帯を含め将来にわたる市民の財産として確保し「(仮称)安満遺跡芝生(しばふ)公園」として整備に取り組んでいる

 計画では公園化されても写真の建物は残されることになっている。

     安満遺跡公園整備構想イメージ動画(YouTube)

今月の歌       

   「故郷の空」     

夕空晴れて秋風吹き
月影落ちて鈴虫鳴く
思へば遠し故郷の空
ああ 我が父母いかにおはす


澄行く水に秋萩たれ
玉なす露は ススキに満つ
思へば似たり 故郷の野邊
ああわが弟妹( はらから )
たれと遊ぶ


     スコットランド民謡  作詞:大和田建樹

 この曲は古くから知られるスコットランド民謡である。日本においては明治中期に「明治唱歌 第一集」に収められ、以降小学唱歌として広く親しまれてきた。
 しかし、スコットランドでの原詞は、
「誰かと誰かが麦畑で出会い、キスをしてもいいじゃない…誰でも恋はするものだから。わたしにはそんなことはないけれど、ライ麦畑を通っていくと、男の子たちはみんな微笑みかけてくるわ…」
といった内容である。背丈の高い麦畑に男女が入り込み、こっそりと…。という少々過激な歌と言える。スコットランドの人々は古くから「男女の事柄」に対し大らかなようで、この歌はライ麦畑の内側で起こる「出来事」を明るく歌い上げた民衆の歌だそうだ。
 「故郷の空」の詞はスコットランドの原曲とは大きく異なるが、他にもいくつかの内容の異なる日本語詞がある。そのひとつがドリフターズの
「誰かさんと誰かさん」である。


誰かさんと誰かさんが 麦畑(パヤパヤ)
チュッチュチュッチュしている いいじゃないか(パパヤ)
僕には恋人 ないけれど
いつかは誰かさんと 麦畑

      (5番まである)
     作詞:なかにし礼  編曲:川口 真


 戦争が終わって再び自由に歌が唄える時代を迎えてから4半世紀が経ち、スコットランドの原曲にあった人間賛歌にあらためて光を当てたのが、人気絶頂のドリフターズだった。
 高視聴率をキープしている朝の連続ドラマ「マッサン」劇中でもスコットランド歌詞で歌う場面と、日本語歌詞で歌う場面が登場する。スコットランドでエリーが歌う原曲は、恋人になった二人がふざけながら歌っていることになるかも。逆に日本でエリーが口ずさむ「故郷の空」は、文字通り遠い故郷を思い起こす歌だと。


歌が聞けます  (YouTube)




 お隣のN宅駐車場で、今年は菊に加え、ご近所からミニ盆栽等が出品され11/10-11の2日間展示された。我が家の駐車場は休憩場所に。


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2014年11月1日  36号
セキレイ(鶺鴒)

セグロセキレイ 10/30 芥川(中流)            ハクセキレイ 10/20 芥川(下流)


キセキレイ 10/17 芥川(摂津峡)

 セキレイは鳥類の1グループ。日本で普通に見られるセキレイは、ハクセキレイ(白鶺鴒)、セグロセキレイ(背黒鶺鴒)、キセキレイ(黄鶺鴒)の3種である。主に水辺に住む。長い尾を上下に振る習性があり、石たたき・庭たたきなどの異名を持つ。波型を描くように飛ぶ。 
 ハクセキレイは、白、灰、黒を基調とした色合い。顔は白く眼の所に黒い線(過眼線)が入る。主に河川の下流で見られ、畑や公園など街中にもいる。
 セグロセキレイは、全体的に白黒がはっきりとした色合をしており、頭から背中にかけては黒く、眉のみ白いのが特徴である。主に河川の中流で見られる。日本固有の野鳥である。ハクセキレイとよく似ているが、顔がハクセキレイは眼の線だけが黒いのに対しセグロセキレイは眼から下が黒いことで識別できる。
 キセキレイは、主に河川の上流で見られ、特に渓流に沿って生活するものが多い。胸から腹にかけて黄色いところからキセキレイの名がある。 
 鶺鴒(セキレイ)は一年を通して見れる鳥であるが俳句では秋の季語になっている。


「鶺鴒よ この笠叩(たた)く ことなかれ」

                正岡子規(1867-1902)

今月の歌      

  「里の秋」

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた


明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す


さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります


作詞:斎藤信夫
作曲:海沼 實


 日本の童謡。
 昭和20年12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現している。


歌が聞けます  (YouTube)



10月8日 20時5分 自宅ベランダにて

 皆既月食 見ましたか。
 皆既食の月には、太陽の光が地球の大気で散乱、屈折し、太陽の光のうち波長の長い赤い光がわずかに届くため真っ暗にはならず赤銅色に見える。次回は来年の4月。




     ”テケテケはにたんダンス” 披露中

 10月19日(日)たまたまJR京都駅前を通りかかったところ高槻市のマスコットキャラクター”はにたん”が街宣活動をしていました。ゆるキャラグランプリ2014の投票依頼と高槻市営業係長としての高槻市のPRです。


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2014年10月1日  35号
スイフヨウ(酔芙蓉)

           10時                           18時

      8時                12時                14時

      16時               18時               翌日7時
スイフヨウ(酔芙蓉) 9/14庄所町にて。

 この花は朝の散歩コースの途中にある。朝に見た白い花が翌朝にはピンク色になってしぼんでいるため、終日晴れであることを確認し2時間ごとに写真を撮りに出向いた。自宅から自転車で5分あまり。写真の通り14時の時点ではまだ白の部分が多いことから、この時間帯から徐々に色が変わってくると思われる。
 スイフヨウ(酔芙蓉)と呼ばれフヨウ(芙蓉)の園芸品種であるとのこと。朝に咲き、夕方にはしぼんでしまう一日花で、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になる。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれている。樹形、葉形はフヨウとほぼ同様だが、一重咲きが基本のフヨウに対しスイフヨウの花は八重咲き。フヨウは注意していると街角でも見つかるがスイフヨウはなかなか見かけない。
花期は9月~10月。




フヨウ(芙蓉) 9/29新川桜堤にて。

 フヨウ(芙蓉)の花は同じアオイ科のムクゲ(木槿)とよく似ていて、花期も同じなので間違われやすい。区別する方法としては、葉がムクゲよりかなり大きく形も違う。

「芙蓉さく 今朝一天に 雲もなし」

         宮 紫暁(しぎょう) (1745年-1806年)



 今月の歌        

   「高原列車は行く」

汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる
明るい青空 白樺林
山越え谷越え はるばると
ララ・・ ララ・・・・・・・
高原列車は ララ・・・ 行くよ


みどりの谷間に 山百合ゆれて
歌声ひびくよ 観光バスよ
君らの泊まりも いで湯の宿か
山越え谷越え はるばると
ララ・・ ララ・・・・・・・
高原列車は ララ・・・ 行くよ


峠を越えれば 夢みるような
五色のみずうみ とび交う小鳥
汽笛も二人の 幸せうたう
山越え谷越え はるばると
ララ・・ ララ・・・・・・・
高原列車は ララ・・・ 行くよ


歌手:岡本敦郎(大正13年-平成24年)
作詞:丘灯至夫
作曲:古関裕而


 岡本は昭和21年にラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」でデビューした。抜群の伸びのある美声と正統派の歌唱で、戦後の歌謡界で活躍した。昭和29年にリリースした「高原列車は行く」は爆発的ヒットとなり岡本の代表曲となった。この歌の舞台となったのは福島県の猪苗代を走っていた磐梯急行電鉄であるが昭和44年に全線が廃止された。病弱で湯治に行くためによく乗った作詞家の丘が、その思い出を元に作詞したそうである。


歌が聞けます  (YouTube)


清水池 津之江北町

9月5日 親鳥と幼鳥                       巣は池の中央の浮草に

9月18日 親鳥と幼鳥

9月18日 若鳥と幼鳥 若鳥が子育てに参加か

 9月5日に清水池を訪れたとき、バンの親鳥とかなり大きくなった幼鳥2羽を確認した。次に9月18日に訪れたところ幼鳥はすでに若鳥になっており、なんと小さな幼鳥3羽を確認できた。えさをやっていたおじさん達に聞くと、今回で今年5回目の子供とのこと。次々と育った若鳥達はどこへ行くのであろうか。近くの芥川ではあまり見かけない。
 バンはハトくらいの大きさで、全身は黒っぽく、光沢のある赤い額とくちばしが特徴である。全国の湖沼や湿地で繁殖し、本州中部以南では冬を越している。頭を前後に動かしながら泳ぎ、時々カモと混同されるが、クイナの仲間で、あしには水かきがない。巣立った若鳥がヘルパーとして、子育てに参加することが知られている。



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2014年9月1日  34号
夏草

エノコログサ                       ジュズダマ


ツユクサ                        オオバコ

 雑草とは人間の生活範囲に人間の意図にかかわらず自然に繁殖する植物をいうそうである。いわゆる草であるが、小学校だったか草むしりの時間があっていやいややっていた記憶がある。大人になってもそれは変わらないのだが、その雑草もよく見ると意外とかわいらしかったり懐かしさを覚えるものがある。
■エノコログサ(狗尾草)
 写真に写っている後ろの建物は高槻市役所である。街中でも堂々と茂っている。名は犬の尾に似ていることからきている。花穂を猫の視界で振ると猫がじゃれつくことから俗称はネコジャラシ(猫じゃらし)。現在は食用としては認識されていないが、粟の原種であり食用に使えるそうである。何か風情を感じる草である。
■ジュズダマ(数珠玉)
 家の近くのまだ残っている田んぼの横で見つけた。雌花が熟すると表面が非常に固くなり黒くなって表面につやがある。実の中心に花軸が通る穴が空いているので糸を通すのも簡単でる。女の子の遊びとしてネックレスや腕輪などが作られてきたようだ。私はどのように遊んだかの記憶はないが実を採っていた覚えがある。
■ツユクサ(露草)
 注意して歩いているとよく見かける。花弁は3枚あり、上部の2枚は特徴的で青く大きいが、下部の1枚は白くて小さく目立たない。
■オオバコ(大葉子)
 身近な草と思っていたが近くでは見つけられず、もしかと思い行ってみた摂津峡の上の口にてやっと見つけた。葉が広く大きいことから「大葉子」という。葉や種子は咳止めなどの薬になる。踏みつけに強く、人などがよく踏む道路脇などの場所に生える。踏みつけが弱い場所では、高くのびる性質を持たないので、他の草に負けてしまう。
 高齢の方であれば遊んだ記憶があるのでは。花穂を根元から取り、二つ折りにして二人が互いに引っかけあって引っ張り、どちらが切れないかを競う。(草ずもう)

「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡(あと)」     

         松尾芭蕉 (1644年~1694年)
         岩手県平泉(ひらいずみ)にて(奥の細道)


 往年、義経(よしつね)以下の勇士たちが功名の夢を抱いて奮戦し、はかなくも一場(いちじょう)の夢と消えた廃墟。その廃墟の上に、生えては枯れ、枯れては生えて、いま眼前に茫々と生い茂る夏草は人生の刹那の興亡と悠久の夢とを象徴しているかのようだ。(句解:尾形 仂)

 源義経は源平戦で数々の勲功をあげ鎌倉へ凱旋したが、兄頼朝の不興をかい奥州の豪族藤原三代目の秀衡を頼って平泉に落ち延びた。しかし四代目を継承した泰衡は頼朝からの再三の圧力に耐えかねて文治5年(1189年)4月に義経を急襲した。義経は自害し31歳の生涯を閉じた。義経を排除することで奥州の安泰を願った泰衡であったが、その年の8月に頼朝の大軍に攻め込まれ、奥州藤原氏は滅亡した。
 芭蕉が平泉を訪れた元禄2年(1689年)は、ちょうどその500年後のことであった。今年が2014年なので、それからさらに325年が経ったことになる。




今月の歌

 
「証城寺の狸囃子」

(しょうじょうじのたぬきばやし)


証 証 証城寺
証城寺の庭は
つ つ 月夜だ
みんな出て 来い来い来い
おいらの友だちゃ
ぽんぽこ ぽんの ぽん


負けるな 負けるな
和尚(おしょう)さんに 負けるな
来い 来い 来い
来い 来い 来い
みんな出て 来い来い来い


証 証 証城寺
証城寺の萩(はぎ)は
つ つ 月夜に 花盛り
おいらは浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん



 野口雨情作詞、中山晋平作曲の日本の童謡。 證誠寺は千葉県更津市にある。證誠寺の狸囃子伝説は、日本三大狸伝説の一つに数えられている。ある秋の晩、證誠寺の庭で何十匹もの狸がポンポコと腹鼓をしながら楽しそうに踊っていた。これを見た和尚さんが負けじと自慢の三味線でお囃子を始めると、狸も負けじと大きな音で腹鼓を叩く。頑張りすぎた狸は、翌朝腹を破って死んでいた。不憫に思った和尚さんは供養のため狸塚を作ったと言う。

歌が聞けます  (YouTube)



ホテイアオイと温帯性スイレン     8/18 自宅にて
 6/26に買ってきた温帯性スイレンが8/4にやっと花をつけ、その後は一つずつではあるが次々と咲いてくる。ホテイアオイも一緒に入れたところ同時に咲いた。


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2014年8月1日  33号
ハス(蓮)



7月14日 新川桜堤

 NHKの朝の連続ドラマは主人公の花子とともに白蓮(びゃくれん)の今後の展開が注目であるが、今回のテーマはこの白蓮の蓮である。彼女は信仰していた日蓮にちなんで「白蓮」と名乗る事となったように蓮は仏教と関連が深い。多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し仏像の台座(蓮台)にもその形がよく使われる。泥の中に根を張りながら泥にまみれることなく美しい花を咲かせる姿が仏教の教えと一致するとされている。
 ハスの花は朝早く開き午後3時頃には閉じる。花の開閉は3回繰り返し4日目には花びらが散る。泥の中にある根の部分はふくらんで蓮根(レンコン)になる。ただ食用の物と観賞用の物は品種が分かれており、新川桜堤のハスは世話されている方にお聞きすると観賞用とのことであった。
 蓮の字の入った四文字熟語「一蓮托生」とは、よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花 の上に身を託し生まれ変わること。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすることをいう。



今月の歌

 
「われは海の子」


我は海の子 白波の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ

生まれて潮にゆあみして
波を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を
吸ひてわらべとなりにけり

高く鼻つくいその香に
不断の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く


 1910年(明治43年)に『尋常小学読本唱歌』で発表された日本の童謡・唱歌。文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩が採用されたとされている。

歌が聞けます  (YouTube)


 7月は4匹の生き物に関わった。一つ目は金魚。一昨年からであるが夏休みに孫が来て地区の盆踊りで金魚すくいをして持ち帰ってきた。しかし置いて帰ってしまったので年寄りが面倒を見る羽目に。二つ目はヤゴ。昨年購入した熱帯性スイレンが冬を越せず腐ってしまい、処分したら鉢の中にトンボになるヤゴがいた。せっかくなのでペットボトルに入れて様子を見ていたが、いつのまにか脱皮していなくなってしまった。三つ目はメダカ。熱帯性スイレンを入れていた鉢が空いたので懲りもせず今度は温帯性スイレンを買ってきたところ、なんとその中にメダカが一匹。四つ目はキアゲハの幼虫がプランターのパセリに・・・といった具合である


トンボのヤゴとねけがら


メダカ(目高)の体色は野生型では焦げ茶色がかった灰色だが、赤色や青色・白色が売られているようである。
これはヒメダカ(緋目高)か。



キアゲハ成虫とさなぎ  パセリは葉を食べられて少なくなっている

 キアゲハはパセリなどセリ科の植物に卵を産み付ける。7月16日にさなぎ化したが8月1日現在まだ羽化していない。トンボは逃がしてしまったためこれはネットをかけて待っているが、さなぎの期間は10日位といわれているのでだめかもしれない。
 羽化すれば下記写真のようになる。この写真はネットから。





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2014年7月1日  32号
タチアオイ(立葵)


     

 テレビ気象予報士が梅雨と立葵の関係の話をしたので”えっ”と思い調べてみた。
 この花は下から咲き始めてだんだん上に登っていく。江戸時代(1844年)の山崎美成作「世事百談」に、梅雨入り梅雨明けが分からないときは「花葵の花咲そむるを入梅とし、だんだん標(すえ)の方に咲終るを梅雨のあくるとしるべし」そう書かれてあるとのこと。そのためか、この花は昔から「梅雨葵」と呼ばれているそうである。色は赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩だ。
 写真は6月19日に今城塚古墳付近の芥川の支流である女瀬川沿い(氷室町)で撮影した。川の両側に100m以上に渡って植えられてる。新川桜堤にもたくさん咲いている。



「指さしも ならぬ葵の 咲にけり」

         小林一茶(1763年~1828年)

 この花を下手に指させないと徳川家の葵にかけて詠んだものだが、実際は葵紋は立葵ではなく、ウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したものだそうだ。


      

     おなじみの印籠             フタバアオイ (いずれもネットより)



今月の歌

   
「浜辺の歌」

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも


 作詩:林古渓、作曲:成田為三による日本の唱歌・歌曲。大正5年(1916年)発表。
 成田 為三(1893-1945)は、秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)の役場職員の息子として生まれる。大正3年(1914年)に上野の東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、ドイツから帰国したばかりの山田耕筰に教えを受けた。大正6年(1917年)に同校を卒業。卒業後は九州の佐賀師範学校の義務教生をつとめたが、作曲活動を続けるため東京市の赤坂小学校の訓導となる。同時期に『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多くの作品を発表した。





        アオスジアゲハ                         ナミアゲハ


        ネズミモチの木                        京都国立博物館

 6月13日、京都国立博物館(京都市東山区)の特別展の入場券をいただいたので出かけてきた。博物館の庭に花はほとんどなく、この写真の一本の木(ネズミモチ)のみに花があり、チョウが集まってきていた。
 私は初めてアオスジアゲハを見たが高槻市の自然を紹介する芥川緑地資料館(あくあぴあ芥川、南平台)には標本があり、高槻市にも生息しているようだ。



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2014年6月1日  31号
いましろ大王の杜(もり)




           

史跡 今城塚古墳 (高槻市郡家新町)
 5/24 古墳の上はすっかり新緑に覆われていた。
 高槻市は7ヶ年に渡る復元整備事業が2011年3月で完了し2011年4月1日、日本初となるであろう埴輪祭祀場を発掘調査位置にレプリカにて復元し、また復元埴輪等を展示する今城塚古代歴史館と史跡今城塚古墳を一体的に公開した。
 この古墳は、三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳である。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約340メートル。日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されている。またこの古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳である。
 私が育った福井県福井市にある足羽山山頂の公園には継体天皇の高さ4mをこえる石像が立っている。明治17年に立てられた。『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は応神天皇5世の子孫である。近江国で誕生したが、幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前国(福井県)で育てられた。男大迹王として5世紀末の越前地方を統治していたが58歳にして即位したとのこと。




福井市足羽山公園の継体天皇石造  インターネットより


 今月の歌

   「雨降りお月さん」

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく

いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
お袖でお顔を 隠してる
お袖は濡れても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて 濡れてゆく 


 作詞:野口雨情、作曲:中山晋平による日本の童謡・唱歌。1925年(大正14年)発表。
1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月増刊号で楽譜付きで発表された。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』とした。
 この曲は好評であったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表された。両者はもともとは別の曲であり、中山晋平の付けたメロディも若干異なっている。
 昭和に入ってレコードが普及し、この曲のレコード化されることになった際、『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により、『雲の蔭』と合わせてひとつの曲とすることとなった。




「行行子 大河はしんと 流れけり」

            小林一茶(1763年~1828年)




オオヨシキリ  5/26 芥川
夏鳥、全長18.5cm、口の中が赤い。河川、池沼、海岸などの水辺に広がるヨシ原に生息する。「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」と聞こえるうるさく大きな声であり、鳴き声から「行行子」とも呼ばれ夏の季語とされる。



「ギョギョシギョギョシ・・・」 大河ではないがしんと流れる芥川とヨシ原


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2014年5月1日  30号
メジロ(目白)とウグイス(鶯)

メジロ 大津市 4/5


ウグイス 淀川 4/15

 4月5日”桜にメジロ”を撮りたいとの思いと、近場ではじめての所ということで滋賀県大津市の三井寺に出かけた。高槻駅から24分、大津駅から1km弱の距離である。一千余本あると言う桜は満開であったが鳥はヒヨドリばかりでお目当てのメジロは見かけずじまい。帰りは琵琶湖疎水沿いの桜を見ながら琵琶湖湖岸に出た。クルーズ船ミシガンを横目に大津駅に向かって歩いていたところメジロの声が。道路沿いの桜の木にメジロ一羽発見。何とか確認できるものが撮れた。
 メジロは肉眼では識別が難しい。写真の通り、目のまわりが白いため一目瞭然と思えるが大きさがスズメ(14.5cm)より小さい(11.5cm)ためである。葉の陰にならず明るければ体の色で分かる。声を覚えるとなお良い。あざやかな黄緑色のためウグイス(15.5cm)とまちがえる人もいる。ウグイスは声を聞けば誰でもわかるが、”声はすれど姿は見えず、藪の中”であり見かけることは少ない。うぐいす色といわれて私たちが思いうかべるのは「うぐいす餅」などの色彩だが、実際のウグイスの羽色は緑よりも暗緑茶色である。春先に庭にウグイス色の小さな鳥がきたらそれはメジロである。ホーホケキョと鳴いたら別であるが。ウグイスの写真は淀川の枚方市側、前島の高槻クリーンセンター対岸あたりで撮ったもの。ここは今の時期よく姿を見せてくれる。

 
ききなし(聞き做し)は
  ウグイス 法,法華経 (ホー、ホケキョ)
  メジロ  長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛
       (チョウベー・チュウベー・チョーチューベー)
三井寺:正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山であり一千百余年の歴史がある。



三井寺                       琵琶湖疎水(京都まで)           ミシガン



 今月の歌

   
「箱根八里」

箱根の山は、天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ
八里の碞根(いはね)踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
 

 先日ラジオを聞いていると、この歌をリクエストした方が、出だしは歌えるが後が続かないと。私も同じです。皆さんはどうでしょうか。
 作詞:鳥居忱、作曲:滝 廉太郎。1901年(明治34年)発行の「中学唱歌」に掲載された。歌詞には李白の漢詩、中国の故事や古典・歴史に由来する事項が多く盛り込まれている。
 題名の「箱根八里」とは、旧東海道で小田原宿から箱根宿までの四里と箱根宿から三島宿までの四里をあわせたもの。「函谷関(かんこくかん)」とは中国河南省にあった関所。交通の要衝にあり、歴史上多くの戦いが行われ、また故事が生まれた。




こいのぼりフェスタ(4/21~5/5) 芥川桜堤公園     


 4/23 パノラマ撮影


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2014年4月1日  29号
シダレウメ

シダレウメ 3/17
         


高槻市城跡公園(城内町、野見町地内)                            高山右近像

梅あれこれ

■松・竹・梅

 三つの等級を表す場合によく使われます。中国では、松と竹は冬の寒気に耐えて緑を保ち、梅は寒さの中、百花に先がけて花を咲かせることから、松・竹・梅を「歳寒三友(さいかんさんゆう)」といい、それが日本に伝えられた。三友とは友としてふさわしい「正直な人・忠実な人・多聞な人」をいう。「松」は厳冬にも落葉せず、断崖絶壁にも良く根を張ることから、忍耐強く、真心を尽くす人。「竹」は節を持った人。また隠し立ての無い正直な人。「梅」は厳冬に咲く事から、激しい状況でも笑顔を絶やさない人。また梅の実は、やがて落ちて芽を出す事から、生命のしるしとされてる。奈良時代から祝儀や縁起物の一つとして、また画題や祝い事の飾りなどにも用いられてきた。

■塩梅(あんばい)
 昔は、酸味と塩味で料理の味を引き立てる「梅酢」が調味料として使われていた。そのことから「塩梅(あんばい)」という言葉は、料理用語として使われていたが、後には政治用語として使われたこともある。現在では、とても具合のよいことを「いい塩梅」といい、幅広く使われるようになった。
   梅酢(うめず):梅の実を塩漬けした時に出る汁

■梅田
 JR大阪駅や梅田駅を中心とした一帯の地域の名称。
江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれ、後世になって字面が悪いので産土神である綱敷天神社や露天神社に縁のある梅の字を埋田に当てて「梅田」となったと言われている。

追記 友人から「露天神社(つゆのてんじんしゃ)を露天(ろてん)商の神社と勘違いした人がいたとか」とメールを頂いた。恥ずかしいはなし、私もそう読みました。調べてみると「お初天神」の名で広く知られた神社です。元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書き、以後そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったそうです。

■梅一輪 一輪ほどの暖かさ
          服部嵐雪(1654-1707)



 今月の歌      
                     
 芥川 津之江公園 ヒバリ 2010年4月
「どこかで春が」

どこかで「春」が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀(ひばり)が啼(な)いている
どこかで芽(め)の出る音がする
山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで「春」が うまれてる

 
 作詞:百田宗治、作曲:草川信による日本の歌曲。1923年(大正12年)に歌詞が発表された。作曲者の草川信は『夕焼け小焼け』、『緑のそよ風』、『ゆりかごの歌』なども作曲。
 東風(こち)とは春に東から吹く風。俳句の季語でもある。小学生には東風(こち)という言葉がむずかしいというので、春風やそよ風に変えて歌われることもあるとか。




梅の木(紅映梅)にツグミ

     3/17 城跡公園にて

 梅の木は福井県産 紅映梅(べにさしうめ)であり三方町からの寄贈。その名の表すとおり、「紅映」は実が熟してくると日当たりの良い部分が紅色を帯びる。一般的な梅より有機酸がやや少なく、糖分も控えめです。しかし、梅干やジャムにすると甘く感じるそうです。糖に対して酸が弱いので甘くまろやかに感じるのです。「種子が小さく、肉厚である」良質の梅として全国的に高い評価を受けています。福井県は和歌山、群馬、長野、山梨に次ぐ栽培面積を誇り、日本海側最大の産地です。
 高槻市は福井県三方町(現在の若狭町)と姉妹都市である。
 ツグミは10月ごろ、シベリアから大群で渡ってくる冬鳥の代表です。日本へ着くと群れを解いて、田畑や低い山の林に散らばって生息、3月なかばごろになると再び群れて北へ帰る。福井県の鳥に指定されている。
 私は福井県出身なので紅映梅にツグミとくると親しみを感じます。
 我が家の梅干は大手町にある姉妹都市交流センターで買っています。


 
      紅映(福井梅)           一般的な梅

      福井県農林水産部農畜産課HPより



桜 満開も間近か

     芥川堤と新川桜堤  3/31


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2014年3月1日  28号
冬鳥 ジョウビタキ


   
                    この「紋付」どうだい!
ジョウビタキ オス 芥川 新川桜堤にて


 チベットから中国東北部、沿海州、バイカル湖周辺(ロシア)で繁殖し、越冬のため日本に渡って来ます。スズメほどの大きさで、雌雄ともに翼には白斑があり、「紋付」鳥と呼ばれることもある。
 澄んだ声でヒッ、ヒッ、時にカッカッと低く鳴く。尾を震わせたり、頭を下げるお辞儀のような動作が特徴的で街の緑地などでもよく見られる。冬は1羽で行動し、杭の上などによく止まり、意外と身近に見れるかわいい冬鳥です。
 名前のジョウは「尉」で銀髪のこと。ヒタキは「火焚」で、火打石をたたく音に似た音を出すことからジョウビタキなのです。



柴田トヨさん(3)

   


風と陽差しと私 

 風が 
 ガラス戸を叩くので
 中に入れてあげた
 そしたら
 陽射しまで入って来て
 三人で おしゃべり 

 おばあちゃん
 独りで寂しくないかい?
 風と陽射しが聞くから
 人間 所詮は独りよ
 私は答えた 

 がんばらずに
 気楽にいくのがいいのね
 みんなで笑いあった
 昼下がり



先生に 

 私を
 おばあちゃん と
 呼ばないで
 「今日は何曜日?」
 「9+9は幾つ?」
 そんな バカな質問も
 しないでほしい 

 「柴田さん
 西条八十の詩は
 好きですか?
 小泉内閣を
 どう思います?」

 こんな質問なら
 うれしいわ



 柴田 トヨさんが昨年1月20日に亡くなってはや1年が過ぎました。掲載は昨年の2月3月に続き3回目となります。
 明治44年生まれ。栃木県栃木市出身。
 生家は裕福な米穀商だったが、10代で家が傾いたことから奉公生活を送り、30代で結婚、出産、60代で宇都宮市に居を移した。一人息子の勧めで書きためた詩を年平成21年10月に自費出版した。その後飛鳥新社が魅力を感じ、内容を追加、装丁を変更し再出版。4万部を記録する。詩作を始めたのは92歳だった。
 平成25年11月、その半生を描いた映画『くじけないで』が公開された。




2月14日 全国的に大雪   芥川 新川桜堤にて


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2014年2月1日  (27号)
水仙

     芥川 新川桜堤

 水仙は1本の茎に1つの花をつけるタイプや、房咲きになるタイプなどがある。日本水仙と呼ばれるものは房咲きのタイプになる。強い香りがあり、3cmくらいの小さな花をたくさんつける。一方1茎1花のタイプは、ラッパスイセンなどで、10cmくらいの大きな花を咲かせるものもある。
 日本水仙の原産地は地中海沿岸。室町時代以前に中国を経由して日本に入ったと考えられている。
 有毒植物である。葉がニラととてもよく似ており、ニラと間違えて食べ中毒症状を起こすという事件がときどき報告されており注意が必要です。 
 日本の水仙三大群生地と呼ばれているのが①福井県の越前海岸②兵庫県の淡路島③千葉県の鋸南町(房総半島)。福井県では県の花になっている。越前海岸のある丹生郡越前町は私の父のふるさとでもあります。
 雪の中でも春の訪れを告げるので別名「雪中花」(せっちゅうか)と呼ばれている。

  
「水仙の 香やこぼれても 雪の上」      

             加賀千代女 (1703~1775)



今月の歌                            

「湖畔の宿」

山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心
胸の痛みにたえかねて
昨日の夢と焚き捨てる
古い手紙のうすけむり

水にたそがれせまる頃
岸の林を静かにゆけば
雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと
いつか涙の陽がおちる

ランプ引きよせふるさとへ
書いて又消す湖畔の便り
旅の心のつれづれに
ひとり占うトランプの
青いクィーンの寂しさよ


 歌  高峰三枝子
 作詞 佐藤惣之助
 作曲 服部良一

 「湖畔の宿」は戦前に、センチメンタルな曲調に加え、歌詞が軟弱であるという理由から発売禁止の声も聞かれたが、昭和18年、来日していたビルマの高官がこの曲を好むことを東條首相が知り、高峰を東京・芝の紅葉館に招いて歌わせたところ、大いに受けたこともあり、かろうじて発売禁止は免れた。曲中の台詞が、死地へ赴く兵士の心情とあいまって、特攻隊、前線兵士の間では人気が高く、愛唱され続けた。そのため慰問でも「湖畔の宿」のリクエストは絶えなかったとのこと。


歌 高峰三枝子(YouTube)



阿武山古墳 (高槻市大字奈佐原)


阿武山古墳に行ってきました。被葬者は藤原鎌足(614~669)が有力視されている。

             
コゲラ 15cm 阿武山古墳付近にて 
日本に生息するキツツキとしては最も小さい



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2014年1月1日  (---)
あけましておめでとうございます

吹田市 万博公園内 日本庭園 クロマツ(福岡県久留米市から移植)


吹田市 万博公園入り口


中川町 庄所神社


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